おさむ茶マイルーム

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 今日高校の同級生と久しぶりにゴルフに興じてきたが、昼食時の話題は第2の人生の身の振り方や年金など専ら老後の生活不安など。昔は「どこの店にかわいい子がいるか」とかの話題に比べれば180度の変わりよう。着実に押し寄せる老いとリタイヤの現実を前にして「清く貧しく美しく?」つつましやかながらも「何を糧にして生きていくべきか」おやじ達の悩みは深刻だ。仕事を中心とした価値観と生活から、自立した生き方を見つけて人生二毛作をといっても、何を植えつけるていくのか…これがなかなkむずかしい。
 拙宅の八重桜もその役目を終えて散り始めました。今回はこの八重桜を1年中楽しもうと、塩漬にしてみました。よくお祝の席でだされる桜湯やサラダ、ピラフに混ぜると、その鮮やかなピンクが際立ちます。ちょっと変わった使い方として、今回クッキーに混ぜてみようと娘は張り切ってますが…。
 ちなみに桜湯の由来は、の一生を決める祝いの席では、その場だけ取り繕ってごまかす意味の「茶を濁す」ことを忌み嫌うことから、祝いの席ではお茶を用いず、代わりの飲み物として桜湯を用いるようになったそうです。近年では結婚式場などでは出すものの、個人のレベルでは、桜湯を飲む風習が廃れているようです。

 ゴールデンウィークも終わり、日々変わらぬ日常が帰ってきましたが、風薫る五月で花々は咲き乱れ、山々は緑の新緑になり太陽にまばゆく目に沁みます。でも、目を人間社会に向ければ、殺伐とした事件が連日のように新聞紙上をにぎわし、世紀末を思わせるように荒れています。神奈川での不可解な事件もそうですが、つい最近山形でも、凄惨な一家死傷事件が起きました。その動機が、幼少のときのイジメ体験が積もり積もって凶行に駆り立てたとか、当事者にしかわからない深層心理だが、いつからニッポンがこんな社会になったのでしょうか。
 過去を振り返ってみる。私の幼い頃の社会は大げさかもしれないが、身の回りの生活や近いところの暮らしを眺めてみると「貧しさ」は存在していたものの我慢する風習が根付いていたような気がする。
 もちろん誰でも文化的な暮らしを営むことで人の心は満ち足りてくる。しかし、若い時代に、あまりにも短絡的になりすぎていないかと思うのである。人生の中で、我慢の必要な時期というのは必ずある、未来を見つめた我慢というものが必要ではないかと思うこのごろである。

 今日は母の日ですね、いつもこの日にまつわる出来事にさいなまされ、複雑な気持ちにさせられる日でもあります。「親孝行したい時には親はなし」まさにその通りで、親不孝な生き方にじくちたる呵責の念もありますが、ガキのころ実姉が亡くなったのも母の日でした。まだ当時は幼かったためよく事情がのみこめませんでしたが、狼狽し号泣する母親の姿が今でも瞼に焼き付いています。
 ワタクシも親不孝でしたが、親を泣かせるような亡くなった実姉もそれ以上に親不孝だったですよね。日曜の朝なのに、暗くさせるようなネタですみません、自分的には、生きている限り引きずり続ける記念日なので…、そんなこともあって虎舞龍の「ロード」は聞きたくありません。

 2〜3日前からみちのくも一気に夏模様、ビールが毎日おいしいですねえ。これなんの画像でしょう、アザラシの群れ?ブッーサーファーの群れでした。GWに太平洋側をドライブしたら、楽しそうにボードを操る集団を発見!もうすでに夏を実感した次第。
 夏といえばTUBEにサザン、古いところではワイルドワンですねえ、しばし車を止めて海をながめていると、サザンのアカペラの名曲「ビッグウェーブ」が聞こてくるようでした。彼女と海辺にたたずみ夕陽を眺めたあの日…あれからン十年、時は無情です。隣にいるのはゴマアザラシのようなカミサンが…現実にもどって帰宅の途にトホホ。

 昨夜、バウンドテニスの練習の一服タイムで、珍しい肉をゴチなりました。これなんの肉かわかりますか〜。タヌキ肉ブブッー、かきくけこのくで始まる動物ですよ。「鯨肉?」ブブッー「羊頭狗肉?」ブブッー、じゃ〜お教えしましょう、プーさんちゃう熊さんの肉ですよ。圧力鍋で煮たということで、とてもやわらかで、教えられるまで牛肉かと思いました。
 なぬ共食やめろてか〜?確かにそうかもね。くまったもんだ、ん?寒い、こりゃまたシツレしました。

 子供の頃、大好きだったタバコチョコ。タバコを吸ってる父親の姿に憧憬に似た思いで、ちょっとくわえて真似してみたりして、食べるのにも一苦労だったタバコチョコ。巻紙が結構頑丈で、剥くのが面倒になると、紙ごとカプっと噛んじゃったりして。
 ま、そんな感じで何かと思い出の多いタバコチョコ、スーパーの駄菓子売り場でも見かけなくなりましたが、近所の駄菓子やさんをのぞいたらありました、ありましたひっそりと…。今の時代、スモーカーは嫌われてるからね、お菓子だってそうかもね。

