湯ノ沢間欠泉湯の華

ふるさとじまん
湯ノ沢間欠泉湯の華のブログ一年間の御無沙汰申し訳ありません。
このたび、念願の三淵渓谷を通過するモ−タ−ボ−トに乗船いたしました。
長井ダム湖畔(百秋湖)三淵渓谷通り抜け参拝は今後も企画するとの事なので
下記までお問い合わせください
最上川リバ−ツ−リズムネツトワ−ク
電話 0238-87-0605
ホ−ムペ−ジ http://samidare.jp/229km/
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昨年は手ノ子駅利用者の送迎の方々は
全て、この素晴らしい姫小百合を満喫
して後、間欠泉に向かいました。
湯の華には
同級会で地元中津川出身の
Upperなメンバーがご宿泊でしたよ。
ふるさとを離れて東京にお住まいのかたがたを
赤湯駅にお迎えに行きましたよ。

赤湯駅は
ハンググライダーをイメージした
駅舎です。
鈴木エドワード氏設計でしたよね。
間欠泉湯の華の手前7キロメートルは
樹齢200年から500年の
桂の巨木やブナの原生林の道です。

世の中が忙しくなってからは
”電気も無い、電話も無い、何にも無い
不便だから、遠いから”、ということで
昔みたいに湯治にくる村人も無くなりました。

その「ちょっと待っててね」の時代があったのが、
東沢渓流湯ノ沢にとってはよ良かったのですよ。
荒れるのは容易い、戻す事は。。。。。
西暦2000年に生きている我々は
もう身にしみて分かっていますよね。

というわけですので、
ひたすら上流をめざしてくださいね。
昭和29年(1954)豊原村・豊川村・添川村の三ヶ村が合併して、
飯豊村が誕生しました。

古くから信仰の山であった秀峰 飯豊山の名を村の名前にしたのは、
米作りが一番の産業だったその時代に豊作への願いが込められていたのですね。

今では、ちょっと恥ずかしい気もするけれど、
「合併して飯が豊かに食える村」が目指すところなのだ!
ったのでしたっ。
正直でひたむきな昭和の日本人の心意気ですよね。
わかりやすいくて、なつかすいぃ〜
ちょっと 涙が出そう・・・
いい時代でしたよねえ、といっても
その当時を知らないあなたに
郷愁はありませんか、
ごもっともです。
そして
昭和33年中津川村が合併して飯豊町の誕生となりました。
時代は平成、
今日はひまわり館で町の検診がありました。
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