美術館大学構想

写真上:「CASTING IRON-ASAHIMACHI06-」の記録。5tの鉄が落下する瞬間。
写真中:落下直後、地面に沈み込んだ鋳鉄のまわりに集まる人々。
写真下:人々のざわめきが去った後、鉄は静かに校舎を背にして秋の広場に佇む。
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5tの鉄塊が空から大地へ舞い降りた日、10月29日・日曜は西雅秋さん60歳(還暦!)の誕生日でした。
西さんは「日本では人間は60歳を過ぎるともう一度子どもに還るんだ」といってこの大胆な作品『CASTING IRON』の公開設置におおいに意欲的で、かの5tの鉄塊は、林檎とワインで有名な山形県朝日町の小さな廃校で、彫刻家の無邪気な「生まれ変わりの儀」を祝うために、福井県金津市の公園から掘り出され、140名の人々に見守る中、苔むした雪国のグラウンドに着地しました。

この日は午前中から25tクレーンがけたたましい音を立てて鉄板を敷いたり、続々と車で乗りつけてくる学生たちがグランドで童心にかえり、奇声をあげて走り回ったりして、普段は静かな地区は非日常の喧騒に包まれましたが、「何事か」と散歩ついでに様子を見に来るお年寄りの皆さんは意外に好意的で、あるお婆さんは、僕と西さんが「すみません、今日はちょっとお騒がせします」と声をかけると、農作業の手を止めて、立派な白菜をくださいました。
このプロジェクトの実行にあたっては、立案当初から朝日町役場や立木地区の方々にご心配をおかけし(何しろ破壊の先入観が強い作品なので、、、)当日は周辺地域の方々の反応が懸念されましたが、実際はご年配の方々から子どもたち、役場の方々、朝日町長さんまで、実に沢山の地元の方々にお越しいただきました。

落下予定時刻の30分前には、人々が学校に集まりはじめ、巨大なクレーンと不穏な鉄のカタマリを遠巻きに眺めています。
若干ぎこちない雰囲気の中、旧立木小学校を根城に作家活動を続ける若きアーティスト集団「あとりえマサト」の板垣敬子さんが、ぬけるような爽やかな秋晴れのもと進みでてマイクを握ると、落下ポイント近くのグラウンドに自然に人々の輪が生まれ、さながら収穫後の秋の田んぼで催される村祭のような恰好になりました。
板垣さんからマイクを手渡された町長さんがおっしゃるには「こんなに大勢の若い人たちが、この立木地区に集まったことは、ここ十数年、久しくなかったことでした」とのこと。話をしている間にもひっきりなしに学生たちの車が到着「やれ、まだ落ちていないぞ、間に合った」と小走りで集まってきます。

さて、その落下の瞬間。
衝撃は足下に伝わるというよりも、楔を打ち込まれたような感覚が、視覚的インパクトを通過してみぞおちに「溜まる」感じで、しばらくのあいだ体内にとどまっていました。
少し高台の方から観ていた人は「瞬間、地面が液状化現象のように波打った」といい、近くで寝転んで観ていた人は「ズンという振動がダイレクトに伝わった」と語り、必死でカメラをかまえていた人は「ファインダー越しではなく、撮影をあきらめて直接観ようかと迷っているうちに落ちてしまった」と悔しがっていました。
思わず「あーっ!」と声を上げた人、笑い声をあげた人、衝撃に眼を見張らせたままの人、感動して涙をこぼした人・・・反応は千差万別でしたが『CASTING IRON』が生み出した振動は、そこに立ち合った約140人の身体に、忘れ難い記憶として刻み込まれたに違いありません。
「集まってくるときは無表情で、帰っていくときは満面の笑みだった」というのは、駐車スペースの交通整理に奔走してくださった『あとりえマサト』メンバーの版画家・三浦さんの談。

西さんの奥さん、お母様、2人の息子さんとそれぞれのパートナーが、この記念すべき瞬間を祝うため東京から集まり、前日のシンポジウムで司会を務められた酒井忠康先生も息子さんと娘さん同伴で朝日町まで足を伸ばされました。
様々な立場と世代の人々が、たった5分間の「鉄の落下」ために小さな谷間の広場に集まったという事実が、感動的というよりも、平穏で懐かしい、昔話の一場面のように思われたのでした。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員

↓大学HPに『西雅秋-彫刻風土-』展ボランティア・レポートが掲載されています!
http://www.tuad.ac.jp/community/backnumberfiles/06-10/special/special.html
■写真上:ギャラリートーク風景/12メートルをこえる大作『イグアス(ブラジル)』の前で
■写真下:ギャラリートーク風景/図書館内に展示された『三春滝桜』の前で
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松本哲男展終了

建学以来、初の京都造形芸術大学への巡回展となった『松本哲男展-鼓動する大地-』が、先月20日に無事終了しました。(※詳細はHPアーカイヴで)
松本先生の学長就任にあわせての開催だったこともあり、地元山形の関心は高く、新聞、雑誌、テレビに大きく取り上げられ、2週間の会期で5千人を超える方々に来館いただきました。
「滝」「桜」「初期の代表作」など、異なるテーマ設定の展示会場を、学内3カ所のギャラリーに分散させての展観でしたが、来館者の方々がリーフレットを片手にキャンパス内を行き交う様子は、『美術館大学』の一つの基本モデルを示すことができたと考えています。山形会場では先にご紹介した展覧会カタログも完売しました。
松本学長が今回の展示に込められた思いは、6月号の『月刊ギャラリー』(http://g-station.co.jp/HTML/mgallery/index.html)に大きく紹介されています。ぜひご一読ください。編集者の大木さんは山形の会場まできてくださり、丁寧な取材をしていただきました。

