ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
こちらもすごい雪です。
部屋から見ている分には素敵な景色ですけど、家の周囲を、建物から、1,8m分は雪かきして、融雪用の塩をまいて歩行者の安全を図らなくてはならないと決められているので、毎日雪かきです。
「ずんずん積もる」っていう歌の歌詞がぴったりなぐらい、ずんずん積もってゆきます。夜もこの数日は満月だったりして、月がすごく明るく、雪に反射して、ほんとに明るい夜が続いています。 こういう自然に親しんでこなかった私としては、珍しいなあと、半分楽しんでいますが、お年寄りには重労働だし、負担でしょうね。それに畑は、雪に覆われていて、野菜はもうすっかり凍ってしまっているし、春の来るのが待ち遠しいこのごろです。 雪女ですが、あんな白い着物をこの現代にも着ているのかしら? 菅野さんは、確かに恨みを買っていると思うけど、その分鶏を守っているから、鶏の恩返しっていうこともあるから、鶏なのか狐なのか、そこを見極めないといけませんねえ。 菅野さん、雪女って、美人と相場が決まっているけど、ブスだったらどうします?それでもお茶に誘いますか? |
雪女
ふう〜ん、ばかされるネ!
そういえば内山節さんが
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」って本を書いてますね。ぼくは読んでないのですが、面白かったって知り合いが言ってました。
P.S.菅野さん、20日よろしくお願いします。 ピープルズプラン研のサイトには大野和興さんが「オルタ提言の会」 http://www.peoples-plan.org/jp/modules/altplan/index.php?page=menu というところで、先日、「農業と地域社会」をテーマに話したことが掲載されてます。 http://www.peoples-plan.org/jp/modules/altplan/index.php?content_id=19 知ってたら、ごめんなさい。 |
tu-ta さまへの質問
「オープンキャンパス」のチラシが送られてきていました。
今朝、見つけました。 「作る・買う・食べる――国境を超える生産と消費」ですか・・・。 このテーマでしたら、私よりはるかに大野さんや篠原孝さんが向いていると思います。何故私なのかがいまひとつわかりません。 このテーマで他人に語れるほどのものは持ち合わせていませんぞ。 私は1989年のPP21において「オールタナティブ」という考え方に出会いました。その視点に立って我々が実現すべき地域社会の枠組みを、「循環」、「多様性の共生」、「自立と自給」、「民主主義」、「地球的視点」、「交流」、「家族農業」などにおき、「生ごみ」をツールとしてこれらに近付く地域づくりを進めてきました。それが「レインボープラン」でした。 ですから、そこから見えてきた世界・・・たとえば「土」と「食」と「いのち」の関係。生産と消費の循環的世界など、 あるいはそれらが、進行する農業・農村の崩壊の前に果たして「オールタナティブ」足りうるのか・・・などを話せと言うのならわかります。でも、「作る・買う・食べる――国境を超える生産と消費」はちがうかな・・・と。 「どんなオルタナティブな社会を、どのように作っていくのか。 それを「百姓」という観点から話す」(tu-ta さん)とすれば、レインボープランの経験を交えて「農(あるいは土)を基礎とする循環型社会の創造」にかかわるアレヤコレヤの話となります。 私に求められているものがイマイチ分かりません。 どんなもんでしょう? 大野さんの話は知りませんでした。参考にさせていただきます。ありがとうございました。 |
ぼくが聞きたいのは
まさに《それらが、進行する農業・農村の崩壊の前に果たして「オールタナティブ」足りうるのか・・》という話です。
ぜひ、その話をしてください。チラシのほうが間違ってます(笑) よろしくお願いします。 ここに菅野さんが書いてる === 私は1989年のPP21において「オールタナティブ」という考え方に出会いました。その視点に立って我々が実現すべき地域社会の枠組みを、「循環」、「多様性の共生」、「自立と自給」、「民主主義」、「地球的視点」、「交流」、「家族農業」などにおき、「生ごみ」をツールとしてこれらに近付く地域づくりを進めてきました。それが「レインボープラン」でした。 ですから、そこから見えてきた世界・・・たとえば「土」と「食」と「いのち」の関係。生産と消費の循環的世界など、 あるいはそれらが、進行する農業・農村の崩壊の前に果たして「オールタナティブ」足りうるのか・・・などを話せと言うのならわかります。 === という部分、宣伝に転載したいです。転載させてください。 |
了解です!
新経済成長戦略2008改訂版?こんなのあり?ですか?
