哲学をな・・

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朝、真っ白な霧が上がると、にぎやかな光景が顔をだす。紅葉するモミジやドウタン、桜などの木々に、色づく柿やリンゴの実の数々。里の秋はそんな光景にあふれている。
庭のリンゴの樹の下をくぐり、我が家の畑に行ってみると、大根や白菜はすでに充分に成長していた。
 雪がくる前に庭木を雪害から守る作業も忙しい。
 山里の深まりゆく秋。冬を前に忙しく働く勤勉な農民たち・・。とまぁ、読む方々は全体を美しく想像してしまうに違いないが、このことをその渦中にいる百姓、それも決して若くはない俺の視点から語れば、また違う風景が出てくる。それれも決して悪くはないが、言うほど美しくもない。そしてな、それをただ外から風景としてみていたのではまず、分かるまい。あえて語ればこんな話になる。以下。
寒くなりましたねぇ。
畑で冬野菜の世話をしていますと思わず鼻水がタラァーッと出てきます。ズーズーッとすするのもなんですから、ヒッと手鼻をかむ。鼻水が霧状になって飛んでいきますぞ。決して手にかかったりはしないね。その辺は熟練ですねぇ。慣れたもんですよぉ。
 どんよりとした寒空の下、頬っかむりして、蟹股で、少し腰の曲がった大男が手鼻をかみつつ野良仕事に励んでいる。こんな姿は、晩秋の雪国に似合いますねぇ。寒村の風景ですねぇ。絵になりますねぇ。でもどこか切なげですねぇ。哀しげですねぇ。憐れさが漂ってますねぇ。
 そう言えば近ごろ、頭のてっぺんで季節の移り変わりを感じ取れるようになりましたぞ。数年前からです。改めて体験してみると・・驚くほど新鮮な感覚ですねぇ。冷気が無防備な頭をジンジン刺激する。こんなことになろうとは想像していませんでしたよ。
 秋の陽はすぐに落ちて、夕暮れが足早にやって来る。昔、晩秋の黄昏時ともなれば人恋しさが一層募り、センチメンタルな気分になったものですが、この歳になるとそれは無くなり、ただ恋しいのは人ではなくお酒。色気もへちまもあったもんじゃありません。でも冷えた身体には熱燗が一番。おちょこに注いだお酒をグィッと一つ飲み干せば、熱いものがあっちこっちに浸み込みながら降りて行く。良いですねぇ、この感じ。
 飲むほどに、酔うほどにどんどん気分が高揚し、「コメがあり、野菜があれば勝ったも同然!文句アッカ!!」などと鼻息荒くして、ついさっきまで、腰が曲がったの、髪の毛が禿げ上がったのと言っていたのが、古風な言い方だけど、「矢でも鉄砲でももってこい!」となるんですね。背はデカいけど、根が単純なんですねぇ。
 冬を含んだ秋。その物悲しさを含め、決して嫌いでないなぁ。秋から冬、それは一つの生命の終わり。鮮やかな紅葉は、枯れ行く冬の前の一時の化粧、終わりゆくいのちの華やぎ。その移り行く季節に浸りながら、我が身の来しかた行く末・・、つまり・・人生を考えて見るのも悪くはない。なっ、分かったべ!ヒッと鼻水飛ばしながら哲学してんだよ。外からではなかなか分かんないだろうがな。

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