おさむ茶マイルーム

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 週末にかけては寒冷前線が通り高い山では初冠雪も見られるかも知れないという予報が出ていたが、日曜日に蔵王に初雪の便りが新聞に載っていた。寒い冬が恐ろしいほどの早足で近づいている。年のことは言いいたかないが、それにしても月日が経つのが早く感じること。小学生の時の一ヶ月の夏休みは、大人の一ヶ月と比べて見ると、誰も同じ様に感じているだろうが何とも長く感じたものだ。10年生きてきた子供の1年は10年分の1年、50年生きてきた大人の1年は50年分の1年と考えると、子供の時の一年の経験は新しいものの発見の連続の為長く感じ、大人の一年は、同じ体験の繰返しが多い為にあっという間に時が経つと感じるためだろうか。 
 ということは、大人も、常に新鮮な感動を体験をする生き方をすれば長く感じるのかもしれないが、  何だか訳が分からなくなってきた。大人になると、感動することも薄れがちで、喜怒哀楽もすべて経験済みで惰性で生きるようになってきているということなのだろうか・・・?

 近年、50歳からの大人にうつ病にかかる人が多く、3万人を越える自殺者の大部分がこの年代だという。 うつ病は風邪にかかることと同じようなものということだったが、忙しく複雑な現代社会は、本来の人間の生き方には馴染まないのかもしれない。  もっと自然な生き方、まっとうな考え方をすべきなのに、不自然な形で社会が動いていることに対する抵抗力が付いていない真面目な人がかかる病気かもしれない。そんなことを考えながら自分も自分なりに必死で生きているつもりなのだが、自分で納得できる生き方をすることは難しい。  



「昭和は遠くなりにけり」わが町も例外ではなく、平成13年に始まった駅前開発事業により、駅前大通りは一変した。古い建物や商店街が消え去り、新しい町並みできれいな景観に生まれ変わった。その陰で、慣れ親しんだ多くの財産?も失ったような気がしてならない。
 その一つが、寒河江では唯一温泉銭湯として親しまれた「なか湯」も近代化の名の下にひっそりと姿を消していった。きれいな温泉ではなかったが、そこはかとなくひなびた温泉浴場の雰囲気をかもし出し、多くの愛好ファンに支えられてきた温泉だったが…、昭和の匂いのするものが消えるのはやはり寂しい。


 毎日、好天続きの秋晴れが続いておりますが、秋の空といえば男女の移り気の例えに使われますが、ワタクシは男の立場上「女心と秋の空」と覚えていましたが、ことわざ辞典を見ると、ほぼ同じ意味で、「男心と秋の空」と記載されているようです。
 移り変わりやすいというのは、感情の起伏が激しかったり、浮気っぽかったり、熱しやすく冷めやかったり、することなんだろうなと思いますが、同じ人間のことなんだから、男心とか、女心とか、指摘しなくても、「人の心と秋の空」とか、双方含めるかたちのことわざにすれば、良かっただろうに…。

 男性も、女性も今流行の「自己責任」を回避したかったからでしょうか(笑)。心は、そもそもコロコロ変わりやすいから、ココロというなんて言った人がいます。そして、ココロに、孫が生まれて、マゴコロ(真心)なんて言う人もいます。
 いずれにしろ、ことわざでも、語呂合わせでも、 コロコロ変わることが予測されている私たちの心なんですから、あまり期待せずに人と付き合うのも、疲れない方法の1つではないでしょうか。
 まず、自分だけでも心が、コロコロ変わらないよう努力しているつもりですが、こればかりは他人の評価に任せるしかありませんね。

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 11日に行われた解散総選挙は「自民党をぶっ壊す」と広言し、郵政民営化を訴えた小泉純一郎首相率いる自民党が圧勝した。これで実質的に派閥が解体し、これまでの自民党はぶっ壊れたも同然だ。
時あたかも、巨人の次期監督問題がマスコミをにぎわせているが、最有力候補に挙げられていた阪神・星野仙一SDが阪神残留の意向を示したため、来季の星野監督はまぼろしと化した。
 今季、巨人は1度もペナント争いに参加することもなく、ファン離れ、視聴率の低落は目を覆うばかりだ。プロ野球全体の人気浮上を図るためには、巨人の再建は不可欠で、そのためには根本からチームを「ぶっ壊す」必要があるのではないか。投壊は改善されず、一発頼みの打線には限界が見えた。資金力にモノを言わせて他球団からスター選手をかき集めたそのツケは、主力の故障による離脱、戦力ダウンとなって表面化した。「ぶっ壊す」には身内よりも“外様”の方がやりやすい、と巨人も判断し、2年で阪神を“猛虎”に変えた星野氏はその最適任者、と考えたのだろう。
 だが、巨人は星野氏にフラれたため、今後はOBを中心とした人選を余儀なくされる。候補には前監督の原辰徳氏、アテネ五輪で指揮を執った中畑清氏、評論家の江川卓氏らの名前が挙がっているが、果たして身内で「ぶっ壊す」ことができるかどうか。
 一発に頼らない機動力を生かしたスピード野球への転換、若手の育成など、大胆な手術が巨人も必要ではないか。巨人は常に勝利を求められるため、何年計画といった悠長な暇はなく、チーム再建は一筋縄ではいくまい。成功すれば称賛される。が、失敗すれば一斉に非難を浴びる。それに立ち向かう覚悟が、はたして原氏、中畑氏、江川氏らにはあるのか、候補者にのぼったOBらの考えを聞いてみたいものだ。