写真はスペインのビニールハウス地帯。
先進的植物工場施設整備費補助金制度概要と言うのがあるんですね。 たまたま、私が開いたブログ(下にULRあります)に、 「植物工場セミナーのお知らせ」という宣伝のULRが出ていましたので、開けてみたら、なんと、政府はこんな戦略を立てているじゃありませんか。 「園芸農業の発展と地域活性化を目指して植物工場の普及拡大を図る」 日本は、こんなことをしようとしているんですか! 「平成21年度補正予算額47.2億円」 こんなお金を、食べ物を工場でつくる政策につぎ込むなんて。それで国民の食料安定供給を満たそうという根本的に間違った(私は間違っていると思う)流れを更に支援しようというんですか。 たとえば、冬に、レタスやトマトを食べるという、すでに狂った常識が消費者に浸透してしまっていることこそ何とかしなくちゃいけないことなのに、消費者が高く買うから、という市場心理にこたえて、工場で野菜を作って売れば、露地野菜より儲かるから、と業者が作る。こんなバカげた循環こそ断ち切らなくてはいけないのに。 それを変えていこうという流れを支援しないで、植物工場だなんて!!しかも、これが地域再生?経済産業省の役人はジャガイモがどうやってできるか、知らないんですよ。見たこともない。フライドチキンは鶏から作るって知らない。ひき肉が豚や牛から作られることも。 私のブログの中ですが、 「魚も肉も、野菜も、加工食品も、ほとんどすべてが、この番組(ブログの中の映像)の指摘しているとおり、グローバルビジネスに翻弄される庶民向けに作られ、販売されているのだなあ、と、しみじみ感じました。100g30円のひき肉、鶏丸ごと1羽、200円、アフリカから来た薔薇がひと束198円。牛乳1L80円。こんなことがあっていいのか? このフィルムの中に、アフリカ・セネガルのダカールの話が出ていました。 ダカールの最大のマーケットには、EUのトマトが並んでいるんだそうです。それは地元のトマトの3分の1の値段だそうです。だから地元の農家がやっていかれない。それで、EUの企業が経営する野菜農場に労働者として雇われる。そこで農薬を全身に浴びながら仕事をしたり、その仕事もない人はEU各地に出稼ぎに行っておよそ人権など無視した労働力として使い捨てられているというのです。」 上は農場と書きましたが、実態は工場です。 このフィルムの全編版http://video.google.com/videoplay?docid=-7738550412129841717# には、スペインの実態が映されていますけど、トマトの苗なんて泣いていますよ。 1960年代にEU市場向けに政府が砂漠のような土地に水を引き、農民を誘致して大植物工場地域を作ったのです。 見渡す限りの土地をビニールハウスが覆い尽くしています。上の写真を見てください。想像を絶しますね。 その中で、集中治療室の病人さながらいろんな薬や栄養を点滴みたいに根元に注入されているんです。そうやって病気にならないよう、人手がかからないよう、早く安く実をつけるためにあらゆる技術を駆使してトマトの安定供給を図っている。そのトマトが、1000km以上離れたベルギーや、ドイツで、500g150円かそこらで売られているのです。でもスペインは今や、トルコや北アフリカ諸国の安い労働力に押されぎみで、苦戦を強いられているというのです。40年経って、スペイン政府は今度はどんな手を打つでしょう。 植物工場を日本にどんどん増やすことが、日本の食糧戦略であり、地域の活性化につながると信じる政府。儲かるためには何でもする企業。安くておいしければ何でも買う、何でも食べる国民。 恐ろしいことです。 菅野さんの勉強会、どうぞ、熱弁をふるってください。 菅野さんの卵が、世界を変えるには、一人一人の心を揺さぶり、これでいいのか?と、問いかけなくてはなりませんよ。 消費者には、1パック198円の卵が魅力的なんです。 なんでも安いのが平気なんです。 その消費者を変えなければ生産者はやっていけません。 消費者が変われば、政府や企業は玉虫色ですから、いかようにも変わると思うのです。 彼らは儲かれば、自分の立場が安泰なら、それでいいんですから。 |
トマトは食べない
菅野さん、お金がなくて行かれません。
