美術館大学構想

現在進行中
■写真上(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
7/13(金)の夜から山形県最上郡の肘折温泉で点灯している芸工大オリジナルの灯籠『ひじおりの灯』(直径70cm)。みかんぐみの建築家・竹内昌義准教授デザインによる八角形の木組みに、本学日本画コースの院生たちが現地で取材したスケッチを描きました。(詳しくは最新の『g*g』に特集されてます→http://gs.tuad.ac.jp/gg/index.php)撮影/JEYONE
■写真下:『肘折絵語り・夜語り』(7/25 19:00〜)の様子。灯籠絵を描いた19人の日本画コース生たちが、23軒の旅館の軒先に吊られた灯籠の下で、それぞれが表現した肘折を語った。温泉客や地域の方々など約90名が参加し、幻想的な夜の光に照らされた、古き良き温泉街の散策を楽しんだ。道案内は森繁哉教授と赤坂憲雄大学院長。そぞろ歩く一行に、各旅館の旦那衆から振る舞い酒も。
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20代前半の4年間を過ごしたバンコクでは、よく仕事の休みを利用して、郊外のバスターミナルから各地方へ走る長距離バスに滑り込み、タイの田舎を旅しました。
そのなかでも「イサーン」と呼ばれる、タイの貧しい東北地方を巡る旅の途中で訪ねた、畜産飼料用の塩づくりを生業とする集落は忘れられません。

濃度を高め、強烈な日照りで塩を結晶化させるための塩田が、見渡す限り広がっていて、その中心にボツンと、5件ほどの家々と、小さな塩の製錬所がありました。
灼熱の日差しを受けるトタン屋根の工場内は薄暗くて、木製の巨大な桶の中に、湿り気のある塩が大量に積み上げられていました。

塩田で水浴びをする子どもたち。半裸に麦わら帽子の工場の男たち。塩の山。
巨大都市バンコクの喧騒から遠く離れた、名もない塩の集落は、僕の東南アジアのうだるような熱気に支配された4年間のタイ生活で、もっとも鮮烈な風景として脳裏に焼き付いています。

もちろんその風景は、背景にある東北タイの貧しさとか、稲作を捨て先祖伝来の土地を塩田にせざるを得なかった人々の苦しみを抱えているのですが、自分の生きてきた「世界」とは隔絶したところで、それ自体完結した白と、光と、熱と、塩と、水が織りなしていたその光景の純度は、僕にパゾリーニの映画のような神話的かつ悲劇的な美しさを想起させたのです。

と同時に、枯れ切った土地で、「どこにも行かない」ことと「どこにも行けない」ことに同時に傷つきつつ、静かに黙々と塩をつくる人々の姿は、外国で異邦人生活を楽しみ、気ままな旅を続けていた僕に、「お前は何故ここに来たのか」「お前はどこに行こうとしているのか」と、厳しく問いただしているような気がしました。
僕の脳裏に焼き付いたのは、ひょっとするとこの「声」の方なのかも知れません。

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国道13号から舟形町を抜け、美しき最上川を渡り、万年雪を冠った月山を眺めながら急勾配の峠道を一気に下っていくと、えぐったような谷間の行き止まりに、肘折温泉が、ぽつねんと佇んでいました。
赤坂憲雄先生に、「東北ルネサンスプロジェクトの一環として肘折にアートのイベントを仕掛けてみたい」と、はじめてここに連れられて来た時、新しい芸術作品を持ち込むのではなく、既にそこに重層した土地の記憶のようなものを、「忘れないように記憶に留める」ための仕組みづくりをしたいと思いました。

23基の灯籠は、隔絶されたこの深い谷の集落でこそ、増幅される光と闇と絵画のオーケストレーションを生み出しています。
これは、その地に住んでいる人々が、若い画家たちの眼差しを通して暗闇に浮かび上がる肘折の情景に、毎夏、「土地の声」を聴くための装置なのです。

宮本武典/美術館大学構想学芸員
2005年度の美術館大学構想事業を冊子にまとめて出版しました。
デザインは本学卒業生の小板橋さん(アカオニデザイン)に依頼し、ベージュの地に白く『TUAD AS MUSEUM』の文字が浮かび上がる装幀で、雪深い山形の印象が反映されたシャープな仕上がりになっています。
昨年10月に開催したシンポジウム『ことばの柱をたてる-美術館大学ことはじめ-』の採録は特に必読。
酒井忠康氏(美術評論家/世田谷美術館長)、芳賀徹氏(文学者/京都造形芸術大学長)、藤森照信氏(建築家・建築史家/東京大学教授)による鼎談はユーモア満載、知的好奇心をくすぐられる内容で、編集の過程で何度も吹き出してしまいました。
3氏が東北文化の読み解き方や、美術館の裏側について語りに語った3時間を、延べ30ページにわたって完全採録しています。

