ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」 

ちょっと前のはなしですが・・。
長井市報のレインボープランのコラム「虹の駅発希望行き」に一文をお寄せいただくようお願いしたところ、「仙台のコンサートのあと、長井によりましょう。見なければ書けないので。」とおっしゃり、市内のホテルで一泊したあと我が家で朝ごはんを食べてくれました。以前、私が鴨川自然王国の加藤さんのお宅に泊めていただき朝食をご馳走になったことがありましたので、せめて朝食は我が家でとなりました。目玉焼きと漬物の朝食を「おいしい」と言ってくれましたよ。もっとも家の住人を前にしてそれ以外、言いようがないでしょうが。
彼女は「満州」からの引揚者。同じ引揚者の91歳の母は加藤さんの母親世代で、ほとんど加藤さんを独占し、当時の話に盛り上がっていました。本当にざっくばらんで気さくな方でした。



☆ その時の加藤さんのお誘いで10月17日、稲刈りの最中でしたが東京日比谷公園で行われた「土と平和の祭典」に行ってきました。あの広い日比谷公園一帯に農作物の直売所、出店、コンサート、トークショウなどが行われており、ごった返すほどの人だかりでした。そこで10分間ほどいただいて、マイクを持たせてもらいました。



   ここは日比谷公園。そして人だかり。マイクをもった俺。思わず40数年前にタイムスリップしましたよ。だんだん声の調子が若いころのように変わっていくのがわかるのです。まさか「われわれはぁ・・」などとはいいませんでしたが。終わった後、埼玉県小川町の金子美登さんや生協のパルシステムで理事長をしている若森君、ジャーナリストの小野田さんたちと地ビールを楽しんできました。写真の左の方は、菅野が話すならば・・・と、地元長井から駆けつけてくれたレインボープラン初代会長の横山太吉さん。ありがたいですねぇ。



それにしても加藤登紀子さんはよくやりますねぇ。
「土と平和の祭典」は娘さんで、半農半歌手の藤本やえさんと一緒にやられているのですが、もちろん多くの農業関連団体の支援をもらいながらとはいえ、都心に4万〜5万の老若男女を集めて、農の大切さ、農業の現状を正面から訴えられていた。
 鴨川では、自らも農を担うだけでなく、新規就農者を応援する鴨川自然王国 「里山帰農塾」を主催してもいる。きっと、歌手としての活動の収入のかなりの割合を、それら農を起こそうとする資金として使われているに違いない。彼女と話していると、農業に対する豊富な知識におどろく。我が家へ向かう道すがら、話してくれた宮崎の牛たちをめぐる解説の切れ味には、俺もうんと勉強になった。

 がんばらなければ・・・な。
来年は俺が稲を刈り、息子を日比谷公園にやろう。

あっ、そうそう、息子の春平は、明日から行われる国際有機農業映画祭の実行委員として、今朝(11月26日)、東京にむけ出発しました。
その映画祭の日程を下にあげておきます。
ぜひ、時間をつくれる方は出かけてみてください。

日時;2010年11月27日(土)9:30〜20:20(9:00開場)
会場;国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟大ホール
参加費;一般 2,000円、若者 1,500円(25歳以下の証明書が必要)

また、今日はプレイベントがあるみたいなんですよ。
近くなら・・ね、行くんだけどもなぁ。
下に書いておきます。これも行ける方は行って見てください。

前日企画「1%を選択した人々」(上映会+交流会)
日時:11月26日(金)18:00~21:00(開場17:30)
会場:国立オリンピック記念青少年総合センター・センター棟402号室
上映作品:『ビヨンドオーガニック』(米国)、『未来を見つめる農場』(日本)
ゲスト:林重孝さん(佐倉市)、窪川典子さん(佐久市)
料金:無料(空席あり)


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秋の空は変わりやすい。

裏日本の気候は特にそうだ。午前中は晴れていたと思ったら、午後には曇りとなり雨が落ちてくる。
困るのは外に干している洗濯物や布団。へたすると間に合わずに雨にあててしまうことになる。秋に入ればこんなことはいつものことだ。

