ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」 

雪に囲まれた生活が続いている。
木々の枝えだは雪におおわれていて、
風はそれらの間を静かに通り過ぎていく。
今は何の音も聞こえない。
全てのものが冷たく凍りついたような夜。

先ほど窓の向こうをすーっと白い和服をまとった「雪女」らしきものが通り過ぎて行った。
声をかけ、お茶でもいっしょにと思ったが、間に合わなかった。

今日の午後、西根地区公民館に行ってキツネの被害の話をしたら、
お茶のみに来ていた人達がかつてキツネにばかされた(幻惑された)村人の話をしてくれた。
「あのね、近所の○五朗さんは、自分の家の前を通り過ぎてどんどん山の方に入っていこうとしたんだと。夜中にだよ。幸いにも偶然、近所の人に見つけられ連れて帰ってもらった。キツネにばかされたんだともっぱらの評判だった。見つけてもらえなかったらあぶなかった。」

「○○ばあさんがまだ娘のころの話だ。隣の家のおばさんが町に買い物にいったきりいなくなった。みんなで探したら家とは反対の方向で見つけられたと。自分が誰だか分からなかったという。キツネに化かされたんだ。」
お茶を飲んでいた人達からこんな話をたくさん聞いた。
「ほんとか?今で言う認知症だったのではないか?」
「いや、みんな若かく、そんな歳ではなかったという話だ。」
「やっぱり、キツネだと村の人達は信じているよ。」

 おばさんたちの話は続く。みんな本気だ。えぇっ、そんな話は遠くの人達の話かと思っていたよ。確かにオレも小さいときにはキツネにばかされた人達の話を聞いてきたけど、今もなお、恐ろしそうに話す人達がいる。もし、今でもそんなことがあるとすればオレは危ない。何度も捕まえたし・・・奴らにはたくさん恨みをかっているから。

もし、オレの誘いにのって雪女が簡単に部屋に入ってきてくれたら気をつけなければならないな。キツネかもしれないのだから。気がついたら、寒い鶏舎の鶏ふんの上に裸で寝ていたなんていうことになりかねない。

いや、実におっかない話だ。

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地元の猟師に聞いてみたら、確かにキツネは増えているということだった。

「俺たちもキツネを追わなくなって久しい。何故って、キツネの皮が売れなくなったからよ。昔は一匹で2〜3万円にはなった。」

彼の言う皮とは襟巻きなどに使う毛皮のことだ。確かに最近では、キツネの襟巻きをしている婦人を見かけなくなった。例の頭から尻尾までついているヤツ。かつてキツネに限らず小動物の毛皮を頸に巻いている婦人がいた。見なくなったのはいつごろからだろうか。
もし、いまキツネの襟巻きをして街を歩いている人がいたら
「キツネがかわいそう。」「気持悪い。」「生理的に受け入れられない。」など、
環境派、自然派のみならず、普通の人達からも批難の声が上がるかもしれない。動物愛護団体などからもクレームが来るかも。

 そういえば動物のはく製などもあまり見なくなった。金もちの玄関などにはきまって鳥や獣のはく製があったものだ。なくなったよなぁ。
 人々のモノサシが変わったんだべね。環境破壊の進行と自然志向が人々の美的感覚を変えたのだべか。

 その結果としてキツネが増え、我が家のニワトリが襲われるようになったということか。

 ここだけの話だけどとことわり「食パンに殺虫剤を沁みこませておいておけばキツネを殺すことができるよ。」と教えてくれた人がいた。う〜ん・・・。 たしかに奴らは数十羽のニワトリ達を一晩で殺戮する獣だ。でもそれはできないよなぁ。こう見えて俺も環境派だし自然派だからね。あまっちょろいかもしれないけど・・・。

困ったよ。

やっぱり当面は頑丈に鶏舎を守り、奴らの侵入を防ぐしかないということだべね。

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キツネを捕まえた。これで二匹目だ(バックナンバー2009年5月21日「キツネがきた」)。
昨年の秋のことだ。
「ちょっと来て。キツネがかかっている。」
朝、息子が息せき切って呼びにきた。
「なに!本当か!」
鶏舎に走った。

