ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」 
粉雪がうなりを上げて横に流れて行く。そんな吹雪の朝、鶏舎に近づくと中からにぎやかな小鳥たちの声が聞こえて来た。そっと中をのぞいてみたら・・なんと、100羽を超えるスズメたちがニワトリたちと一緒に仲良く餌を食べているではないか。普段なら決してこんなことはありえない。鶏舎の主は、エサ場に近づく小鳥たちを見ると「あっちに行け!」と言わんばかりに飛び掛かって行き、追い払ってしまうのだ。今までも幾度となくこんな光景を見て来た。

 でも今朝は違う。「さぁ、こっちに来いよ。一緒に食べよう!」言葉にすればこんな雰囲気だ。外は吹雪。酷寒の世界。雀にとっても外にエサなんてあるわけがない。ニワトリたちにはそれが分かっているのか、決して雀たちを追い出そうとはしないのだ。
こんな光景を見て短歌ともいえない以下のような歌を詠んでみた。
「ニワトリと雀が餌を分け合っている
      吹雪の鶏舎(こや)の如月(きさらぎ)の朝」

 この光景には教えられたよ。おい、人間、しっかりしろよなってな。言ってみたら雀は「難民」。あ〜ぁ、俺なにやっているんだろ。

(写真は梅の木にとまっている雀たち。見えるかな。ダブルクリックしてみてください。たくさんの雀が見えます。)
https://www.youtube.com/watch?v=p2uxf9CunF4

私が27歳の農民駆け出しのころ、ギリギリのところで支えられた歌だ。加藤登紀子さんのコンサート、川島英五の歌を歌っていた。
歌の途中から肩が震えて止まらない。熱いものがどんどん込みあげてくる。涙が堰を切ったようにあふれだし、滴り落ちる。声に出ないように下を向いて堪えていたが、嗚咽が止まらない。
生き方を探して煩悶していたとき・・・・・・。様々なことが走馬灯のように頭を駆け巡っていた。「菅野さん、大丈夫ですか?」
俺が普通でないことを見た南郷の友人がそばに寄ってきたが、それ以上声をかけずに戻って行った。
 
それから約30年後の2008年ごろ。千葉県の鴨川にある加藤登紀子さんたちが主催する自然王国でお話しする機会をいただき、伺った時の事、楽屋で加藤登紀子さんとお会いし、二人だけだったので思い切ってあの時のことをお話しした。すると黙って立って行った加藤さんがギターを持って戻ってくるとそっと歌いだした。
君が悲しみに心を閉ざしたとき・・・
あの時の歌だ。またまた涙があふれてきた。あの時の感情が戻ってきたことはもちろんだが、もう一つは加藤さんの温かい気持ちがうれしくて・・

ま、こんな俺にも人並みにいろいろあったと言うことです。
https://www.youtube.com/embed/Cu1C4U5LHuE
ちょっと懐かしい歌。学生の頃にはやっていた。
金がなく、いつもお腹がすいていたし、着ているものも粗末なものだったけど・・夢があった。もちろん辛さの方がずっと多かった・・そんなときに口ずさんでいたような気がする。若かったねぇ。

冬の2月は雪、ゆき、雪のまっ白い世界だ。
今日の最高気温はマイナスの2度。
この寒さは尋常じゃない。

今は夜。どんな音もしない静寂の世界。
こんな夜なんだよね、窓の向こうの雪明かりの上を右から左にスーッっと、
白い和服をまとっただけの雪女がとおり過ぎていくのは。
彼女、 大丈夫かな・・そう思っても、決して部屋の中に誘ったりはしていけないよ。
そんなことをしたら、明日の朝、俺は凍った姿で発見されるに違いないのだから。
そりゃ、幸せそうな顔をしているかもしれないが。

先日、「雪女には気を付けよう」との村の回覧板が回って来た。
俺も気をつけなければならないな。すぐに人を寄せたがるから。
悪い癖だよ。

(下は朝日連峰と俺たちの村。右の雪原は村の前に広がる水田)
宮崎県で鳥インフルエンザが発生したという。今年の冬はこれで131万羽。すべて殺処分だ。この事実は重い。
本来、歩いたり、走ったり、飛んだりできる鶏たちの自由を奪い、身動きのできないゲージ(カゴ)に彼らを無理やり押し込んで飼育する。鶏たちにとってはつらく切ない日々。
金魚鉢の金魚や、動物園の象だって、自由を奪われ不幸には違いないがここまでではない。そんな日常の中からは自然の病原菌に対する抵抗力、免疫力なぞ生まれるわけがない。挙句の果ての殺処分。

 鶏たちをその状態に追い込んでいるのは、「経済効率」というものだ。鶏たちを不幸な境遇に置くことで人間が幸せになれると思っている価値観だ。1パック100円台に喜ぶ我々だ。
でも、それが我々の喜びか?それで幸せになれるのか?生き物たちはそれぞれ別個に存在しているのではなく、それらはつながりの中で生きている。一つの生き物の不幸が回りまわって人間の不幸につながっていく。どうしても私にはそう思える。