「あやまちは二度とくりかえしません 」とジロシマの原爆慰霊碑に書いてありますが、たしかにあのあと悪魔の炎は世界のどこにも落ちていない。
 では戦争の名のもとに人が直接恨みのない他国人を殺めていないか、ということには、ノー!
 いやそもそも、他国人と言う意味での、国対国の争いという戦争ということが、個人の思いや意志による攻撃破壊、という形に変わってきている。

 それにしても、核廃絶と叫んでいったい何年になるのか。
 世界でたった一国、同時に2発落とされて。その憎むべき相手が今一番の友人だというのだから。
 今もその友人はガンマンよろしく腰に無数の核をぶら下げては、自分より多い国がないのにもかかわらず、他者へ、不安だから持つな減らせと指さしている。どうだすでに持っている仲間のみんなよ、おれの言うとおりだろう、と。

 そんな友人の腰にへばりつかなくては非核3原則などのお綺麗も言えない国のことは世界周知の事実。ならばといえど本当の意味の独立などしたなら・・
 そういう現実のなかに我々は幸か不幸か今平和を享受して生きている。

 正義というものは、どこかに必ず然として動かず存在しているというのでもなく、みなで辛かった苦しかった悲しかったと涙拭きあえば、それで人間社会が浄化され正されるもので無いようなのだと、過去が教えてくれた。
 時あたかも選挙の真っ最中、メディアの喧騒のなかでは平和の関心薄れつつ、いつでも人は今を生きる手だてで精一杯なのではなかろうか。あの時の人たちの様に。
 だから、だからこそ・・・。


最近、判で押したように定時帰宅が続いておりますが、楽しみはというと1日の疲れを癒す晩酌というやつですか。ワタクシは、胃に負担のかからない、なおかつ濃度?を調整できる利点から専らウィスキー水割り派ですが、最近氷に一工夫加えて目で楽しんでいます。というのも、球状の製氷機で作る氷ですと、ちょうどグラスに収まりがいいのです。球がクルクルと回る様も味なものがありますし、氷もなかなか融けにくいのです。この氷が融けたら、晩酌ストップするようにしています。

 先日、日本海の酒田にいく用事がありました。駅前の大型スーパーが消え、商店街もシャッターを降ろしているのが目立ち、かつての活気が失せているようで一抹の寂しさが…。庄内は米どころ、その象徴が山居倉庫。百年以上も経つ米の保管倉庫が今でも現役で頑張っている。太陽熱を和らげる二重屋根構造、夏の西日、冬の季節風をさえぎるケヤキ並木、人間より米を大切にしたのではと思わせる先人の知恵と工夫には驚かされる。
 この倉庫の一部を利用して、庄内米歴史資料館や酒田市観光物産館がオープンし、観光客でにぎわっていた。でも、かつての倉庫の変貌は、日本農業の衰退をみるような気がして何か寂しい。
 時あたかも衆議院総選挙の真っ最中「郵政民営化に賛成か否か」にかき消されて、農業政策はほとんど聞こえてこない。紛れもなく山形は農業県、後継者不足問題も含めて10年後20年後の姿見えてこない。現政府の農業政策の方向は、農業の担い手を絞りこむいわば農業の縮小再編を前提にした組み立てのようだが、農政の歴史で政府が立案で成功したためしがない。これも、別の意味での「もう一つの地方切捨て」のように思えてならない。