その他にも、『宮本隆司写真展-箱の時間-』関連イベントとして開催したシンポジウムや、『珍しいキノコ舞踊団』レジテンスをサポートした学生によるルポ、民俗学者で本学大学院長の赤坂憲雄氏とアーティスト富田俊明氏の対談などを掲載しています。

現在開催中の『松本哲男展 鼓動する大地』会場で販売中です。
特別講義『Nishi Masaaki 1946-2005』
日時:2006年6月29日[木]17:30-19:00
場所:本館410講義室/全科学生・一般対象/入場無料

今週木曜日(6/29)に彫刻家・西雅秋(にし・まさあき)氏が来学。日本を代表する現代彫刻家の一人として活動し続けた25年間の軌跡を語ります。
これまで広島市現代美術館(98')や神奈川県立近代美術館(05')で大規模な個展を開催している西氏。本学では今年秋に山形の地に取材した滞在制作をおこない、その成果を7階ギャラリーと本館前の池周辺で発表する予定です。今回の特別講義はそのプレイベントとして美術館大学構想室が企画しました。
埼玉県飯能の自然豊かな山間にスタジオを構える西氏は、主に金属鋳造の溶解、凝固、酸化の過程に、物質と時間、人間と自然との根源的な関係性を探る彫刻作品を制作し続けています。その身体的リアリティーに裏打ちされた実践と思考は、山形の地でアートとデザインに取り組む私たちに、深い内省を促すことでしょう。
文化財保存や美術史系の学生にもお勧め。多くの方の聴講をお待ちしています。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典

*9月-10月頃に予定されている、西氏の制作活動に参画したい方(学生・一般問わず)は、美術館大学構想室023-627-2043までご一報ください。

■写真上:七日町の居酒屋『こまや』カウンターで。コケシ収集家の店主から提供された飾り物の小さな金精様(尾花沢産)を手にする西さん。
■写真中:上山の古道具屋で養蚕用の藁籠を7枚入手。これは展示会場造作の一部として使用する予定。
■写真下:制作する西さん。原型に塗布したシリコンラバーの上に、さらに石膏でバックアップ処理を施しているところ。

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週末に設定した休養日も、西さんは精力的に山形市内の古道具屋や蚤の市をひとまわり。夜は郷土料理屋でも飲みがてら情報収集をおこなっていたらしく、週明けの月曜日、西研究室は古い徳利から、陶製の二宮金次郎、コケシ、大根やホッケ(!?)など、大小さまざまなモノ・モノ・モノで溢れかえっていました。

その他、型取り材料として大量の粘土と石膏とシリコンも運び込まれ、アトリエでは収集した様々な「カタチ」の型取り作業が本格的にスタート。かなり手狭になってきた研究室で、西さんは息子さんよりずっと若いアシスタント達と会話を楽しみながら制作を続けています。
原型収集は予想以上の成果で、型取り作業はフル回転です。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典
■写真上:旧立木小学校の図工室の棚から古い土人形を収集する西さん。
■写真中:西さんを囲んでの懇親会の様子。グラスには朝日町特産のワイン、テーブルの灯りは同じくこの地名産の蜜蝋燭。
■写真下:『あとりえマサト』代表の板垣さんは、本学日本画コースの出身で、学生時代から廃校でのワークショップに主体的に関わってきた。

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過疎と少子化のあおりを受け、惜しまれつつ10年前に廃校となった山形県朝日町の立木小学校に、芸工大の卒業生が中心となって運営されている共同スタジオ『あとりえマサト』があります。
東北芸術工科大学では、今年度から文部科学省の支援を受けて『芸術工房村構想』というプロジェクトを立ち上げました。これは、山形県内の廃校におけるアート制作や舞踏公演、ワークショップなどの活動を支援し、卒業後も山形に残り、廃校を舞台に風土と深く繋がりながら自らのアートを追求する『あとりえマサト』のような若者たちと一緒に、地域振興に取り組んでいこうというものです。
美術館大学構想室でも、自身の制作とともに、教室を改造したギャラリーを運営している彼らに提供する展示企画として、『西雅秋ー彫刻風土ー』展の巡回開催を提案し、先週、出品作家である西さんとともに、会場の下見に出かけました。