日雇いに出ています。 (嘘。今カーニバルなので、おとといのお祭りの写真をつけます) 下のULRには私がYOUTUBEにアップロードした小さなパレードの様子が見られます。24秒だから見てください) 銀行にお金が入っているのに、利息がつかないから、貧乏な気分です。 私は今、利子生活者なんです。年金生活者も大変でしょうが、年金は少なくとも毎月定収入ですよね。利子生活者は世界経済に翻弄されております。かといって定額利息ではインフレに追いつかない状況なんです。 市場に行って、1個1,6ユーロのサラダを(この町の近くの温室栽培)を買うか、スーパーでイタリア産の(もちろん温室)1ユーロのサラダを買うか、じっくり考えて、1カ月に一度、市場で1,6ユーロのサラダを「えい!」と、思い切って買う懐具合です。0,6ユーロはドイツの農家への支援金でもあります。 夏に0,16ユーロにまで下がるサラダですが、冬場は10倍です。そんなものを食べなければいいわけですが、たまにはやはりあのしゃきしゃきっとしたのを食べたくなるので。 今年初めて、私もドイツの地野菜ともいうような根菜類を試しました。結構おいしいですよ。今度写真を送りますね。 それと、納豆作りに成功しました。 友達がクリスマスプレゼントに送ってくれた納豆をタネに、こちらの大豆のひき割りにしたものを蒸して40度で20時間。ちょうど暖房機の上に置くと適温のようで、うまい具合にできちゃいました。 これからは、納豆をどんどん食べて、畑の野菜ができるまでをしのごうと思います。そのうち大豆も自家栽培のものを使えるから、夏は野菜、冬は納豆とキノコでも作って売ろうかな、と、思っています。これで収入になれば、日本へ行かれますから、それまで待っていてください。 今日は、農作業用の長靴を買いに行く予定です。 |
くみさんは・・?
宣伝の文書、つくりました。
いろいろありがとうございました。
申告作業に没頭します。
tu-taさんへ
菅野さんにお会いできなくって残念でした。今回は菅野さんの代わりに、河津の桜に魅せられてきました。
講演会のこと、せっかく教えていただいたのに、ごめんなさい。 もうひとつ、 『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』の本を、教えてくださって、ありがとうございました。 これは、ちゃんと読みましたよ。 めちゃくちゃ、面白かったです。 私の視力でも読めるくらいの字の大きさでした。ラッキー! 私以外のみなさんは、ほんまに難しいことを考えて生きておられるのですねって思いました。 でも、こういうふうに分析して、書いていただけると・・・そのように納得してしまいますね。 やっぱり本っていいですね。家に居ながらにして、自分の知識を広げられるし、体験もしたような気分になるし・・・、ほんまにいい事尽くめですね。 友達にも薦めたけど・・・、どうかな、読んでくれるかな? 私も、菅野さんに見習って3月1日から申告の書類まとめます。 私はダイッキライなんですけど、大好きっていう友達もいます。 「自己申告なんだから、自分で申告できるんだからこれはいいこと(嬉しいこと)なんですよ」って、言います。 世の中いろんな人が居て、いろんな考え方があって、いいんでしょうけどね。・・・・私には、計り知れない人もいっぱいいます。 そういう人たちは、私に無い知識を持っていて、そっと何気なく教えてくれたり、温かく包み込んでくれたりします。・・・空飛ぶニワトリのみなさんも、私にとっては、みんなそういう方たちなんですよ。 |
国民皆農!
鹿児島大学元教授の萬田正治氏が、「国民皆農・共生めざす」を主張しています。竹子(たかぜ)農塾主宰。国内農業に吹いた強い風から、私たちは目をそらすことができないという視点に立つものです。
暮らしの視点からも「農」を見るべきで、従来、産業面からのみが重視されてきました。非農家の多くも自給自足の生活手段を取り戻すべき時です(その意味での国民皆農)。萬田先生は、市場原理・競争原理から抜け出し、共生・協同の視点に立ち、更に相互扶助の精神を復活させることの必要性を主張しています。対米従属の食料政策から抜けだし、日本農村の再建という点で、おおいに賛成です。 故末広巌太郎(民法学者)博士がいうように、「農村・農民には独自の常識があり、商人の常識のみをもって常識と判断してはならない」と考えます。農民は、商人感覚(取引の没個性、反復性など)とは別の原理で動くべきと考えます。このように解釈するのは私の独断でしょうか? 少し時間に余裕がありましたので、勝手にこのコメント欄を利用させていただきました。今からまた、仕事に行きます。では。 先輩、確定申告作業を頑張ってください! |
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
読書メモから 少し
「あとがき」の内山さんの感想がこの本の内容を端的にあらわしている。そこから少し抜書き