 EUでは2012年1月から鶏たちをゲージで飼うことを禁止したという。いかに経済動物であっても、処理される直前まで、その動物らしい生き方、暮らし方を保障しなければならないとした。

 一方、日本では鶏たちの周りにそんな風は少しも吹いていない。鶏どころではないと言うことだろう。我々自身がゲージの中にいる。鶏たちを解放するには、まず我々自身が「経済効率」のゲージ飼いから解放されていなければならないということか。
  (写真は我が家の鶏たち)
パレスチナ6報

ジャマインの村に向かいながら、RWDS(農村女性による開発協会)のリーダーの話を思い起こしていた。
「パレスチナはA地区、B地区、C地区と別れています。」
A地区とは行政をつかさどる権利、治安を守る権利の両方がパレスチナ側にある地域。B地区は、行政権はパレスチナにあるが治安権はイスラエルにある地域。C地区は行政権も治安権もイスラエル側にある地域。

 C地区は特に悲惨だ。いきなりイスラエル軍がやってきてブルドーザーで家を壊す。軍に守られたユダヤ人の入植者が、もともと住んでいるパレスチナ人の家屋を焼き討ちして追い出す。育てたオリーブの木を伐採する。抵抗する者への逮捕も毎日のことで、13歳の子供でも逮捕していく。殺戮さえ日常的に行われているという。

 ジャマインの村はB地区。それでも成人男子の二人に一人がイスラエルに逮捕された経験を持つと言うことだ。
 ユダヤ人の入植者は地域の水源地、作物が育つことのできる農地から優先的に占拠してきた。その結果、パレスチナ人は水がなく、作物が育ちにくいところに追いつめられてきたという。

 ジャマインの村に入って、周囲を見たら、1kmほど離れた小高い丘の上(水源地)にユダヤ人入植者の村が見えた。下がパレスチナ人の村。
友人、知人のみなさん

山形の百姓・菅野芳秀です。
ここに、2016年12月2日、北海道がんセンター名誉院長の西尾正道氏が
参議院のTPP特別委員会で意見陳述をした動画があります。
17分の動画ですので、ぜひ、ご覧ください。
できれば一人でも多くの方に拡散いただければありがたいです。
 下をコピーして検索してください。
動画画面に行きます。
http://useful-info.com/dr-nishio-shows-idea-in-tpp-diet

                           



俺たちの村は穀倉地帯のど真ん中にある。減っているとはいえ地区民40戸のなかの14戸がコメの販売農家で、農民の平均年齢は65歳だ。
重太さんは専業農家で75歳。3.5ヘクタールの水田を夫婦で耕している。その重太さんの家にお茶に寄ったところ、すでに同じく専業農家のケンちゃん(78歳)も来ていて、話題はどうにもならない安さの中でいつまでコメを作り続けることができるかの話となった。

 今年もコメの価格はどうしようもなく安い。生産原価より販売価格が安いという状態は十数年続いてる。

「いま使っている機械が壊れた時かなぁ。」と重太さん。たしかに農業機械はいずれも高額で、更新する段になれば誰しもが考えるところだ。
「俺は死ぬまでだな。お金になるからコメを作り、ならないからやめたとはならないな。借金増えても、また機械を買って頑張るよ。」はケンちゃん。この言葉に触発されたように重太さんも話を重ねた。
「俺も損得でコメ作りをしているわけじゃないからなぁ。やっぱり俺にとってもコメ作りは人生そのものだからよ。人生は赤字が続いたからやめることにした、あるいは黒字だからもうしばらくやってみようか、とはならないべ?米作りもそれと一緒だよな。」

 すごい話になって来た。確かに今までコメづくりをやめて行った人のほとんどが、倒れたり、病気で動けなくなってのことで、稲作が赤字だからという理由は聞いたことがない。もちろんとんでもなく赤字なのだが、村の農民にとって、コメ作りは経済の領域ではなく、人生そのもの、生きることそれ自体なのだろう。どんなに環境が変わろうとも、春になれば決まったように芽出しを行い、田を起こし、苗を植え続けてきた。
 でもな、だからと言って甘えてはいけない。付け上がってはいけないぞ。この人たちが本当にできなくなった時、田に苗を植えなくなった時が農業というよりも、日本自体の終わりなのだろうと思う。そしてな、脅かすわけではないが、その日が意外に近いような気がしてならないのだ。

 パレスチナ・ヨルダン川西岸の中核都市ラマラからジャマイン(人口6千人)に向かう。その村では有機物の堆肥化と作物の地域循環を進めようと女性団体が待っている。

 風景は丘のような山並みが続く。その山には自然の木や草が極端に少ない。見える木々は植えられたオリーブの木。地肌がむき出しになっている。その土も我々が思う土ではなく、植物の生育環境に適しているとはとても思えない、風化した岩石のような「土」だ。そのような光景が山から里まで続いている。乾期だとは言うが、見慣れた日本の緑の山々からすれば、まったく異質な光景が続く。これがパレスチナか。

