ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

友人で、国際有機農業映画祭運営委員の笠原眞弓さんが、日本有機農業研究会の機関誌「土と健康」誌に、拙書「七転八倒百姓記」の書評を書いてくれました。笠原さんはこのフェースブックでも平和、平等、反差別、反原発、沖縄との連携・・などの視点から感性豊かな発信を続けておられます。
 そんな彼女からの書評を光栄に思い、皆さんとも共有したく、ここに掲載いたします。                
ー「田舎」の出世は「堂々たる田舎」になることー
『七転八倒百姓記 地域を創るタスキ渡し』
<農的景観を大切にしたい>
朝日連峰の山々が視界をさえぎるまで、出穂前の緑の稲が風で揺れていた。ここは、山形県置賜地方。菅野芳秀さんの田んぼは、その一角にある。都会育ちには、この景色を保つのに一体どれだけの苦労が必要か、なかなか想像しがたい。しかし彼らは、何も「景色」を保つために百姓仕事をしているのではない。泥の中を這いつくばり、日の出から夜中まで、雨が降っても作業をやめないこともある。その結果としての「緑の稲田」なのである。
 本書を手にすると、百姓をすると決めた時に目指す農業として4項目を挙げ、その3番目に「農的景観を大切にした癒しのある農業」とある。この「優しい景色」は、農業をすることの大事な動機付けでもあるのだ。ちなみに2番目には「食の安全と環境を大切にした農業」とある。
 彼は、分家して3代目の農家になるはずだったが、別の道を進もうと画策し、新聞奨学生として上京に成功する。
農学部2年の時の農業実習の授業で、教授の言う農業政策に農業のための政策がないどころか、工業の発展のために貢献する農業であることに気づき憮然とする。
<「堂々たる田舎」を創ろう>
 そんな気持ちを抱きながら「三里塚の百姓の闘い」に刺激を受けて現場に入り、やがて沖縄に行く。そこで地に足の着いた地元の人たちの生活と抵抗をつぶさに見て、大きな影響を受ける。田舎の出世は都会になることではない。地元に「堂々たる田舎」を創ろうと置賜へ帰るのである。
 今でこそ大卒の農家は珍しくないが、当時は大学へ進学したらそのまま町で暮らすのが当然だった。そんな中で彼は、農家になる決心をする。イヤイヤ戻ったのではなくて、ゆるぎない選択であった。
 そして折しも始まった減反政策に反旗を翻すのである。一人でも減反しないと集落全体が助成金を貰えない。連日の説得に、ある日矛を収める。しかしそれは決して敗北ではなかった。若造(本人)は学び、周囲もこの取り組みに、強い影響を受けていた。
菅野さんの頑張りは、減反反対とアジアの農民との交流のほか小さなグループでの減農薬のコメつくりが、やがて置賜地方全域からヘリコプターによる農薬の空中散布廃止に到る迄、有機的につながっていく。その中でも特筆すべきは、生ごみの堆肥化「レインボープラン」(1997年稼働)への取り組みである。
 減反反対運動を抑えようとした市長は、一方で彼の徹底した抵抗が、自己の利益のためではなく、農家の誇り守ろうとしていること。それを感じ取り、彼のその後を見守っていたと思われる。市長は、彼が地元の小さな足場で頑張っているときに、市長の肝いりで始まった地域づくりに彼を委員として加えたのだ。それまでの一貫した農村をお輿していこうとする理念と組織力、推進力を認めたということだろう。この頑丈な足場を生かして実現したのが「レインボープラン」だったのだ。その経験が、広範囲な置賜自給圏に広がって行った。
<市民運動の作り方の指標に>
この本を読み終わった時、二つのことを強く思った。一つは、百姓としての彼の七転八倒が、広く市民運動の作り方への指標となっていると。それは、「いくつかの教訓」という項にまとめられていて、この本がさまざまな人に受け入れられるだろうと思われた。またその教訓は、期せずしてジェンダーにもかかわっている。
レインボープランを形にしていく中で、彼は地域の女性たちの力を恃みとし、支えられた。結婚して集落外から入ってきた女性たちは、よそ者だ。事を成そうとしたとき、違う考えを取り入れることの大切さを学んでいた彼は、積極的に女性の意見に耳を傾けた。農村は、表向き男性優位だが「農協は婦人部でもっている」と聞いたことがある。まさにそうなのだと思う。
 もう一つは、父親が彼の防波堤だったのではないかということ。東京の大学に出した時点で跡取りのことはあきらめていたかもしれない。それが帰ってきた。しかも農村の和を乱す減反反対を掲げて。それでも父親は、息子に何も言わない。地に落ちた柿の種が新しい芽を出すのを見守るように。
 すでに「家督」を頼もしい息子に譲った菅野さんは、これまでの経験をもとに、今後どんな発展をするのかと思いきや、友人知人を訪ねて、全国行脚をしたいと漏れきく。楽しみである。
          国際有機農業映画祭運営委員
                       笠原眞弓
佐賀県唐津市に行ってきました。
山下惣一さんのご葬儀に参加するためです。
西日本新聞の佐藤さん、熊本大学の徳野先生、有機農業の八尋さんたち、小農学会の方達に呼びかけて頂いたおかげで、山下さんのご葬儀に参加し、弔辞を読ませていただき、文字通り「骨を拾う」こともできました。

