おさむ茶マイルーム

おさむ茶マイルーム
ログイン

 「消えた山形」とい消えていった昭和の残像サイトがありますが、ワタクシも見つけました。旧県庁を東に上ったオークビル地下にあったクラブ「凱旋門」、県立図書館に向かう途中めっけ!ロープが張られ、うらぶれた姿を晒していました。

 「凱旋門」といえばステータスの紳士達がきれいなねえちゃんを夜な夜なはべらしたであろう高級クラブ…若い頃「いつか必ず行ってみたい」と憧憬の的でしたが、「夏草やつわものどもの夢の後」また昭和が消えて寂しいですな。

「ALWAYS続3丁目の夕日」大入りのようですね。今度の日曜日でも、カミサンと観に行こうかなと思ってます。あの60年代の男の子の遊びの定番は、押しも押されもせぬ第一人者の地位を占めていたものがメンコでした。寒河江では「パイ打ち」と呼んでおりましたが、地方によって呼び方がいろいろのようですね。

 懐かしい60年代の品物で残ってるのが、小学校の通信箋とこのメンコだけ。通信箋はあまりにもヒドイのでお見せできませんが、メンコはとんま天狗、鉄腕アトム、時代劇もの…3枚残ってます、チョーなつかしい〜〜〜。

 今日、読売新聞朝刊をめくっていたらギョ!昭和にタイムスリップしたかと見間違うような紙面…よく読むと「3丁目の夕日」の全面広告でした。そうか〜読めた!今日11月3日が「続・ALWAYS続3丁目の夕日」の公開日とわかってナットクです。TVでも、今夜前宣伝でパート1オンエアるようですね。

 2年前、スクリーン前で泣いたり笑ったり…あのメンバーとまた会えるかと思うとワクワクです。一平と淳之助がどのくらい大きくなったのか?茶川と小雪の恋の行方は?鈴木オートのおやじと六子のからみあい…あ〜早く見てえ〜〜〜。
おそらく日曜日は毎回行列でしょうから、今日はパスして平日に鑑賞チャウチャウ泣きに行こうと思います。

「続・ALWAYS三丁目の夕日」が11月に封切りなるそうな…なつかしい昭和の時代。私が初めてコーラを口にしたのは中学の時でした。
新しい飲み物が販売されたというので、ものめずらしさに誘われて購入してみましたが、第一印象は薬のような味がして、その時は美味しいものだと思いませんでしたね。

コーラというと今では缶入りやペットボトルが定番ですが、ワタクシらの時代はこのボトルを指します。このボトルも見かけなくなってから久しいですが、また腰に手をあてて豪快に飲んだあの時代が忘れられません。ボーリング場などでたまに見かける時がありますが、店でも売ってるのかな?
画像は、蔵王工場竣工記念のボトルで、なかなかもったいなくて飲めません。

 洋菓子もいいけどそれなりの年輪を重ねると、和菓子も懐かしくなるものでございます。毎日ステーキもいいけど、たまにはお茶漬けもいいかな?みたいな.

 これはなつかし〜、生協お取りよせですが北海道産「北国のしばれあんだま」、ネーミングがスゴいですが甘いあんこを、しばれた(凍り付いた)という意味らしい。あんだまといえば鶴岡でも有名ななやつがあったような記憶が…。

また古いネタでメンゴ、学校給食の話です。
昭和の時代は、やはりひもじかった。腹が減ったといえば与えられるのはミソおにぎりが定番、バナナは病気にならなければ食えなかったし、森永ミルクキャラメルは年1回の遠足の時の楽しみだった。
 そんな時代だったから、学校へ行くのがとにかく楽しかった。なぜなら学校給食があったから…。

 今も同級会となると必ず話題になるのが、「給食の脱脂粉乳だけはどうしてもまずくて飲めなかった」という話、でも自分はゼンゼン苦にならなかった。むしろお代わりしたいくらいであったw。
わらじくらいの大きさのでっかいコッペパン、マーガリンにトン汁、こんなメニューでクジラの竜田揚げはちょい下の年代のメニューかな?皆さんの時代のメニューは?

