鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜

鈴の散歩道 bell gallery
兼続 「殿、上方での織田信長の動きが、いよいよ怪しくなって参りましたな。」

景勝 「うむ。謙信公も気にしておる。」

兼続 「ところで、気になったのが、織田家の最後でございます。」

景勝 「織田信長は、本能寺で死んでしまったではないか。」

兼続 「その後、でございます。」

景勝 「息子の信雄(のぶかつ)は、家康とともに秀吉を攻めたではないか。」

兼続 「その後、でございます。」

景勝 「誰の時代じゃ。」

兼続 「信浮(のぶちか)の代でございます。」

景勝 「そのような者は、わしは知らぬ。何者じゃ?」

兼続 「信雄から数えて9代目でございます。
転封によって出羽高畠の藩主となり、さらに陣屋の移転にともなって出羽天童藩の藩主となったのでございます。
そのまま、織田家は天童にて明治時代の廃藩置県を迎えたそうでございます。」

景勝 「ほほぉ。上杉は米沢。織田は天童か。時を越えて山形に集合したわけじゃな。詳しく申してみよ。」

兼続 「信長の死後、二男信雄は尾張・伊勢・伊賀・100万石の領主となりました。
しかし、天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏が滅んだ後、徳川家康は三河・遠江・駿河など東海5カ国から関東に移封され、信雄は織田家旧領の尾張から家康旧領への移封を命じられました。」

景勝 「秀吉どのの仕置きじゃな。」

兼続 「信雄はこれを拒否。
怒った秀吉は、信雄を改易し、下野烏山(一説に那須とも)に流罪に処しました。」

景勝 「信雄にとっては、秀吉は父の家来だったが、見誤ったな。」

兼続 「大阪夏の陣後の元和元年(1615)、家康から大和国宇陀郡、上野国甘楽郡などで5万石を与えられ、4男信良に上野甘楽郡の領地を孫・信昌に小幡2万石を分け与え、信雄自身は京都に留まり、茶と鷹狩りに明け暮れ、寛永7年(1630)死去しました。 
ちなみに、信雄死後、大和国宇陀郡の領地は、5男の高長が継ぎ、織田柏原藩として10代にわたって柏原の地を治め、明治の廃藩を迎えておりまする。」

兼続 「そして、写真の神社でございます。」

景勝 「これはどこじゃ。」

兼続 「天童の舞鶴山の健勲神社にございます。」

景勝 「誰がおるのじゃ。」

兼続 「祭られているのは、織田信長にございます。健勲神社は、日本には京都と天童の2か所にしかございません。」

景勝 「上杉は、米沢で川中島の合戦を楽しみ、信長は、毎年人間将棋を楽しんでおるわけか。」

兼続 「これも何かのご縁でございますな。」
景勝 「いよいよじゃな。」

兼続 「はい、最後の5番でございます。」


・・・これぞ天下の上杉節 5番・・・

 吾妻の峰に茜さす

 竹に雀の紋どころ

 つたえてここに十三代

 上杉文化の花ひらく

兼続 「関ヶ原での西軍の敗戦を受け、上杉家は不幸にも負け組になってしまいました。」

景勝 「家康に反旗を翻したため、わが上杉家は、お家断絶になりそうだった。お家存続のため、そなたには苦労をかけたな。数々の交渉には感謝しておるぞ。」

兼続 「会津120万石から米沢30万石への移封で、なんとか済みましたな。」

景勝 「なんとか、お家存続したもののそのあとが大変じゃった。」

兼続 「歌詞に出てくる吾妻連峰は、米沢盆地の南側に位置します。」

景勝 「小野川温泉も吾妻連峰からの伏流水が、原料だそうじゃ。」

兼続 「竹に雀の紋どころは、言わずと知れた米沢藩の家紋です。」

景勝 「謙信公が、上杉憲政どのから関東管領職とともに譲り受けた家紋じゃ。」

兼続 「描かれた雀のくちばしは、片方が閉じ、片方が開き、あうんの呼吸を表しています。残念ながら、画像の雀はそうなっていませんが・・・。^^;」

景勝 「謙信から引き継いだ竹に雀の家紋を掲げ、米沢藩の礎を築いた わしは、1623年に病死した。」

兼続 「以後、米沢では13代、270年の上杉支配が続きました。」

景勝 「中興の祖・上杉鷹山は、名君とたたえられ、民を愛し改革を実行した政治手腕はアメリカ大統領など世界の政治家にまで響き渡っておる。
平成の世にあっても、上杉文化は人々の暮らしに多大な影響を与えているそうじゃな。」