 GW終わった後って、心身ともに何ともいえないかったるさありますね。そんなノリの悪い時は下ねたで誤魔化すに限ります(笑)。人気ブログ「きっこの日記」で拾った「所変われば品変る」じゃなくて「所変われば(言葉の)意味変わる」をご紹介します。

 以前、ロシアからユーリ・アルバチャコフという、わざわざニポンに来て、ニポンの協栄ジムに所属して、ニポンの選手として試合をしてた。それで、ニポンの選手として試合をするのに、名前がニポン人には覚えにくいってことで、世界王者、海老原博幸にあやかって、「ユーリ海老原」って名前にしてた時期がある。本人はイヤがったんだけど、会長さんがつけたらしい。
 それで、何で本人はイヤがったのかって言うと、ロシア語で「エビ」ってのは、「女性のシンボル」のことだからだ。大昔に、ボボ・ブラジルって言うプロレスラーがいて、この「ボボ」ってのが、九州のほうの方言で「女性のシンボル」のことだったから、九州で試合をする時はたいへんだったなんて話を聞くけど、「ユーリ海老原」ってのは、これとは反対で、試合を見てるニポン人たちには普通の名前なのに、試合をしてる本人のほうが、イヤでイヤでたまんない名前だったとか。

 逆に沖縄では、東京での「女性のシンボル」の呼び名は使わないから、「漫湖(まんこ)」って言うものすごい湖がある。そして、この湖のあるところは、「漫湖公園」て言う公園になってる。それで、この湖の名前だけでもブットビなのに、この湖の近くの学校の校歌が、「漫湖のほとりにそびえ立つ〜」とかって歌詞だったらしい。何がそびえ立ってんじゃい?って聞かれても、それはもちろん「校舎」なんだろうけど、あまりにもデンジャーすぎる校歌だ。だけど、校庭に全校生徒が並んで、この校歌を歌ってたんだよね‥‥(笑)

 ちなみにこの湖は、ヘドロみたいなので汚れてて、これじゃあいけない!って思った地元の人たちが、何年か前に、「漫湖をきれいに!」ってスローガンのもと、クリーン作戦を始めたのだ。だから、色んな場所に、「漫湖をきれいに!」って貼り紙がしてあったそうだ。まあ、漢字で書いてあるからいいけど、言葉に出して読まれちゃった日にゃあ、東京からの観光客はたいへんなことになっちゃいそうですが…。

 猫だってGWはウキウキするものです。今日は朝から天気もいいし、お花見にゃん。車の上はあったか…眼上には満開のサクラ、サイコーじゃにゃん。七転八倒?ちゃうちゃうあまりの気持ちよさに悶えているところでちゅ。
 3カ月余りの拘置所暮らしで「少し生き急ぎすぎたかな」とわが身を振り返ったホリエモン。ワイドショーで「山に行きたい」という、思わぬ一言が漏れ伝わってきた。というのも独居房で読破した約200冊のうち最も感銘を受けたのが山崎豊子の「沈まぬ太陽」の影響らしい。この境地は、「沈まぬ太陽」の御巣鷹山篇を読み、山への思いを強くしたようだ。

 「沈まぬ太陽」は全5巻からなるこブログの読書感想文でも以前述べたが、ストーリーは国民航空社員で同社の労働組合委員長を務めた主人公、恩地元(実在のJAL元社員らしい)が受けた不条理な内情を描き、史上最悪の死者を出した日航機墜落事故をテーマに、人の生命に直結する航空会社の社会倫理を鋭く抉り出した作品としての評価がある。実はワタクシも主人公同様、20数年前市役所の労働組合委員長を務め、爾来ひたすら冷や飯組一直線の身にあるだけに体験的にオーバーラップする部分もあって、感情移入しながら読んだものである。
 
1・2巻がアフリカ篇、3巻が御巣鷹山篇、4・5巻が会長室篇である。エリートコースまっしぐらだった恩地が、組合の委員長を引き受けたのが人生の分かれ目で、結局海外へ飛ばされてしまい、流れ着いたところがケニアのナイロビ。10年間の流浪の日々を描いたのがアフリカ篇である。(まったくオレと同じやんけw)

 御巣鷹山篇は、絶望の巻である。読みながら、ボイスレコーダーに録音された機長の声を思い出していた。それに遺族の遺骸へのこだわりも尋常ではない。それに対応する主人公の切なさと葛藤、そして織り成す微妙な人間模様は、とても映画では表現できないのも無理かも。(ベストセラーしたことから映画化も検討するも、断念したとか)

 4巻目は一転して企業小説となり、5巻目で政治小説へと変貌する。仮名で登場する政治家たちの描写から、ほぼ「は〜ん、あの議員か」と特定できる楽しみもある。最後まで読みきるのは疲れるが、腐敗を暴くという作者の想いが最後まで引っ張ってくれる。絶望の真っ只中にあるホリエモンがこの本から何をつかみ、山へ登ろうとしたのか、けだしその思いのたけを聞きたいものである。

