おさむ茶マイルーム

おさむ茶マイルーム
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 山形の秋の郷土料理といえばいも煮が定番ですが、冬はといえばいろいろあるけどワタクシ的には納豆汁がイチオシですね。それに呼応するかのように、昨夜我が家では納豆汁が出ました、なんかヤラセくさいかしら〜w。。
 とろり、あつあつ、ほかほかの納豆汁で芯から温まりました。納豆をすってみそ汁に溶かし入れ、とろみをつけた納豆汁は、心までホカホカ温めてくれます。具は、その地方や家庭によってビミョーに違いますが豆腐、油揚げ、こんにゃく、キノコや山菜などですが、うちの地方fr欠かせないのが里芋の茎を干して作った「いもがら」です。
 レシピですが…
1納豆は、すり鉢でよくする。
2豆腐、油揚げ、コンニャク、いもがらは、1cmのさいの目切りにする。
3鍋にだし汁を入れ、いもがらを煮る。
4いもがらが柔らかくなったらコンニャク、油揚げ、山菜などの具を入れる。
5最後に豆腐を入れ、味噌で味付けをする。味噌は、ほんの少し濃い目にする。
6火を止め、すった納豆を溶かし入れる。
7煮立てないように火にかけ、沸騰直前に火を止め、刻みネギ、セリを添えてあつあつを食べる。
 納豆嫌いな人もいけるかもしれませんので、レッツチャレンジ!

If you’re going to San Francisco 
Be sure to wear some flowers in your hair
If you’re going to San Francisco

なつかしいですな〜60年代の音楽ですよ。スコット・マッケンジーの『花のサンフランシスコ』当時流行ったハッピーじゃない、ヒッピーの象徴的な曲でしたね。若者はみんなロングヘアーにベルボトムのジーンズで固め、泥沼化するベトナム戦争への平和運動や既存の社会への抵抗として,平和と愛を求めて定職に付かず自由放漫な暮らしをするのを良しとしたヒッピーの賛歌がこの曲でした。 
 他にママス・アンド・パパスの『夢のカリフォルニア』なんていうのもありました。たまにラジオから流れ出すと、オヤジにはたまらなくなるのです。当時ロン毛だった元ヒッピーも、今はすっかり後頭部まで天然そりこみ入ってるかと思うと、時代の流れを感じます。

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 今年のプロ野球は千葉ロッテマリーンズが見事日本一に輝きました。あの万年最下位候補だったロッテが優勝したのも驚きですが、何よりも驚いたのはロッテファンの熱狂度!!川崎球場の外野席に数える程度の観客しかいなかった時期を考えると、よくここまで変わったなと思いました。ロッテにしろ、阪神にしろ、ダイエーにしろ今年上位の成績を収めた球団はどれも地域密着度の高い”市民球団”といえる球団ばかり。我が東北の球団である楽天ゴールデンイーグルス、地域に根付いた”東北の市民球団”として1年目ながら、その可能性ありと見た。ただ山形でのゲームは来年1試合のみというのは寂しい限りですが…。早く上位争いをできるようにがんばって欲しいと思います。
 画像は、山形のゲームでの合間、ファンを沸かせた悪役キャラのカラスコ(カラスの子の意味らしい)、来年はゲームで沸かせて欲しい。


 昭和30年代の東京を書いた映画「ALWAYS3丁目の夕日」のなかで、力道山のTV観戦に近所中の住民が集まって熱中するシーンをPR版で観ましたが、そういえば金曜日夜8時といえば「プロレス中継」のような時代がありました。
 確か当時は、毎週ではなくて、ディズニーランドアワーとの交互放映でしたから、それはそれは2週間が待ち遠しかった記憶残っています。