 偉大なる昭和のお笑い&エンターテナー植木等が亡くなりました・
 人それぞれに昔のTV番組に思い入れがあると思いますが、ワタクシの場合なんてったって「シャボン玉ホリデー」ですね。植木等のギャグ「お呼びでない」毎回違ったシチュエーションで登場して、日曜日の夜はオチのこのギャグでずいぶんと笑わせていただきました。
 合掌!

 最近、邦画の話題作が続々上映されたことによって、映画館が賑わいを取り戻しつつある。と言ってもシネマコンプレックスに限ってだが…。かつて映画は娯楽の殿堂と称され、市町村にそれぞれ映画館があったものだが、TVの影響によってどんどん姿を消していった。寒河江市にも10年くらい前まではポルノなど細々ながら営業していたが、経営者の高齢や映画人口の減少によって文化の幕を下ろした。

 「寒映」という映画館である。小さいころ、怪獣映画、ヒーロー映画にわくわくと胸躍らせたところでもある。時には、写真にもある券売り場でおとり役がばあさんと話してるすきにモグリで入ったり、青春時代まで思い出がいっぱい詰まったところである。ここの映画館は2階席が畳敷きになっていて、よく寝転がりながら見たものである。今も建物は残っており、ここを通るたびいろんな甘酸っぱい思い出がよみがえる。

 昭和の時代は、ご近所に必ずといっていいほど駄菓子から日用品まで扱うお店がありました。お袋にねだったお小遣いを握り締め、一目散に駆け込んだものです。5円ですと、夏ですとアイスキャンデーかところてんにありつけ、10円でしたら豪華あずき入りミルクアイスが買えました。当時、ばら売りで1個50銭のアメもありましたから、今とでは隔世の感があります。

 絵にあるようなパンも、腹をすかした欠食児童にとっては、何よりのご馳走でした。酒を売ってる店では、店先でコップ酒を飲んでるオヤジもおりましたから、スタンドバーとファーストフード店を兼ねていたような…、子供にとっては1個10円のイチゴジャムパンやあんこパンを食べてるときが至福のときでした、もちろん飲み物なしでした。

 この絵にある少年は、今で言うアキバ系の元祖です。昭和30年代にあっても、少年のタイプは一部わんぱく系と一部オタク系に分かれておりました。少年雑誌に、必ずといっていいほどゲルマニウムラジオと言う電池無しでラジオ放送を聞く事の出来る簡単なラジオのキット通販の広告が載っていましたが、当時としては電気の要らないラジオということで画期的でした。

 そっち系統が好きな少年は、お小遣いをコツコツ貯めて通販で買い求め、家にこもりながら作製したものと想像にかたくありません。性能的には、雑音が多くて聞けた代物でなかったようです。時代かわって今のオタク系は自作パソコン、うちのセガレも作っておりました。


 昨日のレトロ展のつづき、なつかしい昭和の風景絵画展をやっていました。子供たちがチャンバラごっこで遊んでいるシーンですが、実に当時の状況を細かく描写しているのには感心しました。
 夕暮れ時に時の経つのも忘れて、近所の空き地で…そうよく土管かなんかが置いてありました。チャンバラごっこでは、善玉主役と悪玉切られ役に分かれますが、その役割分担ではビミョーな力関係で決まったものです。

切られ役には善玉主役をやっつけないという暗黙のルールがあり、この絵では飛び降りている鉢巻に手裏剣&二刀流が善玉、下で迎え撃つのと背後から闇討ちをかけようとしている2人が悪玉でしょう。 刀は、桑畑から枝を失敬して加工するのですが、善玉のはそれらしく立派な刀を持ってたようです。そのほか、空き地遊びといえばビー玉、メンコ、コマ遊び…いや〜なつかしい昭和の原風景です。