京都展オープニングでは、ソウル在住のサックス奏者・姜泰煥氏による即興演奏『駆け上がる水』が、巨大な滝の絵画作品に囲まれたギャラリーでおこなわれました。描かれた滝に「純粋な精神の作用を感じた」と語った姜氏による腹の底から泉が無限に沸き出してくるような循環呼吸奏法に、約300人の観客が聞き浸りました。
その後のプログラムでは、宗教学者で京都造形芸術大学教授の鎌田東二氏と松本学長のトークもおこなわれ、「滝」をめぐる自然と人間の身体的・精神的な交感が、ユーモアを交えながら語られました。
京都展では、学生中心に2千人の方々に見ていただきました。

美術館大学構想室/宮本武典

■上写真:第1回打ち合わせ風景
左から、デザイナーの豊田あいかさん、松本先生、昌和デザインの小野社長、jazz & nowの寺内久さん、私

■下写真:作品集荷時のひとコマ
左から、日本画コースの番場三雄先生、私(後頭部のみ)、松本先生の奥様、松本先生、博士課程の高橋さん、谷善徳先生

infomationのコーナーでもお知らせしている通り、現在本学では松本哲男教授の学長就任を記念した展覧会『松本哲男展 鼓動する大地』を開催中です。
年度末の人事決定を受けて一気に立ち上がった本展。
ちょうど年度末のアニュアルレポート編集と、個人的には先にお伝えした3カ所同時開催の個展と重なって、まさに寝る間も惜しんで、骨身を削っての準備となりました。
とはいえ、松本先生とは昨年夏のヴェネツィア・ウ゛ィエンナーレ視察旅行でご一緒して以来、気心がしれていたこともあり、この若輩者に最大限の協力をいただき、また展示関係者の心強いサポートあって、右往左往しつつも、何とか無事オープンとなりました。
ここでは、この展覧会に関わってくださった方々を紹介させてもらいます。

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まず【上写真】の風景ですが、展覧会が決まってすぐに、「とにかく実際の作品を見ましょう」ということで、関係者そろい踏みでアトリエにお邪魔したときのスナップです。

豊田あいかさんは昨年まで『BT美術手帖』のエディトリアルデザインに関わっていたフリーのグラフィックデザイナー。本展のフライヤー、ポスター、カタログのデザインを手がけてくれました。私とは武蔵野美術大学での同期で、夫君も親しい友人で彫刻家です。

昌和デザインの小野社長は、展覧会の会場施工をいつもサポートしてくれている業者さん。今回は、横幅12メートルの作品を直角に自立させ、なおかつ弧を描くように設置するという難しい要求をクリアしていただくために、事前に作品の構造確認をお願いしました。

寺内久さんは、インプロビゼーション(即興演奏)のコンサートをコーディネートしている方。以前、原美術館のギャラリーで寺内さんが企画された、ポロックやロスコなどのアメリカ抽象表現主義の絵画に囲まれての演奏会のインパクトが忘れられず、音楽企画・立案をお願いしました。寺内さんのコーディネートにより、4月28日(土)の夕方、京都造形芸術大学での巡回展初日に、韓国のサックス奏者Kang Tae Huanを招いての絵と音楽のコラボレーションが実現します。

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続いて【下写真】は、山形展のための作品をアトリエから運び出している時のひとコマです。1971年作の『ヴォルヴドュール』は、松本先生が結婚された年に描いた作品。
それなのに院展を落選してしまって、新婚早々落ち込んだというエピソードを奥様を一緒に苦笑いしながら披露されているところです。
仲の良い松本夫妻は並んで立ってぴったり収まる感じです。
奥様は日頃から松本先生の作品やポジフィルムの出入りを管理されていて、カタログ制作時には大変お世話になりました。
また、この日は芸工大の日本画研究室の方々が応援に駆けつけてくださり、倉庫から作品を出して梱包を解き、痛んでいる箇所には修復を施して再梱包・積み込みと、3時間程の作業に力を貸していただきました。
【上写真】『ナイアガラ(アメリカ)』設置風景
横幅6メートルの作品を、昌和デザインのスタッフと、日本画コースの学生で設置しているところです。総作品面長が55メートルをこえる本展では、展示スタッフの作業は毎日、深夜まで及びました。
院展の重鎮・松本哲男先生の作品展ならば、本来は美術輸送・展示のプロの業者に委託するところですが、今回は日本画コース生たちの研修も兼ねて、学内スタッフによる設営となりました。
彼らにとっては尊敬する恩師の作品。展示に携われるという喜びと、万が一傷でもつけたら、という緊張のくり返して、疲労困憊した3日間だったようです。


