美術館大学構想

■写真:『舟越桂|自分の顔に語る 他人の顔に聴く』展オープン前日の10月11日・夕方、展示会場でおこなわれた舟越桂さんによるレクチャーの様子。聴講した学生は、ギャラリーの受付や監視、ガイド役として展覧会の運営に携わっている。
学生たちによる舟越桂展のドキュメントはコチラ→〈舟越展staff〉bloghttp://gs.tuad.ac.jp/funakoshi/
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学生たちに向け、舟越さんが語った言葉の中から、その作品世界の本質に触れていると僕が感じたいくつかのセンテンスを紹介します。内容はすべて宮本のメモより。
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「遠くを見ているような、ここではない何処かを見つめているような眼差しに惹かれます。瞳の黒は、眼の中の影。一番遠くを見るということは、自分の内側を見る行為でもあると思っています。」
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「すでに眼に見えていることをタイトルに使いたくないのです。眼にはけっして見えていない、その彫刻の内部で起こっていることを作品のタイトルにしたいのです。」
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「近作についてよく指摘される〈変化・変貌〉は、僕にとって嬉しいことです。大学院を出たばかりで、〈妻の肖像〉を彫っていた頃は、自分がこんな彫刻を生み出せるとは思っていなかったから。」
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「重力に逆らって〈浮かぶ〉ことは、〈祈る〉ことに似ている、という気がする。」
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「いくつかの作品のタイトルにしている〈月蝕〉とは、見えそうなのに見えない、たったいま見えていたのに、次の瞬間には見えなくなってしまう、ある種のイメージの揺らぎに言葉にあてはめたものです。それは彫刻家に与えられる喜びでもあります。つまり、自分自身の手によって、今まで誰も見たこともないものが生まれつつある予感を意味しているのです。」
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「学生の頃、通学途中のバスの車窓から山々の連なりを眺めていて、ふいに心に浮かんだ言葉、〈あの山は、あの大きさのままで俺の中に入る〉という実感が、今日までの僕の制作を支えているような気がしています。人間の存在や想像力は、それほどに大きく、果てがないという意味で。」
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「僕にとって〈スフィンクス〉とは、人間の生を第三者的に見続ける者を意味しています。この世界における人間の愚かさを、ただ黙って見続ける者。あるいは自分自身を知る者のこと。長い首や、ボディの緑色は草食動物のイメージです。他者を傷つけない、どんなに愚かであっても人間の存在を肯定する眼差しを持つ者として。」
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素晴らしい2時間でした。
若い人たちに向けたこの彫刻家の言葉を、2007年度版のアニュアルレポートでは完全採録するつもりです。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員


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