 今までずいぶん被害にあった。今年だけでも4度。被害数は180羽にも及ぶ。彼らに襲われた後の鶏舎に行けば、足が震え、思わず叫び声が出る。鶏舎の内外に数十羽の鶏のみじめな死骸が横たわっているのだ。「・・・どうして・・」
どうしてこれほどまでに・・。ライオンだって、必要以外の獲物は殺さないと聞く。一度にこんなにたくさんの鶏たちを食べられるはずがないのに。殺すこと自体が目的なのか。あまりにも残虐な・・・。一羽だけを襲うタヌキがかわいく思える。やられた鶏の多くはようやく玉子を産み出したばかりの若鶏だった。すべて集めても1000羽ほどの小さな自然養鶏。経営的にも大きな痛手となっていた。

 キツネは金網を食い破って侵入してくる。補強するー侵入するー補強するー侵入する・・・のくり返しだった。もう大丈夫だろうと思っても、予想を超えたところから侵入してくるのだ。キツネは残虐だ、あるいは狡猾だ、頭がいい・・・などという民話上の話には根拠があった。我が家が経験したようなことを昔からたくさんの人達が経験しながらこの国のキツネ観が出来上がってきたのに違いない。

 罠には小ぶりの痩せたキツネがかかっていた。俺の顔を見て逃げ出そうとするも、足ががっちりと挟まれていて動けない。
「そうか、腹へっていたのか。だけど許してやるわけにはいかない。」
わが農園は、自然との共生を謳っている。だけどそれにも限度がある。その線引きはお前と相談して決めたわけではないが、お前を放してやれば、更に数十羽のニワトリ達が殺されかねないのだから。

 キツネよ。朝日連峰に棲むお前達には、昔からお前達にふさわしい食べ物があるだろう。ニワトリはお前達の食文化の外にあったはずだ。俺にしたってお前達を捕まえたくはない。キツネとのあれやこれやは民話の世界で充分だ。もう来るなよな。

写真をダブルクリックすれば大きくなります。キツネの眼にご注目!

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あけましておめでとうございます。

たくさんの雪が降り、あたり一面が真っ白な銀世界、白と黒の世界となっています。
 正月の朝、山に分け入り、私が「山の神さま」と呼んでいる、この地の微生物達へ新年のご挨拶に行ってきました。もう16,7年続けている行事です。
 太古の昔から今日まで、全てのいのちあるものを次のいのちに繋いできたこの地の微生物たち。山の神さまたちによるいのちの循環。
百姓としてこの循環に調和する農業をとこころがけ、市民としてレインボープランという名の循環型地域づくりをこころざしてきました。
 「今年も精進して歩みます。お見守りください。」
 山々は雪でおおわれ、聞こえてくるものは雪が風に乗って、木々を揺らせる音だけでしたが、何かジワーッとしたエネルギーが体に沁みこんで来たように思いました。
また一年が始まりました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 2010・1月 元旦       山形の百姓・菅野芳秀

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稲刈りが始まりました。
ブログの更新の代わりに下の記事を読んでおいてください。
俺の・・ま、いいか。

http://blogs.yahoo.co.jp/rodojoho05/50634737.html

いい秋ですよ。
刈り入れにふさわしい秋晴れが続いています。
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 前回の続き

青年達が農業労働者の方に惹かれるのは根拠のないことではないよな。
前回のブログの末尾に書いたけれど、
農家になること、それを続けること、村の付き合い・・などを考えれば
手っ取り早く勤め人になったほうが・・と考えるのも仕方がないともいえる。

青年達は農家になることを求めているのではなく、今よりももっと土や生命体とつながることをもとめているのだろうし、その方向を農的生活へのパーセンテージを高めることにおいているのだろうから。

この動機自体は歓迎すべきことで、否定されることではないべね。
ここでロシアのダーチャを思い起こすよ。
「ロシアは今も荒れ模様」(米原マリ著)で知ったのだけど
ソ連からロシアに変わる動乱の時期、経済破綻の時期にあっても
国民の食糧生活は安定していた。その訳はダーチャにあったと書かれている。