さて、昔からこのように移ろいやすい秋の天気を、これまた変わりやすい男心にたとえ「男心と秋の空」といってきた。近年『女心と秋の空』などと言われたりもするが、たとえの始まりは「男心」の方がであって、「女心」ではない。開いたことはないが、広辞苑などにもそのように掲載されているらしい。

ちょっと前になるけれど、我が家に東京から男4名、女4名の8人の友人が訪ねて来たことがあった。それぞれが社会運動に何らかの形でかかわっている人たちだ。全員理屈はたつ。
秋の空はそもそも「男心」か「女心」か・・・このことをめぐって議論になった。「男心」と言ったのは俺一人で、あとは全員「女心」。シャンソンから、あるいは東西の詩から・・、あれやこれやと「女心」であることの理屈を並べる。頭でっかちの世間知らずが!!
男と女ではことにあたっての腹のすえ方が違うんだよ。ちょこっと世の中を見渡してみても、女のほうが「決意」を育てながら人生を送っていることが分かる。どんなに屁理屈を並べようと移ろいやすいのは「男心」であることに変わりはないべ。

「そうか、それじゃお酒一升を賭けよう。負けたほうが勝ったほうにお酒を一本送るんだ。」

一対八の勝負。みんなで調べてみた。その結果は・・・やっぱり俺の勝ち。「男心」だった。ざまぁ見ろ。いっぱいの理屈をこねたあとだけに、彼らの落ち込みは大きかった。源氏の若旦那の例を持ち出すまでもなく、男なんて・・・なっ。まぁ、彼らにはいい薬になっただろう。八人全員が俺にお酒を送ることを約束して帰っていった。

後日、お酒が届いたのは女からだった。女の全員がそれぞれにお酒を送ってくれた。でもな、男からは一本も・・一人も送って来なかったよ。
やっぱりな・・・、ここでもまた証明された。ほんに移ろいやすいは「男心」だ。どうしようもないね。

 社会運動でも政治運動でも、俺はもう女しか信じないな。男はだめだ!


 (写真は我が家の後ろにそびえる朝日連峰。11月の初雪。半分が紅葉初期、半分が雪だ。よく見られる秋の光景。写真はダブルクリックで拡大します)


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いま、田んぼに出ている人はいません。水田はひっそりとしています。そんな中、春先の作業の一部を秋のうちにやっておこうと、息子の春平は田んぼで一人、鶏糞散布を行っています。

土が健康であることが作物の充実の絶対条件であると、あくまで土にこだわる我が家の田んぼには、化学肥料ではなくレインボープラン堆肥と鶏糞の二種類を撒いてきました。
春は一年中で最も忙しい季節です。
二種類の堆肥を撒く。
それにはそれなりの時間と労力がかかるのですが、だからといって我が家の田んぼだけが特別にまわりの農家の作業から遅れていい訳ではありません。水の活用が共同であるために、田んぼに水を引く時期をあわせなければならないからです。

まわりの農家が水を引き入れる前に肥料の散布から耕運まで終わらせていなければならず、とはいっても限られた労力、どうしても遅れがちになっていたんですね。その上最近、田植えしながらぱらぱらと苗の側に化学肥料を落としていく機械が普及するようになってから、その時期がさらに早くなってきていまして、いっそう苦しくなっていたんです。

何とか方法がないだろうか・・。とった方法の一つは鶏糞散布機を購入したことです。トラクターにくっつける機械を友人と共同で買いました。これまでは運搬機に鶏糞を摘んで田んぼの中をスコップで撒いていくやり方でした。それを機械にしたことでずいぶん時間を短縮できましたし、身体も楽になりました。とった方法のもう一つは、秋のうちに一種類だけでも撒いておこうということです。そこには心配なことがありました。堆肥の成分が雪解けと一緒に流れてしまわないかということです。昨年から今年にかけて実験してみた結果・・・大丈夫でした。問題なく成果を挙げることができました。それで、今年は本格的にやってみようとなったわけですね。