骨を拾う・・遺志を受け継ぐこと。
その機会をいただいた事で、
小農を中心とした社会変革をいっそう強く自覚することができました。
この先、どう進めばいいのか・・
国民的に方向性を失っている今の日本の直中に、小農の旗を高く掲げ、切り込んで行きます。
まずは置賜自給圏の食と農の領域の再構築。

お声がけ頂いた九州の小農学会の方たちにあらためて感謝いたします。
ありがとうございました。

菅野芳秀
◆2022年7月9日
アベさんに対する銃撃について思うこと
小出 裕章
 アベさんが銃撃を受けて死んだ。悲しくはない。アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。
 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。朝鮮を徹底的にバッシングし、トランプさんにはこびへつらって、彼の言いなりに膨大な武器を購入した。彼は息をするかのように嘘をついた。森友学園、加計学園、桜を観る会、アベノマスク…彼とその取り巻きの利権集団で、国民のカネを、あたかも自分のカネでもあるかのように使い放題にした。それがばれそうになると、丸ごと抱え込んだ官僚組織を使って証拠の隠ぺい、改ざん、廃棄をして自分の罪を逃れた。その中で、自死を強いられる人まで出たが、彼は何の責任も取らないまま逃げおおせた。私は彼の悪行を一つひとつ明らかにし、処罰したいと思ってきた。
 私は一人ひとりの人間は、他にかけがえのないその人であり、殺していい命も、殺されていい命も、一つとして存在していないと公言してきた。アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった。悪行についての責任を取らせることができないまま彼が殺されてしまったことをむしろ残念に思う。
 多くの人が「民主主義社会では許されない蛮行」と言うが、私はその意見に与しない。すべての行為、出来事は歴史の大河の中で生まれる。歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である。
 国民、特に若い人たちを貧困に落とし、政治に関して考える力すら奪った。民主主義の根幹は選挙だなどと言いながら、自分に都合のいい小選挙区制を敷き、どんなに低投票率であっても、選挙に勝てば後は好き放題。国民の血税をあたかも自分のカネでもあるかのように、自分と身内にばらまいた。原子力など、どれほどの血税をつぎ込んで無駄にしたか考えるだけでもばかばかしい。
 日本で作られた57基の原発は全て自由民主党が政権をとっている時に安全だと言って認可された。もちろん福島第一原発だって、安全だとして認可された。その福島原発が事故を起こし、膨大な被害と被害者が出、事故後11年経った今も「原子力緊急事態宣言」が解除できないまま被害者たちが苦難にあえいでいる。それでも、アベさんを含め自民党の誰一人として、そして自民党を支えて原発を推進してきた官僚たちも誰一人として責任を取らない。もちろん裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らはこれからもまた原子力を推進すると言っている。さらに、これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。
 愚かな国民には愚かな政府。それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する。今回、アベさんを銃撃した人の思いは分からない。でも、何度も言うが、はじめから「許しが たい蛮行」として非難する意見には私は与さない。
 心配なことは、投票日を目前にした参議院選挙に、アベさんが可哀想とかいう意見が反映されてしまわないかということだ。さらに、今回の出来事を理由に、治安維持法、共謀罪などをがまで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないかと私は危惧する。
 安倍氏が撃たれ、死亡した。マスコミの喧騒にはほとほと嫌気がさし、TVを見る気がしない。そんな時、レーバーネットが1つの記事を配信した。その内容は私の思いとほぼ一緒だった。たぶん多くの皆さんも一緒でしょう。ここに掲載します。
   以下