兼続 「はい。われらの時代に行った堀などの水利事業や土木事業。今も米沢の未知や水路は当時のものが多く使われております。

食料に困らないようにと植えた果樹栽培の奨励。
昔、武家屋敷だった地域には、今も栗や柿の木が多く見られます。

日本酒の酒蔵・東光は、景勝が米沢に移り住む前から米沢で酒造りをしており、米沢藩の御用酒屋として栄え、伝統の味を伝えています。

また、越後時代の特産だった青芋(あおそ)を原料とした縮織(ちぢみおり)は米沢でも行われました。」

景勝 「原料を変えて今も伝わっておるそうじゃな。」

兼続 「はい、上杉鷹山の時代には、養蚕(ようさん)・絹織物へと織物業が進化しました。

さらに、屋敷の周りには新芽を食べられる「うこぎ」の垣根を植えさせ、食べられる山野草をまとめた「かてもの」という本を配りました。

また、福島県の相馬地方から稚魚を取り寄せてはじまった鯉の養殖は、冬場の蛋白源を確保するのに役立ちました。」

景勝 「鷹山は、藩財政の悪化を食い止め、飢饉の際に1人も餓死者を出さなかったそうじゃな。」

兼続 「はい、他にも、鷹山は、相良人形の製造や藩校・興譲館の開校、それまで原料として出荷していた漆・こうぞ・藍・紅花の製品化など、様々な事業を行いました。」

景勝 「小野川温泉の温泉水から塩を製造したのも、鷹山じゃな。」

兼続 「現在、米沢の特産物といえば、『ABC』です。
 APPLE りんご。
 BEAF  米沢牛。
 CARP  米沢鯉。

われらが奨励した果樹栽培が、のちに りんご栽培へとつながりました。

興譲館に招いた外国人英語教師のクチコミから米沢牛は広まり、今ではトップブランドとなりました。

お城の堀で養殖がはじまった鯉は、今も冠婚葬祭になくてはならない料理になっています。

ABCのいずれも米沢藩の歴史に基づき、発展していることがわかります。」

景勝 「うむ。こうしてみると、これぞ天下の上杉節は、米沢の文化をよく表しておるのぉ。」

兼続 「左様でございます。これは、さながら米沢の歴史の教科書でございますな。」

兼続 「殿、一大事でございます。」

景勝 「あわててなんじゃ。」

兼続 「それがしの愛の兜が・・・。」

景勝 「盗まれたか?」

兼続 「いえ、愛の兜をかぶったおかしな会合が行われましてございます。」

景勝 「どんな会合じゃ?」

兼続 「直江兼続研修会にございます。」

景勝 「なんじゃ、よいことではないか。」

兼続 「殿、講師が・・・明らかに『これはしたり』でございます。」

景勝 「どれどれ?」


【山形新聞】 紙芝居使い直江兼続を紹介
兼続 「本日も本ネタでございます。」

景勝 「ほほぉ。何の本じゃ。」

兼続 「おそれながら、それがしの漫画でございます。」

景勝 「義風堂々!! 直江兼続 -前田慶次月語り- か。前に話したではないか。」

兼続 「コミックス第1巻が発売されたのでございます。」

景勝 「先日、連載が始まったばかりと思っていたが、もうコミックスが・・・。」

兼続 「何せ1ページ目からいきなり『米沢の堂森地区』が舞台です。」

景勝 「慶次どのが隠居した場所じゃな。」

兼続 「しかも、巻末には慶次どのゆかりの地として米沢の施設が紹介されております。」

景勝 「このままだと慶次ファンが、そなたのファンとなって米沢に押し寄せて
くるのぉ。」

兼続 「左様でございます。」

景勝 「来るなら来いというもの。なにせ米沢の名産は・・・、鯉じゃからのぉ。」

兼続 「これはしたり。鯉だけにうまいことおっしゃいましたな。」

景勝 「うまいことではない。うま煮に ことこと煮じゃ。」

兼続 「殿のキャラには、慶次どのも真っ青でございます。」

兼続 「殿!」

景勝 「あわてて何じゃ。お船どのの思わせぶりな態度にでも驚いたか?」

兼続 「そうではございませぬ。異なものを見つけましてございます。」

景勝 「なんじゃ。」

兼続 「かねたんのいちにちでございます。」

景勝 「かねたん?あのマスコットか。」

兼続 「かねたんの絵本が出たのでございます。」

景勝 「ほほぉ。これは、ラブリーじゃ。」

兼続 「しかも、殿のキャラクターまで登場してございます。」

景勝 「なに?」

兼続 「『かげっち』という名でございます。」