 当時はもちろん白黒で、プロレスファンのみならず力道山は戦後のヒーローでしたね。60分枠で繰り広げられるバトルは空前絶後&抱腹絶倒ワールド。吉村道明や遠藤幸吉(山形出身ですw)が外人レスラーに反則技でいたぶられ、それを抗議するもレフェリーの沖識名に遮られ、怒り心頭の力道山はレフェリーのTシャツを引きちぎり、悪役外人を空手チョップで滅多切り…だいたいこんな展開でしたね。
 
  他に変り種で日系のグレート東郷という異色のレスラーもいました。 身長は170センチに満たない小柄なキャラで、下駄にド派手なはっぴ風ハーフガウンを纏ってリングに登場、対戦相手やレフェリー、観客にニヤニヤと意味不明な笑みを浮かべ、首をすくめながらリングを回る姿は不気味でした。
 しかし技らしいワザは頭突きぐらいなもので、もっぱらやられ役でしたがFブラッシーの噛み付き流血での老人のショック死事件が社会問題化したこともありました。 それにひきかえ、今のプロレスはショーアップされ大きく様変わりしました。先だっては、レーザーラモンHGや和泉元弥がリングに上がる時代ですから…。

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 よく売っている山菜のパックつめの具をご飯にかき混ぜただけですが、わらびや竹の子の山の幸も美味ですが、シャキっとした歯ざわりが楽しめます。もう一杯お代わり!と言いたいところですが、弁当ですからね(笑)。
 週末、秋田ツァーでの3発目です。山形県内陸痴呆もとい地方から庄内地方へ国道112号線の一般道でドライブするとき、必ず立ち寄るのが鶴岡市(旧朝日村)にある「米の粉の滝ドライブイン」。米の粉の滝は、梵字川に流れ込む合流点に懸かる滝で「米の粉の滝ドライブイン」の駐車場から眺めることが出来ます。落差約25mから直下に落ちる滝で、落下する水が米の粉のように見えることからこの名で呼ばれているらしいが(いわゆるライスシャワーという奴ですなw)、先週末訪れた日は紅葉で見事に囲まれていて、新緑時期と違う彩りと表情を見せていました。 冬になれば、水墨画のような違った顔でドライバーを和ませてくれることでしょう。
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「秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ」と秋田音頭にも謡われたハタハタを、本場秋田で食して参りました。山形では小ぶりなやつをしょっつる鍋でよく食べますが、焼き物では初体験、ぶりこの食感がグッドでした。ハタハタの由来をインターネットで調べたところ、秋田では年貢の変わりにしたほど、昔から食卓になじみの深い魚で、冬の雷が鳴る頃にハタハタが沿岸に集まるので、別名「カミナリウオ」とも呼ばれているそうです。
 かつては、豊漁が毎年続き、捕れ過ぎで価格が暴落、「箱代にもならない」と言われるほど大漁貧乏が続いた時期もあったようですが、乱獲などがたたって激減、大衆魚から高級魚になってしまったそうです。15年ほど前から「育てる漁業」に転換した努力が実り、また漁獲量が増えてきたのは喜ばしいことです。

酒田でワンタンメンと言えば「満月」というほど昔から有名ですね。土曜日に秋田に行く道すがら12時30分ころ寄ったところ、県外からの客とおぼしき人で行列ができていました。そこで新潟にBT仲間と偶然にも遭遇、皆さんおいしいものには目がないんですね。

さて本題、お客さんの99%が注文するというワンタンメン、新聞も透けて見える程という表現がピッタリの薄さ、それだけに喉越しのいいこと。そして箸でつかんでも崩れることなくトロリと逃げていくほどしなやかな弾力性。この極薄のワンタンに、昆布や煮干でとったあっさりスープがほどよく染みて、何とも言えない味わいだ。カンスイを抑えめの自家製麺は、細麺でスープがうまくからむように考えてのことか?
寒河江にも「ふくや」というワンタンメンで行列の出来る店があるが、甲乙つけるのはむずかしくお好み次第といったところか…、チャーシューも上出来でした。