「民主主義への挑戦」をし続けてきたのは誰か
浅井健治
 安倍晋三元首相が銃撃され、死亡しました。一人の人間の不慮の死に哀悼の意を表すること、暴力・テロを断固として糾弾することに私も全くやぶさかではないつもりです。

 しかし、この事件を「民主主義に対する挑戦」とする大合唱には違和感を覚えざるを得ません。歴代最長、3188日にもわたる首相在任期間中、民主主義に対する挑戦・嘲笑・冒とく・蹂躙の限りを尽くしてきたのは安倍晋三その人だったからです。

 定着していた憲法解釈を覆し、集団的自衛権容認の実質改憲を強行しました。基本的人権・表現の自由を奪う秘密保護法・共謀罪法を成立させました。森友・加計・桜を見る会疑惑ではしらを切り続け、118回もウソの答弁をし、近畿財務局職員・赤木俊夫さんを死に追い込みました。自衛隊を「わが軍」と呼び、自らを「立法府の長」と僭称しました。連邦議会襲撃を扇動したトランプ前米大統領とはゴルフ友達です。ウクライナ市民を殺戮し続けているプーチン露大統領とは「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」という仲です。

 たしかに人間の身体に物理的危害を加えるという意味での暴力を煽ってはいないかもしれません。しかし、議会という言論の場における真摯で誠実な、実りある対話とそれを通じた合意形成を一貫して封じてきたのが安倍晋三です。自由な言論の封殺と今回のようなテロ。両者の間にさほど大きな隔たりがあるとは思えません。

 山上徹也・元海上自衛官が放った銃弾は、もしかすると安倍晋三が鋳造したものなのではないか。安倍が築き上げた異論排除・国会軽視・説明責任不履行の政治文化が2発の弾丸の火薬として充填されたのではないか。そんな思いを強くしています。

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 日本の水田平均耕作面積は2020年調べで2.50h。
 10年ほど前、それを政府が山間地で20h、平地で30hを目指すという話を聞いて驚いたが、既に新潟県や、秋田県、山形県庄内地方の平野部では50h、100hの大規模経営が生まれているという。
 他方ここに来て小さな農家の離農が一層目立ってきた。
「大規模農家に田んぼを任せろ。そうすれば離農補助金をだす」。こんな政策が離農に拍車をかけるようになって久しい。
たとえば、どの農家もやがて迎えることになる農業機械の更新。大規模経営を目指す、農家や農業法人には更新費用の1/2や1/3を国が助成するが、それを目指さない(目指せない)農家には一切の助成金は無し。でも、生産原価にすらとどかない今のコメの価格(生産原価は1俵60kgあたり15,000円前後・・農水省発表。農家のJAへの売り渡し価格は同じ量で12,000円〜9,000円ぐらい))からは機械の更新代はままならず、故障を機会に農業をやめざるを得ない。その上、4割の減反だ。
 誘導される農政によって多くの人たちが幸せになって行けるのなら、これも仕方ないが、向いている方向は化学肥料と農薬にいっそう傾斜するケミカルの世界。循環型農業などは遠い世界の話だ。環境や生態系、人体に与える影響も軽視できない。
 またその規模拡大政策では村に人が残れない。原価を割るひどいコメ価格の中、大規模農家とて決して経営が安定できるわけではなくその分、赤字額も大きい。かくして村社会の崩壊はいっそう進む。
 煎じ詰めて言えば、食べる者、作る者、暮らす者には決して貢献しない農業政策。SDGsに逆行する。農水省が言う「みどりの食料システム戦略」が聞いてあきれる。
 我が家の水田面積は今年も約470アール。農薬を減らした循環農業はこれで精一杯。だから規模拡大は出来ないし、しない。よってわが菅野農園は離農を後押しされる側にいる。
 菅野農園では農薬を減らしたコメ作りに早くから取り組み、この農法を支持してくれる方に直にお米を届けることで、どうにか暮らしていけるが、そうでないならとっくに離農せざるを得ないところだ。
 こうして志しある生産農家の意欲を潰し続け、後継者を排除し、豊穣の国、瑞穂の国日本を「先進国」中最低の自給率37%国家にしてしまった。未来につなぐ政策の基本構図が根本的に間違っている。
バイデンだって79才。そこからしたら俺はまだ72才でしかない。俺もこの国の首相に立候補して、政策を根っこから変えてやろうかな。
誰だっけ?

