美術館大学構想

■写真上下:西雅秋氏『彫刻と人/Nishi Masaaki1946-2005』講義風景
 (2006年6月29日17:30〜19:30/加藤芳彦撮影)
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29日の西氏の特別講義は、「彫刻とは何か?」そして「自分自身が生きてここに在るとは?」との問いから照射するように、自らの作品群に解説するかたちで進められました。
それから、自身のアイデンティティー(および作品)に深く根ざしているという、広島の原爆と戦後の暮らしの記憶のこと。また、世界各地に埋めてきたという銅板によって、いつもつながっていたいと願う、その土地の名もない人々の暮らしについて。
そこには飯能の山で、制作活動を軸に、世界と自然の声に耳を傾けながら、この混沌とした時代にあって「まっとうに生きる」ことを愚直に追求し続ける彫刻家の姿がありました。

終了後、客とアルバイトスタッフが、皆この大学の関係者という飲み屋で、僕も学生たちも、将来への不安に駆り立てられるように、また自ら回答の留保をタナに上げて、ついついゲイジュツから恋まで、「西さん、西さん。何が大切ですか。何が無駄ですか」と、生きることの一から百まで、問いかけていました。すると「そんなに質問ばかりしていちゃあ、駄目だよ。問う前につくれ」と返されて、一同、心地よい沈黙・・・。
講義の最後に、「自分が学生だった頃、こうして大学に話しに来てくれた先生が、最近どんどん亡くなっている。君らもあと何十年かしたら、新聞の活字で、西雅秋の死を知るだろうな。これらの金属の塊(作品を指して)も、土に埋めて、時や自然のなかに溶解してしまえばいいと思ってる」と語っていた西さん。
けれども、学生たちに囲まれた和やかな酒席でだけは、「この瞬間に乾杯」とボソッと呟いて、コップを掲げていました。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典

※秋に本学で開催される西氏の個展タイトル『西雅秋-DEATH MACTH2006-(仮称)』を、今回の特別講義から『西雅秋 -彫刻風土-』に改題します。


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