「男ごころと秋の空」といいます。秋は天気が安定しません。
少ない晴れの日を利用して、せっせと鶏糞散布に精をだしています。


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 800haの田んぼを前に立小便をする。 

放出しながら、稲刈りが終わったあとの広大な水田風景を見わたす。横たわる朝日連峰を眺める。田んぼを渡る風はほのかにわらの香りを運ぶ。薄くなってきた頭髪がさわやかに揺れる。山々は少しずつ赤みをまし、天は高く、心地いいことこの上ない。

 山での、畑での、野原での、もちろん便所での・・・いろんな放尿があるけれど、やっぱり田んぼのこれが一番いい。タヌキやカモシカなどと一緒。いのちが満ちる母なる大地を通して食と排泄の滑らかな循環がめぐっている。でも、こんな理屈いらないね。理屈抜きで大好きだ。

 かつて娘が小学生のころ、「お父さん、外でおしっこしないでね。今日、学校で先生が、西根は遅れている。立小便している人がいるからっていってた。恥ずかしかったよ。」
 西根というのは娘の通う学区で長井市のなかでも農村部だ。もちろん誇りある俺たちの村。そばにいた妻も「そうだ、そうだ」という。

 な、な、なにおぉぉ!オレのおしっこ、誰かに迷惑をかけたか?ここは都会のアスファルトの上じゃない。田畑に吸い込まれ、土の養分となって草や作物に活かされていくだけじゃないか。自然のめぐりだ。それだけじゃないか。

 お前達だって立ち小便すればいいんだ。オレが子どものころには、ばあちゃん達はみんなやってたぞ。女の立ち小便はガキの俺達から見たってなんの違和感もなかった。普通の光景だった。

 あのな、この際だからいうけどな。お前達の自覚の無さゆえ、あるいは都会の文化に無批判に迎合する浅薄さゆえ、今まさに大事なものが消え失せようとしているんだ。なにをかって?女たちの立小便にかかわる文化だ。方法や作法だ。あのな、それは、はるか縄文の大昔から、ついこの間まで、母から娘に、娘から孫へと、ずうーっと受け継がれて来たはずだ。腰の曲げ方、尻の突き出し方、両足の広げぐあい、隠し方など・・・。その歴史的文化が、まさにいま、ここで潰えようとしている。いまやそれを知る人は80代以上の女性、それもほとんど田舎の女性のみとなっている。やがて彼女らがいなくなったら、知っている人は日本列島から完全に消えてしまうだろう。どのようにその文化を伝承していけばいいのか。それを考えたら夜も眠れない。
 オレは男だからしょうがないけれど、お前達のなかに、我こそは・・・という志をもった人間はいないのか!その復権を!という人間はいないのか! 循環の時代だというのに!

 話の途中から、妻娘はいなくなっていたが、まぁ、失ったものの大きさに、あとで 後悔するだろうさ。残念だが、せめて銅像でもたてて、その最中の姿、形を後世に残したいものだと思っている。俺間違っていっか?どんなもんだべ?

 写真は・・・載せられないよなぁ。
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驚きましたねぇ。
熊ですよ、熊。
学校にガラスを割って入り込んできたなんて。
いままで聞いたこともない。
山から2km以上はなれた町の側にある中学校だよ。
まちの中にも入った形跡もあるらしい。

おなじ日の朝、近くのりんご農家に電話したら、
「熊が罠にかかった。80kgぐらいの熊だ。」
えっ、何時の話しだ?
「たったいまよ。目の前にいるんだ。ほら聞こえないかな、この音。」
えぇぇーっ、そんな・・。
地元の新聞社に電話したら、あなたで4件目だという。
それぞれ違う熊か?