 我々団塊世代の男どもは、ほとんどが野球少年であった。学校から帰れば、人がいようがいまいが、日が暮れるまで野球ごっこに夢中になったものだ。ですから野球は基本的に好きなスポーツな筈だが、試合を見たいという思いは年々失せていくような気がする。それはプロ野球が面白くなくなったからである。特に今年のセリーグは阪神・中日以外のチームはレベルそのものを疑うようなゲーム内容で、さらに面白くなくした元凶は巨人に他ならない。つながりのない大砲ばかりの打線、一塁まで全力で走らない選手達、緩慢な守備・送球などなど。これがプロかと思うようなプレーが一試合で何度見られることか。だから、最近の巨人戦のTV中継はほとんど見ない…というより見たくないのだ。友人も「大リーグは見るけど、日本の試合は見ない」と言っていたが、こういう人が増えているのではないだろうか。    

 日本のプロ野球の衰退はプレー以外にもある。ドラフトの改悪(逆指名)など、挙げればキリが無い。挙げ句の果てが、選手からもソッポを向かれてしまった。野茂、イチロー、松井などの一流プレイヤーの大リーグへの脱出である。これだけでもファン離れの要因になっていると思うが、日本のプロ野球が面白くなくなったと感じている人が増えているということであろう。ファンの目線での改革やオーナーの人心一新も必要であろう。
 今日、高校野球は駒大苫小牧のV2に終わったが、甲子園常連校の行き過ぎた選手集めなどはさておき基本を大事にしたプレーは見ていて気持ちがいい。正月の高校サッカーやラグビーなどでも同じように思うが、一所懸命なプレーはたとえ点差が開いても見ていて面白い。ただし、以前の明徳の馬淵監督の松井に対するランナーのいない状況での敬遠のような采配は見たくない。正々堂々としたプレーを期待したい。結果の勝ち負けではなく、勝負をしてもらいたい。そういうプレーこそプロ野球選手には逆に見習って欲しいというのは、あまりに青臭いか。

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 郵政民営化をめぐる衆院選挙がおこなわれることになった。しかし今回の郵政民営化の法案をめぐって、解散劇までもちこんだ小泉首相の発言には疑問がある。民でやれる事は民でといって、小さな政府をめざすのだという論調。郵政民営化に反対している人たちは、いかにも構造改革に反対している。といった論調だ。  
 しかしどうだろう。民営化そのものの次の姿というか、それによって、国民の負担がどうなっていくのか、どういう形で構造改革に役にたっていくのか、はっきりと示されていただろうか。

 それに、官僚大国をきづきあげ、官僚とべったりで、やってきたのが自民党じゃなかったか。構造改革だ、改革だーといっても、何の構造改革なのか。 道路公団民営化についても、ファミリー企業への天下りが終焉したわけでもなく今年になって談合事件がおきているし、今回の郵政民営化だって、首相が唱える民営化が、どれだけ果たして改革なのか?ということだ。
 小泉郵政改革では、郵貯、簡保で国民が預けている350兆円は、官から民へいくんではなく、財投債というものを買うことによって、道路公団などの特殊法人に流れる。そういう意味では、官から民ではなくて、官から官であるとの事。 やはり偽物の改革なのではないかということである。
 日本は1000兆円もの借金を抱えている大変な借金大国と化している。そうしたのは誰かといえば、官僚大国をつくりあげてきた自民党政治そのものなのではないか。皆さんはどう思いますか?


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 8/1560回目の暑い夏が来ました。「戦後は終わった」というムキもありますが、戦没者追悼式に今年初めて親の遺族が不参加と新聞で報じられていましたから、確かに戦後は遠くなってるようです。戦後生まれで団塊世代は、直接的な戦争体験は持っていませんが、大なり小なり戦後をひきづってきました。
 盛んに平和の尊さを伝えよう!と叫ばれていますが、自分も「現場に勝る体験なし」と5年前にヒロシマ・ナガサキを旅してきましたが、正にそのとおりでした。原爆資料館で目の当たりにした惨状の再現は地獄絵図そのものでした。百の理屈より一つの現場…夏が来ると、今もあの光景がよぎります。
 「二度と誤ちは繰り返しません…」ヒロシマ慰霊碑の文言も…。

職場の昼休みのウォーキングを日課としているワタクシですが、リバーサイドに沿って歩くためか、様々な野鳥と出くわします。今は、かわせみやあおさぎ、秋になると白鳥が大挙して飛来します。鳥のように大空飛べたらどんなにか素晴らしいだろう…なんちゃって、年甲斐も無く少年のような気持ちに浸れるのもこんな時です。
 鳥は臆病なせいか人間を察知するのが早いので、なかなかいい写真撮るのは難しいですが、あおさぎが飛び立った瞬間を撮った貴重なショットがこれ!