おさむ茶マイルーム

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 この人だれやねん、MRマリック?ブブッー。
若い方は知ってるでしょうか、因幡晃ですよ。
昨夜、NHKTVで東北出身のちょい昔の歌い手がワンサカ出てましたね。因幡晃のほかに藤あや子、佐藤宗幸、新沼謙治…おらが大泉逸郎出てなかったのが残念!
ところで歌って、メロディと詩がマッチしてこそナンボじゃありません?いろいろ時代とともに流れてきましたが、おやじ的にはフイットするのが因幡晃の「わかってください」ですね。
お隣秋田県の出身で、なおかつ鉱山労働者出身という親近感、それに「♪涙で文字がにじんでいたなら…」なんてくさい詩は、今時ありえないでしょうよ。ですから何年に1回か、くさい歌を無性にうたいたくなるんです。それでは、ご一緒にご唱和お願いします。

♪貴方の愛した 人の名前は
あの夏の日と共に 忘れたでしょう
いつも言われた 二人の影には
愛がみえると

 〜中略〜、↓からサビ

これから淋しい秋です
ときおり手紙を書きます
涙で文字がにじんでいたなら
わかって下さい

誰か止めてくれ〜〜〜


土曜日、美空ひばり2時間スペシャル番組を見た方いらっしゃいますか?
最初は、日本シリーズと交互に見てましたが、後半はチャンネル固定して釘付け状態になってしまいました。ひばりの歌は、演歌とかポップスとか、ジャンルを超えた説得力を感じます。

昭和という同時代を並行して生きてきた一人として、その生き様には感動を覚えます。特に晩年、命と引換えに歌いとおしたドームコンサート、その中の「愛燦燦」と「川の流れのように」は鬼気迫るものがありました。心の琴線にふれる珠玉の名曲ですね。

晩年の曲って、裕次郎の「わが人生に悔いはなし」にしろ、ひばりが自らの死期を知るかのように歌う「愛燦燦」にしろ、淡々と綴られる歌詞には、涙腺が緩んで止まりませんでした。愛だとか恋だとかを超越した詩にこめられた人生哀歌…人生って悲しい時の方が多いから、ささやかな喜びでも嬉しい…不思議なものですね。

雨 燦燦)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って 不思議なものですね


 自分の音楽的記憶を遡っていくと、必ず突き当たる曲ってありませんか?自分の場合は、欠かせないのがキングトーンズの「グッドナイトベイビー」という曲。あの当時、日本アーチストにあるまじきバタくささで登場した時には、正直ビックラこきました。それまでのコーラスグループといえばダークダックスとかデュークエイセスとか、オーソドックスなグループが定番でしたからね、度肝を抜かれたものです。時たま、ナツメロ番組に顔をだすようですが、まだ現役ライブやってるらしく(45年も)正に伝説グループですね。

 メジャーデビュー当時は日本におけるドゥー・ワップ・コーラスの草分けと、当時和製プラターズとしてもてはやされ、リーダー内田正人さんの日本人離れしたテナーにカルチャーショックを覚えた記憶が生々しく残っております。

きっといつかは 君のパパも
わかってくれる(二人の愛を)
後ろを向いた ふるえる肩を
だいてあげよう だから
グッナ〜ァイ、ぐッナァ〜イベイベ〜

 いいよな〜昔の曲って…、昨夜のナベプロドラマ観ました?「3丁目の夕日」を髣髴させる昭和のセットにウルウルきました。


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 双子といえば誰を思い出すでしょうか?今はなき金さん銀さん?おすぎとピー子?いやいや、ワタクシの年代で忘れてはならないあの双子ザ・ピーナッツでしょう。高校のとき、初めて生のコンサートがザ・ピーナッツショーだったので、よけい感慨深い。
 昭和34年“可愛い花”でデビューし昭和50年「良い状態の時に惜しまれながらカッコよくやめたい」と綺麗さっぱり引退してしまった文字通り伝説となった歌手、ザ・ピーナッツこそ、日本の歌謡史上最高の女性デュオなのではないかと思う。『恋のバカンス』、『恋のフーガ』、『ふりむかないで』、『東京の女』・・・どの曲も素晴らしいことこの上ないのだが、今思えばハーモニーは異次元の音色だったように思う。それと二人の双子っぷりは見事であった。歌の振り付けや仕草に至るまで完全に一緒だったのだから、しかも完全に。
 デビューの年から紅白に出場し、以来連続16回出場という記録が示す通り国内での人気は凄まじいもので、世界を相手に活躍した日本人歌手の先駆けでもあった。