 戦後生まれにとっては「憲法記念日」はGWを埋める休日の一つくらいの意識しかありませんでしたが、憲法改正の動きもあって今朝の朝刊は憲法一色で、戦後の変遷からの記事を見てあらためてその有り難味観じたところです。
 そんなお堅い切り口でごめんくさ〜い。実は5月3日は、町内の祭典で昼下がりながら飲んでいるんですよ。町内の風習は廃れ傾向にありながらも、この年に1度のお祭りは伝統的に受け継がれています。特に、神社から繰り出される行列、その華となる「奴踊り」の勇壮な若者の踊りは、住む一人として自慢でもあります。画像は、拙宅前で撮ったものです。
 祭りは、いくつになっても心弾むものですが、太鼓や笛の音色がそうさせるんでしょうかね?
日本の原風景の村祭り、未来永劫残したいですね。
 そろそろ桜が散り始めるころですが、山形はついで桃やさくらんぼ、りんごなどのフルー
ツの花が咲き乱れ、まさに桃源郷といったところです。私は、すべての果樹の花が好きですが、とくにピンク色した桃の花にいつも目を奪われてしまいます
 ウチでも4年前、面白半分で桃食った後の種を植えたところ、昨年2個も実をつけました。「桃栗3年柿8年」といいますが、そのまんまの成長でした。肥料もあげない。消毒もしない、大地の肥やしのみの味でとても温かい味がしたものです。その桃の木がかわいい花をつけはじめました。
 桃の字の「兆」は”妊娠の兆し”を意味しており、 桃が「女性」や「ひな祭り」と関係があるのはこの理由かららしい…知ってました〜(笑)。

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ライスカレーかカレーライスか、よく耳にするこれらの言葉で、GWのねたにふさわしくないどっちでもいいようなものですが、「カレーをライスの上にかけるのだからカレーライスが正解」と主張する向きが多いようです。でもワタクシ的には、ゼンゼン違う代物なのであります。
我輩の辞書で「ライスカレー」といえば、昔懐かしい「おふくろカレー」ということになり、レシピも具もゼンゼンちがっておりました。肉が入るのはまれで、その代替品としてマルハの魚肉ソーセージがよく入っていました。

当時の基本的な作り方は、先ずはカレー粉とトロ味を付けるうどん粉と一緒に混ぜて炒るところから始まったような記憶がうっすら残っています。そのことは匂いですぐ夕食のメニューがわかり、カレー粉は今でも売っているあの赤い缶のエスビーでした。そう、あの薄い黄色いカレーで、ウスターソースをかけて食べていたように思うが、親父は醤油かけて食べていました。昨年、いただいた横須賀海軍カレーがちょっと近かったような…。

 とかく住みにくい世の中になったものです。それに伴って、ストレス社会を反映してかうつ病患者の急増が社会問題化しています。ストレス社会ワタクシの周辺にもいわゆる「うつ病」という心の病に悩んでいる方がおりますが、うつ病は完全に治る病気だそうです。
 とすると、うつ病を簡単に心の病と片付ける事は出来ない気がいたします。 だって、「心」そのものを説明できないのですから。

 今の医療レベルでうつ病を説明するなら、脳という臓器の不調で、心理的、肉体的な不調・不定愁訴が現れるという言い方が正解なのではないでしょうか。「病は気から」などと言われて、うつ病持ちはいかにも心の弱さが原因で自ら病気を招いているように捉えられたり、うつ病持ちの方は自分を卑下してしまいがちです。 特に、症状が重い時ほど自分を責めたり、自分が嫌いになったりしてしまいます。
 しかし、うつ病はあくまで脳という臓器の不調のせいだと考えれば多少心が晴れる気がします。
心が弱いからうつ病に罹るのではなく、原因は、異常な多忙さや人間関係からくる疲労などにより脳が不調になる、そういう事じゃないかと思います。

 もちろん、感受性の強さが疲労を増す原因にはなるのでしょうが…。 「心の風邪」なる言葉でうつ病が説明されることも、善し悪しがあって、誰もが罹る病気だということの理解を広めるには適当な言葉ですが、実際にうつ病に罹ってしまうと、風邪なんていう生易しいものではないので、病気自体の苦しさについては「心の風邪」という表現は誤解を生みます。
 ワタクシの個人的な感覚ですが、「心の風邪」という言葉は、「脳の風邪」とか「脳の過労」とかに置き換えていただいた方が周りの理解を得やすいような気がします。ともかく、疲れたと思ったら休みましょう。

 最近では、一年中いろんな野菜が手に入るようになりましたが、やはり旬の食材にはその時期にしか味わえないおいしさや風味が詰まっています。春といえばなんといってもたけのこ。たけのこご飯はお弁当に最適です、そんなわけで今日のお弁当はたけのこご飯。

 掘りたての新鮮なたけのこは、1年間土の中でたっぷりりと栄養を吸い込んでるせいか、えぐみもなくやわらかですね。弁当を開いたとたん、たけのこの香りが漂ってきて、たけのこご飯を食べていると、ああ春が来たんだなと季節を実感するのでございます。