ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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命を語るなら‥。
長年、農業に就いてつくづく思うことは、「土はいのちのみなもと」ということだ。
かつて山形県でキュウリの中からおよそ50年前に使用禁止となった農薬の成分が出てきて大騒ぎになったことがあった。50年経ってもなお、土の中に分解されずにあったのだろう。そこにキュウリの苗が植えられ、実がつき、汚染されたキュウリができてしまったということだ。また、隣の市では、かつてお米からカドニュウムがでたこともあった。
つまり、作物は土から養分や水分だけでなく、化学物質から重金属に至るまで、いい物、悪い物を問わずさまざまなものを吸い込み、実や茎や葉に蓄えるということだ。それらは洗ったって、皮をむいたってどうなるものではない。何しろ作物に身ぐるみ、丸ごと溶け込んでいるのだから始末が悪い。土の汚れは作物を通して人の汚れにつながっていく。
いま、土の弱りも深刻だ。60歳を超えた人ならばそれでも仕方がないとあきらめもつくが、これからの子どもたちを考えれば、ことは深刻だ。
土を喰う。そう、私たちはお米や野菜を食べながら、それらの味と香りにのせて、その育った所の土を喰っている。私たちはさながら土の化身だ。このように土の健康は即、人間の健康に結びつく。食を問うなら土から問え。いのちを語るなら土から語れ。健康を願うなら土から正そう。生きて行くおおもとに土がある。そういうことだ。まさに土は世代を越えたいのちの宝物だ。
さて、近年、外国から多くの農作物が入ってくるようになった。いま国の食料自給率は39%。大雑把に言って60%は諸外国からの作物だ。それらの作物を食べながらさまざまな国の土を食べているということだ。当然のことながらその土の汚染も、疲弊もわからないままで。
他方で、海外から押し寄せる作物の安さに引きずられ、国内の農業はより一層コストの削減をすすめざるをえない。農法は農薬、化学肥料に更に傾斜し、土からの収奪と土の使い捨て農業が広がっていく。
私たちに求められているのはこのような土の収奪と使い捨ての道ではなく、時代に抗い、土を守り、その上に人々の健康な暮らしを築いていく。大げさに聞こえるかもしれないが、そんな人間社会のモデルを広くアジアに、世界にと示していくことこそが我々の進むべき道ではないのかと思うがいかがなものだろうか。
これをグローバリズムに対する百姓の一つの答えとして、私はその道を歩んで行きたい。
2019.03.06:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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https://kanno-nouen.jp/
菅野農園のホームページで
お米を販売しています
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かつて山形県でキュウリの中からおよそ50年前に使用禁止となった農薬の成分が出てきて大騒ぎになったことがあった。50年経ってもなお、土の中に分解されずにあったのだろう。そこにキュウリの苗が植えられ、実がつき、汚染されたキュウリができてしまったということだ。また、隣の市では、かつてお米からカドニュウムがでたこともあった。
つまり、作物は土から養分や水分だけでなく、化学物質から重金属に至るまで、いい物、悪い物を問わずさまざまなものを吸い込み、実や茎や葉に蓄えるということだ。それらは洗ったって、皮をむいたってどうなるものではない。何しろ作物に身ぐるみ、丸ごと溶け込んでいるのだから始末が悪い。土の汚れは作物を通して人の汚れにつながっていく。
いま、土の弱りも深刻だ。60歳を超えた人ならばそれでも仕方がないとあきらめもつくが、これからの子どもたちを考えれば、ことは深刻だ。
土を喰う。そう、私たちはお米や野菜を食べながら、それらの味と香りにのせて、その育った所の土を喰っている。私たちはさながら土の化身だ。このように土の健康は即、人間の健康に結びつく。食を問うなら土から問え。いのちを語るなら土から語れ。健康を願うなら土から正そう。生きて行くおおもとに土がある。そういうことだ。まさに土は世代を越えたいのちの宝物だ。
さて、近年、外国から多くの農作物が入ってくるようになった。いま国の食料自給率は39%。大雑把に言って60%は諸外国からの作物だ。それらの作物を食べながらさまざまな国の土を食べているということだ。当然のことながらその土の汚染も、疲弊もわからないままで。
他方で、海外から押し寄せる作物の安さに引きずられ、国内の農業はより一層コストの削減をすすめざるをえない。農法は農薬、化学肥料に更に傾斜し、土からの収奪と土の使い捨て農業が広がっていく。
私たちに求められているのはこのような土の収奪と使い捨ての道ではなく、時代に抗い、土を守り、その上に人々の健康な暮らしを築いていく。大げさに聞こえるかもしれないが、そんな人間社会のモデルを広くアジアに、世界にと示していくことこそが我々の進むべき道ではないのかと思うがいかがなものだろうか。
これをグローバリズムに対する百姓の一つの答えとして、私はその道を歩んで行きたい。