山形市内から寒河江方面に車を走らせ、緑濃い山並みと、集落をいくつも越え、くねくねした山道を進むこと1時間。清流をたたえた谷間の里に、モダンな木造校舎がつくねんと佇んでいました。
子どもたちの学びの痕跡を、そのがっしりした木肌のあちこち生々しく残す校舎の中を、『あとりえマサト』の板垣さん、田中さん、川勝さん、三浦さんの解説付きでじっくりと見学した西さんは、図工室の棚に残されていた山形の郷土玩具に注目。いくつかを、水上能舞台で発表する作品『彫刻風土』に立木小学校の「記憶のカタチ」を加えるべく収集しました。

日が暮れてからは、かつてこどもたちが裸足で駆け回った廊下に座布団を敷いて、ささやかな交流の酒宴がはじまります。30年前から飯能の山野を自力で拓き、家族を養いながら彫刻を作り続けてきた先輩の言葉は、冬は雪に閉ざされる山間で表現に生きることを決意した『あとりえマサト』の若いアーティストに、深く強く響いていたようです。皆とても穏やかな表情、良き語りの夜でした。
この企画は、西さんの人柄によって、当初の予想をはるかに越えて、人と土地の記憶を巻き込み、ひろがっています。

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帰り際、夜の校庭に出てみると、村の夜はもう秋の涼しさです。
空には星が恐いくらいキリリと輝き、生まれてはじめて見る天の川が、本当に「乳の河」のように、ぼんやりとたなびいていました。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典
■写真上:旅のはじめの記念写真。『鈴木鋳造所』さんは仏像や梵鐘を扱う大きな鋳造所。
■写真中:『雅仙』さんの屋上で20年前に長谷川社長自らが制作したという弁財天を発見。彫刻風土のパーツとして提供してもらうことに。雨ざらしで胸部の損傷が激しいため、頭部のみを切り離し修復して使用します。
■写真下:『南工房』の南社長に銅町特有のるつぼ(金属を溶かすための容器)の運搬補助器具について説明を受けている西さん。鋳造家同士の話は、こと設備については尽きることがありません。「るつぼ」は、西作品の重要なモチーフです。

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28日から彫刻家・西雅秋氏が来校し、芸術研究棟116号室で滞在制作がスタートしています。
先週の金曜日には『彫刻風土への旅』と題し、制作をサポートするボランティアスタッフとともに山形県内の鋳物工房を訪ねてまわりました。

山形市は古くから鋳物が盛んで、市内を流れる馬見ヶ崎川沿いの銅町周辺には、茶道具や仏具などを手がける伝統ある鋳物屋が軒を連ねています。
今回の旅の目的はその倉庫を探索すること。
鋳物屋さんの倉庫には、過去にブロンズに鋳込まれた様々な造形物の原型(石膏や木製のもの)が捨てるわけにもいかず、引き取り手のないまま保管されてることが多いのです。
これらは地元のお寺に納める仏像や、著名人の胸像や、公園のモニュメントや、学校のエンブレムなどで、暗い倉庫には、土地の信仰や記憶にまつわる様々な造形が堆積しています。古い民家に掛けられている肖像写真、あの感じです。

西さんは厚い埃に覆われた倉庫の中をゆっくりと時間をかけて捜索し、仏頭や蓮弁、獅子のレリーフなどを、大学の能舞台に設置する予定の作品『彫刻風土』のパーツとして持ち帰りました。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典
■写真上:牡蠣殻に似たシリコン型に石膏を流し込み、硬化を待って型を外すと、白いコケシが姿をあらわします。
■写真中:山形で収集した石膏のモチーフに、作家の工房周辺で丹精された野菜の型も加えられ、作品「彫刻風土」の解釈は、西さんの飯能での生活も抱き込んでひろがっています。
■写真下:彫刻・建築・洋画・日本画・工芸・美文etc...様々なコースから集まった15人の学生チームが、揃いのツナギで制作に参加しました。
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雨の大学祭の真最中、悪天候にかえってハイ・テンションな賑わいを見せたキャンパスの一隅で、西雅秋さんの滞在制作が進められました。
9月の滞在時に制作した大小50個ほどの型に石膏を流し込んでいきます。スタッフ一同、作業のコツと流れを把握するとともに、効率アップを目指して増殖していく生産ラインは、当初予定していた2つの研究室ではとても間に合わず、廊下にまではみだしていきました。
10月28日の夕刻、完成したこれらの集積のまわりで舞踏『時の溯上』を披露する予定の森繁哉さんは、この現場を「焼き場の骨ひろい」と形容し、西さんは、透き通るように薄く鋳抜かれた石膏の野菜を「食べるために並べる」と言って学生たちを惑わします。
和気あいあいと進められた夏の型作りに比べて、不思議な緊張感が張りつめていた鋳込み作業の3日間は、石膏に写し取られた「食」や「性」の断片から、脆くはかない命の営みを抽出する行為のように思われました。鋳抜き作業場は29日から朝日町の廃校へと場所を移し、オープンスタジオとしてその行程の全てを一般に公開されます。
旧立木小学校でのプロジェクトは、建築学科の有志学生と西さんの共同作業として進められ、廃校に残された、かつてここで学んだ子どもたちの記憶を留める様々な品々とともに、即興的に構成・展示されていく予定です。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
『西雅秋ー彫刻風土ー』水上能舞台におけるインスタレーションイメージ
コメント:「気溝には落ちこんで行く。そして気柱が舟と流されながら鬼(鬼瓦)までも突き上げる。外の展示こんなイメージです」西雅秋

