:: 小野川温泉ノート
おそばが可憐な白い花を咲かせています。
葉も三角、実も三角ですね。 南原の原方部落で蕎麦からかいもちを作って 食べていたと言われており、これも直江兼続が推奨 したもので、 鷹山公の施策は直江候に原型があったといえるのでしょう。 |
400年前に、松川の氾濫を制する為に直江兼続が
上流部、南原に築いた石堤が残っていて公園として 整備されています。 川との間に、コンクリートで堤防が築かれて いますがまだ、当時の石堤が確認できます。 大きな石がずっと並べられています。 昔の人の手作業の仕事はとてもすごいですね。 |
生徒と先生がマンツーマンの笹原分校。小野川から
車で5分。ここは、もと寺跡で事実 奥にお墓が 並んでいます。 近世初頭設立の寺で、黄木という墓石が林泉寺の 直江夫婦のすぐ傍にあるところから、私の感で 笹原部落はあるいは関の樋口についてここに土着 したものであるかも知れません。 常福寺が廃寺になってから笹原部落は、 上杉の常安寺の檀家になっていますね。 |
笹野一刀彫りの地、笹野観音参道前の旧樋口邸。
(現 なでらそば) 上杉は会津から移封されたときにそのまま家臣団をつれて 来たと言われ、400年前、城下建設に10年かけて町割り 、用水路、在所への定住などを行い米沢の基礎が築かれました。 直江兼続指揮のこの時期と、鷹山公の寛政の改革の時期も 在所への定住による下級士族の開発が行われました。 |
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この入り口には樋口の石碑があり、笹野のなでらそば
の建物はもとここから移築されたものです。
飯豊町添川にも直江兼続との関連で大国、樋口が
定住し、直江家の断絶後の政変と関連した口伝書
が伝わっています。