 少し前の事だけど、早朝、道路近くで農作業をしていたら、私より少し年上の人が散歩しながら近づいて来て親しそうに話しかけてきた。その人はシッカリとマスクをかけ、おまけに深く帽子をかぶっている。誰なのかが良く分からない。しばらく軽く話を合わせた後で、
「どなたでしたっけ?」と尋ねた。
「えっ、俺が分からないか?俺だよ、俺!」
彼は笑いながらマスクと帽子をとった。
「あぁ、な〜んだ。ようやく分かりましたよ。マスクだし、帽子だし・・、どなたなのかが、全くわかりませんでした。散歩ですか?」
「うん、ここのところ足腰が弱ってきているのでな。歩けなくなったら困るからよ。」
そう言って彼はマスクを着けなおし、帽子をかぶって歩いて行った。
彼の背中を見ながら私は・・はて・・誰だっけ?

 いや、ホント。こんなことが最近増えて来ました。
そうなんですよ。このFBを読まれる方の中にも、私とほぼ同世代の方がいて、きっと「ある、ある・・」となりますよね。
車のハンドルを握って町まで買い物に行って来た。
ヤッホー!!2年ぶり!
2年前、大きな病気の後遺症で、机でデスクワークをしていたら、「フッ」と意識が飛んだ。
病気のあと、過度なストレスがかかるとそうなることもあるらしい。
母親の介護で夜も昼もなく起こされて・・かなりつらい日々が続いていた。
「お薬も出しているし、もう繰り返すことはないと思いますが・・。」
医師の判断で2年間の運転停止だと。
そして2年。車が無ければ不自由極まりない田舎社会。どこに行くにも妻や友人頼み。彼らも俺も良く耐えたと思う。
ようやく運転免許証が戻ったきた。
その間、様々な「気づき」を得た。
あなたがもし、俺の二年前しか知らなかったら「あれつ、菅野さん、変わったね。」となるかもしれないよ。
田植えが終わりました。
田園は一気ににぎやかになってきました。ついこの間まで銀世界だったのに、ブナやナラの山々は、新緑をまとい、日々その色を濃くしています。雪は頂に少し残すだけ。田圃では名も知らないたくさんの野の花たちが、その美しさを競い、早苗が広がる水田からはカエルの合唱、ヒバリの声。軒先からもツバメやスズメの鳴き声に、我が家の場合はニワトリたちの声も重なります。もうじき蛍たちも飛び立つでしょう。いい季節になりました。
 そんな季節にもかかわらず、気が重くなるのは、ウクライナは置くとして、40%を超えるコメの減反。食糧不足がすぐそこに来ているし、街には明日の食べるモノとてない人たちがたくさんいるのに、この国の政治、それを支持し続ける人たちにいう言葉もない。
田植えが終わった。今はあれほどあった朝日連峰の山々の残雪もすっかり姿を消し、いつの間にか濃い緑になっていて、一面に広がる淡い緑色の早苗田とのいい組み合わせとなっている。田の畦には「春シオン」、「忘れな草」、「オオイヌノフグリ」、「ジシバリ」などの色とりどりの野花が咲き誇り、いま田園は美しい。
 ところが近年、そんな緑の風景の中に赤茶けた異様な光景が目につくようになった。畦の草という草が枯れているのだ。原因は除草剤。新緑の春なのに・・・と、見るものの心を荒ませる。
葉や茎は風雨が畦を直にたたくことから守り、その根は土をつなぐことでその崩壊を防いでいる。これらのことは農民ならば誰でも知っていることだ。畦の草は刈るものであって、根から枯らしてしまうものではないのだがこの光景は年々広がる傾向にあるのだから切ない。
 背景には1農家あたりの耕作面積の拡大がある。草を刈りきれないのだ。管理能力を超えた規模拡大と、少しでも手間を省く選択としての除草剤。
農民をこのように追い立てるものは、グローバリズムを背景に、「成長産業」として農業を位置付け、小さい農家の離農をすすめながら大規模農家・生産法人・企業の参入を促進しようとする政策がある。米価も今から40年前の価格まで下がり、とても経営としてはやっていけない。小さな農家は米作りから、やがて農業そのものから離れて行った。水田は残された農家にどんどん集まって行った。その農家が断れば、水田は荒地に戻っていく。残った農家はそれが分かるだけに無理を重ねて引き受けようとしてきた。そんな中での除草剤だ。まわりきれないのだ。
 その政策によって産み出されたのは赤茶けた畦畔だけではない。大規模化にともない農法は化学肥料と農薬に一層依存するようになった。農法の省力化がすすみ、環境政策の後退がもたらされている。
 更にその農家が倒れたならば村にその代わりはないという状態の中にある。生産基盤がとても危うい。どうなっていくのだろう。畦畔の草はそんな明日の不安も暗示させる。
 少しでもこの風潮に抗って行きたい。畦畔の草は散髪しよう。大げさに聞こえるかもしれないが、そこに農業の未来だけでなく、いのちの世界の可能性が広がっているように思えるからだ。そう思う者がまず率先して草を刈り、この美しい田園風景を守っていくことだ。本気でそう思う。