==== 書き終わってみると、なおさら私は日本の近代化とは何だったのだろうという気持ちになってくる。それが良かったのか、悪かったのかという価値判断は、まだ後の課題にしておいてもよい。それ以前のこととして、日本の近代化によって生じた変化がまだ明らかになっていない。そんな気持ちである。 本書のテーマであるキツネと人間の物語にしてもそうである。なぜ人はキツネにだまされなくなったのか。ここには人間たちの自然観の変化も、信仰観や死生観の変化も、そして当の人間観の変化もある。私たちを私たちたらしめている要素のすべてが変わったといってもよい。 ==== こんな風にあとがきに書かれていますが、この本では近代化がもたらした変化にかなりていねいにせまっていると思います。もちろん、それは否定的なことばかりではありません。近代化による喪失と、それがもたらした利便性や桎梏からの自由をどのように秤にかけるべきなのかということは、内山さんが書いているように、まだ後の課題でいいのかもしれません。でも、ここは現代のオルタナティブを考えるときの大きなテーマでもあります。そんなに先ではなく、この問題への答えを探すことも求められているのだと思います。 |
再び追加の抜書き
少ししつこいな、と思うのですが紹介させてください。
==== 日本の人々がキツネにだまされていた時代とは何か。その時代に人々はどのような精神構造をもち、どのように自然とコミュニケーションをとりながら、暮らしていたのか。そのような問いをたてるとき、ここにはかなり深い考察課題があることに気づく。現代の私たちの精神世界で「キツネにだまされた」という言葉を用いれば、それはあやしげな話にすぎない。しかし現代の私たちとは大きく異なる精神世界で生きてきた人々にとっては、キツネはどのようなものとして私たちの横に存在してきたのか。今日の私たちの精神では到達できないものがそこにあったことを、私たちは確認しておいたほうがいい。107p ==== |
暇ではないけど読ませていただきました。
この本、もっともっとみなさんに読んでいただきたいですよね。
だって、奥が深すぎて私には部分的にしか人に伝えることができません。 tu-taさんの、ブログに勝手に入り込みましたが・・・、コメント上手く入ったかどうか疑問です。 以前にも一度かってに開いたことがあるのですが、目で文字を追うだけで疲れました。 難しい世界で、私には無理やなって思いました。 いろいろなことを考えて、ステキな生き方をされてる方なんだろうなって思います。 私は、やっぱり天然なんですよ。 でも、これからも解るところは頑張りますね。ニッコリ! 写真は、昨日写した麦です。田舎の自然はいいですよ! |
copyright/kakinotane
雪に囲まれた生活が続いている。
木々の枝えだは雪におおわれていて、
風はそれらの間を静かに通り過ぎていく。
今は何の音も聞こえない。
全てのものが冷たく凍りついたような夜。
先ほど窓の向こうをすーっと白い和服をまとった「雪女」らしきものが通り過ぎて行った。
声をかけ、お茶でもいっしょにと思ったが、間に合わなかった。
今日の午後、西根地区公民館に行ってキツネの被害の話をしたら、
お茶のみに来ていた人達がかつてキツネにばかされた(幻惑された)村人の話をしてくれた。
「あのね、近所の○五朗さんは、自分の家の前を通り過ぎてどんどん山の方に入っていこうとしたんだと。夜中にだよ。幸いにも偶然、近所の人に見つけられ連れて帰ってもらった。キツネにばかされたんだともっぱらの評判だった。見つけてもらえなかったらあぶなかった。」
「○○ばあさんがまだ娘のころの話だ。隣の家のおばさんが町に買い物にいったきりいなくなった。みんなで探したら家とは反対の方向で見つけられたと。自分が誰だか分からなかったという。キツネに化かされたんだ。」
お茶を飲んでいた人達からこんな話をたくさん聞いた。
「ほんとか?今で言う認知症だったのではないか?」
「いや、みんな若かく、そんな歳ではなかったという話だ。」
「やっぱり、キツネだと村の人達は信じているよ。」
おばさんたちの話は続く。みんな本気だ。えぇっ、そんな話は遠くの人達の話かと思っていたよ。確かにオレも小さいときにはキツネにばかされた人達の話を聞いてきたけど、今もなお、恐ろしそうに話す人達がいる。もし、今でもそんなことがあるとすればオレは危ない。何度も捕まえたし・・・奴らにはたくさん恨みをかっているから。
もし、オレの誘いにのって雪女が簡単に部屋に入ってきてくれたら気をつけなければならないな。キツネかもしれないのだから。気がついたら、寒い鶏舎の鶏ふんの上に裸で寝ていたなんていうことになりかねない。
いや、実におっかない話だ。