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「♪あはは、うふふ、おほほ…僕らはお笑い三人組」のテーマソングに始まるNHK「お笑い三人組」をご存知だろうか。落語家の三遊亭金馬、講談の一竜斎貞鳳、物真似の江戸屋猫八が、下町を舞台に三人の持味を生かしたギャグとコントで展開するコメディー番組は、当時としてはかなり人気ありましたね。寄席トリオがコメディを演じるところに新鮮さがあったように記憶してます。
 最初はラジオ番組だったらしいが、貞鳳がサラリーマン、小金馬がラーメン屋、猫八がクリーニング屋の設定でしたね。相手役も当初は貞鳳に音羽美子、小金馬に桜京美、猫八に楠木トシエというキャストで、猫八・楠木トシエの恋人同士の「八チャン、タマちゃん、うっー」のギャグのかけあいなど、今思えばどうってことない番組でしたが、NHKらしく家族揃って見るには、健康的で明るい番組でした。
 番組で忘れられないのは、毎回ゲストに歌手が登場し、劇中で物語に関係なく自分の持ち歌を唄うことである。このスタイルは、後の大ヒットコメディ『てなもんや三度笠』に踏襲されていたようです、何となくおかしいといったタレントによる番組だった。今ではほとんど亡くなり、あの世でもコメデイやってるんでしょうか?

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 いや〜寒くなりましたねえ、まあこれからの季節は「湯豆腐」定番ですな。たかが湯豆腐されど湯豆腐…湯豆腐にも様々なバリエーションがあり、味も違うので食べていて飽きがこない。よく言われる重曹を一つまみ入れると、トロッとした食感も楽しめてお酒の進むことこのうえなし(:_;)。
大体がポン酢で食べるのだが、豆腐のほかに白菜や春菊も入れるととてもヘルシーですね。

 昨夜は少し変化をつけて、
1、ポン酢+明太子ふりかけ―ふりかけで海苔やら明太子やらの風味がありうまい!
2、黄身醤油―かけ醤油おおさじ半分と黄身一つをよくまぜる。まろやかに仕上がり、他の料理にもあうと思うので是非試してみる価値あり。
 以上の二つを用意して食べた。う〜ん、いいねえ、これからの寒い時期いろんな鍋を楽しみたいものです。


 昨日、第3次小泉内閣が発足した。『改革続行内閣』と記者会見で言っていたが、小泉首相の改革とは何なのだろう。選挙公約にはなかった大増税攻勢のことか?選挙中、自民党は武部幹 事長を先頭に「サラリーマン増税はやらない。あれは政府税調が言っていること だ」 と言い続けて、政権公約にも書いていた。ところが大勝した途端に谷垣財務相が 「定率減税の廃止」を公言し、小泉も「秋以降、消費税のみならず税制について、十 分議論しなければならない」と言い出した。「定率減税の廃止は確実で、給与所得控除が半減されると年収700万円世帯で月3 万円の負担増、消費税率が10%になれば月2万円の負担増になるという。月5万円の負担が強いられる試算がある。景気回復を理由にしているが、回復しているのは大企業の収益であって一般庶民の生活実感生活とは無関係だ。 

 ある程度の増税は想像出来たことだが、郵政民営化に一本化した自民党を勝たせた国民は何も言えない。本人は『国民に信任された』と白紙委任状を取ったつもりで、造反者 も処分して党内から批判の声を上げる者もいない。いわば小泉首相がなんでもできる状態での改造だ。これまで派手なパフォーマンス気味の手付かずだった「改革」の責任を、小泉首相と一蓮托生で大きなリスクを持たされた内閣と言えるように思う。一年間の任期で改革の総仕上げと言っているが、国民に負担を強いるだけの改革で無いことを祈るだけだ。