 写真は野花で囲まれた、除草剤を使わない我が家の田んぼ・・散髪はこれからだ。
 ツバメがついに我が家にやって来た。
天空を飛ぶツバメを見たのが4月始め。以来、いつでも入って来れるようにと玄関の戸を30cmほど開けて待ち続けた。4月の10日ごろ、まずオス鳥が先乗りし、一週間後にメス鳥もやって来て、いよいよ巣作りを始めるかと思っていたら、メス鳥が何やら騒がしくオス鳥に話しかけ、その内2羽一緒に出て行ってしまった。いつかは戻って来るかもしれないと玄関を開け続けて1ヶ月余。帰ってこない。恋人に去られたというのはこんな感覚か。 

 そんな気分でただひたすら待ち続けた。
そして遂に5月12日。先乗りのオスがやって来て、日を置かずにメスがやって来た。前に出て行ったツバメと同じかどうかは分からないが、ツガイで泊まるようになり、巣作りを始めた。ようやくいつもの季節が始まった。ただそれだけの事なんだけどさ。部屋に広がるツバメのさえずりがうれしい。

 5月18日から我が家でも田植えが始まった。4月の中旬からずっと農繁期が続いている。それほどハードな仕事はしてないのに毎日がヘロヘロ。頼まれた文章も書けない。新聞だって見るのも嫌なぐらいなのに、ツバメに関してはわずかな休息時間を利用してこうしてパソコンに向かっている。何やってんだろう、俺。
拙本「七転八倒百姓記」について、私の古くからの友人で農政ジャーナリストの榊田みどりさんがありがたい書評を書いてくれました。日本農業新聞です。左のダブルクリックで読むことができます。
あ、あれはツバメではないか?
天空を切るように飛ぶツバメらしき姿を見たのが4月の始め頃。その日から24時間、玄関の戸を開けて待つ日が始まった。 
4〜5日たったころ、1羽のツバメが玄関の中まで入り、休んでくれるようになった。やって来たのは1羽だけ。たぶん、先乗りだろう。まず1羽だけ早く来て、やがて2羽で暮らす準備を始めるに違いない。そう思いながら更に4〜5日たった。早朝に出かけて行っては、夕方に帰って来る。やっぱり1羽のままだ。泊まるのも1羽だけ。
そんなある日の朝、玄関からにぎやかなツバメの声が聞こえて来た。2羽になっている。そして盛んに何かやり取りしているようだ。「お、ついにツガイになったか!良かった、良かった。巣作りの打ち合わせでもやっているのかな。」
ほほえましい気持ちで様子を見ていた。
そのツバメ(たち)が二羽とも消えてしまったのはその翌日からのことだった。2週間ほど経つがまだ帰って来ない。どうしたのだろう?相変わらず、いつでも帰って来れるようにと、玄関を開けて待っているが、依然としてやって来ない。後からやって来た1羽が連れて行ってしまったのだろうか。
「ね、あんた!あっちに行こうよ。あっちの方が居心地はいいからさ」「いや、毎年ここで巣作りをして来たのだからここで良いよ。」「フン、あんたがそう言い張るならあんただけここに居たらいいさ。私は向こうに行くからね。」「お、おい、ちょっと待てよ・・。」
賑やかな会話はそんなことだったのかもしれない。近くの電線からツバメの声が聞こえる度に、ようやく戻って来てくれたか!と、空を仰ぐ毎日だが、まだ来ていない。(写真は昨年のもの)
宮崎県にお住いの西村さんから、望外の書評をお送りいただきました。ここでご紹介させてください。