【下写真】『イグアス(ブラジル)』設置風景
東北芸術工科大学ギャラリーには12メートルの作品をかけられる壁面がないため、額をすべて取り払って作品自体を自立させるという荒っぽい展示方法になってしまいました。
写真は『イグアス』パネルを左端から90度に立てながら、順々につないでいっているところ。
またギャラリー中央には大きな吹き抜けがあり、「ロ」の字を描く廻廊型の空間であるため、各作品に微妙なアールをつけて、観客の歩行導線を滝の水の渡りに沿って緩やかに巡回させました。
松本先生には「こんなに絵を素っ裸にされちまったことは、これまでなかったなぁ」と苦笑いされてしまいましたが、日本画の屏風の伝統をモダンにアレンジした、斬新な「滝めぐり」の景観になったと思います。
『松本哲男展 鼓動する大地』のカタログを紹介します。
デザイナーの豊田あいかさんによるカタログは、ベーシックな文字組の中に、効果的な特色使いや、折り込みを見やすくする工夫が随所に見られ、学長就任記念に相応しい品格のある佇まいに仕上がりました。
4段の折り込みによる『ヴィクトリアフォールズ(ジンバブエ)』の図版は、これまで掲載されたどの雑誌やカタログよりも、この作品の静かな迫力を再現していると自負しています。おかげで、私の拙いテキストもカバーされました、、、。
また、巻頭には松本哲男学長と、徳山詳直理事長、赤坂憲雄大学院長の鼎談を掲載し、画家・教育者・民俗学者の語らいを、東北芸術工科大学の新しい出発を示す本展の導入としました。
20日までの会期中、一部1,000円で販売しています。
このブログをはじめるにあたり、担当者としてまずは正直な気持ちを。
ここで、ここから、様々なジェネレーション、性、社会的立場、アートに対する認識のレベルなど、当然ながらまったく別個で未知、かつ不特性多数の対象に対して「書く」ことに戸惑いを感じています。

ブログや掲示板に氾濫する「語り」の、首筋にマトワリツクような粘っこいテンションに違和感を感じ、ネットの世界からいかに遠く、「時代の感性」なる代物からズレて生きていくかを思案し続けてきた僕です。

ですから、サイバー上の仮想広場で、今この瞬間、僕は誰に向かって語っているのかを考えると、かなり気後れしてしまうのです。
それは畏るべき父かもしれない、喧嘩中の愛妻かもしれない、ツナギ姿の学生かもしれない、カウンターに佇む司書・佐藤さんかもしれない、宇部でクリーニンング屋を継いでいる絵筆を捨てたかつての親友、かもしれないのですよ。

近代以降の芸術が、写真の発明により再現性の意味を変換し、見る事のできない心象の描写へと、具現化の対象を移行させたのにしたがって、「さて、とう分かりあえるか?」との問いは、すでにアートの大前提として、真白いキャンバスの上で恨み節のように渦巻いています。

時代が、いかに便利なコミュニケーションツールを生み出そうとも、アート・デザインは、常に「美をもって理解しあい、分かち合う」ことを深く思考しつづけるでしょう。
何よりも僕自身が安直な主観の垂れ流しに走らぬよう、心を引き締めなければ。

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さて、芸工大の学生さんたちに対象をしぼっていえば、せっかく僕らはこの山形で、少なくとも1キロ圏内でキャンパスライフを送っているのですから、よかったら顔を見ながらおしゃべりしましょう。
学食で100円のコーヒーを飲みながら、現在制作中の作品のことや、生まれ育った街の特産品のことなどについて、意見交換をしましょう。
このページでは、なるだけ、その出合いや対話(人とであったり風景とであったり、芸術作品とであったり)の素敵な余韻を伝えるために、慎重に、丁寧に綴っていきたいと思います。

はじめからちょっと長くなりました。
少し緊張がほぐれてきました。
とにかくはじめてみますので、このブログ、今後ともよろしくお願いします。

美術館大学構想室・学芸員/宮本武典
■写真上:桜木町の川曵き。神輿のような木橇が、五十鈴川の浅瀬で出発の木遣を待つ
■写真下:木橇に積まれた檜の年輪を数える、甥の小さな手
(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
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この夏、伊勢神宮で技師を務める兄の案内で、伊勢神宮の『御木曳行事(おきひきぎょうじ)』に参加してきました。
双子の兄は東京の美術大学を卒業後すぐに三重に移り、伊勢神宮の式年遷宮に奉納される神宝の研究と製作に従事しています。
「20年に一度きりのことだし、法被(はっぴ)を用意しておくから一緒に曵こう」と誘われ、「それならば今年、生まれた娘の誕生報告の参拝を兼ねて」と、山形から伊勢まで、飛行機と船を乗り継いで、はじめての家族旅行に出かけました。

『御木曵き』は、あと6年後に迫った伊勢の式年遷宮で使用される、長さ約12mの御用材を、旧神領の町民がそれぞれの町の木橇(きぞり)に積載して五十鈴川を曵いていく行事です。
兄の家族が住む桜木町の木橇がでる7月29日は、今回の御木曵き行事の最終日で、また夏休み中の週末だったこともあり、おかげ横町や宇治橋近くの川岸は、20年ぶりのハレの日を迎えた法被姿の伊勢の人々と、全国から集まった沢山の見物客で埋め尽くされていました。