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先に開催した西雅秋氏の特別講演でも周知した通り、この夏、現代美術家の西雅秋氏が本学に滞在し、山形をテーマにした大規模な現地制作に着手します。今回紹介したのは、西さんから届いたばかりの作品プランのスケッチです。

このスケッチによると、全長7メートルの最上川の川舟(木製)を能舞台に移設し、その中に山形県内の鋳物屋から収集した仏頭を中心に、山形を象徴する「かたち」を石膏で鋳抜いたものを大量に積み上げていくという、実に壮大なインスタレーションが示されています。
美術館大学構想室では、この夏期休業期間を利用し、スケッチに示された作品を西さんと一緒に制作してくれる学生スタッフを大募集しています。これは単なる「お手伝い」ではなく、西雅秋というアーティストと、参加者とのコラボレーションによるアート・プロジェクトであると認識ください。
サポートの詳細は以下の通りです。

□西雅秋滞在期間:8月28日(月)〜9月9日(金)約2週間
□活動内容:山形を象徴する「かたち」のリサーチ+収集
      シリコン・石膏による型取り+鋳込み作業
□活動場所:研究棟116号室・西雅秋特設工房

*事前説明会を8月3日17:30〜図書館の学習室(1F奥の小部屋)でおこないます。皆様お誘い合わせの上、ぜひご参集ください。

連絡先/美術館大学構想室学芸員・宮本武典
miyamoto@aga.tuad.ac.jp/023-627-2043
■写真上:山形市は馬見ヶ崎川沿いのカフェ「エスプレッソ」でくつろぐグラフィックデザイナーの立花文穂さん。トレーラーを改造したこのカフェは『I'm here.』展の会場の一つ。この日はここでのインスタレーションを担当する大学院生のメンバーも来ていて奥のテーブルでミーティングをしていた。万華鏡を覗いているのはウチの奥さんで、テーブルには僕の大好きなバナナジュースが。
■写真下:肘折温泉郷への道中にある日本最大級の杉の巨木「クロベ」の前で。大蔵村在住の舞踏家・森繁哉さんのラブコールで、立花さんの山形ロケハンは大蔵村に飛び火。
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4月11日に今年のレジデンス作家でグラフィックデザイナーの立花文穂さんが山形にいらっしゃいました。キャンパス内の活動場所や、宿泊施設などを見ていただき、秋の滞在期間中の活動内容について打ち合わせました。
芸工大における立花さんのアーティスト・イン・レジテンスは、『舟越桂展』のドキュメントブックの制作が主な活動になります。ブックでは舟越作品の魅力を、アトリエの緊張感や、鑿跡のマテリアルや、作品と人々との関係・出会などを記録する、「コト」のドキュメントとなる予定です。

また、本の編集過程は、色校正や、アイデアメモなどを随時壁面にクリップする形で、10月中旬の期間中、大学図書館内の特設編集室周辺でリアルタイムに公開されていきます。これ自体が既にインスタレーションみたいですね。ちなみにこの企画は、舟越展とあわせて、11/15〜12/20の日程で京都造形芸術大学ギャラリーオーブにも巡回予定です。

先週の月曜日に、世田谷区経堂にある舟越桂さんのアトリエでお二人を引き合わせたところ、数年前に舟越さんが出演していた資生堂のCMの映像ディレクターが、立花さんの実兄であることが判明。やっぱり、ご縁があったのですね。
この日は赤々舎の姫野さんも交え、打ち合わせはアトリエ→焼肉店→カフェと場所を変えながら深夜までおよび、その中で舟越さんのアシスタントの中野さんの奥さんが、何と僕の高校の同級生(奈良市の高円高校)であることが判明したり…とまあ、多角的に出会いを楽しんだ一夜となりました。