あっちでも、こっちでも熊が出てきた話で持ちきりだ。
市の広報車が熊への注意を呼びかけて走る。
警察の車も。
そんな中にいると、今にも目の前をスーッと奴らが歩いていくような錯覚に襲われる。

何でこんなにたくさんの熊がでてきたのかといえば、山のナラ枯れも一つの原因だろう。朝日連峰の山々のナラの木が一面枯れ始めているのだ。
枯れたナラの木々で、夏なのに山が紅葉で彩られているように見えたぐらいだった。決して大げさではなくさ。

その原因はナラの木の根元に侵入する虫にあるらしいのだが、ここ1〜2年の間に一挙に広がったのは、気候変動などのせいもあるに違いない。
その結果として山にドングリの実がなくなった。
熊は冬を前にしてたくさんの食べ物を取り込む必要があるのだが、それがない。そして、里へ、町中へということだろう。

腹をすかした熊はどう猛になる。

これからは夜中にニワトリが鳴いてもうっかり外にはでれないね。
タヌキやキツネの類ではないかもしれないからだ。
危なくってしょうがない。

オレはそんな空気の中に、食料不足になったときの人間を思っていた。その原因はナラ枯れならぬ、農の崩壊とそこからくる国の破綻。

腹をすかした人間はどう猛になる。

熊以上におっかない人間が、熊以上の数で徘徊するようになるだろうな。
ここのところ、この話も妙に現実味を帯びてきていて、おっかない。


写真は長井の町の遠景。熊がすむ小高い麓から町を眺める。
ダブルクリックで大きな写真になります。

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暑い夏から一転して雨続きの秋。田んぼがぬかるみ、稲刈り作業が思うように進まない。それでも何とかコンバインが稼動できる圃場はあるのだが、中には全く入れないところもある。写真の田んぼは地下水が高く、雨が続けばすぐにぬかるんでしまう。おまけに稲が倒れていて、無理に入ればキャタピラーの押し出す泥で隣の稲が埋まってしまうのだ。こんな田んぼが4枚、あわせて75a(75m×100m)もある。
 というわけで稲刈りを一時中断し、息子と二人で田んぼのなかに排水のホリを掘る作業を続けた。例年ならばこうなることを予想して、8月の早い時期に掘るのだがあの天気、今年はいらないだろうと思っていた。事実、圃場は乾き、中を歩いてもくるぶしより下に沈むことがなかった。ところが一転して雨が続き、歩けばズブズブと30cmは沈んでしまう。読みが甘かった。仕方がない。ぬかるんだ田んぼに足を取られながら、稲を掻き分けホリを掘っていく。一枚の田んぼの特にぬかるみの強いところから排水路まで「U」字型のホリを何本も掘っていく。腰の痛む仕事だ。
 あぁあ、夏のお天気の何分の一でもいいから、この圃場に分けてくれないだろうか。乾かないと作業にはいれない。
ま、こんなことをですね。情けなく繰り返し思いながらですね。泥まみれになっての作業をやらざるを得なかったわけですよ。
 少しましになった田んぼから順に刈り進んでいく。写真の田んぼは一方からしか刈れなかった田んぼ。
 稲刈り終わったなら、温泉に湯治に行くべ。


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毎日が雨、稲刈りができずに待機の日々が続いています。うるち米の田んぼはいいのですがもち米の方が問題。倒れてしまっているところが多く、その穂から芽が出てきたところもあります。
 コンバインは倒れている稲でも刈ることができますが、隣の稲をキャタピラの押し出す泥で埋めながら進んでいきます。これでは動けません。田んぼに堀をほって排水につとめ、土壌が乾いて固まるのを待つしかありません。
 あ〜あぁ・・、夏の天気がうらめしい。あの一部でもこの秋に分けてくれたらなぁ。東京では今でも夏日が続いているという。我が田んぼにそのカケラでも持ってこれないか。

 そんなわけで、家の中でたまった実務仕事をしていたところ、思い出したのですねぇ。飼い犬のモコにまつわるおもしろい出来事を。それをご紹介いたしましょう。憂鬱な日々には楽しい話を。これに尽きますね。