宇治橋から1キロほど下流の浅瀬から、若衆による木遣音頭に導かれて、木曽で切り出された大きな檜の丸太が五十鈴川をゆっくり溯上してきます。
町民総出で水に浸かり、掛け声とともにお互いの綱を交差させ無邪気に水を掛け合ったりしながら、柱から二股に長く伸びた綱を「エンヤ、エンヤ」と曵いていく。
川岸では町ごとにお弁当やお酒が配られ、久しぶりの再会を楽しむ和やかな人々の輪がありました。曵き手たちの表情は、老いも若きも古来より受け継がれてきた式年遷宮に、地元町民として参加するのだという誇りに華やいで見えます。

僕は、あの私小説に病み疲れた太宰治が書いた、
「海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果ての砂丘の上に、華麗なお神楽が催されていた」
という印象的な一節を思い出していました。
「私」の物語が、いつか見た祭の光景=共同体の記憶に、再び吸い込まれていくような生の旅路。伊勢の人々は、五十鈴川の流れを身を受けながら、様々な想いを胸に綱を曵き、この20年、そして次の20年に想いを馳せていたに違いありません。

そして、人々の手によって五十鈴川の瀬を乗り越え、参道の玉砂利に積み上げられた檜の丸太は、神宮の宮大工たちの技によって数年をかけて棟持主の建築部材に削られ壮麗なお社となり、後世に繋がれていきます。

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7月29日は猛暑日でした。
生後6ヶ月の娘は日差しを避け、木橇が最後に宇治橋の袂から一気に参道に曵き上げられる頃合いを見計らってやってきて、五十鈴川からあげられたばかりの檜に、兄のはからいでちょこんと触らせてもらったそうです。
次の御木曵き(2027年)で、今は小さな彼女はちょうど20歳。そして、会う度に兄に(僕に?)似てくる伊勢の甥っ子は26歳です。彼の方は、現在の僕たち兄弟のように結婚して、ひょっとすると(彼の父がそうだったように)子どもがいるかも知れません。

伊勢の地で、千年以上も続く技能の継承者として研鑽を積みつつ、早くから家庭を築き、健やかに育んできた双子の兄。そしてその間、東南アジアやパリをあてどなく独りで放浪していた弟。
一卵性双生児として生まれながら、大学卒業を境に、まるで相反する「放浪」と「根付き」の20代を送り、その差異を互いの創作の日々の刺激としてきましたが、今回の旅で、2人の生き方が再び同じルートに重なりあってきたように感じました。

20年後、五十鈴川の畔で『御木曵き』に参加するまでに、2つの家族がそれぞれにどんな時間を重ねていくのか。やけにくっきりとした20年という時の「仕切り」が、身体のどこか、みぞおちの奥あたりにピタリと差し込まれたような、不思議な感覚が残った夏の旅でした。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員

...もっと詳しく
「展評」といっても、まだ見ていない展覧会なのですがご紹介を。

本学卒業生の佐藤妙子さんの個展が、東京都小平市は武蔵野美術大学の近く、のんびりとした東京郊外にある画廊『松明堂ギャラリー』で開催されます。

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新作家たち2006『佐藤妙子展「Life - traveling」』

会場:松明堂ギャラリー
〒187-0024 東京都小平市たかの台44-9  松明堂書店地下
PHONE.042(341)1455 FAX.042(341)9634
会期:2006年2月17日(金)〜2月26日(日)11:00〜19:00開廊時間
アクセス:西武国分寺線「鷹の台」駅前(JR中央線「国分寺」または西武新宿線「東村山」乗り換)
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松明堂さんは、ムサビ生だけでなく、津田塾大や白梅短大など、多くの学生が利用する「鷹の台駅」の眼の前にある、一見して庶民的な書店です。

しかし、松本清張の息子さんが経営されているということもあり、書架をよく見ると渋いセレクションの文学書、哲学書、美術書が並び、地下には黒大理石を敷き詰めた無骨なギャラリースペースを有しています。

書店の運営するスペースだけあって、望月通陽さんや司修さんなど、挿絵や装幀を手がける人気作家を中心に紹介しています。
また、長倉洋海さんや関野吉晴さんなどドキュメンタリー写真の方が、出版記念展を開催したり、また、暗黒舞踏の公演、民族楽器によるコンサートをおこなうなど、地域の文化活動の拠点となっているんですね。
松明堂ギャラリーがもしなかったら小平市の芸術文化レベルは低いものだったでしょう。

僕も学生の頃から随分通って、コンクリートの壁面に展示されている、工芸的で、少しばかりアングラな香りのする作品に、かなり影響を受けています。
2000年には「模型世界」と題した僕自身の個展も、開催させてもらいました。
十年来のご縁があって、今回の佐藤妙子さんによる版画展は、松明堂ギャラリー若手支援企画展「新作家たち」シリーズに、僕が紹介する形で実現しました。

佐藤さんの作品は、芸工大本館2階北側に常設展示されています(コレクションINDEXにもデータ有)その黒々とした描画のずば抜けた密度は、きっとあの独特の地下空間で際立つことでしょう。
東京駅からオレンジ色の中央線に揺られ、約1時間。
皆さん、東京に行かれる際は、ぜひ覗いてください。

