:: 小野川温泉ノート
イザベラ、バードは明治初頭 日本奥地紀行
で米沢盆地を訪れ、東洋のアルカデアと表現 しまいた。小松に一泊宿泊し 赤湯、上山を 訪れています。 原田城趾のダリア園も旬で次第に紅葉が 里にゆっくりとおりてきます。 |
関の樋口さんのところでおもちと蕎麦ごちそうに
なってきました。これが当主の創作こけしです。 たくさん展示してありますよ。 鷹山公が白布にゆく途上しばしば立ち寄った といわれていますから、おそらく上杉藩原方武士 の子孫でしょう。 |
ななかまどの実が真っ赤に色づいてきました。
上杉スタジアム、市内の歩道に秋本番を告げています。 朝晩、肌寒くなり温泉が恋しく、紅葉シーズンの 到来をよかんさせています。 温泉につかり疲労をといた後の郷土料理は 格別の味わいですね。 |
これは、何の石。墓石のかけらです。
天狗山の北西角のちょっとした広場に 山水のながれてくるところ、 升目にきりぬいた、置賜に多い中世の墓石 がありました。それを探しにススキの原を かき分けて、土にうもっていたものを探し 出したたものです。 昔、ここにお盆に墓参りにきていた時期もあり、 山、田もこの近くに持っており先祖は、この辺に 住んで居たものでしょう。 |
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鬼面川。嵐の日に鬼の姿のようなおそろしい
暴れ方をするというもう一つの顔があります。
天保2年(1831年)江戸時代後期、鬼面川
氾濫し小野川塩取り場と藤屋弥兵ェ以北17戸
流失すとあります。
洪水を防ぐことが火災の予防と共に住民の長い
課題であったわけですが、明治19年(1886)
小野川の120間堤防竣工するとあり今の姿に近い
形になったものでしょう。