 昨日のバウンドテニス交流会の賞品で、宇宙食をゲット!左がバナナ、右がなななんと…アイスクリームですヨン様。まだ食していませんが、空中浮遊したときでも食べてみます(笑)
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TVのニュース報道で、鶴岡市の鶴岡公園で松の幹にむしろを巻く冬支度 「腹巻き」 作業がオンエアされていた。いつもながらの晩秋の風景ですが、松の「腹巻き」とは松の越冬にあたり、樹木の幹の部分にこもをまきつける作業で、昔から行われて先人の素晴らしい知恵だと、あらためて感心しました。

 松にとって害虫のマツカレハの幼虫(毛虫)ですが、夏は松の木にいて、冬は地面に下りて越冬するそうです。そして越冬する際、 暖かいところに身を隠す習性をもっていることから、それを利用した昔ながらの駆除法で春先の 「啓蟄(けいちつ)」 のころ、 誘い込んだ害虫ごとむしろを取り外して焼却、 一網打尽にする…いわゆるワナというやつですな。
 最近はマツカレハも少なくなったそうで、どっちかというと「冬の風物詩」のようになっているようですが、松の腹巻き作業が終わると、 樹木の冬囲いや鑑賞池に放たれている錦ゴイの越冬作業など、 いいよいよ冬支度が始まるようです。そうこうしてるうちに、冬の足音がすぐそこまできているようです。


 卵にはコレステロールが多いと言われ中高年にとっては「取り過ぎ注意」と言われ、過去において高脂血症気味のオヤジの食事としては敬遠された事実がある。しかし、近年ではコレステロールの制限を行う高脂血症患者にも卵を勧める医師が多い…という。女優森光子の若さと美貌の秘訣は、1日2個の卵を欠かさないことだという。これは、高脂血症患者には太り気味の者が多く、これらを是正する為には、良質のタンパク質が必要とも言われているからだという。
そんなことから、手軽に食べられる「卵かけごはん」が静かなるブームを呼んでいるという。

 我が家も、ゴルフで朝が早い場合など、カミサンが寝てる時は卵かけごはんで済ましてしまいます。食し方ですが、まず空っぽの茶碗に卵を割り入れ、次に.黄味周辺の白い固まりを取り除く。そして.醤油を適量たらしてかきまぜる。ご飯を卵が入った茶碗に入れて、.ご飯を箸でひっくり返して出来上がり。上の方は卵ご飯で、下は白いご飯と二重構造を楽しんでおりました。これが当たり前だと信じていましたが、どうも本来は卵を別の器にといておいて、白いご飯にかけるというのが一般的らしいということが判明。聞くところによると、ご飯の真中に箸で穴を空けて卵を入れる人なんかもいるようですが、ところ変わればで、卵かけご飯の食べ方もいろいろのようですが、実に慣れ親しんだビンボーフルな朝食です。あっ忘れてました、それにきざみ海苔がのれば豪華な気分に浸れてサイコーですね(笑)。


 オヤジ族には、また泣ける映画が11月5日公開です。「ALWAYS三丁目の夕日」という昭和33年、東京の下町を舞台にした人気コミックの映画化ですが、TVの広告スポット見ただけでウルウルきてしまいましたよ。TV洗濯機も、冷蔵庫も…何もなかったあの時代、物はけして豊かでなかったけれど、心は今よりずっと温かく豊か(数倍も)だったように思う。
 劇中でのワンシーン…主人公の家にTVが初めて登場した日、物珍しさに町内中の人がワンサカ押しかける主人がおもむろにブラウン管を覆う緞帳というかカーテンを開けてスイッチオン。白黒画面で力道山の空手チョップがうなる!興奮して声援をおくる町内の人々!当時どこでも見られた昭和の光景じゃないでしょうか。
 暗くなるまで遊びほうけた少年時代、未舗装のボコボコ道路を帰るとき必ず近所のおばさんが「気をつけて帰れや、勉強もしろよ」と声をかけてくれて、今と違う近所の人たち皆があたたかい思いやりや交流がありました。紙芝居、駄菓子屋さん、映画館…10円もあれば遊べた昭和のよき時代、もう帰ることはできませんが、しばし銀幕の世界に泣きにいこうかなと思っています。