景勝 「どれどれ・・・かげっち。ラブリーじゃな。」

兼続 「これは、お子様のお土産にはたまらない一冊でございますな。」

景勝 「わしまでキャラになったとなると・・・次は、お船どのかのぉ。」

兼続 「お船どのが・・・どんな名前になるのでしょう?」

景勝 「お船じゃから・・・『おせーにょ』とか?」

兼続 「遅刻したみたいでございます。」

景勝 「『だるせーにょ』とか?」

兼続 「音楽の記号ではあるまいに。」

景勝 「じゃあ、『だるちゃん』とか?」

兼続 「すでに原形を留めておりませぬ。」

景勝 「『さえこ』でいいんじゃねーの?」

兼続 「最終的に殿自身のキャラが変わっております。」


『かねたんのいちにち』。好評発売中です。
昨日、小野川温泉旅館組合主催で、直江兼続の研修会を行いました。

題して、『紙芝居で学ぶ直江兼続』。


直江兼続がどんな生涯を送ったのか?

豊臣秀吉、徳川家康との関係は?

謙信の時代、景勝の時代、上杉藩にどんな出来事が起こったのか?


など、紙芝居とともに勉強しました。

紙芝居は、全40枚。

通常の上演でも50分程度、かかります。


戦国時代、豊臣政権、江戸時代と直江兼続の生涯は、歴史の波の中で目まぐるしく変化するため、どうしても盛りだくさんになってしまうようです。

今回は、研修の特別バージョンということで、約1時間30分の内容でした。


なお、直江兼続紙芝居は、体験めぐり『小野川ときめぐり』の企画の1つですので、お客様もご覧になれますよ。

小野川ときめぐり 全企画紹介
兼続 「お屋形様、一大事にございます。」

景勝 「何じゃ。」

兼続 「初音どののことにございます。」

景勝 「長澤まさみどのがどうした。」

兼続 「異例の設定変更にございます。」

景勝 「何が変わったのじゃ。」

兼続 「先日、このブログでも例の武将の妹と発表いたしましたが・・・」

景勝 「うむ。知っておる。小銭6枚の武将じゃな。」

兼続 「妹ではなく、姉になったようにございます。」

景勝 「妙じゃな。そもそも歴史上は存在しないはずのキャラクターではないのか。」

兼続 「左様でございます。しかし、視聴者からのツッコミで・・・。大人の事情でございます。」

景勝 「まぁ、なんくるないさー。ますます謎の女じゃのぉ。」


【サンスポ】長澤演じる初音、10歳以下で・・・!?

第4話でついに登場した謎の女・初音。

長澤まさみさんが演じています。

直江景綱いわく「京の豪商・播磨屋の娘御」でした。

しかし、商人の娘にしては、やけに堂々とした態度。

もちろん、ただの商人の娘ではありません。


予告編でも謎の女として、紹介されていました。

原作の『天地人』では、一番最初のシーンに登場しています。

あるときは、商人の娘。

またあるときは、巫女。

またあるときは、くのいち。


その正体は・・・有名なあの方の妹という設定なんです。

もちろん、洋太郎の妹ではありません。

洋太郎は、映画「涙そうそう」の妻夫木聡さんの役名です。

長澤さんは、「涙そうそう」では妻夫木さんの妹という役柄でした。


気になるあの方とは・・・豊臣秀吉の家来としてファンも多いあの武将です。

小銭の兜が有名ですね。

原作とはまた違った初音の活躍が、楽しみですね。
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『天地人』第4話も面白かったですね。

長澤まさみさん演じる謎の女・初音がついに登場。

その後、他局では妻夫木さんと長澤さんの『涙そうそう』という。

TVジャックでしたね。


さて、たまには息抜きで小噺でも。

和尚 『そなたの誠の言葉を言うてみよ。』

与六 『わしは・・・このようなところ来とうなかった!』

輝虎 『・・・』

与六 『本当にこのようなところ来とうなかった!』

和尚 『そんなに家に帰りたいのか。』

輝虎 『ならば、帰ればよい。』

和尚 『輝虎さま・・・。』


謙信 『あったかハイムが待っておるぞ。』


和尚 『セキスイハウスか!』

おあとがよろしいようで。
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ついに、天地人博2009が、開幕しました。

