ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
昔のままの懐かしい田んぼですね!
畦なみ
ありがとうございました!
一番納得したのは、山形(北国)では、田植え前に畦の草が伸びていないっていうこと・・・・滅茶苦茶ガッテン!しました。
・・・『ガッテン! ガッテン! ガッテン!』で〜す。 アゼシーターも、ネットで見ました。 便利なもんがあるんですね。 このあたりでは、ビニールを敷いている田んぼは見かけません。 でも、機械があるんだから、全国的にそうしているんでしょうね。 いろいろ見ていたら、アゼナミも田植えしてから入れるって方法もあるみたいですね。 その方が簡単に入れられて、あと田植え機で傷付けることもないんですって・・・。 ありがとうございました。 それでなんですけど、4隅を手で植えるって、書いておられましたけど・・・? なんで4隅なのですか? 我が家は、 田んぼの周りを、田植え機の幅2回分位残して中を植えて、最後に周りを植えて、もう一度最後の筋だけバックして、端っこから植えて田植え機が出て来るから、一番最後の出てきたところだけ手植えしていますよ。(我が家では、一隅だけです) その一隅も、息子は「あんまり丁寧に植えんでもええよ!」「手で植えた所は、手で刈らなイカンきんな〜」「植えた人が手で刈らなイカンで!」って言います。 私が植える時は、廻り方をいっつも息子に確認してから田んぼに機械を入れます。 だって田植えは1年に1度の事なので覚えないし、私は幾何学にも一筆書きにも弱いんです。 ※ これは、手抜きの無精者ですか? 農業のプロには、考えられない怠け・手抜きの作業なのでしょうか? |
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春先に書いた「それぞれの春」でもふれたように、81歳の現役農民である栄さんが倒れた。そして1ヶ月。栄さんの20aは我が家で受け持つことになった。息子の春平が引き受けてくれる人を捜してはみたが、誰も「うん」とは言わなかったという。それも無理もない話だ。この20aは山あいにあり、近年に開田された田んぼだ。同じ手間をかけても里と比べればずっと収穫量は少なく、それに米価はとんでもなく安い。農家は借りてまでも作りたいとは思わない。この時期、自分の家の田んぼを維持するだけで精一杯というのが正直な話だ。だからにわかに持ち上がった栄さんの田んぼの引き受け手がいないというのも当然といえば当然だった。
「我が家で引き受けられないかなぁ?」
と春平が言い始めた。
「そんなことはやめた方がいい。私は反対だ。開田は何をするにも苦労が多い。栄さんの親戚の農家や近所の農家も引き受けることができないと言っているんだべ?なにもお前が骨をおることはない。それよりお前の身体を休めたほうがいい。」
真っ先に反対したのは92歳の母だった。ときどき空咳をする孫を気づかってのことだ。
「俺は大丈夫だよ。栄さんは田んぼとともに生きてきた人だべ。せっかく育てた苗を廃棄にでもしたら、入院先で『これで俺の人生は終わった』と思うに違いないよ。そんな栄さんを支援できるかどうか、このことは俺が百姓をする上での根本にかかわることだ。」
そんなことを繰り返し主張していた。
「栄さんがまたやりたいといいだしたら、いつでも返すつもりだ。それまでは俺が管理する。」
どうも、決意は固いらしい。言い出したらなかなか後には引かない息子の性格は家族みんなが知っていること。それならしょうがないだろうと母もしぶしぶ納得した。若いときには得てして「正義」や「理想」に走りやすいものだ。
品種は「はえぬき」。353aの我が家の田んぼに20aの栄さんの田んぼが加わった。
俺?俺は息子のやることには反対しないことにしているからね。あまり自分の意見は言わなかったよ。
<写真は田んぼの畦に咲いている野花。春シオン、忘れな草、オオイ ヌノふぐりなど>