そしてザ・ピーナッツといえば、テレビ草創期の象徴的存在でした。そして映画“モスラ”での“小美人”役など、まさに日本の芸能史を語るに置いて欠くことのできない活躍をしてきました。映画の中で何のことやら意味の分からない歌詞の『モスラの歌』が今も耳に残っている「モスラ〜ヤ モスラ〜 ドゥンガン カサクヤン インドゥムウ〜 ルスト ウィラードア…」
これからも、ザ・ピーナッツを越えるデュオは生まれないだろうと思えるのだが…。


 最近とんとカラオケ歌ってないな〜。ないものねだりで一時期森田公一とトップギャラン「青春時代」(作詞阿久悠、作曲森田公一)をよくシャウトしたものですが、今の若い人は曲さえ知らないでしょうね。昭和51年のヒット曲で、青春というよりは残春時代のころの曲でした。歌詞にある「青春時代の 真ん中は道に迷っているばかり」恥ずかしながら、この年になってもいまださ迷いっぱなしです。
 人は年齢を重ね,経験を積み,世間に慣れていく過程で,青春の劇が失われて行く,だから「夢」として回想するしかないのかもしれませんね。さ〜在りし日の青春の熱き心を一緒に歌いましょう(笑)!

「卒業までの 半年で。
  答えを出すと 言うけれど
  二人が暮した 歳月(トシツキ)を
  何で計れば いいのだろう
  青春時代が 夢なんて
  後からほのぼの 思うもの
  青春時代の 真ん中は
  道に迷っているばかり

  青春時代が 夢なんて
  後からほのぼの 思うもの
  青春時代の 真ん中は
  胸に刺射すことばかり」

 奇しくも平浩二の歌謡曲とホリーズが同名曲「バスストップ」、どちらもジャンルは違えども大好きな曲でした。平浩二の歌謡曲は、甘く切ないハイトーンで私には絶対歌えない曲です。歌詞はあきらかに「演歌」のそれだが、そう思わせない不思議な曲でもある。
 
♪バスを〜待つ間に〜 涙を拭くわ
  知ってる 誰かに見られたら 
  あなたが 傷つく〜♪
 この歌をうまく歌える知り合いがいましたが、歌い終わった後義理拍手ではなく、スタンディングオペレーションしてしまいました。ゲスな話だが、スナックでこの曲をこなせたら相当うけること間違いない!私には「羨望の曲」だ。
 この曲を聴いて改めて思ったのですが、この歌は女心を唄っているのですが、関西の漫才師のセリフではありませんが「こんな女おらんやろ。」です。
 
 もう一方ホリーズの「バス・ストップ」ですが、昔イントロ・クイズっていう番組ありましたが、この曲はイントロですぐこれだ!とわかる感じで、メロディもアレンジもシンプルで覚えやすくポップスの古典でした。
 ホリーズは1960年代から1970年代にかけて,イギリスで17曲,アメリカで6曲ものTop10ヒットを放っているのですが,日本ではこの「バス・ストップ」が一番人気でした。フォーク・ロック風のアコースティック・サウンドにマイナー調の胸キュンで甘酸っぱいメロディーと日本人の琴線に触れまくるサウンドですから,それも当然でしょう。
 ホリーズの「バスストップ」は最近ついぞ,聞かないが,確かミリオンヒットなったハーモニアスなメロディーは,しっかりおぼえている(ハーマンズ・ハーミッツ,アニマルズ,シャドーズ,ピーターとゴードン等とともに60年代のリバプールサウンズを彩った筈です、確か。)。

 昭和の日曜日の昼時間といえば一家団らんのひととき、家族そろってよく観た番組が「ロッテ歌のアルバム」。玉置宏の「一週間のこぶさたでした」の名文句とともに「お口の恋人ロッテ」を広めた歌番組で1958年〜1979年までの21年間にわたって、1110回放送された長寿番組でした。坂本九やパラキン(パラダイスキング)、飯田久彦、当時キラ星の如く現れたスターの輝きに、心ときめかせたものでした。番組開始は昭和33年で終了は54年といいますから足掛け21年、実に長い!
 いつしかその玉置さんも1000回を迎えた昭和52年、司会を千昌夫、小島一慶にバトンタッ
チしましたが、玉置宏イコール「ロッテ歌のアルバム」のイメージが強すぎて、視聴者離れのせいか、わずか2年でその幕を下ろしました。