青年達の農への流れと日本型ダーチャの構築とを
つなげられないだろうか。
青年達に限らず、国民全体の農的生活のパーセンテージを高めていく方向にだよ。

農家も、生産法人も、半農半Xも、ダーチャも・・・
混在する転換期の日本農業・・・。

いいんじゃないだろうか。


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もうじき稲刈りがはじまります。
写真の風景は我が村と水田。
黄金色です。きれいですよぉ。
(ダブルクリックで。)


秋も深まったある日、こんなメールが飛び込んできた。農業を学ぶ学生からだ。

いつも楽しくブログを拝読しています。多分、2日に1度は覗いているのではないかと思います。ところで、今回メールさせていただいたのは9月10日付けの記事「芸能プロダクション」についてです。
日本雇用創出機構というところの調査では、日本のフリーターの約4割が「農業に興味を持っている」と回答しています。菅野さんの言うように、「時代が確実に農の側に来ている」のは間違いありません。ただ「生活の一部である」という農業を否定する人々は多いと思います。これは、日本の若いフリーターたちが行動できなかった理由の1つかも知れません。でも、そんな人達を説得するとしたら、一体なんと言えばいいのでしょうか?どうすればいいのでしょうか?どうしても分からないのがそこなのです。雇用や工業化が望ましいのかといえばそうではないと思うのですが、理由がついて来ないのです。(要約)

さてご質問への答だけど、難しいよなぁ。
俺が農民となった理由は単純だけど(「地域のタスキ渡し」参照)、たとえそれがなかったとしても、勤め人となり、給料をもらう農業労働者にはならなかっただろうなぁ。いまさらという感じだけど、それに恥ずかしながらでもあるんだけれどさ、俺は農業の魅力を以下のように捉えてきたんだ。

農家のやる農業はたいがい労働の場と生活の場が一緒だ。それだけに自分の個性、主体性、創造性において暮らしを自由にデザインできる。作り出すものの世界観においてさまざまな農業、さまざまな暮らし、さまざまな世界が生れる。そこが魅力だと。
 
だから、ここのところに面倒くささを感じたり、いまいち魅力を感じない人は勤め人のほうがいいだろうな。

 俺は自分らしく生きたいと思い、個性を削りとられることなく、その個性とそれにもとづく創造性を何よりも大切にした農業と暮らしをと思ってきた。そこを基礎にして土や生命系、食に関係していきたいと思ってきた。こうなると単なる職業として農業を選び取ったというよりも、生き方として農民になったというほうが近いね。でも、これを言うと、生き方として・・・キザだねぇ、ぬけぬけとこんなことが良くいえますねぇという声はなかったわけではないよ。

それを承知でもう少し続けさせてもらうと・・・その観点に立ち、農業を始めるにあたっては、<二つの基本と四つの基準>を作ったんだよ。別に特別なことを考えたわけではないけどさ。

 <二つの基本>は「楽しく働く」「豊かに暮らす」・・・なぁんだぁとなるかもしれないが、でもよく考えてみるとこれに尽きるんだよな。

これを受けての<四つの基準>は
 1、暮らしの自給を大切にする
 2、できるだけ自然生態系と共生する。
 3、周囲の景観をデザインする
 4、家族が参加できる農業とする

 これを「金太郎飴農業」ならぬ「芳秀飴農業」と称し、さまざまな作物を植え、ニワトリを飼い、田畑との循環を作り出し、鶏舎のまわりには梅、プラム、サクランボなどのきれいな花を咲かせえる木々を植え、下には赤つめ草と白つめ草の種をまき・・・、田植えのときや、稲刈りのとき、子ども達は学校を休んで家族みんなで働いてきた。

 学校を休むといえば冬の雪下ろしのときも休ませて、一緒に屋根に上ってきたよ。娘、息子のどちらの担任の先生も、ことわりの電話を入れると、笑いながら承諾したくれたっけ。子ども達がそれを望まなくなってからは止めたけどね。

「暮らしをデザインする」・・、農業を志す青年も、私の若いころと一緒だろうとおもっていたのだけど違ったのかな。
 もう一度同じことを言うけど、俺は人生の一部として、だから当然「生活の一部」として農業を捉えてきた。職業としてというより、生き方として農業に就いてきた。他の何かのためにすり減らされる人生はいやだったしな。

だから質問にはそんな自分を語るしかないんだべね。

どんなもんだべ?

