湯ノ沢間欠泉湯の華

昭和29年(1954)豊原村・豊川村・添川村の三ヶ村が合併して、
飯豊村が誕生しました。

古くから信仰の山であった秀峰 飯豊山の名を村の名前にしたのは、
米作りが一番の産業だったその時代に豊作への願いが込められていたのですね。

今では、ちょっと恥ずかしい気もするけれど、
「合併して飯が豊かに食える村」が目指すところなのだ!
ったのでしたっ。
正直でひたむきな昭和の日本人の心意気ですよね。
わかりやすいくて、なつかすいぃ〜
ちょっと 涙が出そう・・・
いい時代でしたよねえ、といっても
その当時を知らないあなたに
郷愁はありませんか、
ごもっともです。
そして
昭和33年中津川村が合併して飯豊町の誕生となりました。
時代は平成、
今日はひまわり館で町の検診がありました。
うむむのたわごと
日本中が高度成長に湧いて上昇途上だったあの頃・・・
平成の大合併は、夢膨らませてというものでないでしょう。
逆に、しぼめる企て・・・なあんて、いいたくないけどいってしまうかぁ、この際。
個人的には、ここのように非効率このうえない山間地、冬季は雪に多大なるエネルギーを注がねばならない豪雪地帯にしわ寄せが来る、老後の不安と相まって滅びのイメージしか見えません。お先真っ暗、ひどく落ち込んでしまいます。
企業感覚のリストラで日本人はニポンジンの人格を危うくしてしまい、社会不安はいたいけな非力なものへの攻撃となっているようなイヤナニポンになってしまたー。
たわごとお許しくださいね。ちょぴっと、ほろ酔い。
でも行財政改革、財政危機からの脱出ってお題目でカズノチカラをメジャーにされた日には、好き好んでマイナーなニポンにとどまっている上流人の立ち位置がありませんです。
ちょぴっと、言い過ぎ、、、、
おやすみなさい。


2006.05.31:rokuemon:修正削除


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