お二人のコラボレーションは、赤々舎と舟越さんの所属ギャラリーである西村画廊が、これまた偶然に共同企画し、出版の準備が進んでいた「対話集:舟越桂×酒井忠康」と内容をリンクさせた形で、出版までこぎつけそうです。
舟越作品にまつわるビジュアルの合間に、おなじみ酒井先生の含みのある独特の言い回しによる作品解説が挿入される本を、あの立花文穂さんがディレクションする…一体どんな本になるのか、きっとこのアートシーンに詩的なインパクト与える作品になると確信しています。

それにしても、一つの出会いがどんどん増幅して大きくなっていく。こういう不思議でクリエイティブな感性のリレーに関われることはアートを愛する者として、とても幸せなことです。
しかししかし、現在僕はすでに9個のプロジェクトを抱え、もう息切れ状態。また、その一つ一つが今回のような、実に面白い連携の可能性を秘めているのです。同僚も学生も家族も僕のワーカーホリックぶりにいつも呆れ顔ですが、これはもう仕事を超えた、スポーティーな感覚すらあります。図書館スタッフのみなさん、部屋を散らかしてすみません。理解ある東北芸術工科大学と家族に感謝。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
■写真上:東北芸術工科大学ギャラリーに展示されている舟越桂さんの彫刻『風をためて』(栃木県立美術館蔵/1983年)とデッサン『山について』。『風をためて』の青年の表情に惹かれるという学生が多い。世代的な共感だろうか?
■写真中:2004年の作品『言葉をつかむ手』近影。印象的な手の所作。
■写真下:ギャラリーに入ってすぐのブースに展示された『水に映る月蝕』とそのデッサン。(撮影:イデアゾーン)
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『舟越桂|自分の顔に語る 他人の顔に聴く』展がオープンしています。

初日の講演会には、建築・環境系と「東北学」関係のシンポジウムが同時に開催されていたにもかかわらず、学内外から大勢の人々が詰めかけました。キャンパスで一番ひろい201講義室(座席数450)は、階段通路にまで人が溢れ、あらためて舟越作品の人気の高さを感じました。
ギャラリーには、山形市内にとどまらず、はるばる仙台や福島からやってくる舟越ファンで「静かに」賑わっています。制作や研究に行き詰まるとやってくるのか、神妙な面持ちのリピーター学生も定着しつつあります。

このように人気の高い舟越作品ですから、展覧会がはじまってからも当然のことながら気が抜けません。舟越さんの作品の魅力を的確に伝えていくために、また、今後、これらの作品を鑑賞するであろう何千、何万もの人々に向けて、作品のコンディションを万全な状態で引き継いでいくために、注意を払わなければならないことが山ほどありました。

まず、はじめてキャンパスを訪れる一般来場者向けのサイン計画や、ギャラリーのセキュリティー環境を抜本的に見直しました。また、開催期間中の作品コンディションについては、修復家の藤原徹教授(文化財保存修復センター)に指導を仰ぎ、デリケートな木彫作品を展示するにあたっての、湿度管理や、巨大なガラス窓からの自然光カット、スポットライトの照度調整などについてのアドバイスをいただきました。

受付や監視、ガイド役に志願してくれたボランティア学生60名には、貴重な芸術作品と観客の間に立って仕事をすることの責任を実感してもらうために、オープン前日に舟越さんから直にレクチャーを受けてもらいました。制作者の言葉で個々の展示作品について知識と理解を深めることができた彼らのモチベーションがおおいに高まったことは言うまでもありません。
舟越作品に寄添う学生スタッフたちの日々は、「舟越展staff blog」に綴られています。
http://gs.tuad.ac.jp/funakoshi/

このように、手探りで準備を進めてきましたが、「キャンパスを地域ミュージアムに!」と、日夜学内でアート活動に勤しむ美術館大学構想室は、公立美術館と違って、毎企画ごとに全ての環境(人的・空間的)の立ち上げを一から整えなければならず、正直に言ってこの展覧会は、その規模と重要性において、やや構想室のキャパシティーをこえるものでした。
舟越作品のために働ける幸いを噛み締めながらも、空回り気味の若い人たちの奮闘を、おおらかに受け止めてくださった舟越桂さんには、本当に感謝です。
西村画廊の皆さん、運搬と設営を担当してくれたヤマトロジスティクスのプロフェッショナルなサポートもありがたかったです。