そして、テープカットには、直江兼続役の妻夫木聡さんと、主君・上杉景勝役の北村一輝さんがいらっしゃいました。

そのまま、2人はトークショーを行い、午後に行われる会津でのトークショーに向け、旅立ってゆかれました。

明日は、新潟県内2か所でトークショーだそうです。

ハードスケジュールですねぇ。

今回の天地人博2009では、様々な本物が登場しますが、一番のオススメは国宝「上杉本洛中洛外図屏風(うえすぎぼんらくちゅうらくがいずびょうぶ)」です。

レプリカは、いつでも展示されているのですが、本物はなかなか米沢でもお目にかかれません。

4月25日〜5月10日、10月10日〜11月6日の2回だけ登場します。

織田信長が上杉謙信に贈った屏風です。

ぜひご覧ください。


なお、当日券は700円ですが、当館では入場券を500円で販売しております。

200円お得ですので、ご予約の際にお申し付けください。

山形新聞  米沢で「天地人博」が開幕
いよいよ天地人博2009が、明日から開幕ですね。

そこで今日は、内覧会にお邪魔してきました。


その気になる中身は・・・

かなーり、よかったです。

入口は、大河ドラマ『天地人』の小道具や、役者紹介のパネルなどで始まります。

そして、関ヶ原や長谷堂合戦などの展示があります。

パネル展は、どこの博覧会でもありがちなのですが、米沢の凄さはこのあとでした。


「天地人コレクション」と題した実物資料の展示です。

天地人博2009は、2010年1月11日まで約1年間行われます。

「天地人コレクション」は、だいたい1か月に1回のペースで12回、展示が変わるそうです。

2月20日(金)までは、「側近兼続」ということで、謙信公や景勝公などの書状がズラリと並んでいました。

謙信公が使ったハンコもありました。

また、本物の上杉憲政の鎧兜が展示されてましたよ。

天地人シアターでは、東北の大名の甲冑を物語風に紹介するVTRが流されていました。

大名による甲冑の違いなど、美しい映像でわかりやすく説明されていました。

あのVTRを見ると、本物の甲冑を見てみたくなります。

そして・・・写真は、エントランスです。

ちょうど明日のセレモニーに向けて、ステージを準備していました。

明日、このステージに妻夫木聡さんと北村一輝さんがいらっしゃって、テープカットなさいます。

大変な混雑になることでしょう。

明日は、お2人のトークショーもありますので、ものすごいことになると思いますよ。

天地人博2009、ぜひみなさまご来場ください。

景勝 「それにしても輝虎さまは、どうして生涯独身を貫いたのであろう。」

兼続 「今さら何をおっしゃいますか?毘沙門天への信仰だからでしょう。」

景勝 「毘沙門天を信仰している者は、生涯独身でなければならないという決まりもあるまい。」

兼続 「たしかに。」

景勝 「輝虎さまは、偉大じゃ。あれほど、頭のよいお方が、どうしてお子をつくらなかったのか。」

兼続 「はぁ。」

景勝 「信仰は大事じゃ。しかし、お家の安泰も大事であろう。」

兼続 「たしかにお世継ぎをお決めにならなかったために御舘の乱がおこっておりますが。」

景勝 「輝虎さまの生涯不犯には、様々なお噂がある。」

兼続 「初恋での破局があまりにも衝撃的だったからという説や男性を好んでいたからだという説。はては、輝虎さま自身が、女性だったという説までございます。」

景勝 「女性説はない。」

兼続 「なぜでございますか?」

景勝 「輝虎さまの肖像画を見よ。」

兼続 「頭巾をかぶった絵でございますな。」

景勝 「ヒゲが濃すぎる。どんだけ〜じゃ。」

兼続 「仰せの通り。あれで女性というのは、言うよね〜でございますな。」

景勝 「先日、米沢のガイドが面白きことを言っておった。」

兼続 「輝虎さまについてでございますか。」

景勝 「なぜ不犯なのかじゃ。」

兼続 「それはぜひ知りとうございます。」

景勝 「知りたいか。」

兼続 「はっ。」

景勝 「続きは明日じゃ。」

兼続 「ひっぱるよねぇ〜。」

...もっと詳しく
兼続  「そういえば、先週、NHKで輝虎さまを見かけましてございます。」

景勝  「スタジオパークじゃな。」

兼続  「天地人の裏話など、話しておられました。」

景勝  「うむ。カツラの話は、わしも驚いた。なんでもプロデューサーどのが『髪の毛一本一本が筋肉の筋のようなカツラ』と依頼したそうじゃの。」

兼続  「左様でございます。おかげで輝虎さまのカツラには、通常の2倍の毛が使われているそうでございます。」

景勝  「輝虎さまには、驚かされっぱなしじゃ。」

