naomiの写メール日記〜ブログ版〜

旅行
1月10日といえば、フランスでは国をあげてのソルド、バーゲン開始の日です。みんな開店前から店の前に列んでいて、開店と同時に猛ダッシュでお目当ての品を目指します。警備員が引くくらいすごい勢いです。
試着室には長蛇の列で、並ぶのが嫌な人はズボンの上から試しばきをしたり、その場で脱いでいる人もいました。
みんな仕事はお休みしているのでしょうか?

日本で合うサイズがなかなかないので、こちらに来る度に靴や服は買っていて、私ももちろんこの日を楽しみにしていました。
ルーブル美術館の近くに宿をとっているので、オペラ座の奥のラファイエットはすぐそこなのに…!オペラ座手前のZとMで買い物はすんでしまい、ラファイエットまで辿り着けませんでした。ラファイエットは近くて遠かったです。
ウィーンのバーゲンでも同じ店へ行きましたが、同じブランドでも、国によって色や形が違うのでおもしろいなぁと思いました。比べてみるのもおもしろいです。

夕方、雨が降り出しました。フランス人もオーストリア人も傘は使いません。ストールを頭から被る程度です。傘をさすのは外国人だけです。シェルブールの雨傘って、あまり売れなかったのではないか…と思います。

「あの、日本人の方ですか?」とカフェで聞かれました。
そうだと答えると「じゃあ、何か漢字書けますか?」と聞かれ、「禅」と書いてみせると「あ、あなた傘持ってる!本当に日本人ですね。」
と言われました。
傘は外国人の印のようです。
でも、どうしても雨に濡れるのはいやだなぁ…。
ウィーンからパリに戻りました。


ウィーンでは何とも思わなかったけど、パリの空港で鏡を見ると、私の髪って伸びてアンバランスになってる…これはいけない!パリの人はおしゃれな人が多いので、余計気になって仕方がありません。


世界で一番カットが難しいとされるアジア人の髪は、絶対に日本で切りなさい!という格言を破り(私の友人は、アメリカでカットをしてもらい、毎回、帰宅してカットの手直しカットをしていたらしい。)、たまたま入ったパッサージュ(ショッピングアーケード)でショートカットの美容師がいるサロンを見つけたので、カットしてもらいました。

人のよさそうな愛らしいマダム美容師は「どんな風にしたい?」と聞いてきました。
「私に一番似合う髪形にしてください」
と言うと、絵画を見つめるように私を見て、「じゃあこの位切るけどいいわね?」と、説明をしてくれました。


おでこの面積の黄金率があるらしく、おでこはこの位出した方が顔が明るく見えると言われ、切り始めました。
ハサミは使わず、ほとんどスキ刃のようなもので切っていき、あっという間に完成!速っ!!!そして、うまい!!!スキ刃で切ってもらうと、髪がボロボロになる美容師さんもいるけど、彼女は本当に上手でした。

海外で髪を切るのは危険だと思っていたけど、成功もあるんだなーと思いました。ここ数年、アジア系のモデルさんが流行っているし、研究されているのかもしれません

一番日本と違ったのは、髪の乾かし方で、マッサージするようになるだけ髪と髪の間に空気を含ませるようにドライヤーをすると、ふんわりいい感じに仕上がりました。

始めてのパリのサロンは大満足に終わりました。お見せしたいところですが、街でかわいいネコと出会ったので、こちらをご覧ください。

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オーストリアはかつて大帝国でした。有名な女帝のマリアテレジアの夫は、自然科学の研究員で、研究に没頭した為、マリアテレジアが政治を動かしていたのです。彼女がチェンバロの名手だった為、音楽は奨励され発達したそうです。
彼女の夫のコレクションのお陰で、鉱石や動物の剥製のの博物館があり、すばらしい石がたくさん揃っています。

そして王宮のヒロインといえば、シシィです。
16歳で従兄弟の国王と結婚させられたシシィは、姑やしきたりとうまくいかず、一生旅を続け、宮殿に居着かなかった人です。彼女の黒い影絵が有名ですが、息子が30歳で自殺をしてしまい、それ以来、喪にふくす黒い服しか着なかったので(日本ではお葬式しか喪服は着ませんが、ヨーロッパでは大切な人を亡くすと、かなり長い間黒い服を着ています。)、シシィを遠くから見ると、いつも影絵のように見えたのだそうです。