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設営作業が一段落し、翌朝のオープンを控えた夜。
加湿器の水量を確かめてから、スポットライトを落とす前に、ひとり呼吸を整えて、会場を一回りしてみたのです。
暗がりにスポットライトで浮かび上がる『水に映る月蝕』、『言葉をつかむ手』、『月蝕の森で』といった神秘的な裸婦のシリーズと、最新作の『雪に触れる、角は持たず。』で印象的な、彫像の肩から唐突に突き出た「手」が、僕に向かって、背後から包み込むように伸ばされてくるのを感じました。
舟越さんは、「手」について、「その彫刻自体の手とは限らない、誰かの手」というような言い方をしています。「支える手」「抱く手」「祈る手」… 。静寂に包まれたギャラリーで、宙をつかむように舟越さんの彫刻から差し出されたそれらは、他の誰でもない、この展覧会に関わる僕や学生たちの手であるように思われたのでした。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:先週刷り上がったばかりの立花文穂さんデザインによる『舟越桂 自分の顔に語る/他人の顔に聴く』展ポスター。田宮印刷株式会社(山形市)に協力を依頼し、インクの盛りや印刷用紙の微妙なニュアンスにこだわったりと、職人的な試行錯誤を繰り返しながら、立花さんのタイポグラフィーと舟越作品が見事に融合しました。お2人のコラボレーションともいえるポスターです。
■写真中:舟越桂さんの世田谷のアトリエにて。ポスターの素材として立花さんが自ら撮影したアトリエの写真に見入る舟越桂さん(左)。
■写真下:本展出品作の1つ、『水に映る月蝕』とポスターのラフを並べて。
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先月末、夕方の小田急線某駅で、出品作家である舟越さんに展覧会ポスターのラフを確認してもらうため、デザインをお願いしていた立花文穂さんを待ち合わせしました。
アトリエに行く約束の時間の少し前に落ち合い、「いざ、作戦会議」と駅前のドトールで立花さんにポスターラフをはじめて見せてもらったとき… 僕は一瞬、言葉を失ってしまいました。

展覧会のビジュアルとしてはタブーともいえる、作品の、特に「顔」の上に文字が入るレイアウト。
紙面の中央に据えられている最新作の頭部は、眼球(大理石製)がまだ制作途中で、舟越作品に共通する内相的な眼差しに、まだ光は宿っていません。
けれども、微動だにしない彫刻作品の「静」のイメージが良い意味で崩され、秀逸な文字の配置によって、彫刻の肌理で、紙の表層で、何かが起こっている。あるいは、演劇かオペラのビジュアルのように、「其処で、何かが生まれつつある予感」が濃密に発散していました。

これまでは、まるで独立した人間のように、見る者の前で厳かに、無言で屹立していた舟越さんの彫刻が、立花さんの非凡なアートディレクションによって、生々しく唇を動かし、語りかけてくるのを感じました。
担当学芸員として、様々な想像や不安が脳裏を駆けめぐりました。でもけっきょく僕は「これはすごいです。 立花さん」と心から感嘆していました。もちろん、舟越さん本人も立花さんの真正面からのチャレンジを歓迎してくださいました。

最近日本各地を巡回した大規模な回顧展で、作品の「変貌」ぶりが話題となった舟越さん。
きっとこのポスターを見た多くの人が、『自分の顔を語る/他人の顔を聴く』という謎めいたコピーとともに、舟越さんが最近のテーマとしている「スフィンクス」の表象との問答を通して、彫刻家に変貌をもたらしたものの突端に触れることでしょう。
そしてその答えは、山形に展示される11体の彫像と対峙する観客ひとりひとりの心象のうちに明らかになるのです。
10月12日、皆さんぜひ山形へいらしてください。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員

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『舟越桂 自分の顔に語る/他人の顔に聴く』
会期=2007年10月12日[金]〜11月9日[金] 10:00〜18:00(会期中無休/入場無料)
会場=東北芸術工科大学7Fギャラリー 

主催=東北芸術工科大学 企画・運営=東北芸術工科大学美術館大学構想室
協力=栃木県立美術館、西村画廊、赤々舎、田宮印刷株式会社、Apple Store Sendai Ichibancho