 日曜日「昭和レトロ展」というイベントに寄り道してきました。ボンネットバスなど昭和の懐かしい展示品に胸キュンとなったものですが、そのアトラクションでやっていたのが、この射的。昔、縁日やひなびた温泉に行くと必ずこの種の店があったものですが、今はほとんど見かけないですねえ。

一皿5個くらいのコルク弾が与えられのですが、「あれがほしい!絶対に当ててやるぞ!」そう意気込んでも弾を全部使い果たして、お金がなくなるまで何度も何度も打ちつづけてしまう、そうパチンコで負けが込んだときと同じ状態です。
景品に向かって精一杯体を伸ばし「バキュ〜ン」。当たることは当たるのですが、景品が倒れても棚から落ちないともらえない仕組みで、今思えば詐欺に近いルールでしたねあれは…。よほどの圧力がかからないと落ちなかったですから、いたいけな子供心をだます悪いおやじでした、射的屋は。

 団塊世代をターゲットにした書籍が売れているそうである、その名もズバリ「団塊パンチ」だとか。商魂たくましく800万人ともいわれる団塊マネーを当て込んでいるようにも思われますが、おりしも一昨日のニュースステーションで、60年代多くの若者に支持された「平凡パンチ」を特集していました。まさにワタクシもその時代の真っ只中リアル世代におりました。

 当時、若者向けの雑誌がない時代で、車、ファッション、オンナを編集3本柱としたパンチの創刊はセンセーショナル話題として歓迎されました。特に毎週グラビアに登場する女優やモデル(松岡きっこ、奈美悦子、大原麗子この世代です)のセミヌードには、心臓バクバクしながらお世話になったものですw。
また大橋歩のイラストに描かれたアイビールックは当時のトレンドであり、頭を短髪の七三に分け、VANのボタンダウンシャツにコットンパンツ、ローファーがおしゃれの最たるもので、

 あの当時の若者にとって「平凡パンチ」はおしゃれのバイブル的存在でした。しかしその後、車やファッションなど編集テーマが専門雑誌に特化していき、いつしか姿を消していきました。


「ホルモン食べて明日も元気!」そんなノリで、今夜職場の暑気払いがありました。懐かしい昭和を思い出しながら、ホルモンや焼肉をゆっくり味わうことができるお店「昭和ホルモン亭」という店が地元にもオープンしたという噂を聞きつけ、職場の有志で乗り込みました。
 
 店内はまさにレトロそのもの「ALWAYS三丁目の夕日」の世界でした。昔なつかしの映画ポスターが貼られていて胸キュンワールド、でも客層は若い層が多くて意外なミスマッチみたいな…。

 メニューはそのまんまホルモン、といっても30種類以上の新鮮な素材をリーズナブルに楽しむことができました。特に牛の頬肉はグッドでした。そして1,500円で飲み放題プランものん兵衛には嬉しい規格でした。

 ちなみにホルモン焼きの「ホルモン」の語源ですが、大阪が発祥地で「放るもん(=捨てる)もん」、元々は捨てる部位の肉を焼いたのが始まりだそうです。男性ホルモンと名前が似ているので強壮効果を期待して食べる人もいるそうですが、実は関係ないそうです。
 でも、内臓は栄養価が高いので、体力不足や体力回復による精力不足には効果ありそうですが…明日身をもって確認します(笑)。


 スーパーロングセラーなサイコロキャラメル、なつかしいですなあ。まだしぶとく生きながらえていたんですね、値段も5個つながりで100円ですから安い!わたしらのときは1個5円でしたけどね。箱の中に2個のキャラメルは入っていて、2個というところがちょうどおやつとしては絶妙なバランスでしたね。

 遠足時には、チューブ入りチョコとサイコロキャラメルが必須アイテムでした。この昔から変わらない赤と白のパッケージは今見てもかわいいっすね。いつごろ発売されたのかとネットで調べたら…な、なんと昭和2年2銭で発売してからずっと売っているのだとかヒェー!! 食べ終わってからも、捨てるのがもったいなくてしばらくサイコロ遊びに興じたもんです。