そして、シシィは暗殺されてしまうのです。
当時の民衆にはあまりもてはやされず、一生をダイエットに明け暮れ、旅を続けたシシィ。朝から晩までずーっと王宮で民衆の為に働き続けた夫は、そんな彼女を深く愛し続けたのだそうです。

切ない歴史ですが、今となってはかけがえのないものをたくさん残してくれた、愛すべきシシィです。
1月6日は、東方の三博士の日で祝日でした。クリスマス最後の日です。

ヨーロッパは、日曜と祝日は見事に店がクローズになり、ウィーンはクレジットカードまで使えないのだそうです(使う所がない)。
産まれたキリストを祝福するために、東方から三人の博士がキリストの元へたどり着いた日です。
6日に近づくと、三博士の格好(白い布を頭からかぶり、上から冠をかぶる。だいたい三人一組。うち一人だけ顔に黒い塗料を塗る。)をした人が街を歩いています。子供だけかと思いきや、大人もけっこういます。
この日はクリスチャンにとって本当に大切な日で、教会にはたくさんの人が集まります。
1月6日で、やっとクリスマスが終わります。街にはクリスマスツリーのもみの木を捨てるステーションが設けられ、木が山積みになっています。私のホテルの部屋にもクリスマス飾りが入っていましたが、6日の夕方には撤去されていました。


美術館に行く途中に、シュテファン大聖堂に入ってみました。ちょうど法皇の格好をしたチーフ的な神父さんと、金の法典を持った神父さんと、他何人かが行進をして礼拝堂へ入っていくところでした。何とも不思議な雰囲気で鳥肌が立ちました。こちらのミサは必ずオーケストラの音楽と合唱団とパイプオルガンが付きます。いつものミサと曲も違い、かなりドラマチックな曲になっていました。さすがは音楽の都。

ところで、私が初めて東方の三博士の存在を知った時、「どうして東からなんだろう?」と思い、聞いてみたところ、「ベツレヘムからだと西ってそんなにないからじゃない?」と言われました。ま、それもそうか。
オペラ座でヨハンシュトラウスの「こうもり」を見てきました。


コンサートを見る為に、日本から黒いニットワンピースを持参していて、レストランやコンサートには、これをフル活用していました。大活躍なワンピースです。
オペラ座に着くと、すでにそこは社交会でした。両隣に座った男性は、とてもよく面倒をみてくれるし、会う男性はみんなとても紳士的に接してくれます。女性に生まれてラッキーだったと思いました。これがウィンナーオペラかぁ…とワクワクしていると、いよいよ幕が開き、オーケストラがオープニングを飾ります。
さすが本場のオーケストラは、ウィンナーワルツの「ズンッ、ッチャッッチャ」が素敵です。
ものすごくよく出来た豪華なセットにもびっくり。
そしてオペラ歌手が、即興でギャグを入れると、客席は大盛り上がりです。


オペラとは、全ては観客が鍵を握っているのだとつくづく思いました。

今日の結論。オペラとは社交会なり。

女の子は、この日の為にドレスを用意して、靴を磨き、ハンカチに刺繍を入れたりして、マナーや立ち居振る舞いを身につけたのかなぁ…とふと思いました。男の子も同様に女性のエスコートを身につけ、一人前になっていく…そんな大切な場な気がしました。

帰り道のメインストリートにも、ウィーンらしいシャンデリアが光っていました。こうもりを口ずさみながら、とてもハッピーな夜でした。
ウィーンにだいぶ慣れてきた今日この頃。来てすぐの時は話しかけられる事はまったくなかったのに(おもいっきり観光客オーラを発していたのだと思います。)、ここ二日は、街に出ると普通にドイツ語で話しかけられたりするようになりました。全く話せないけど…。


次第にウィーンの全貌が明らかになってきました。


まず人々は、上下関係には忠実で、基本的にいい加減。冗談が大好きで、素朴で親切です。そして集団でつるむのが基本。ホットワインとバーゲンが好き。冬でもアイスクリームを道で食べる。馬と犬が好き。ウィーンはものすごく田舎だと思っている(確かに素朴だけど、オーストリアの首都)…などなど。