特別対談:『自分の顔に語る。他人の顔に聴く。』
舟越桂×酒井忠康(世田谷美術館館長/本学大学院教授)
10月12日[金]18:00ー20:00(開場:17:40)
本館201講義室(入場無料)
『松本哲男展 鼓動する大地』のカタログを紹介します。
デザイナーの豊田あいかさんによるカタログは、ベーシックな文字組の中に、効果的な特色使いや、折り込みを見やすくする工夫が随所に見られ、学長就任記念に相応しい品格のある佇まいに仕上がりました。
4段の折り込みによる『ヴィクトリアフォールズ(ジンバブエ)』の図版は、これまで掲載されたどの雑誌やカタログよりも、この作品の静かな迫力を再現していると自負しています。おかげで、私の拙いテキストもカバーされました、、、。
また、巻頭には松本哲男学長と、徳山詳直理事長、赤坂憲雄大学院長の鼎談を掲載し、画家・教育者・民俗学者の語らいを、東北芸術工科大学の新しい出発を示す本展の導入としました。
20日までの会期中、一部1,000円で販売しています。
【上写真】『ナイアガラ(アメリカ)』設置風景
横幅6メートルの作品を、昌和デザインのスタッフと、日本画コースの学生で設置しているところです。総作品面長が55メートルをこえる本展では、展示スタッフの作業は毎日、深夜まで及びました。
院展の重鎮・松本哲男先生の作品展ならば、本来は美術輸送・展示のプロの業者に委託するところですが、今回は日本画コース生たちの研修も兼ねて、学内スタッフによる設営となりました。
彼らにとっては尊敬する恩師の作品。展示に携われるという喜びと、万が一傷でもつけたら、という緊張のくり返して、疲労困憊した3日間だったようです。


【下写真】『イグアス(ブラジル)』設置風景
東北芸術工科大学ギャラリーには12メートルの作品をかけられる壁面がないため、額をすべて取り払って作品自体を自立させるという荒っぽい展示方法になってしまいました。
写真は『イグアス』パネルを左端から90度に立てながら、順々につないでいっているところ。
またギャラリー中央には大きな吹き抜けがあり、「ロ」の字を描く廻廊型の空間であるため、各作品に微妙なアールをつけて、観客の歩行導線を滝の水の渡りに沿って緩やかに巡回させました。
松本先生には「こんなに絵を素っ裸にされちまったことは、これまでなかったなぁ」と苦笑いされてしまいましたが、日本画の屏風の伝統をモダンにアレンジした、斬新な「滝めぐり」の景観になったと思います。
■上写真:第1回打ち合わせ風景
左から、デザイナーの豊田あいかさん、松本先生、昌和デザインの小野社長、jazz & nowの寺内久さん、私

■下写真:作品集荷時のひとコマ
左から、日本画コースの番場三雄先生、私(後頭部のみ)、松本先生の奥様、松本先生、博士課程の高橋さん、谷善徳先生

infomationのコーナーでもお知らせしている通り、現在本学では松本哲男教授の学長就任を記念した展覧会『松本哲男展 鼓動する大地』を開催中です。
年度末の人事決定を受けて一気に立ち上がった本展。
ちょうど年度末のアニュアルレポート編集と、個人的には先にお伝えした3カ所同時開催の個展と重なって、まさに寝る間も惜しんで、骨身を削っての準備となりました。
とはいえ、松本先生とは昨年夏のヴェネツィア・ウ゛ィエンナーレ視察旅行でご一緒して以来、気心がしれていたこともあり、この若輩者に最大限の協力をいただき、また展示関係者の心強いサポートあって、右往左往しつつも、何とか無事オープンとなりました。
ここでは、この展覧会に関わってくださった方々を紹介させてもらいます。

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まず【上写真】の風景ですが、展覧会が決まってすぐに、「とにかく実際の作品を見ましょう」ということで、関係者そろい踏みでアトリエにお邪魔したときのスナップです。

豊田あいかさんは昨年まで『BT美術手帖』のエディトリアルデザインに関わっていたフリーのグラフィックデザイナー。本展のフライヤー、ポスター、カタログのデザインを手がけてくれました。私とは武蔵野美術大学での同期で、夫君も親しい友人で彫刻家です。

昌和デザインの小野社長は、展覧会の会場施工をいつもサポートしてくれている業者さん。今回は、横幅12メートルの作品を直角に自立させ、なおかつ弧を描くように設置するという難しい要求をクリアしていただくために、事前に作品の構造確認をお願いしました。

寺内久さんは、インプロビゼーション(即興演奏)のコンサートをコーディネートしている方。以前、原美術館のギャラリーで寺内さんが企画された、ポロックやロスコなどのアメリカ抽象表現主義の絵画に囲まれての演奏会のインパクトが忘れられず、音楽企画・立案をお願いしました。寺内さんのコーディネートにより、4月28日(土)の夕方、京都造形芸術大学での巡回展初日に、韓国のサックス奏者Kang Tae Huanを招いての絵と音楽のコラボレーションが実現します。