兼続  「第1話でございますか。」

景勝  「斬りかかったわしを許すだけでなく、子になれとおっっしゃるとは。」

兼続  「当時、お屋形様の周りでは、お父上を輝虎さまが殺したという輩もおりました。」

景勝  「うむ。わしも最初はそうかもしれんと思った。しかし、聞いてしまったのじゃ。」

兼続  「何をでございますか。」

景勝  「輝虎さまが、自分は人間であると。人間であるから、つらいことや苦しいこともあると。」

兼続  「輝虎さまといえば、毘沙門天の生まれ変わりとだれもが申します。その輝虎さまがでございますか。」

景勝  「うむ。戦国大名は、自分を神と言いたがる。」

兼続  「あの独眼龍・伊達政宗も不動明王を見ながら『梵天丸もかくありたい』と言っておりました。カリスマ性を高めるがためにはしかたなき事かと。」

景勝  「しかし、輝虎さまは、違うのだ。自ら人間とおっしゃられた。そこに胸打たれ、輝虎さまの人間性に触れ、わしは子となったのだ。」

兼続  「輝虎さまは、人間性もさることながら、活躍の幅もすばらしいですからね。」

景勝  「左様。天地人の次は『坂の上の雲』じゃ。そういえば、以前、アニメの声優もしておられた。」

兼続  「はて、なんという作品でしょう?」

景勝  「映画版・北斗の拳じゃ。ケンシロウ役をしておられる。」

兼続  「これはしたり。それで北斗の七星にこだわるわけですな。」

景勝  「うむ。お主も気をつけよ。油断しておると、『阿部ちゃんに突かれてアベシ死兆星』となってしまうぞ。」

兼続  「おそろしや。まだまだ我が生涯に一片の悔いなしというわけにはまりませぬゆえ、肝に銘じておきまする。」



喜平次 「与六、わしらの芝居が好評なようじゃぞ。」

与 六 「はい。喜ばしい限りです。そういえば、第1話で野うさぎを連れてきた子供のころのお船。」

喜平次 「うむ。お船がどうした。」

与六  「あの子は、西洋の楽器が弾けるそうでございます。」

喜平次 「ほほぉ。どのような楽器じゃ?」

与六  「6つの弦を使った琵琶のような楽器にございます。なんでも『学園天国』という歌もうたうそうです。」

喜平次 「怪しい。もしや他局の廻し者ではあるまいな。」

与六  「なにかのカラクリを使ったのかもしれませぬ。」

喜平次 「からくりテレビだけにか。」

与六  「おそれいりましてございます。」

喜平次 「ところで、前から気になっておったことがある。」

与六  「はい。」

喜平次 「そなた、長男なのになぜ名前が『六』なのじゃ?弟も与七じゃし。」

与六  「それをいったら、喜平次さまも御当主なのに『次』ではありませぬか。」

喜平次 「わしには、10歳でこの世を去った兄がおった。じゃから、次男で喜平次。問題なかろう。」

与六  「なるほど。実は私の名は、長尾政景公からいただいたものでございます。」

喜平次 「ほほぉ。わが父から。」

与六  「ご承知の通り、お父上のお名前は『六郎』でございました。」

喜平次 「うむ。じゃから、一字とって与六か。」

与六  「左様でございます。」

喜平次 「それにしても、のちにわしと謙信公の跡目を争う上杉景虎。あやつも北条の七男なのに三郎じゃのう。」

与六  「何か言われがあるのかもしれませぬ。もしくは、太平の世を望んだとか。」

喜平次 「それは、どういう意味じゃ。」

与六  「太平サブロー・・・。おあとがよろしいようで。」

喜平次 「跡目を争っただけにな。」


与六の名前については、あくまで一説。

長尾家嫡男は、先祖代々「六郎」を名乗ります。

政景公が、樋口惣右衛門兼豊の長男誕生を祝って自分の幼名である「六」を与えて「与六」とした、という説です。

北条三郎が七男なのになぜ3なのか、についてご存知の方、ぜひ教えてください。
南魚沼で見つけた面白いお土産です。

その名も、「越後屋、そちもなかなかの悪よのぉ」。

「悪」と書いて「たぬき」と呼びます。


パッケージには、

「お代官様、好物のまんじゅうでございます。イヒヒヒヒ・・・。」

それに応じたお代官様のセリフが、

「越後屋、そちもなかなかの悪(たぬき)よのぉ」。


箱を開けると、饅頭が入っています。

なるほど、確かに饅頭。

しかし、上げ底になっており、そこには

「お代官様の本当の好物は、饅頭の下にしきつめてございます。
イヒヒヒヒ・・・・・。」

と書かれています。


上げ底をめくると・・・!!


オチはあえて内緒にしておきます。

買ったときの感動があると思いますので。


お土産としては、とても面白いと思います。

ぜひ芝居じみた感じでお渡ししてみてください。

イヒヒヒヒ・・・・。