ウィーンの街の特長は、歴史がある。王宮文化。建築物がすごい。イタリア人とオランダ人、日本人もやたらに多い。石畳が多い。本当に治安がよい。物価は高い。ファッションはトラディショナル。テレビ番組の制作費が明らかに節約されている。美術館やコンサートが多い、でも画材屋や楽器屋は少ない…などなど…。

そして、こちらの人々は「イマリ」を知っています。日本の焼き物の事を総称してそう呼んでいるようです。伊万里の港から輸入された食器類がハプスブルグ家の王宮コレクションにたくさんあるからです。
私もミュージアムで見ましたが、かつてオリエンタルブームがあって、伊万里まで買い付けに来ていた伯爵が破産して、差し押さえられる前に、高価なイマリは王宮に移されたのだそうです。

写真はウィーンのラッキーなシンボルのパン。豚と四つ葉のクローバーときのこはラッキーアイテムだそうです。
今日は1月2日。
ウィーンは初商いで、街をあげての大バーゲンでした。

基本的に、ウィーンは昔から物価は高いです。街は小さく、カジノがあり、海と丘のない、モナコのような所です。

普段は子供や馬や犬のしつけに厳格なウィーンの人々ですが、この日ばかりは、夫と子供を外に待たせて(寒かろう…。)、溢れんばかりの洋服や靴にたかって、床には商品がたくさん落ちています。
普段は高いイブニングドレスやコートが飛ぶように売れてゆきます。ニューイヤーズコンサートでみんなが着ていた綺麗なドレスも、こんな時に買い置きしてあったんですね。

ヨーロッパのユニクロ、Hもウィーンに出店していて(とにかく安い。海外では、私は、間に合わせの水着や羽織りものなど、ここで購入。)すかさず駆け込み、下着をたくさん購入しました。女性の方は、特にフランスに来る機会があったなら、ぜひ下着は買ってみてください。サイズも豊富だし、何より本当に動きやすいです。Hの下着はフランス指向な作りで、値段も安いのでオススメです。
ちなみにサイズ表記は日本と逆で、EUサイズが75Cだったら、Cはアンダーを指し、75はトップをさします。単位はセンチではなく、1単位がセンチより幅広くなっています。
フランスサイズ(F)は、数字の単位が違い、1単位がEUより細かくなっています。

シュテファン寺院の前では、バーゲンに興味なさげな馬達が並んでいました。目が合うと、馬もずっとこちらを目で追ってくるんですよ。かわいいですよね。
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昨晩はニューイヤーズコンサートに行ってきました。さすがに平均年齢が高く、私は女性一人で行ったので、特別に席を前にしてもらえたりしてラッキーでした。

終わってホテルに戻る為に街に出ました。
ウィーンの街は小さく、街の端から端まで15分くらいで歩けます。街のど真ん中を走るメインストリートには、ニューイヤーズを迎えるイベントで、100メートルおきにジャンル別のDJブースやライブのステージが並び、みんなストリートに溢れて踊ります。まさにドンチャン騒ぎとはこの事だと思いました。
私はラテンブースの前で踊っておしゃべりしました。街全体がクラブになるのです。ウィーンはクラシックだけではありませんでした。空には誰かが上げた花火が彩ります。爆竹の音とシュテファン大聖堂の鐘の音が混ざりあい、ドナウ運河は戦場のようです。ホットワインの香りが町中に漂っていました。

12時にはみんな大聖堂に集まり、花火の中、みんなでシャンパンのコルクを飛ばすのだそうです。私はさすがに踊り疲れ、途中リタイヤでホテルに戻り、振る舞われたシャンパンで乾杯しました。

今年も平和で素晴らしい一年になりますように。
A HAPPY NEW YEAR!!!
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今日も朝早くからごそごそ活動開始して、ウィーンの街を探検中です。

さすがは音楽の都。街の至る所でバイオリンのチューニングの音がします。私がウィーンに生まれていたら、普通にバイオリンを弾いていたに違いありません。ブラジル人がまずギターを手にするように、ウィーンではバイオリンなのでしょう。教会に行っても、カフェに行っても、昼も夜もよく演奏しています。

