ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

メモ
菅野芳秀です。
今月20日、病院での長いリハビリ生活を卒業いたしまして、ようやくに退院してまいりました。入院したのが9月6日ですから46日ぶりのシャバの空気と言うことになります。
大勢の方からありがたい励ましの言葉と、たくさんのお見舞いをいただきました。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 見た目にはほとんど障害らしいものはありません。話すこと、歩くことは以前とほぼ同じようにできます。しかし、計算すること、漢字を書くことなどの能力はずいぶん影響を受けました。
15―7などの繰り上がり、繰り下がりの計算ができない。何ぼ繰り上がったのか、繰り下がったのかが瞬時に忘れてしまうのです。記憶としてとどまらない。これを克服するためには、計算をやり続けるしかありません。やり続けることで頭の回路が少しづつ繋がっていくかもしれない。それを信じてやりつづけるしかない。たとえるなら、一人、真っ暗な場所に閉じ込められ、大声を出しても誰も応えてはくれない。それが何日も何日も続く。こんな孤独感を伴った歩みに似ています。

 ずいぶん長い間、小学一年生の問題と格闘し、頭を掻きむしって苦しみ、ようやく解けるようになった時には、誰もいない食堂に顔を伏せて、泣きました。今は加減乗除、ゆっくりですがほぼ解けるようになりました。 
 
 他にもいくつかの障害を受けています。そのためまだリハビリは半ばです。
週に2回、米沢のリハビリセンターに通いながら、失った能力を取り戻すための努力が続きます。これからもまだまだ苦しまなければなりませんが、
しかし、その努力がきっと単なる失ったものを「取り戻」すだけではなく、私の人生にもう一つ違う色合いを加えてくれるに違いないと感じています。

                        2017.10


菅野芳秀です。
ただいま入院していましてブログを見ることも書くこともできない
環境にいます。
たまたま今日は夕方に時間を作り、わずかな時間で対応しています。
10月(今月)18日が退院予定ですので、もうしばらくお待ちください。
反応がない中で、毎日のようにブログをチェックしていただいている
方々には申し訳ありません。
その方々には友情すら感じます。
ありがとうごさいます。



この両者の間になんの関係があるんだい?と言う向きもありましょうが、大いにあるんです。EUでは2012年のドイツを皮切りにニワトリのゲージ飼いを禁止にして、すべて大地の上で飼育しなければならなくなっています。これは食の安全を求める運動と、動物福祉という、如何に経済動物といえども処理される直前まではその動物らしい生活を保障しなければならないという考え方によるもので、ヨーロッパの消費者運動が歴史的に築いてきた世界です。さすがに民意がたかいですね。よくぞ、政府もその運動に合流しました。

 しかしながら、日本は全くそうなっていません。鳥のインフルエンザの際、TVが映し出すように狭いゲージに押し込めたまま。ひどい扱いです。食べる人間の健康、産む鶏の福祉は全く考慮されていません。
 今も大勢のEUの人たちが日本を訪れています。玉子料理もたくさん食べるでしょう。しかし日本には彼らの要請にこたえる玉子はありません。ほとんどゲージ飼いの卵しかないのです。

 さて、オリンピック。それを見越して、さる「三ツ星レストラン」から人を介して我が養鶏場にも問い合わせがありました。でも、残念ながら応ずることができません。お断りいたしました。1000羽の玉子はすでに長井市民を中心に、県内、東京方面にも発送していますが、決まっている方でいっぱいです。余裕がありません。
 でも、選手を含め、これからさらに滞在者が多くなるわけですが、いったいどうするんでしょうね。

ここでも、いのちや健康よりも「生産効率・利益」優先の、「日本と言うシステム」が注目されるでしょう。


<ウナギ再掲>

よくわからないけれど一昨日が土用の丑の日だったんだと。
その日、スーパーに行ったらウナギ、うなぎ・・・。結構な面積をウナギが占領していた。山形の田舎のスーパーでもこれなのだから、全国的にはいったいどれだけの数になるのだろうか?
世間の人はそんなにウナギを食べるのだろうか。
たしかに世界のウナギの70%を日本人が消費しているらしいが
土用だからと言って、村の人がウナギを食べたなんて話、聞いたことがない。ま、あまり話題にするようなことではないけれど。
ウナギを食べても、それらはほとんどが海外からの輸入物。
それで満足しているせいか、古来生息してきた日本のウナギが絶滅危惧種になりつつあることにはあまり関心がない。
日本の食料はほとんど海外からの輸入物(自給率39%)。
それで満足しているせいか、日本の農家が絶滅危惧種になりつつあることにあまり関心がないのと共通する。日本人はおもしろい。。