『七転八倒 百姓記〜地域を創るタスキ渡し〜
菅野芳秀 著
 「信仰はわたしの生き方」
 かつて、そう言い切ったクリスチャンの友人がいた。ならば著者の場合はこうだろうか。
 「百姓は自分の生き方」
 著者は山形県長井市の決して豊かとは言えない百姓の跡取りとして生まれ育つ。その運命を漠然と受け入れつつも、働いても働いても楽にならない百姓の暮らしから逃れるかのように東京の大学に進学。
 そこで出会った成田三里塚闘争での農民の姿が、その後の著者の人生に多大な影響を与える。大学卒業後、沖縄での生活を経て帰郷。
 小規模農家を淘汰するかのような国のさまざまな農業政策を批判。百姓と地域を巻き込み自然と共生する農を基礎とした循環型社会創りに取り組む。
 著者は「百姓」を差別用語としてではなく、堂々たる生き方として誇らしく掲げる。
 そして、逃げ出さなくてもいい堂々たる田舎を次世代にタスキ渡しすることが、地域を、引いては日本を創るのだと熱く説く。
 生ぬるい生き方をしているわたしが、本著のレビューを書くなどおこがましいが、実に天晴れな生き様だ。これに尽きる。
 本著だけではなく、著者のFacebook投稿を読む度に感じるのは、自身が生きる地域への限りない愛と自然への畏敬の念、そして、百姓としての誇りだ。これなくして、地域を牽引するリーダーにはなり得ないのだと思う。
yさんへの手紙

ご無沙汰しています。お元気でしょうか?
季節はだいぶ春めいて来たとは言え、我が家の前には屋根から滑り落ちて来た雪、道路から除雪された雪が大人の背丈ほど残っています。
まだ梅の花も、フキノトウも芽を出していません。これからです。
雪景色を娘さんに見せたいとのこと、こちらはいつでも大丈夫ですが、4/12からいよいよ苗箱への土入れ作業が始まります。
それが今年の稲作、春作業の始まりです。私はその前ならご案内できます。もちろんおいでいただければその最中であっても、車をお貸ししますので
ご主人の運転で、のんびりとドライブや雪と山里の散策を楽しまれることは自由にできますよ。
いつでも、ご都合の良い日にお出かけ下さい。
今月の20日以降は水芭蕉が咲きだし、下旬には桜も満開になると思います。こちらでは梅と桜がほぼ一緒に咲きだします。
そうなれば、山にもブナやナラの若葉が付きだして、一面に春の景観がにぎやかに展望できます。
5/20を前後して田植えが始まりますが、その頃は更に田んぼの野花も咲きだすでしょう。
山の残雪と田んぼの早苗と野山の若葉と野の花々と・・
山形の春・・、とっても魅力的な季節となって行きます。
いつでもご都合の良い日においでください。
 (写真はこの4月4日。ダブルクリックすれば拡大します。)

菅野芳秀

若葉の4月がもうすぐそこだというのに、山々の残雪はまだまだ厚く、吹く風も冷たい。
とはいえ、あと1ヶ月もすれば水稲の種まきが始まる。
わが家も4月2日に、新しく中学2年生になる長女を筆頭に小6、小3年生の孫たち3人娘の助けを借りながら、種籾の滅菌作業を行った。
種もみを60℃のお湯に15分間漬け込む作業だが
時間を計る係、15分後に急いで池まで運ぶ係、それをいち早く冷やす係などを分担し、連携しながらのほぼ半日作業。
これが今年の稲作の仕事始めだ。
 作業前、段取りを説明しようとすると、「あっ、それ覚えている」と、すでにやる気が満々だ。
「作業が終えたらお礼代わりに何かおいしいモノでもご馳走するよ。何がいい?」と聞いたら、3人娘は「ピザ!」と応えた。小麦か・・。
 コロナに地震に、ウクライナと大揺れの時節だが、なんとか今年の稲作は、異常気象に合わずに秋を迎えることができるようにと願いながらの作業となる。
(写真は昨年の種子作業の模様)