<以下>

 我が家にはモコという飼い犬がいます。中型犬でオスです。モコは気立てのいいこと、器量のいいことでは近所の評判です。ある晩、モコは鎖がとれて、月夜の村に散歩に出かけました。そして・・・出会ったのです。一夜限りではありましたが・・・妻となるべき運命の方に。朝までその方と一緒に過ごしました。それは人生で一番ステキな夜だったといいます。その当然の結果というべきか・・六匹の子どもが授かりました。オスもメスもいます。
人間たちは生まれたばかりの子犬たちを前に
「川に流してしまうべぇ。」、「どこに捨ててくる?」
などと無慈悲な言葉を投げかけています。

 どなたか子犬を引き取ってくれる方はいないのだろうか?幸せな出会いから産まれた子犬、きっともらっていただける方にも幸せの波動が届けられるにちがいありません。散歩のお供に。日々の暮らしの同伴者に。あなたの暮らしにもう一つのメロディが奏でられるでしょう。モコも言います。

 「太古の昔から、私ども犬はあなたたち人間のよき同伴者でした。あなたのそばに私の子がいることで、あなたを幸せにこそすれ、絶対に不幸にはいたしません。もらっていただけませんか?あなたのご連絡をおまちいたしております。」

 こんなことを書いて、およそ200軒の方々に配りました。そしたらさっそく反応がありまして6匹の子犬はそれぞれの家庭に引き取られていきました。だけどその後も「子犬はまだいますか?」という問い合わせが続きました。なぜだい?自慢じゃないが、堂々たる雑種だよ。その疑問に業界に詳しい獣医の友人が応えてくれました。

 「雑種の犬はいまや貴重価値なんだよ。血統書を持つ犬はペットショップで取引されるからビジネスとして繁殖されるけど、雑種犬はそうはいかない。でもビジネス以外の繁殖の道ってあるかい?鎖につながれているだろう。だから自然繁殖の道はない。異性との出会いもままならず、減少の一途をたどっているというわけさ。中には雑種の犬が欲しいという人もけっこういて問い合わせが来るんだが肝心のその子犬が見つからないんだよ。」

 我が家のモコの場合は鎖を解いて散歩に出かけた結果として子どもができたけど、それがなければ、子を持つことなく終わってしまったわけで、多くの雑種はその運命にあったわけですね。それを知って少し複雑な気分になりましたよ。

ほとぼりが冷めた頃、知らぬ振りしてまたモコを放してやろっと。村の犬は放し飼いが一番だよ。

ま、こんな話なんですが、憂鬱が晴れるほどのこともなかったですね。あ〜ぁ。


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 いよいよ我が家も今日から稲刈りです。
「思いのほかとれているよ。」
「米の肌が悪い。」
さまざまな声を聞く。
我が家の米はどうなんだろう。
まず、もち米から刈り取っていく計画だ。
もち米の終了後、コンバイン、乾燥機、籾摺り機などをきれいに掃除し
うるち米と混ざらないようにした上で、「ひとめぼれ」の刈り取りに
はいって行きます。

 辛淑玉さんから拙書への「書評」をいただきました。
恐縮しながら、掲載させていただきます。

 『玉子と土といのちと』(菅野芳秀著)

