:: 歴史/伝統工芸
館山浄水場の坂を越え赤芝、松の下をへて
左側に舌状丘陵がせり出しています。この上が 2〜3百メーター室町期の根小屋式城館遺跡で 、おその沢、松の下、吹屋敷、馬場とぐるっと 取り囲むように集落がありました。近世の後期 には吹屋敷、馬場村は、数軒しかなくこの村は 今、昔からの家は一軒になりました。 この村は、どこに行ったのでしょうか。 |
平成の天皇がまだ昭和の皇太子であった若かりし頃、
小野川スキー場で、井ヶ谷千春の指導でスキーを たのしんだものです。この年も暖冬で雪を運んできて 滑走面を造りました。そのときから数十年来の 暖冬だそうです。 |
これは、ネットで公開されている東大史料編纂所
史料の、「伊達世臣家譜」の中の宮崎氏の系譜書き です。置賜郡の道明山の宮崎城にちなみ、もと新田 を名のっていたのが、宮崎を名のるようになった と記されています。 新田(仁井田)は館山城主で奥州藤原の家系で 伊達が米沢を支配してからは伊達の家臣となった者ですが、 宮崎も新田の家系で、簗沢いったいを支配した古い土豪であったので しょう。 |
市内にハイヤーが走ったのが、大正7年です。
市内バスは、大正10年から運行されました。 ハイヤー料金は市内が1円、小野川温泉まで4円。 バス料金は、小野川まで一日3往復で、1円。 人力車の3円、ハイヤーの4円に比べずっと安いので 温泉客のバス利用が増えてきます。 これは、昭和13年のフォードの中古車の写真で 金六の弟、栄が個人タクシーを開業したものです。 |
昭和4年、銀バスの運行が開始される。米沢市内
20銭、小野川・米沢間30銭。(郷土史年表) 大正、昭和にかけて、銀色カラーのバスが運行されました。 昭和の初頭、小野川米沢間にも銀バスが運行されました。 |
仙台藩、着座に宮崎氏がいます。伊達の重臣
新田(仁井田)の一族で道明山に城を構えていました。 将軍家で云えば、家老に次ぐ家格で老中に相当する ものですが、写真は、道明山の根小屋(平地の居館) 跡です。 |
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ぐらい前に東北一帯を支配しました。その一族が
仁井田(新田)を名のり、田沢、館山に居館を構えて
住まいました。館山発電所の所の館山城は、新居田の
山城で、梁沢の道明山、吹屋敷の根小屋式山城は、
この館山城の支城で、田沢、館山、簗沢、吹屋敷
小野川、は室町期は仁井田の領地であったのでしょう。