 6月の下旬、巣立ち。
その日の朝、毎日せっせと餌を運んでいた親つばめが餌を運ばず、巣離れを促すよう働きかけている。数羽がそれに応え巣の外に出る。羽を広げてパタパタするが、飛び立つまでにはいかない。やがて1羽がカーテンレールまでの3〜4mを飛ぶ。もう1羽が玄関の靴の間に落ちる。これは危ない。猫がいたら瞬殺だ。急いで手に取り、高いところに挙げてやる。ここは全員が飛び立つまで、傍にいてあげなければいけない。妻と話し合って交互に見張りの番をやっていた。

 午後になって、最後の1羽が巣の外に出る。やがて大空へ。親子8羽のつばめが我が家の上を「きっ、きっ」とはずむような鳴き声を発しながら飛びまわっていた。翌日、数羽が巣との間を行ったり来たりして・・そして・・どこかへ行ってしまった。あれが別れの挨拶だったのだろうか。

お互い元気ならば来年また会おうな。


つばめが玄関の内側に巣を作っている。そのつばめ、24時間、いつでも出入りできるようにと夜中でも玄関を50cmぐらい開けていた。
早朝、突然つばめが二階で寝ている俺の部屋に入ってきて、張っていたケーブル線の上にとまって、じっと寝ている俺を見ている。
2階の窓は閉めているから、下から階段のスペースを飛んできたのだ。部屋のドアは少し開いていた。
このようなことは初めてのこと。どうしたのだろう?迷い込んできたのか?
急いで部屋の窓を開け、さぁここから外に、と振り返ってつばめを見た。もうそこにはいなかった。下に戻ったのか?
そこで初めて「もしかしたらっ!」と思いあたることがあり、急いで玄関に下りて行った。
やっぱり!
玄関の戸が閉まっていた。内側に巣を作っているつばめは出入りできない。新聞屋さんが閉めて行ったのだろう。すぐに玄関の戸を開け放った。すると、待ちかねたように、つばめはそこからサッと飛び出て行った。
つばめが俺を呼びに来たのだ。開けてほしいと。また、俺がどこで寝ているかも知っていたと言うことだ。なんということだろう!


早朝、道路近くで農作業をしていたら、私より少し年上の人が散歩しながら近づいて来て親しそうに話しかけてきた。
花粉症対策なのだろうか、その人はマスクをして、おまけに深く帽子をかぶっていて誰なのかが分からない。しばらく軽く話を合わせた後で、
「どなたでしたっけ?」と尋ねた。
「えっ、俺が分からないか?俺だよ、俺!」
彼は笑いながらマスクと帽子をとった。
「あぁ、な〜んだ。ようやく分かりましたよ。マスクだし、帽子だし・・、どなたなのかが、全くわかりませんでしたよ。散歩ですか?」
「うん、ここのところ足腰が弱ってきているのでな。歩けなくなったら困るからよ。」
そう言って彼はマスクを着けなおし、帽子をかぶって歩いて行った。
彼の背中を見ながら私は・・はて・・誰だっけ?
こんなことが最近増えて来た。

        (月間「地域人」21号拙文より抜粋)