それと、青年を企業農業の勤め人に追いやるものの中に、百姓暮らしを自分で起こすことの大変さがあるだろうな。
そこのところは社会全体で考えてやらなければならないことだと思うよ。


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 間違って、右側にある「お米と玉子を食べてみたい方のために」
に掲載するはずの文章が
「新米のご案内です。」の題名で
このブログのメインステージに出てしまいました。

品がないですね。

即、削除・・・しようと思いましたら
「お米と・・・」も一緒に削除になってしまうんです。
しょうがないですねぇ。

ごめん。ただの記事として見過ごしてください。

ご注文せずともけっこうです。
気にしないでください。

         山形の百姓・菅野芳秀


朝霧が立ち込めるようになった。
我が家の前に広がる800hの水田は日々緑から黄色に変化している。
壮大な景色の移り変わり。もうじき稲刈りだ。

ずいぶん留守にしてしまいました。
みなさん、お変わりありませんでしたか?
あわただしく過ごしていまして、なかなかパソコンに向かう時間がありませんでした。
そんな中にもえっと思うことがありましたよ。

一ヶ月ほどまえのこと、携帯電話をみたら「03-0000-0000」の着信暦がありました。
「先ほどお電話いただきました菅野と申します。ご用件はなんだったのでしょうか?」
「あのう、失礼ですがどちらの菅野さまでしょうか?」
電話の相手は受付係のようなニュアンスだ。そうか、向こう様は会社なんだ。
「山形県の百姓です。30分ぐらい前にお電話いただいたようですが・・・。」
「そうですか。それではしばらくお待ち下さい。こちらでお調べいたします。」
「ありがとうございます。ちなみにそちら様はどのような会社なのでしょうか?」
「はい、『東京○そう(しょう)』ともうしまして芸能プロダクションです。それではお待ち下さい。」
なに!芸能プロダクション?
そのような職種に友人はいない。ということは・・・会社の業務として電話をくれたということか。
だとすると・・・もしかしたら・・・おれに?

そうか。時代はついにここまで来たか。
「青年達よ。なくなったって誰もさして困らない虚飾の文化(仕事)の中で、貴重なエネルギーをこれ以上浪費するのはやめよう。人生を擦り減らすのはやめよう。田園まさに荒れなんとす。日本を土から問いなおそう。築きなおそう。農村は君達を待っている。」
プロダクションに実務を依頼しながら、百姓として、百姓のままで、広く全国にメッセージを飛ばす・・・いいかもしれない。

TBSラジオで、久米宏さんと30分ほどの対談を行ったのは昨年だったけど、反響が大きかったので再放送をさせてほしいとの連絡があったのは今年の冬だ。また、NHKの「ラジオ深夜便」で、全国にむかって月に一度の15分間、「土、いのち、食、地域、自然」などの話題を中心に、2年間にわたって話してきた。NHK東北放送では今年の冬、伊奈かっぺいさんと40分ほどの対談をした。そんな中で、個人的にもさまざまな反響を感じてきたのだけれど。まさか、次がこんな形でやってこようとは・・・。

「あのう、菅野さま。ただいま調べましたが社員の中には該当者はいませんでした。申し訳ございません。間違い電話だったかと思います。」
「えっ、間違い電話ですか?」
「はい、菅野様は当社のオーデションをお受けになりましたか?」
「オーデション?いいえ、なにも特技はありませんので。」
「それではやはり間違い電話だったと思います。大変ご迷惑をお掛けしました。」
「えっ、あ、そうですか・・」
実にあっさりと終わってしまった。

この出来事を村の百姓仲間との酒飲みの席で話したら、俺のカン違いをさんざんからかわれ、酒席を大いに陽気にさせたよ。

だけどな、ま、こんな笑える話はわきに置くとして・・・だ。
カン違いではないと思えるのは、時代が確実に農の側に来ているということだと思う。
しかし、その農への流れの中で、何よりも注意しなければならないことは、農業の担い手が企業だ、生産法人だといいながら、暮らしとともにあった農業が、単なる勤め先になろうとしているということだ。そこには百姓はいない。村はない。