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続いて【下写真】は、山形展のための作品をアトリエから運び出している時のひとコマです。1971年作の『ヴォルヴドュール』は、松本先生が結婚された年に描いた作品。
それなのに院展を落選してしまって、新婚早々落ち込んだというエピソードを奥様を一緒に苦笑いしながら披露されているところです。
仲の良い松本夫妻は並んで立ってぴったり収まる感じです。
奥様は日頃から松本先生の作品やポジフィルムの出入りを管理されていて、カタログ制作時には大変お世話になりました。
また、この日は芸工大の日本画研究室の方々が応援に駆けつけてくださり、倉庫から作品を出して梱包を解き、痛んでいる箇所には修復を施して再梱包・積み込みと、3時間程の作業に力を貸していただきました。
■写真:『Eden』1999年/宮本武典(武蔵野美術大学大学院修了制作)
液晶プロジェクター映像、曲げ木椅子、髪の毛、ガラス etc.
武蔵野美術大学美術資料図書館写真スタジオでのインスタレーション風景

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卒業修了制作展のコーディネートを、美術館大学構想室が担当することになりました。そして今、芸工大ではこの「卒展」のあり方について議論が巻き起こっています。

これまで東北芸術工科大学では、卒展会場をキャンパス内だけでなく、山形美術館(日本画/洋画/工芸/彫刻/写真の展示)や、市内の映画館『ミューズ』(映像)に分散させて開催してきました。それを、今年度からキャンパス会場で一本化するという改革を、松本学長が提案されたのです。
大学内のギャラリーや劇場を活用するだけでなく、学内の一部のアトリエやラボも展示空間にリノベーションして、「制作の現場」を「公開・交流の場」に改造していく。それは、借り物の「箱」に収めるのではなく、制作現場の熱気を感じながら、その成果を来場者に見ていただこうというものです。
もちろん、提案の背景には、定員増による従来の卒展展示スペースの不足や、会場の分散化による鑑賞導線の困難さなど、様々な現実的な要因があるのですが、一番大きなコンセプトは、卒展を東北から発信するアートとデザインの「展覧会」として、メッセージ性のある、魅力あるものにしたいという思いです。

昨年夏、松本哲男学長はベネチア・ビエンナーレの視察に出られました。
ベネチアでは「アルセナーレ」と呼ばれる赤煉瓦の造船所群が展示会場として利用されていました。過ぎ去った大航海時代の記憶を留める古びた空間に、新しいアートが、新しい世界からのメッセージを運んできていました。
僕も同行しましたが、公園内に林立する各国のパピリオンを、炎天下をものともせず、誰よりも熱心に見て回っていたのが松本学長でしたね。(ただし、ビール片手に)海の上に浮かぶ小さな都市・ベニスに、点在するアート・パピリオンを巡りあるく行為は、あたかも世界とリンクする自らの「声」を聞いて回る、内省の旅のように感じられたものでした。
山形の僕は、「新しい卒展」担当者の一人として、様々な立場の、様々な視点からのヒヤリングに奔走している毎日を送っていますが、松本哲男学長をはじめ、執行部の先生方の、新しい卒展創造にかける意欲は、確実に大学を活性化していると感じています。サポートする僕たち大学スタッフは「卒展とは何か? 」の根本を問う一連の試行錯誤の果てを、クオリティーの高い展覧会として結晶させねばなりません。

今年もオフィスで迎える朝が多くなりそうです。

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上の写真は宮本自身の懐かしの作品『Eden』の会場風景です。
大学院の修了制作として発表したこのインスタレーションも、キャンパス内のデットスペースを活用した展示でした。
民族研究室でアルバイトしていた僕は、民具の倉庫として使われていた美術資料図書館内の写真スタジオを作業中に偶然「発見」し、現状復帰とスタジオ内の整理清掃を条件に、展示空間として使わせてもらったのでした。ほとんどの学生たちが足を踏み入れたことのない、大昔のスタジオ器材の墓場のようなこの部屋は、見方によってはハードなコンクリート壁と完全暗転が、映像のプレゼンテーションには最適でした。
友人たちに手伝ってもらいながら、1週間かけて山のような民具を移動し、十数年分の分厚い埃を拭き清め、重たい撮影機材を整理しました。それから油絵学科のモチーフ室に交渉して、モデルポーズ用にコレクションされていたヨーロッパ製の古い曲げ木椅子を大量に運び込み、仮設の劇場をスタジオ内に組み上げました。照明機材はスタジオのものをそのまま流用し、ダンサーやミュージシャン、映像作家に協力してもらってパフォーマンスを映像と組み合わせたインスタレーションとしました。
展示施設として「発見/発掘」された地下墳墓のようなこの「忘れられたスタジオ」は、今では後輩たちの重要な展示会場として卒展やその他の企画展会場に運用されているようです。

美術館大学構想室/宮本武典