そして道は、必ず馬が優先。馬車の後に渋滞を作りながら、石畳にこだまする馬の足音は心地よいです。

今日は老舗カフェで、念願のザッハートルテを頂きました。写真です。クリームがどっぷりですが、空気含有率が高く、ふわふわ!
カフェといっても日本のカフェとは異質で、クロークでジャケットを預かってもらいチップを渡します。最低30分は必要です。この国では、時間の流れが馬の速度と同じ気がします。

隣の席に座った幼い子供が、靴のままソファーにあがってしまいました。すると店員のマダムは、迷いなく叱り飛ばします。それを見たお母さんは、血の気が引くくらいバシっとビンタ。お父さんは怒鳴ります。犬は子供の足台になりずっと耐えています。これがウィーン気質のようです。王宮文化国では、マナーは大事です。

時間は流れても、王宮文化はまだまだ根深く残っているのだと思いました。
今日はパリから飛行機でウィーンに移動しました。

初めて降り立ったウィーンの感想は、なんて治安がいいんだろう!という事でした。
治安のバロメーターは街の中のらくがきとゴミと警官の量と、女性の靴でおおよそ予測がつきます。
ウィーンにはらくがきがほとんどなく、道のゴミ箱の回収がしょっちゅうなので街は綺麗です。警官は一人も見ていません。
女性の靴がヒールが多いと安全な地域だと思うのですが(危ない地域でヒールを履くと、走れないので狙われるから。)、ウィーンの靴屋さんにはヒールがたくさん売っていました。


今日はニューイヤーズコンサートと同じ演目をやっていたので、ヨハンシュトラウス像の隣にあるクーアサロンで夜8時からコンサートを見に行ってきました。ヨハンシュトラウスとモーツァルトでした。オペラやバレエも付いてて、これを見ればウィーンが分かる!ような凝縮コンサートでした。
ウィーン気質とは、お酒と踊りと音楽が好きなのだと思いました。


そしてコンサートが終わった後も、なんと歩いてホテルまで帰りました。小田原でもこの時間は危ないのでタクシーを使うのに。
明日もますます楽しみです。
ホテルの部屋にいる時は、いつも民放のニュースを見ています。

大好きな朝のニュース番組があります。コーナーの間に音楽を挟むのですが、昔からあるフランス的な曲が流れています。今日は、私もHOMEでカバーしたブラッサンスの曲が流れていました。
エンディングは、番組スタッフが総出演で(ディレクターもミキサーの前で歌っている)「オー、シャンゼリーゼー」と合唱します。誰かが連れて来たレトリバーまでスタッフと踊っています。思わず微笑まずにはいられません。フランスだなぁーと思います。


そして、うれしいセンスがもうひとつ。明日とあさって(大晦日)は、サンクトペテルブルグフィルのコンサートをゴールデンタイムに放送するらしいのです。予告でユーリテミルカーノフが出ていました。(私は彼の大ファンでコンサートを見に行った。抑制のきいた彼のセンスには脱帽!)
ウィーンフィルでなく、ベルリンフィルでもなく、サンクトペテルブルグフィルを選ぶセンスが、これまたフランスだなぁと思います。日本だったら、まずない選択だと思います。


一日中、「オー、シャンゼリーゼー」という合唱が頭から離れず、歩きながら思わずくちづさんでいたのでした。

冬のモンマルトルの丘は、画家達がよく描いていた風景が、未だにほとんどそのまま残っています。


実家に冬のパリの絵が飾ってあって(もちろん本物ではない!)、私は丘からの眺めが懐かしくて、毎回ここに来る度に帰省した気分になります。馬車が車に変わりましたが、独特の空の色も枝の具合も同じです。ギャラリーをのぞくと、実家に飾ってあった絵がたくさん売っています。あれは有名なパリの絵画だったんだなぁ…と、いまさらながら知るのでした。私のフランス好きは、おそらくそれらの絵を見て育ったせいなのだと思います。