ちなみに松明堂から線路伝いに20メートルほど歩いたところにある古びたカフェ「シントン」も僕ら美大生の溜まり場でした。
竹中直人の映画のロケ地になったりして、これまた渋いスポットです。
茶色い壁紙に染み付いている三角の跡は、僕が学生時代に大きな銅板を貼付ける展示をして、つけてしまったものです。

「街が人を育てる」というフレーズがありますが、学外にこんな文化スポットがあると、地域社会が成熟していきますね。
芸術を介することの魅力は、いろいろな世代が集まれること。
そして「松明堂」の本も、「シントン」コーヒーも、若者も老人もしみじみ楽しめるものです。

芸工大の周辺にも、そんな場所ができないかな。
■写真上:先週刷り上がったばかりの立花文穂さんデザインによる『舟越桂 自分の顔に語る/他人の顔に聴く』展ポスター。田宮印刷株式会社(山形市)に協力を依頼し、インクの盛りや印刷用紙の微妙なニュアンスにこだわったりと、職人的な試行錯誤を繰り返しながら、立花さんのタイポグラフィーと舟越作品が見事に融合しました。お2人のコラボレーションともいえるポスターです。
■写真中:舟越桂さんの世田谷のアトリエにて。ポスターの素材として立花さんが自ら撮影したアトリエの写真に見入る舟越桂さん(左)。
■写真下:本展出品作の1つ、『水に映る月蝕』とポスターのラフを並べて。
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先月末、夕方の小田急線某駅で、出品作家である舟越さんに展覧会ポスターのラフを確認してもらうため、デザインをお願いしていた立花文穂さんを待ち合わせしました。
アトリエに行く約束の時間の少し前に落ち合い、「いざ、作戦会議」と駅前のドトールで立花さんにポスターラフをはじめて見せてもらったとき… 僕は一瞬、言葉を失ってしまいました。

展覧会のビジュアルとしてはタブーともいえる、作品の、特に「顔」の上に文字が入るレイアウト。
紙面の中央に据えられている最新作の頭部は、眼球(大理石製)がまだ制作途中で、舟越作品に共通する内相的な眼差しに、まだ光は宿っていません。
けれども、微動だにしない彫刻作品の「静」のイメージが良い意味で崩され、秀逸な文字の配置によって、彫刻の肌理で、紙の表層で、何かが起こっている。あるいは、演劇かオペラのビジュアルのように、「其処で、何かが生まれつつある予感」が濃密に発散していました。

これまでは、まるで独立した人間のように、見る者の前で厳かに、無言で屹立していた舟越さんの彫刻が、立花さんの非凡なアートディレクションによって、生々しく唇を動かし、語りかけてくるのを感じました。
担当学芸員として、様々な想像や不安が脳裏を駆けめぐりました。でもけっきょく僕は「これはすごいです。 立花さん」と心から感嘆していました。もちろん、舟越さん本人も立花さんの真正面からのチャレンジを歓迎してくださいました。

最近日本各地を巡回した大規模な回顧展で、作品の「変貌」ぶりが話題となった舟越さん。
きっとこのポスターを見た多くの人が、『自分の顔を語る/他人の顔を聴く』という謎めいたコピーとともに、舟越さんが最近のテーマとしている「スフィンクス」の表象との問答を通して、彫刻家に変貌をもたらしたものの突端に触れることでしょう。
そしてその答えは、山形に展示される11体の彫像と対峙する観客ひとりひとりの心象のうちに明らかになるのです。
10月12日、皆さんぜひ山形へいらしてください。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員

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『舟越桂 自分の顔に語る/他人の顔に聴く』
会期=2007年10月12日[金]〜11月9日[金] 10:00〜18:00(会期中無休/入場無料)
会場=東北芸術工科大学7Fギャラリー 

主催=東北芸術工科大学 企画・運営=東北芸術工科大学美術館大学構想室
協力=栃木県立美術館、西村画廊、赤々舎、田宮印刷株式会社、Apple Store Sendai Ichibancho

特別対談:『自分の顔に語る。他人の顔に聴く。』
舟越桂×酒井忠康(世田谷美術館館長/本学大学院教授)
10月12日[金]18:00ー20:00(開場:17:40)
本館201講義室(入場無料)
(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
■写真上:東北芸術工科大学ギャラリーに展示されている舟越桂さんの彫刻『風をためて』(栃木県立美術館蔵/1983年)とデッサン『山について』。『風をためて』の青年の表情に惹かれるという学生が多い。世代的な共感だろうか?
■写真中:2004年の作品『言葉をつかむ手』近影。印象的な手の所作。
■写真下:ギャラリーに入ってすぐのブースに展示された『水に映る月蝕』とそのデッサン。(撮影:イデアゾーン)
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『舟越桂|自分の顔に語る 他人の顔に聴く』展がオープンしています。

初日の講演会には、建築・環境系と「東北学」関係のシンポジウムが同時に開催されていたにもかかわらず、学内外から大勢の人々が詰めかけました。キャンパスで一番ひろい201講義室(座席数450)は、階段通路にまで人が溢れ、あらためて舟越作品の人気の高さを感じました。
ギャラリーには、山形市内にとどまらず、はるばる仙台や福島からやってくる舟越ファンで「静かに」賑わっています。制作や研究に行き詰まるとやってくるのか、神妙な面持ちのリピーター学生も定着しつつあります。

