木造校舎大暮山分校 白い紙ひこうき大会

木造校舎大暮山分校 白い紙ひこうき大会
ログイン

 大暮山分校は、明治16年に開校されました。現在の木造校舎は、旧校舎が暴風で倒壊した明治45年(1912)に新築されたものです。その後、昭和元年には体操場が、25年には二階と、体操場が増築され、地区の文教の中心としてその役割を果たしてきました。
 しかし、平成11年(1999)3月、校舎の老朽化、児童数の減少に伴い惜しまれながら115年の歴史に幕をおろしました。
 町財政の都合により毎年延期されていた校舎解体でしたが、残念なことに来年2009年には、実施される予定となってしまいました。
 校舎はとりわけ洒落たデザインではありませんが、小さいながらも堂々としたその姿や醸し出す懐かしさは、白い紙ひこうき大会実行委員会のみならず、多くの人を魅了したようです。
 ことのはじまりは、全国の木造校舎を紹介する『ふるさとの記憶 木造校舎』武田信夫著の写真集に紹介されたことにあるようです。平成7年にNHKの特集番組「私のとっておき〜木造校舎」が放送。翌年には「山形酸素」のテレビCMで校舎と子供達の笑顔が県内にしばらくの間放映されました。閉校式の校舎を背にした子供達の最後の記念写真は、明治生命のフォトコンテストに日野イサム氏が応募し入賞、小田和正の「言葉にできない」の歌で有名なテレビCMで起用され全国に紹介されました。そして平成15年、今度はコニカミノルタカメラのテレビCMで、千堂敦子さんをヒロインに、ショートストーリーのロケが行われ、またも全国に紹介されました。ディレクターの方は、東北地方に残る木造校舎を走り回って、イメージにぴったりと選んで下さったそうです。平成19年には、タレント水沢奈子のファースト写真集『Cotton』(彩文館出版)の撮影に使われ、12ページにわたり校舎を背景にした写真が紹介されました。
 その他にも、多くの皆さんが、白い紙ひこうき大会とともに新聞や雑誌、ミニコミ誌、機関紙、写真展などで紹介して下さいました。
 この校舎は、言葉にあらわせない不思議な魅力を持っているようです。真偽のほどを確かめに、ぜひ足を運んでいただけましたら幸いです。
(写真/体育館)
    (2008年春の状況)

 毎年、補修を町に要望していますが、「壊すと決めたものに予算を充てられない」と叶えてもらえず、どんどん傷みは広がってしまいました。体育館ステージ側の屋根の軒先が雪で折られ、剥がれたトタン板のすきまから雨漏りするようになってしまいました。実行委員会で毎年シートを重ねています。