美術館大学構想

■写真上:西雅秋氏の作品『彫刻風土・山形』のまわりで踊る舞踏家・森繁哉教授
■写真下:クライマックスで水上能舞台から池に飛び降りた森先生。この時、闇の中には学生スタッフが流木で木造船を叩く鈍い音が響き渡り、頭上には秋の名月がありました。
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一昨日、11月16日[木]をもって、7階ギャラリーの『西雅秋-彫刻風土-』展を終了しました。(本館1F周辺の展示は27日まで継続します)
西さんの作品は、サイズ、重量ともに大きな金属彫刻が中心のため、本学での滞在制作や展覧会設営には多くの困難が伴いましたが、大勢の学生スタッフに支えられ、タイトな準備日程ながら、当初の作品プランのスケール感を損なうことなく展示し、無事期間を全うすることができました。
本展運営にあたり、学生への周知や機材の貸し出しなどでご協力いただいた関係者の皆様には心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

今、西さんは上海での『〈With Sword〉Contemporary Art Exhibition(http://www.jingart55.com)』参加のため、山形で制作したシリコン型とともに中国に滞在しています。現地では7Fで展示されていた『デスマッチ-山形-』の中国バージョンを制作しているとのこと。
会場の撤収にあたって西さんは、作品『デスマッチ・山形』や『バルチック・テイスト』で積み上げた数百個にもおよぶ石膏パーツを「皆で分け合って、持ち帰ってほしい」との伝言を残して山形を去られました。
その旨、掲示やメールで周知したところ、16日の夜には大勢の方が拾いに集まり、大学の同僚たちも『バルチック・テイスト』のテーブルから西さんがバルト海沿岸諸国で収集したレーニンやスターリン、マルクスの石膏胸像を持ち帰っていきましたが、これらが事務局のデスクに並んでいる景色を想像してちょっと心配になりました。(笑)
人々が石膏の瓦礫の中から、めいめい気に入った石膏片を大事そうに箱や紙袋に詰めていく姿を眺めながら、僕はミレーの『落穂拾い』や、熊谷守一の『焼き場の帰り』といった絵画作品とその絵の背後にあるストーリーについて考えていました。家々に散らばっていったこれらのカタチたちは、棚や、机の上や、引き出しの中で、ゆっくりと時間をかけて、石膏の欠片に、カタチなき存在に還っていくことでしょう。
『彫刻風土』展制作にかけた西さんとスタッフの一ヶ月間は、最後には、いくつかの小さなダンボール箱に収まってしまいました。

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さて、もっとも大きな規模で展開した能舞台『伝統館』における西さんの彫刻作品についても、説明しておかなければ。
池に浮かぶ水上の舞台に、西さんが葉山の老漁師から譲り受けたという2艘の木造船(各5m)が置かれ、その中に石膏製の二宮金次郎像、卵、木魚、金精さま(木製の奉納男根)、砲弾、弁財天の頭、連座、梵鐘がたくさん積み上げられています。
オープン当初には整然と能舞台への渡り橋に並んでいたこれらの石膏像が、10月30日[月]の朝には、すべて木造船に暴力的といってもいい荒々しさで投げ込まれていたのですが、これは10月28日[土]の夕刻、『彫刻風土-時の溯上-』と題したパフォーマンスにおいて、西さんの彫刻と森繁哉教授の舞踏がコラボレーションした結果の景色なのです。
表現領域は違えど、里山に生き、その土地の風土と向き合いながら制作を続けるお二人の出会いは、今回のプログラムなかでももっともスリリングな空間を創出しました。
「西さんの作品は鑑賞するのではなく体感する作品だ。本番では観客席を排してお客さん自身も作品の中に取り込んでしまおう」という森繁哉教授の強い提案によって、公演当日は桟敷席を使用せず、133名の観客全員が「能舞台」に上がり、至近距離で西さんの彫刻と、森さんの舞踏の出会いに立ち合ったのでした。(公演の記録映像を、エントランス北側のプラズマテレビで27日まで放映しています)
頭からつま先まで真白な装いの森さんが舟から這い出して踊っていくにつれ、舟に満載された石膏像の白い小山は徐々に崩れていき、そのうちいくつかの欠片は、能舞台からこぼれ落ちて周囲の池に沈みました。路肩に積み上げられた小象ほどの山形の寝雪が、春の日差しを受けて徐々に溶け出し、路面を這って大地に染み入って消えていくように。
クライマックスでは、池に飛び込んだ森さんが、四国は足摺岬から黒潮に放たれた桂の大木(『colonist』の記録映像)に導かれるように、冷たい水の上をゆっくりと東へと進み、薄暮から漆黒へ、蔵王丘陵の夜の訪れとともに幕となりました。
大きな拍手とカーテンコール、感極まった西さんが森さんを抱えて石膏の中に一緒に倒れ込むというハプニングもありました。

この公演の前にこども劇場で開催されていたシンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち-詩・旅・思索-』で、1人の学生が「土地や風景から受ける神秘的な印象や体験を、どのように理解し消化すればいいのでしょうか」と質問したのに対して、詩人の吉増剛造氏が「イングランドには〈ghosty/ゴースティー〉っていう表現がある。的を得た、いい言葉だと思いませんか」と答えておられましたが、「奇跡のような一日」(※吉増氏談)となったこの夜の能舞台周辺は、まさに「Ghosty Night」と形容してもいい、この世の光景とは思えない場となっていました。

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石膏の粉に塗れていた7階ギャラリーでは、撤収と念入りなクリーニングによって元通り完全に〈empty〉な空間に戻り、今日からはまた、新しい展覧会『助手展2006』がはじまっています。飯能のアトリエに戻された彫刻群は、また土中に埋め戻され、次の展示機会までの束の間の眠りにつくことでしょう。
美の殿堂として名高いルーブルに展示されている名画や古代エジプトの彫像も、見方を変えると死者たちの視覚や触感の残像という、ある種の「幽霊的な存在」を眺めていると言えます。
そういう、近代以降の芸術作品や美術館における「永遠」の思想そのものに、批判的でいることが彫刻家・西雅秋氏の作品の本質なのだと、撤収を終えて、あらためて気付かされたのでした。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員


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