このように人気の高い舟越作品ですから、展覧会がはじまってからも当然のことながら気が抜けません。舟越さんの作品の魅力を的確に伝えていくために、また、今後、これらの作品を鑑賞するであろう何千、何万もの人々に向けて、作品のコンディションを万全な状態で引き継いでいくために、注意を払わなければならないことが山ほどありました。

まず、はじめてキャンパスを訪れる一般来場者向けのサイン計画や、ギャラリーのセキュリティー環境を抜本的に見直しました。また、開催期間中の作品コンディションについては、修復家の藤原徹教授(文化財保存修復センター)に指導を仰ぎ、デリケートな木彫作品を展示するにあたっての、湿度管理や、巨大なガラス窓からの自然光カット、スポットライトの照度調整などについてのアドバイスをいただきました。

受付や監視、ガイド役に志願してくれたボランティア学生60名には、貴重な芸術作品と観客の間に立って仕事をすることの責任を実感してもらうために、オープン前日に舟越さんから直にレクチャーを受けてもらいました。制作者の言葉で個々の展示作品について知識と理解を深めることができた彼らのモチベーションがおおいに高まったことは言うまでもありません。
舟越作品に寄添う学生スタッフたちの日々は、「舟越展staff blog」に綴られています。
http://gs.tuad.ac.jp/funakoshi/

このように、手探りで準備を進めてきましたが、「キャンパスを地域ミュージアムに!」と、日夜学内でアート活動に勤しむ美術館大学構想室は、公立美術館と違って、毎企画ごとに全ての環境(人的・空間的)の立ち上げを一から整えなければならず、正直に言ってこの展覧会は、その規模と重要性において、やや構想室のキャパシティーをこえるものでした。
舟越作品のために働ける幸いを噛み締めながらも、空回り気味の若い人たちの奮闘を、おおらかに受け止めてくださった舟越桂さんには、本当に感謝です。
西村画廊の皆さん、運搬と設営を担当してくれたヤマトロジスティクスのプロフェッショナルなサポートもありがたかったです。

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設営作業が一段落し、翌朝のオープンを控えた夜。
加湿器の水量を確かめてから、スポットライトを落とす前に、ひとり呼吸を整えて、会場を一回りしてみたのです。
暗がりにスポットライトで浮かび上がる『水に映る月蝕』、『言葉をつかむ手』、『月蝕の森で』といった神秘的な裸婦のシリーズと、最新作の『雪に触れる、角は持たず。』で印象的な、彫像の肩から唐突に突き出た「手」が、僕に向かって、背後から包み込むように伸ばされてくるのを感じました。
舟越さんは、「手」について、「その彫刻自体の手とは限らない、誰かの手」というような言い方をしています。「支える手」「抱く手」「祈る手」… 。静寂に包まれたギャラリーで、宙をつかむように舟越さんの彫刻から差し出されたそれらは、他の誰でもない、この展覧会に関わる僕や学生たちの手であるように思われたのでした。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員
『Paris, winter, 2004』Takenori Miyamoto
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このブログは大学からの帰宅途中、24時間営業のドトール・コーヒーで書くことが多いです。あのひっきりなしに呼び出しの電話が響くオフィスでは、到底向き合うことはできない自分自身と語り合う、僕にとって貴重な時間です。
1年間過ごしたパリでは、日中は失語症のように黙々といくつかのカフェをi-Bookとともにハシゴし、深夜のメトロで撮影した画像データ(上写真)を編集したり、小説らしきものを書いて過ごしました。
僕のことを最後まで中国人だと思い込んでいたインド人のギャルソンが仕切るカフェ『緑の象』で、「世界」は解決不可能なぐらい複雑で、一人一人が孤独で、それでいてはっきりと人と人が求めあう引力のようなアートの作用を信じることができました。「人が生きていくために、アートは必要なのだ」と、いつも感傷的に思ったものです。
自転車で漆黒の蔵王の丘を駆け下りていく家路の途中で、ついついコーヒーを飲みにいってしまうのは、あの無為な日々の概視感を求めてのことです。
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このところ、打ち合わせの数が膨大なのです。
学生に、同僚に、アーティストに、上司に、朝から晩までとめどなく何かを説明し、その正当性を主張し、主張を覆され、企画書で挽回し、書いたからには実現のために具体的に実働をはじめる頃にはその他の「正当性」が頭をもたげ、、、一週間が運動会の50メートル競争のように過ぎていきます。与えられた職業的クエストを一つ一つ解決するためにのみ生きているかのようです。
かえってこのごろは「世界」がすべてシンプルに見えてくる。力の構造、あらゆる組織に組み込まれるヒエラルキーの骨格、これらをトレースするように与えられた仕事をスムーズに処理していき、そうして徐々に自分の感覚的な世界を失っているように感じてしまいます。
だから、今年の「I'm here.」で出会った岩本あきかずさんや、坂田啓一郎さんといった同世代のアーティストたち、そして西雅秋さんの作品に刻まれた、静かで確かな痕跡を見て、僕は僕自身が失ったものの疼きを感じずにはいられません。
机に向かって、ただまわってくる書類を左から右に流しているだけでも、人は生きていける。そういう安泰な場所から、厳しい現実の中で制作を続ける彼らに憧れを表明している自分に救いのないエゴイズムを感じつつも。

