ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
代24回 土を喰う話05,11,1
あなたは土を喰ったことがあるだろうか?あるわけがないって?いやいや、いつだって食べていると思うよ。茶化しているわけではなく。ぼくにはそう思える。というのは・・・
田んぼの刈り取りがすんだ今ごろになると、ときどきカドミウムに汚染されたお米が見つかって大量に焼却処分されたという話が報道される。当然のことながら、稲が重金属であるカドミウムを作ったわけではない。カドミウムに汚染された田んぼがあって、そこで育った稲がそのカドミウムを根から吸収して白いお米に蓄えたということだ。
一昨年、山形県では栽培されたきゅうりから40年前に使用禁止となった殺菌剤の成分が出て問題となったことがあった。これも、土の中に残っていた農薬を根が吸収してきゅうりに蓄えたというわけだ。
つまり、作物は土から養分や水分だけでなく、重金属から化学物質まで、いい物、悪い物を問わずさまざまなものを吸い込み、実や茎や葉に蓄えるということだ。土の現状がそのまま作物に反映されていく。
ぼく達は、かぼちゃやスイカやブロッコリーを食べるけれども、それはそれぞれの作物の味と香りにのせて、育ったところの土を食べているのと同じだ。言い過ぎだって?いやいや、ぼくにはそうとしか思えない。
以前、農薬が心配だからと、トマトの皮を厚くむく友人がいたけれど、もし土が汚れていれば皮をむいたところでどうなるものではない。身ぐるみ汚れているのだから。そう、洗っても洗っても決して落ちることがないのが土の汚れから来る作物汚染だ。それと分かれば捨てることもできるが、これも他の農薬汚染と同じく、見ても食べても決してわからないから始末が悪い。
さて、アジア各国やアメリカ、南米各地の作物が大量に出回っている。安い。国内産の何分の一かの価格だ。でも、だからといって買って食べてみたいとはとうてい思えない。いま見たように、ぼく達はそれらの作物を食べながら、中国やアメリカやアルゼンチンの土を食べることになると思うからだ。それらの土が食べてもいいほどに安全かどうかは誰も知らない。
土の汚れは作物の汚れ、作物の汚れはそれを食べる人間の身体の汚れにつながっていく。
「身土不二」という言葉がある。身体と土は一つであり、両者を分かつことはできないという意味合いをもつ言葉だ。前回、土の弱りは身体の弱りを引き起こすと書いたが、そのこととあわせて考えれば、全く土と身体は不可分であることが実感できる。
食を問うなら土から問おう。健康を築くなら土から築こう。いのちを語るなら土から語ろう。どうせ喰うならいい土を喰おう。切実にそう思うがどうだろうか。
2006.04.17:
kakinotane
:[
メモ
/
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」 バックナンバー
]
https://kanno-nouen.jp/
菅野農園のホームページで
お米を販売しています
名前
件名
本文
URL
画像
編集/削除用パスワード
※半角英数字4文字で自由に入力下さい。
手動入力確認イメージ
※イメージ内の文字を小文字の半角英字で入力して下さい。
※ 投稿後、すぐに反映されます。
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜農業版〜」
私の経営
プロフィールのようなもの
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」 バックナンバー
お米と玉子を食べてみたい方のために・・
菅野芳秀の連絡先
レインボープラン推進協議会
カテゴリー
メモ
メール
Q&A
暦
リンク
地図
ウィキ
特集
プラン
ケータイサイト
インフォメーション
プロフィール
copyright/kakinotane
あなたは土を喰ったことがあるだろうか?あるわけがないって?いやいや、いつだって食べていると思うよ。茶化しているわけではなく。ぼくにはそう思える。というのは・・・
田んぼの刈り取りがすんだ今ごろになると、ときどきカドミウムに汚染されたお米が見つかって大量に焼却処分されたという話が報道される。当然のことながら、稲が重金属であるカドミウムを作ったわけではない。カドミウムに汚染された田んぼがあって、そこで育った稲がそのカドミウムを根から吸収して白いお米に蓄えたということだ。
一昨年、山形県では栽培されたきゅうりから40年前に使用禁止となった殺菌剤の成分が出て問題となったことがあった。これも、土の中に残っていた農薬を根が吸収してきゅうりに蓄えたというわけだ。
つまり、作物は土から養分や水分だけでなく、重金属から化学物質まで、いい物、悪い物を問わずさまざまなものを吸い込み、実や茎や葉に蓄えるということだ。土の現状がそのまま作物に反映されていく。
ぼく達は、かぼちゃやスイカやブロッコリーを食べるけれども、それはそれぞれの作物の味と香りにのせて、育ったところの土を食べているのと同じだ。言い過ぎだって?いやいや、ぼくにはそうとしか思えない。
以前、農薬が心配だからと、トマトの皮を厚くむく友人がいたけれど、もし土が汚れていれば皮をむいたところでどうなるものではない。身ぐるみ汚れているのだから。そう、洗っても洗っても決して落ちることがないのが土の汚れから来る作物汚染だ。それと分かれば捨てることもできるが、これも他の農薬汚染と同じく、見ても食べても決してわからないから始末が悪い。
さて、アジア各国やアメリカ、南米各地の作物が大量に出回っている。安い。国内産の何分の一かの価格だ。でも、だからといって買って食べてみたいとはとうてい思えない。いま見たように、ぼく達はそれらの作物を食べながら、中国やアメリカやアルゼンチンの土を食べることになると思うからだ。それらの土が食べてもいいほどに安全かどうかは誰も知らない。
土の汚れは作物の汚れ、作物の汚れはそれを食べる人間の身体の汚れにつながっていく。
「身土不二」という言葉がある。身体と土は一つであり、両者を分かつことはできないという意味合いをもつ言葉だ。前回、土の弱りは身体の弱りを引き起こすと書いたが、そのこととあわせて考えれば、全く土と身体は不可分であることが実感できる。
食を問うなら土から問おう。健康を築くなら土から築こう。いのちを語るなら土から語ろう。どうせ喰うならいい土を喰おう。切実にそう思うがどうだろうか。