ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
2週間も…!?
たけたけさま
びっくりだよ。
私も同じ思いでした!
その屋根を支えている柱は、大丈夫なのかしらってね。
昔っていつ頃のことなのですか? 瓦(さんがわら)を、セメントみたいなので飛ばないように張り付けている屋根とか、所々に石を乗せているのは見たことありましたけどね。(沖縄の屋根とかね) 種子原人さんへ この屋根、凄いな〜。 大きいままの写真で私はメチャクチャ嬉しいです。 写真戴きたいのですが、よろしいでしょうか? 〜〜〜〜〜コメントご無沙汰の言い訳〜〜〜〜〜 実は、義父(94歳)の24時間付添い(22日間)で、病院に縛り付けられていました。 義父が退院した4日後に叔父(義父の弟78歳)が急に亡くなりお葬式。 次男の嫁も入院。・・・続いてお盆。 9月、台風12号の警報が出ている中(四国香川県は台風12号の目の中に入っていたんです)猛特訓して戴いて、4日(薙刀の昇段試験)審査を受けました。 7月14日から、今まで、私には自由な時間がありませんでした。 これって私の人権は無視されているよな〜って思いながら頑張りました。 近所では、まだまだ家族(嫁)が看るのが当たり前なんです。 日本全国同じかな・・・? 看なければ、非情な嫁やって思われるよな。ほんで言われるよな〜。 でも、この状態がいつまで続くかわからないって思った時、どっと疲れが出ました。もう病院はイヤだよ〜ってね。 それを支えてくれたのは、親戚の人たちと、同じように長期間付き添っている先輩方の体験談や励ましの言葉かけでした。 みんな頑張っているんや! 私もここで投げ出すわけにはイカンのよな。だって代わりが誰も居ないんだからね。 今回は、肺炎だったので22日間で退院できました。今回の事で、私に義父母を看取ることができるんやろかって、大きな不安が広がっています。 「まあ、私にできる事しかできんし、やれるところまで頑張ります」やわな! |
『ミトコンドリア』
山さくらさん!
種子原人さん、ありがとうございます!
昔々の対馬には、石屋根の家が多かったのですか?
ツシマヤマネコって、運が良かったら、近くで見ることができるのですか? 今年は、夏から2〜3度、熊の姿を見たっていう人が居ました。 今までは、夏には出て来ることは無かったんですって・・・・? もし、出てきたとしても、もう少し秋が深まってからだったそうです。 ヤマネコは、テレビの画面か図鑑でしか見たこと無いです。 本物の熊は、熊牧場とか、動物園でしか見たこと無いです。 両方とも、人間にも襲い掛かって怖いんでしょう。 私の住んでいる辺りでは、猿か狸ぐらいかな・・・? 猿だって、歩いているときに近くに出てきたら恐いですよ。 今、讃岐は雨です。 台風15号の影響ですよね。 17日は、警報が出ていたのですが、18日の運動会は一日中夏日和でした。 台風も、多くのテルテル坊主を目の当たりにして、一日道草してくれたんでしょうかね。 同じ場所に留まって、吹き荒れている所は本当に大変で怖かったことと思います。 前回の台風12号の目は、私たちの所(三豊市)を通りました。 我が家の、コシヒカリは8月末に刈っていたので助かりました。まだ刈っていなかった田んぼはペッタンコ。 倒れてしまうとと、稲刈りがほんまに大変なんですよ。 今回は大きな被害を残さずに無事に通り過ぎてくれますように・・・。 祈るしかないです。 |
再び、山さくら様
自然エネルギーへ!
先輩、おはようございます。さよなら原発集会の写真を見て、感動を受けております。
ここ鹿児島は、反原発・脱原発を真摯に考えなければ、危ない地域(川内原発)を抱えています。もう九州電力のまやかしの説明に、住民は騙されてはいけません。「原発は安全・安心です。事故がおきてもわが社ばかりでなく、国も責任をもちます。海に面した過疎地にあります。」(原発展示館係員の説明) かような九電(係員)の説明は、地域の住民を全く馬鹿にした許しがたいものです。裏を返せば、事故が発生しても過疎地域の住民の犠牲にとどまればよい、という内容です。 係員の説明では、太陽光・風力などの自然エネルギーの開発はコストが高いということです。しかし、この論点は、コストの問題ではなく、生存権の問題です。 福島原発による事故発生は、悪魔の道具と化したことを意味します。このような事実がありながら、九電・鹿児島県知事らの取る態度は腹立たしい限りです。 反原発は、われわれ国民の最重要課題です。 |
種子原人さま
種子原人さま
TPPは恐い
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ニワトリたちは玉子を産み始めて一年ぐらいすると少々くたびれてくる。産む玉子は大きくなり、そのぶん水っぽくなる。産卵率がガクッと落ちる。体を覆う羽もみずみずしさを失い、少し歳をとったかなという感じになる。たくさん玉子を産んでくれたのだからしょうがないけど。
そんな時に行うのが「強制換羽」という名の「断食」だ。これは「自然」ではない。でもこれによってニワトリたちは見事に変わる。玉子を産み始めたばかりの若どりと比べても区別がつかないほどに若返るのだ。およそ13日から14日間エサをきる。ニワトリたちには常日頃いかにお世話になっていたとしても、ここは情け容赦なく行わなければならない。
断食はつらい。10日目ぐらいからフラフラするものもでてくる。ニワトリたちにとっては何のためにエサを与えられないのか、しかもこの苦しさがいつまで続くのかも分からないはずで、不安といえばとてつもなく不安だろう。
鶏舎の中に入っていくと「私たち、なんか悪いことした?」という目で僕を見つめる。僕だってつらいのだ。191センチ、96キロの僕は、食事を一食抜くだけでも大騒ぎするぐらいなのだから、二週間の断食は気が遠くなるぐらいのつらさだろうと・・・考えただけでもいやになる。
そして断食があける。人間で言えば「おかゆ」のようなものから少しずつ与えていくのだが、想像できるでしょう?ニワトリたちがエサに飛びつく様子。エサをもらえないという苦しさも、エサを与えないというつらさもこれで終わりだ。
食べ始めてから4、5日もすると一斉に「換羽」が始まる。ニワトリたちの古い羽が抜け出し、若々しくみずみずしいものと交代する。姿かたちはまったくの若どりになっていくのだ。それだけではない。やがて産み出す玉子も若鶏と違わないプリンとしたものに変わっていく。ニワトリたちの体の中で何が起こっているのだろう。
「老化」、「働きすぎからくる疲れ」、あるいは「容姿の衰え」→「断食」→「若返り」。ニワトリたちのたどった過程はこういうことだ。
再び溌剌として遊びまわるトリたちを見ていると、これって人間でもできないだろうか、いけるかもしれないと思う。
そのこととは別に、若返るためとはいえ、ニワトリたちに断食を強いてきたこの僕は、当然のことながらそのつらさを一度体験しなければなるまいと考えている。