世界はとても謎めいていて、単純な「力」の行使だけでは、決してボジティブな解決には至らないことを再認識するために、僕は仕事帰りに13号線沿いのドトール・コーヒーに立ち寄ります。
深夜の店内には、いつも同じ顔ぶれ、学生のH君やK君がいます。(アルバイトスタッフも、みんな芸工生です)彼らはカフェテーブルを抱きかかえるように身を屈めて、スケッチブックにいったい何を書き付けているのでしょう?(あるいは「宮本さんはしょぼくれた目と無精髭をコスリコスリ、パソコンに何を打ち込んでいるのだろう?」)
「今は近視眼的な学生たちの世界地図が、これから現実のひろがりへとつながっていくように、僕がこの大学でやるべきことは何か?」
ここで感じることのできるそんな不遜な使命感もまた、明日を頑張れるエネルギーとなります。僕も彼らと同じように、相変わらず、同じ私的世界を堂々巡りしているだけなのかも知れません。これは希望的観測ですが。

『西雅秋-彫刻風土-』展開催まであと10日です。サポートする側のポテンシャルが試されるのはこれから。「秋の夜長」に頼る日々が続きます。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:山形市は馬見ヶ崎川沿いのカフェ「エスプレッソ」でくつろぐグラフィックデザイナーの立花文穂さん。トレーラーを改造したこのカフェは『I'm here.』展の会場の一つ。この日はここでのインスタレーションを担当する大学院生のメンバーも来ていて奥のテーブルでミーティングをしていた。万華鏡を覗いているのはウチの奥さんで、テーブルには僕の大好きなバナナジュースが。
■写真下:肘折温泉郷への道中にある日本最大級の杉の巨木「クロベ」の前で。大蔵村在住の舞踏家・森繁哉さんのラブコールで、立花さんの山形ロケハンは大蔵村に飛び火。
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4月11日に今年のレジデンス作家でグラフィックデザイナーの立花文穂さんが山形にいらっしゃいました。キャンパス内の活動場所や、宿泊施設などを見ていただき、秋の滞在期間中の活動内容について打ち合わせました。
芸工大における立花さんのアーティスト・イン・レジテンスは、『舟越桂展』のドキュメントブックの制作が主な活動になります。ブックでは舟越作品の魅力を、アトリエの緊張感や、鑿跡のマテリアルや、作品と人々との関係・出会などを記録する、「コト」のドキュメントとなる予定です。

また、本の編集過程は、色校正や、アイデアメモなどを随時壁面にクリップする形で、10月中旬の期間中、大学図書館内の特設編集室周辺でリアルタイムに公開されていきます。これ自体が既にインスタレーションみたいですね。ちなみにこの企画は、舟越展とあわせて、11/15〜12/20の日程で京都造形芸術大学ギャラリーオーブにも巡回予定です。

先週の月曜日に、世田谷区経堂にある舟越桂さんのアトリエでお二人を引き合わせたところ、数年前に舟越さんが出演していた資生堂のCMの映像ディレクターが、立花さんの実兄であることが判明。やっぱり、ご縁があったのですね。
この日は赤々舎の姫野さんも交え、打ち合わせはアトリエ→焼肉店→カフェと場所を変えながら深夜までおよび、その中で舟越さんのアシスタントの中野さんの奥さんが、何と僕の高校の同級生(奈良市の高円高校)であることが判明したり…とまあ、多角的に出会いを楽しんだ一夜となりました。

お二人のコラボレーションは、赤々舎と舟越さんの所属ギャラリーである西村画廊が、これまた偶然に共同企画し、出版の準備が進んでいた「対話集:舟越桂×酒井忠康」と内容をリンクさせた形で、出版までこぎつけそうです。
舟越作品にまつわるビジュアルの合間に、おなじみ酒井先生の含みのある独特の言い回しによる作品解説が挿入される本を、あの立花文穂さんがディレクションする…一体どんな本になるのか、きっとこのアートシーンに詩的なインパクト与える作品になると確信しています。

それにしても、一つの出会いがどんどん増幅して大きくなっていく。こういう不思議でクリエイティブな感性のリレーに関われることはアートを愛する者として、とても幸せなことです。
しかししかし、現在僕はすでに9個のプロジェクトを抱え、もう息切れ状態。また、その一つ一つが今回のような、実に面白い連携の可能性を秘めているのです。同僚も学生も家族も僕のワーカーホリックぶりにいつも呆れ顔ですが、これはもう仕事を超えた、スポーティーな感覚すらあります。図書館スタッフのみなさん、部屋を散らかしてすみません。理解ある東北芸術工科大学と家族に感謝。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
『西雅秋ー彫刻風土ー』水上能舞台におけるインスタレーションイメージ
コメント:「気溝には落ちこんで行く。そして気柱が舟と流されながら鬼(鬼瓦)までも突き上げる。外の展示こんなイメージです」西雅秋