農への青年たちの志は、単なる農業労働者になることではないはずだ。

それを百姓の農に。誰もが新規参入できる、暮らしとともにある農に。
そこのところを「青年達」と一緒に語り合っていかなければならないと思っている。


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 栃木県にアジア学院というアジア、アフリカの、主に農村地域で活動する人たちが学ぶ全寮制の学校がある。渡航費、研修費ともほぼ全額キリスト教の世界的基金や市民の寄付などでまかなわれていて、農作物の生産、畜産、加工などの農業全般について学ぶ。基本は地域資源を活かした有機農業、地域をベースとした自給自足の「生きるための農業」だ。9ヶ月の研修終了後はそれぞれの国に戻り、村に根を張って、その土地の人々と共に働く“草の根”の農村指導者を目指していく。
(アジア学院=http://www.ngo-arena.org/members/ari/ari.html)

 その学生達が・・・と言っても、それぞれの国では立派な活動暦のある方々なのだが・・・毎年、我が家を訪ねてくれる。もう10年ほどになろうか。今年も二班に分かれ、第一班はすでに7月23日に。もう一斑は8月18日の予定だ。写真は第一斑、通訳スタッフを含む17名の人達。

 私が取り組んできた循環農業の内容。農民になろうとしたそもそもの動機。レインボープランを市民とともにつくり出そうとした考え方。農村を内側から変えようとしてきた経過と教訓・・・などについて話したうえでお互いの話し合いをとのことだ。

 この巨体の男はどんな奴だ?始めはそんな視線も感じたが、鶏舎のそばの木陰の下で語り合っているうち、農村のお互いの抱えている問題が驚くほど一緒で、それぞれの実践が国境をこえ、なお、教訓として共有し合えることに気づいていく。笑いや感動をともにしながらの2時間、あっという間にすぎていった。別れがたい。掛け値なしにそう思えるほどのいい時間だった。お国に帰られたらどんな苦労が待っているのだろうか。ともすれば自分自身の健康や生活は一番最後に回しやすい私たちの生き方。それでもなお健康には気をつけられますように。

今度は18日の第二班、いまから楽しみだ。

 参加して見たい方はいらっしゃいますか?どうぞ、お申し出ください。
 

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しばらくブログを休みにしていました。
雨続きの、不快な気候が続いていますが、お元気ですか?
休みの間いろんなことがあったんですよ。先日もこんなことが・・。ひとつずつ紹介していきましょう。以下・・・。

朝起きて、何気なく道路わきに止めてあったトラックを見たら、荷台に鳥かごらしきものがあり、中で何かが動いている。なんだろうと思って近づいてみると、生まれて40日ぐらいの二羽のニワトリが入れられていた。息子に聞いてみても知らないという。では・・どうしてここに・・・?・・捨て子か!・・・捨て鳥だ。

 そういえば、その10日ほど前、3〜40代の女性から「子どもが何かの景品にもらってきたヒヨコが大きくなって困っている。引き取ってもらえないか。」という電話があった。
 その時は丁重にお断りしたのだが、彼女なのだろうか。名前も住所も聞かなかった。ま、詮索してもしょうがないが・・。

子どもではない、捨てていったのは親だろう。それにしても、自分の家庭の厄介モノを、縁もゆかりもない他人の家に捨ててくる・・・、そのことで自分の悩みを、他の人の悩みにしてしまう・・・なんとも切ない話で、子どもに人の道を教える以前の問題だ。

お店の景品かお祭りで売られているものは、ほとんどがオンドリだ。この幼鳥もオンドリに間違いはあるまい。確かに我が家にはたくさんのニワトリがいるし、一群に一羽、全部で12羽のオンドリがいるが、だからといって・・・。今でさえ、朝4時前から一斉に始まる時の声はご近所の迷惑になっている。これ以上は飼えない。

ちなみに、我が家の90歳になる年寄りに聞いてみた。
「川の土手か、他の人の家に捨ててくるんだぁ。だってしょうがないもの。誰かに拾ってもらえ、大切に育ててもらえって手を合わせてなぁ。少しのエサも付けてやれ。」

なんだぁ、違うのはエサのところだけか。我が親ながら、いい歳のとり方はしてないな。

結局は、我が家で飼うことになるのだろう。なんともやり切れない話だよ。 

(写真は入っていた鳥かごと二羽)

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