田植えが終わった。今はあれほどあった朝日連峰の山々の残雪もすっかり姿を消し、いつの間にか濃い緑になっていて、一面に広がる淡い緑色の早苗田とのいい組み合わせとなっている。田の畦には「春シオン」、「忘れな草」、「オオイヌノフグリ」、「ジシバリ」などの色とりどりの野花が咲き誇り、いま田園は美しい。
ところが近年、そんな緑の風景の中に赤茶けた異様な光景が目につくようになった。畦の草という草が枯れているのだ。原因は除草剤。新緑の春なのに・・・と、見るものの心を荒ませる。
葉や茎は風雨が畦を直にたたくことから守り、その根は土をつなぐことでその崩壊を防いでいる。これらのことは農民ならば誰でも知っていることだ。畦の草は刈るものであって、根から枯らしてしまうものではないのだがこの光景は年々広がる傾向にあるのだから切ない。
この背景には1農家あたりの耕作面積の拡大がある。草を刈りきれないのだ。管理能力を超えた規模拡大と、少しでも手間を省く選択としての除草剤。
農民をこのように追い立てるものは、グローバリズムを背景に、「成長産業」として農業を位置付け、小さい農家の離農をすすめながら大規模農家・生産法人・企業の参入を促進しようとする政策がある。米価も今から40年前の価格まで下がり、とても経営としてはやっていけない。小さな農家は米作りから、やがて農業そのものから離れて行った。水田は残された農家にどんどん集まって行った。その農家が断れば、水田は荒地に戻っていく。残った農家はそれが分かるだけに無理を重ねて引き受けようとしてきた。そんな中での除草剤だ。まわりきれないのだ。その政策によって産み出されたのは赤茶けた畦畔だけではない。大規模化にともない農法は化学肥料と農薬に一層依存するようになった。農法の省力化がすすみ、環境政策の後退がもたらされている。更にその農家が倒れたならば村にその代わりはないという状態の中にある。生産基盤がとても危うい。どうなっていくのだろう。畦畔の草はそんな明日の不安も暗示させる。
少しでもこの風潮に抗って行きたい。畦畔の草は散髪しよう。大げさに聞こえるかもしれないが、そこに農業の未来だけでなく、いのちの世界の可能性が広がっているように思えるからだ。そう思う者がまず率先して草を刈り、この美しい田園風景を守っていくことだ。本気でそう思うよ。


元自衛官(防空ミサイル部隊)の泥 憲和さんが先日亡くなられたそうです。彼の「飛び入り街頭演説」が沖縄の友人から回ってきました。少し長いですがあっという間に読み終わります。私は時々FBで彼の主張にふれていましたが、今も新鮮です。大切な方を失ったと思います。下に続く彼の主張は日本国民にあてた「遺言」のようにも思います。

             以下

 「突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。 集団的自衛権に反対なので、その話をします。 私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。 日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。
 いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。 でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。 自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。 そこは、安心してください。
 いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。 日本を守る話ではないんです。 売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。 売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。 それが集団的自衛権なんです。
 なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。 縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、 安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。 君たち自衛官も殺されて来いというのです。 冗談ではありません。 自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。 なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。 自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。 見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。
 みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。 他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。 当然ですよ。 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。 イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。
 みなさん、軍隊はテロを防げないんです。 世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。 自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。 みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。 自衛隊はテロから市民を守れないんです。 テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。 だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。
 安部総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。 みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。 日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。 そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。 アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。
 ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。 米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。 自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。 そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。 どうしたと思いますか。 軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。 そういうものなんですよ、戦争というのは。
 安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。 絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。 自衛隊はたまりませんよ、こんなの。
 みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。 一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。 だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。 私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。 使い方を間違ったら、取り返しがつきません。 ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。 でもね、戦場は国会とは違うんです。 命のやり取りをする場所なんです。 そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。
 みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、 この国の主人公は内閣と違いますよ。 国民ですよ。 みなさんですよ。 憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。 安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。 体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。 そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。
 これからが正念場です。 だから一緒に考えてください。 一緒に反対してください。 選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。 まだまだ勝負はこれからです。 戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。 しっかりと考えてくださいね。 ありがとうございました。」

(2014年6月30日 神戸・三宮の街宣活動に飛び入りで) 元自衛官(防空ミサイル部隊所属) 泥 憲和さん



我が家の水田面積は約420アール(420m×100m)。でも、今年の減反・転作面積は約4割。4割ですよ!米を作付できるのは残りの6割(240a)でしかありません。ため息がでますねぇ。どうにもなりません。そのくせ政府はTPP協議で約束した7・8万トンを含め、およそ85万トンのコメを毎年輸入することにしています。
山形県の総生産量・38万トンの2倍以上の米ですよ。その結果、コメはだぶつき、暴落はとどまるところをしらず、その対策だと称して農家に4割の減反を強い、かくて農業、農村、農家の壊滅的危機が進行していく。我が家の収入のことではなくて、国民の胃袋の問題、いのちの問題としてですよ、不安ではないのかと。自国の食料の生産基盤をここまで壊してなんの取引か!この国の為政者に問いたいですね。


http://www.gen.or.jp/event/events/ev001011.html
来し方行く末を話せと言うことでした。
60代も半ば過ぎの私に
「来し方」はあっても。「行く末」は短くなっているんで
「タスキ渡し」を含んだ話になるのでしょうが・・。