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先に開催した西雅秋氏の特別講演でも周知した通り、この夏、現代美術家の西雅秋氏が本学に滞在し、山形をテーマにした大規模な現地制作に着手します。今回紹介したのは、西さんから届いたばかりの作品プランのスケッチです。

このスケッチによると、全長7メートルの最上川の川舟(木製)を能舞台に移設し、その中に山形県内の鋳物屋から収集した仏頭を中心に、山形を象徴する「かたち」を石膏で鋳抜いたものを大量に積み上げていくという、実に壮大なインスタレーションが示されています。
美術館大学構想室では、この夏期休業期間を利用し、スケッチに示された作品を西さんと一緒に制作してくれる学生スタッフを大募集しています。これは単なる「お手伝い」ではなく、西雅秋というアーティストと、参加者とのコラボレーションによるアート・プロジェクトであると認識ください。
サポートの詳細は以下の通りです。

□西雅秋滞在期間:8月28日(月)〜9月9日(金)約2週間
□活動内容:山形を象徴する「かたち」のリサーチ+収集
      シリコン・石膏による型取り+鋳込み作業
□活動場所:研究棟116号室・西雅秋特設工房

*事前説明会を8月3日17:30〜図書館の学習室(1F奥の小部屋)でおこないます。皆様お誘い合わせの上、ぜひご参集ください。

連絡先/美術館大学構想室学芸員・宮本武典
miyamoto@aga.tuad.ac.jp/023-627-2043
■写真上:牡蠣殻に似たシリコン型に石膏を流し込み、硬化を待って型を外すと、白いコケシが姿をあらわします。
■写真中:山形で収集した石膏のモチーフに、作家の工房周辺で丹精された野菜の型も加えられ、作品「彫刻風土」の解釈は、西さんの飯能での生活も抱き込んでひろがっています。
■写真下:彫刻・建築・洋画・日本画・工芸・美文etc...様々なコースから集まった15人の学生チームが、揃いのツナギで制作に参加しました。
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雨の大学祭の真最中、悪天候にかえってハイ・テンションな賑わいを見せたキャンパスの一隅で、西雅秋さんの滞在制作が進められました。
9月の滞在時に制作した大小50個ほどの型に石膏を流し込んでいきます。スタッフ一同、作業のコツと流れを把握するとともに、効率アップを目指して増殖していく生産ラインは、当初予定していた2つの研究室ではとても間に合わず、廊下にまではみだしていきました。
10月28日の夕刻、完成したこれらの集積のまわりで舞踏『時の溯上』を披露する予定の森繁哉さんは、この現場を「焼き場の骨ひろい」と形容し、西さんは、透き通るように薄く鋳抜かれた石膏の野菜を「食べるために並べる」と言って学生たちを惑わします。
和気あいあいと進められた夏の型作りに比べて、不思議な緊張感が張りつめていた鋳込み作業の3日間は、石膏に写し取られた「食」や「性」の断片から、脆くはかない命の営みを抽出する行為のように思われました。鋳抜き作業場は29日から朝日町の廃校へと場所を移し、オープンスタジオとしてその行程の全てを一般に公開されます。
旧立木小学校でのプロジェクトは、建築学科の有志学生と西さんの共同作業として進められ、廃校に残された、かつてここで学んだ子どもたちの記憶を留める様々な品々とともに、即興的に構成・展示されていく予定です。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:旅のはじめの記念写真。『鈴木鋳造所』さんは仏像や梵鐘を扱う大きな鋳造所。
■写真中:『雅仙』さんの屋上で20年前に長谷川社長自らが制作したという弁財天を発見。彫刻風土のパーツとして提供してもらうことに。雨ざらしで胸部の損傷が激しいため、頭部のみを切り離し修復して使用します。
■写真下:『南工房』の南社長に銅町特有のるつぼ(金属を溶かすための容器)の運搬補助器具について説明を受けている西さん。鋳造家同士の話は、こと設備については尽きることがありません。「るつぼ」は、西作品の重要なモチーフです。

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28日から彫刻家・西雅秋氏が来校し、芸術研究棟116号室で滞在制作がスタートしています。
先週の金曜日には『彫刻風土への旅』と題し、制作をサポートするボランティアスタッフとともに山形県内の鋳物工房を訪ねてまわりました。

山形市は古くから鋳物が盛んで、市内を流れる馬見ヶ崎川沿いの銅町周辺には、茶道具や仏具などを手がける伝統ある鋳物屋が軒を連ねています。
今回の旅の目的はその倉庫を探索すること。
鋳物屋さんの倉庫には、過去にブロンズに鋳込まれた様々な造形物の原型(石膏や木製のもの)が捨てるわけにもいかず、引き取り手のないまま保管されてることが多いのです。
これらは地元のお寺に納める仏像や、著名人の胸像や、公園のモニュメントや、学校のエンブレムなどで、暗い倉庫には、土地の信仰や記憶にまつわる様々な造形が堆積しています。古い民家に掛けられている肖像写真、あの感じです。

西さんは厚い埃に覆われた倉庫の中をゆっくりと時間をかけて捜索し、仏頭や蓮弁、獅子のレリーフなどを、大学の能舞台に設置する予定の作品『彫刻風土』のパーツとして持ち帰りました。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典