丘の公園には、たくさんの画家が出店を出していて、賑わっています。日本人の画家の方も何人かいらっしゃいました。すごいなぁ。
この辺りはユトリロやゴッホ、エリックサティまで住んでいました。
私も彼らの感じていた雰囲気を感じたくてモンマルトルに宿をとりました。すぐ近くにはムーランルージュという、フランスが世界に誇る高級ストリップ劇場などがあります。フレンチカンカンのメッカです。アメリの舞台もこの界隈です。
始めはこの土地に気がひけましたが、この辺りの人はよそ者に対してもやさしく受け入れてくれるし、人間味のある街です。芸術家に愛され、たくさんの芸術を産んだ理由がよくわかります。
今日もこの丘から街を眺めて、懐かしい絵画を思い出すのでした。
成田の搭乗口から飛行機に乗ろうとしたら、前回、パリから香港まで隣の席だった方と会いました。再び同じ飛行機に乗り合わせたのです。
彼とは共通の知り合いもいて、ロンドンでご馳走になったりしたので、ずっと気になってはいたのですが、まさか再び会えるなんて思いもしませんでした。人生とは、本当にドラマチックだなぁと思います。


パリに来てからは、すっかりのんびりしています。

もうひとつ、ドラマチックな風景を見つけました。凱旋門の後ろにそびえるのは、遠くに見えるライトアップされたエッフェル塔です。信号待ちをしている時に見つけました。

人生とは、本当にドラマチックなり。
無事帰国しました。パリを発つ日の朝にニュースを見ていたら、飛行場のチェックインが三時間かかると言っていました。嘘でしょーとは思いながらも、一人で海外を移動となるとやっぱり安全策。素直に三時間前に飛行場に行ってみました。
すると本当に三時間かかりました。ギリギリでした。ものすごいセキュリティーです。飛行機に乗るまでに三回のチェックがあります。飲み水もベビーフードも口紅もコンタクトの水も目薬も、みんなゲートで泣く泣く捨てていました。風邪で咳き込んでいる私に水なしで飛行機に乗れだなんて・・・。プチサバイバル体験になりました。
ロンドンでは、空港にセキュリティーチェック待ちでものすごい数の人が並んでいて、アメリカ人のマダム達はものすごいブーイングで、紳士達は息を殺してまっています。飛行機は待ってはくれないのです。あらゆる人種がいる殺伐とした雰囲気が、帰国して四日経った今も毎日夢にでてくるのです。
テロを防ぐ為には、このくらいの事が必要なのでしょう。初めてテロを身近に感じた貴重な体験でした。私も予定の飛行機には乗れず、ロンドンに一泊するか、香港でトランジットするかと聞かれて、香港経由を選びました。
望まぬ香港へ到着し、没収された口紅を取り返すべく、免税ショップで口紅を買いました。ショッピングする気になったのです。ちょっと余裕が出たみたいです。ずっと隣に座っていたフランス人の方にお茶をごちそうになり、無事成田へ到着しました。
三週間ぶりの日本は、水の豊かな平和な国でした。

写真はガウディが作った教会のステンドグラスです。窓を開けると内側に開き、蝶々がとまったみたいにみえます。
再びパリに戻り三日が経ちました。私の飛行機は噂のど真ん中のストライクなBRITISH AirWAYSでロンドン乗り換えですが、帰れるでしょうか?

今回のパリの宿はエッフェル搭のふもとのホテルです。丸二日かけてとっとと仕事をすませ、パリ生活残り一日になりました。
急遽半日時間ができたので、ゴッホが二年間住んでいたモンマルトルのアパルトマンを訪ね、その足でルーブル美術館ののドノンのエリアだけを見て(ルーブルはエリアが四つあり、ドノンはうち一つ)モナリザに会いました。
そして本をたくさん買い、探していたプロバンス生地の分厚い本も買えました。
夜はフランスで画家をしている友人の家に夕食に招かれていたので、パリ郊外のご自宅にお邪魔しました。
ギリシャ神話がお好きだそうで、ひたすらたくさん描かれていました。私もボサノバが好きでひたすらボサノバを作り続けているので、何だか似ているようで嬉しかったです。一枚の絵に二年が費やされるのだそうです。私も絵かきになりたかったから羨ましいです。すごいなぁ。
明日はいよいよ帰国です。ミーナは元気かなぁ。
写真はゴッホが住んでいた家です。