どなたにとっても、語りうる物語がある中で・・
俺が?というテレがありますね。

種まき作業のお茶の時間に、ピーナッツを一つ落としてしまった。それを何気なく拾って口に運んだら、ほかの5人が凍り付いたようになって俺を見ている。えっ、どうした?
「今、拾ったピーナッツを口に入れたか?」
「うん」
信じがたいという顔だ。
作業舎の中の下はセメントだ。そりゃ、長靴にくっついて土も入るだろうし、多少は鶏舎からは鶏糞だって入って来るに違いない。だからどうしたというのだ?こんなんで捨てられたならピーナッツがかわいそうではないか。
「お前さん方は食べないのか?」
一人一人に聞いてみたら、誰も食べると言う人はいなかった。
「菌が・・」
などと訳の分からないことを言っている。
俺たちは地元の菌に囲まれて生きているんだぜ。皮膚にも、体内にも濃密に地元の菌がいてくれて、だから俺たちは生きていける。菌があったって、感謝しながら口に運ぶよ。そりゃ化学物質がくっつくならば俺は食べないよ。お前さん方とは自然観の違い、暮らしのモノサシの違いだね。
  そんなことをわーわー言いながらお茶の時間が過ぎて行った。いよいよ農繁期の渦中だ。


100羽を一群にして、1,000羽のニワトリを飼っている。
鶏舎の中にはしょっちゅう入るのだが、時々オンドリのキックの洗礼を受けることがあり、その度に近所のキヨシさんのことを思い出す。

 面白いことに、彼が鶏舎に入るときまってメンドリたちが数羽、彼の傍に寄ってきて交尾をせがむ姿勢をとるのだ。彼だってそんなポーズをとられたとしても、何かできるわけでもなく、ほっておくしかないのだけれど、でも、そんなメンドリたちを見ている彼の表情が(何を勘違いしているのか)、どこかうれしそうなのが彼の理解しがたいところだ。

 そこに現れるのが、群れの中に一羽だけいるオンドリ。女性の心を奪われてたまるか(たぶん)と、キヨシさんにキックで戦いを挑んでいく。彼はワーワー言いながら身をかわし、鶏舎の外に逃げ出ていくのだが、それにしてもなぜメンドリ達にモテルのかは大きな謎だ。
彼は65歳で当村の農民。
俺が見るところ、別に優しそうな雰囲気を持っているわけではないのだけれど。



昨日、コンバインの整備代金の見積もりと、新しい機械を紹介するカタログをもって農業機械屋の村さんがやって来た。見たらコンバインの整備代金が90万円。勧められた新しいコンバインがなんと500万円。コンバインとは田んぼの中を走る稲刈り機械のこと。前に刃がついていて茎ごと刈り取り、瞬時に脱穀し、モミはタンクに、茎を小さく切断して田んぼにバラまいていく、そんな機械だ。足回りはキャタピラーでできている。

「エーッそんなの無理だ!毎年、絶望的に安い米代金が続いているのに、そんなお金があるわけがない。」と思わず叫んでいた。
昨年の秋は雨続き。稲刈りには最悪の環境だった。田んぼがぬかるんでコンバインが動けない。足回りはキャタピラーだからぬかるみには強いのだが、それでも田んぼのあっちこっちで立ち往生している姿を見かけた。機械が壊れたとの話も聞いた。我が家でも故障をおこし、田んぼまで何度か村さんに来てもらっていた。なにせ、3条刈りのコンバインを中古で手に入れたのが10年ほど前。以来、丁寧に使ってきたとはいえそろそろ故障が出てもおかしくない頃だ。今年は何とか稲刈りを終えたが、きっと機械には多くの不具合ができているだろう。そこで来年に備えて機械屋に点検と整備した場合の見積もりを頼んでいた。あえて修理ではなく、見積もりとしたのにはわけがある。安くおさまればいいが、もしも高い修理代となった場合、この機械は高額の修理に値しないのかもしれない、すでに寿命が来ているのかもしれないとの考えがあったからだ。