 水はどうしているのだろう?森があるから水が蓄えられ、涵養もされる。これではそれもできない。雨が降ったらさっと流れ、あとはすぐに干ばつが始まるに違いない。聞けば、わずかな水源地もたいがいユダヤ人に支配されているという。ここで暮らすことは容易ではない。水一点をとってみてもそれが分かる。

 村に入り、畑の上に立ってみた。乾いた「土」と貧弱な作物があった。

トランプが勝った背景にはグローバリズムへの拒否がある。イギリスのEUからの離脱決議と同じ根っこだ。韓国の朴大統領への批判の底流にも韓米FTAに象徴される巨大企業優先の政治・経済政策と, そこから生じた絶望的な格差と生活危機があるはずだ。

グローバリズムは終わりに向かっている。しょせん、わずかな巨大企業と富裕層が圧倒的多数の人々を収奪する仕組みが、世界に根っこを持って定着することなどはありえない。

 ただ、その向こうにある岸辺が見えないから、人々は足ぶみをしているように見えるだけだ。しかし、その足踏みも少しずつ力強さを持ってきていることに気づかなければならない。
 
 時代の大きな転換期の始まりだ。
タイの農民運動リーダーとして有名なバムルーン・カヨタさんがアジア農民交流センターの総会に参加するために来日。その前に置賜を訪ねてくれた。
彼と始めてあったのは1986年の「フィリピン小作農民と連帯する国際会議」でのこと。
カヨタさんはタイ代表の一人としてそこに参加。私も三人の日本代表の一員として参加していた。通訳はいたのだが日本から参加した二人の重鎮に付きっ切りで私まで届かない。
 会議場にただ座っているのもつまらないと、外に出たところで同じ境遇の彼と出会う。お互い貧弱な英語で意気投合した。以来30年の付き合いだ。
 やがて多くの人士の参加を得て「アジア農民交流センター」(共同代表;山下惣一・佐賀県農民・作家)の結成となっていくのだが、彼と彼の運動がタイのみならず、日本の私たちにも大きなインパクトを与えて来たことを思いながら、改めて30年間を振り返っている。

(アジア農民交流センターの模様は写真が手に入り次第、報告します。)
 大正大学地域創成学部1年生6名の長井地域実習が終わった。
9/20〜10/29の40日間、我が家の近く、朝日連峰のすそ野にある「大正大学セミナーハウス」を拠点に、長井市―飯豊町の地域づくりを研修した。
 地域づくりの現場を回りその当事者の話を聞き、企業を訪れ、その志に触れ、行政、市民の声を聞き・・、それらを座学で消化しながらの40日間。学生たちはよく頑張ったと思う。
 3年生の時に同じメンバーでもう一度やって来る予定だ。卒業後は、地域づくりの力強いスタッフとしてそれぞれの地域に迎え入れられるだろう。

 ユウマ、ユキ、ケンゴ、メグミ、モエ、ショウゴの6名。われら長井市民の子どものような存在になった。私は大正大学を「伸びしろの大正大学」と呼んでいる。3年生としてやってくる2年後、どんなにたくましくなっているか。その日を楽しみにしている。その時は少しお酒も飲めるだろう。みんな待っているよ。

(前列6名が学生。真ん中が学生たちと40日間ともにされた北郷先生だ。)
俺、こんなの好きだなぁ。

下をコピーして検索してください。
1から2に進めば動画があります。

https://hashmedia.net/7095

 「署名も批准もするな!」
 TPP署名式の直前に国連人権理事会の独立専門家アルフレッド・デ・サヤス氏(Alfred de Zayas)が各国政府にたいして異例の呼びかけ」
下を検索すれば本文が出ます。
https://t.co/0ANgwwupoT

<以下は私の文>

「TPPとは巨大企業が国を植民地にすることだ。」
これはアメリカのNGO・パブリックシチズンのローリーワラック氏の言葉だ。
本質をついていると思う。
TPPとは巨大企業がそれぞれの国と国民をグローバル市場に差し出すこと。
もって、共同の餌(エサ)にすることだ。
取り返しのつかない事態が進んでいく。
自公政府はこの(11月)4日にも採決に入るという。
何としても止めなければいけない。


10月29日、「くらしの足元からTPPを考えるシンポジューム」(主催;TPPに反対する人々の運動*協賛;生協パルシステム、日本消費者連盟)に行き、そこで「もう一つの社会づくりを目指す・置賜自給圏構想」と題した話をしてきました。
 「新しい社会は運動が勝利した後から始まるのではなく、抗う運動の中に萌芽が生まれ、準備され、育てられていくのでなければならない。」という趣旨の話でまとめました。
希望は、どこかで我々がやって来るのを待っていてくれるのではない。我々が創っていくものだ。それ以外の希望は決してやっては来ないのだからと。