 晩秋になるといつも思い出すのが「♪枯れ葉散る〜夕暮れは〜」五輪真弓のこの曲。ゼッタイ春には思い出さない、何でだろう(笑)。確かデビュー曲は「少女」でしたね。ほかに「煙草の煙」というのもいい曲でしたですね。「たば〜この〜けむりの〜なか〜で〜あなた〜が見えない〜」っと。

 フランスに在住の時、フランス語で歌う彼女は、「フランス語を話せないのにフランス語の歌を歌っている」と、人ずてで聞いたそうです。彼女は上手にフランス語の歌を歌っていても、やはり外国人なんだと思ったそうです。そして、ふと、気が付きました。私には日本語が有ると。
究極の別れの歌を思案中に、恩師の作曲家交通事故に遭い、そのとき作ったのが、この「恋人よ」だそうです。いつ聞いても暗くなるな〜。

 作詞・作曲: 五輪真弓  歌  : 五輪真弓

1.枯葉散る夕暮れは 来る日の寒さを物語り 雨に壊れたベンチには 愛をささやく歌もない
 恋人よ 側にいて こごえる私の 側にいてよ  そして一言 この別れ話が 冗談だよと 笑ってほしい

2.砂利道を 駆け足で マラソン人が行き過ぎる まるで忘却を 望むように 止まる私を誘っている
 恋人よ さようなら 季節は巡って くるけれど  あの日のふたり 宵の流れ星 光っては消える 無常の夢よ
 恋人よ 側にいて こごえる私の 側にいてよ  そして一言 この別れ話が 冗談だよと 笑ってほしい

 演歌はあまり得手でない方だが「昭和の歌謡曲」という番組で八代亜紀の「舟唄」が流れていて、高倉健主演の映画のワンシーンを思い出した。
 この映画は、1981年第5回日本アカデミー賞受賞作品高倉健主演の「駅STATION」で、脚本はあの「北の国から」の倉本聡、「鉄道員ぽっぽや」の降旗康男というからスゴイ。
 高倉健の役は警察官でピストルの名手で過酷な五輪強化選手訓練の最中、三上刑事は過ちを犯し、そして妻と離婚する。別れのシーン雪の駅でのいしだあゆみの表情は泣けました。独特の列車の別れのシーンはこの頃から倉本流ですね。
 終り頃のシーンには、健さんが駅前の酒場で飲んでいて流れる歌が八代亜紀の「舟歌」である。大晦日の酒場のシーンで、テレビは紅白歌合戦を放映しており、そのテレビからこの歌が流れてくるのである。そのときの倍賞千恵子のセリフがニクイ「男たちは、この時期になると家に帰るのよ」健さんは、無言でこの歌を聞きながら、倍賞千恵子の酒場を出て、一人、駅に向かったのでした。「♪酒はぬるめの燗がいい〜 肴はあぶったイカでいい…」いや〜健さんは、やはり演歌が似合うわ。

 〜画像は、昨年に続いて9月に寒河江までやってきたSLです〜
 昨夜、小椋佳の「歌談の会」というコンサート&トークショーに行ってまいりました。PM5:30分白い上下に茶色の靴。髭は鼻下とあごのいでたちで「しおさいの詩」でオープニング。風邪をひいてると断りがありました、2年前に胃がん手術したせいか、おさえた歌い方のように思われたのは私一人だけではなかったと思うが…。
「歌談の会」というのはフルに歌いまくるまでの体力が回復してないため?でしょうか、トークや物語朗読を交えた構成でした。自分の持ち歌というよりは、作詞・作曲した曲のメドレーで「白い1日」「俺達の旅」「シクラメンのかおり」「夢芝居」「めまい」「愛しき日々」「愛さんさん」…ラストの「山河」まで、しばし歌が流行った当時にタイムスリップする一時を過ごしてきました。ただ歌唱力はさすがなものでしたが、エンディング近くなると声がひっくりかえる場面もあって、聴いてるほうも「頑張れ!」と応援エールを送らずにはいられませんでした。
 同じ時代を共有してきた一員として、早く体調を直されて元気で歌い語り続けて欲しいものです。

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