 コンバインの一日の稼働時間はせいぜい6時間。モミ乾燥機の容量もあり、それを面積に置き換えれば40a(100m×40m)。年間稼働日数は我が家の場合、11日間で足りる。実際には1か月近くかかるのだが、あくまで稼働日数を言えばこんなもんだ。10年間で110日。もしここで廃棄となれば、130万円で買った中古のコンバインの寿命が10年で尽きたということになる。高額の割には稼働期間が短い。だからと言って機械の共同化はやりにくい。稲も作物、刈りとりには適期があり、またお天気にも左右されやすいので刈りたい時が重なるからだ。

「菅野さん、ここはよ〜く考えてくださいよ。90万円かけて整備する価値があるかどうか。古い機械だから部品がそろそろ切れる頃でもあるしな。」と村さん。
我が家には3つの選択肢が準備されているというわけだ。90万円で修理を行い、なお古いコンバインを使い続けるか。または新しい機械を500万円で買うか。あるいはもう一度中古のコンバインを探してくるかだ。
村さんは「古いコンバインは論外だ。中古も当たりはずれがあって勧めない。菅野さんには若い後継者がいるのだから、やっぱりここは新しく買った方がいいと思うよ。」と言う。機械屋が新しいコンバインを買えというのは当然だろうが、そうは行かない現実があるんだよなぁ。

今年のJAへの売り渡し価格は1俵(玄米60kg)で13,000円前後だ。だけどその生産費は15,000円ぐらいかかっている。農水省東北農政局が言っているのだから間違いはない。生産原価を割って販売する状態がすでに10年以上続いていて、産業としてはまったく成立していないのだ。稲を刈るだけの500万円もする機械などとても買える状態にはない。もし、私に後継者がいなければ稲作はここで終わりだろう。残りの機械をすべて売りに出して、販売農家としては廃業する道を選ばざるを得ない。

 だが、幸か不幸か・・・いや、幸いにもだ。我が家には、殺菌剤ゼロ、殺虫剤ゼロ、化学肥料ゼロを基本とした稲作に情熱を燃やし、直に消費者の台所とつながることで何とかこの苦境を乗り越えようとする若い後継者がいる。息子だ。そのような道を歩もうとしているからと言って決して先が明るいわけではないが・・。
 500万円は重すぎる投資であることには変わりはない。
悩ましい現実が続く。

(拙文・月間「地域人」大正大学出版会・おきたま通信「百姓の独り言」より

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粉雪がうなりを上げて横に流れて行く。そんな吹雪の朝、鶏舎に近づくと中からにぎやかな小鳥たちの声が聞こえて来た。そっと中をのぞいてみたら・・なんと、100羽を超えるスズメたちがニワトリたちと一緒に仲良く餌を食べているではないか。普段なら決してこんなことはありえない。鶏舎の主は、エサ場に近づく小鳥たちを見ると「あっちに行け!」と言わんばかりに飛び掛かって行き、追い払ってしまうのだ。今までも幾度となくこんな光景を見て来た。

 でも今朝は違う。「さぁ、こっちに来いよ。一緒に食べよう!」言葉にすればこんな雰囲気だ。外は吹雪。酷寒の世界。雀にとっても外にエサなんてあるわけがない。ニワトリたちにはそれが分かっているのか、決して雀たちを追い出そうとはしないのだ。
こんな光景を見て短歌ともいえない以下のような歌を詠んでみた。
「ニワトリと雀が餌を分け合っている
      吹雪の鶏舎(こや)の如月(きさらぎ)の朝」

 この光景には教えられたよ。おい、人間、しっかりしろよなってな。言ってみたら雀は「難民」。あ〜ぁ、俺なにやっているんだろ。

(写真は梅の木にとまっている雀たち。見えるかな。ダブルクリックしてみてください。たくさんの雀が見えます。)