 伊江島の故阿波根昌鴻さんは、『命こそ
宝』や『米軍と農民』(岩波新書)の中で、
敗戦後、米軍が銃剣とブルドーザーで沖縄の
土地を収奪していたとき、米軍と闘う農民た
ちが陳情規定を作ったことを語っている。
 その中に、「人間性においては生産者であ
るわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚
を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構
えが大切である」と書かれていた。
 破壊者は、破壊することで金を生み、力を
蓄え、戦争、資源の収奪、環境破壊を繰り返
してきた。そうした資本主義の暴走の結果、
いまの20代の若者は、生まれてから一度と
して社会が上向きの時代を経験していない。
先の見えない不安感は絶望を産み、厭世感が
再生産されてきた。他者との関係を遮断した
り、自死を選ぶものも少なくない。
 人は土から離れては生きていけない。その
ことを笑いながら考えさせてくれた本が、菅
野芳秀著『玉子と土といのちと』(創森社)
だった。 日々のエッセイをまとめたニワト
リと玉子の本なのだが、これが読みながら爆
笑することばかり。
 農家の後継ぎという立場から逃げたい一心
だった青春時代。沖縄での基地反対派住民の
生き方から、地元を逃げ出さなくてもいいよ
うに、そこで生きて変えていく道を選んでい
った著者。
 身長191センチ、体重105キロ。自己
紹介は、「元プロレスラーです」とか「百姓
になる前は相撲取りでした」と笑いを誘う。
最近太ったことを気にしていると、母親が
「ダイエットで痩せようとする百姓がいるも
のか。たくさん食え、そしておもいっきり働
け。百姓は働いて痩せるものだ」と一喝。
 3ヘクタールの水田と千羽の養鶏、そして
自家用の野菜畑を循環型農業で営んでいる。
田畑から出るくず米やくず野菜、そして雑草
はニワトリの餌となり、鶏のフンが野菜畑の
肥料となるのだ。自然卵養鶏の玉子は、化学
調味料や鰹節を入れなくても美味しくいただ
ける。
 放し飼いにした鶏からは病気が殆どなくな
ったことなど、さまざまな実験を繰り返しな
がら、ニワトリの姿に自分を重ねる。狭い鶏
舎から広い空間に鶏を移したら、鶏たちは、
最初はおどおどキョロキョロしながら周囲を
見ていたという。
 著者もまた、18歳でふるさと山形を出て
東京に来た。テレビで知ってはいたが、見る
もの全てがカルチャーショックそのものだっ
た。
 例えば、団地に住む知人の家に行くと、お
風呂と便所が一緒になっている。こんな組み
合わせってあるのか!とのけぞる。きれいに
するところと排泄するところが一緒なんて。
家族がオフロに入っているときに、急にした
くなったらどうするのか。わけがわからない。
しかしここは東京。山形の実家が違っている
のはきっと遅れているからだと思い込もうと
する。
 食堂に行くと、刺身の上にとろろがかかっ
ている料理がある。しかし、品書きの短冊を
見てもそれらしい名前がない。もちろん値段
もわからないので、恐ろしくて注文ができな
い。刺身がトロだということはわかったので、
トロととろろで、「とろとろろ」かと探して
みたが見つからない。あきらめて戻った数日
後、それが「やまかけ」であると判明する。
実態からあまりにもかけ離れたその名前に唖
然とする。
 ラーメン屋に行ったときは、食べたことの
ないメニューを注文してみようと、ラーメン
と一緒に、メニューに書いてあった「さめ
こ」を頼むと、店の人が不思議そうに彼を見
た。そう、「さめこ」とは餃子のことだった。
餃子という字は、当時、田舎にはなかったの
だ。
 そんなエピソードに包まれながら、鶏たち
の世界と人間世界を往復し、気がつくと一つ
の卵を通して社会が見えてきた。ふーむ。
 それにしても、闘う農民はなんて愉快でカ
ッコいいんだろう。



 遠くにお住まいの方から拙書への書評をいただきました。
お読みいただければ分かりますが、とても丁寧に言葉をつづられる方です。
また、評者の感性の豊かさ、そのみずみずさが書評を通してにじみでています。このような方に書評を書いていただき、かつ望外の評価をいただきましたこと、光栄におもいます。(つい、いつになくあらたまった口調になってしまいます。)


「玉子と土といのちと」。
素晴らしい本でした。二回読みました。
「今度生まれるなら菅野さんちの鶏になりたい」。
その言葉がどれほどの意味を持ったものなのか、
ここでは、それが私なぞの想像をはるかに超えた大きなものであったことを教えられます。
この本はなによりも、学者が組み立てた理論や啓発の書ではなく、
「ドブロクに手作りソーセージ」という幸せに憧れる、大地に野太く根を張った男の実践の書であることです。その面白さ、迫力、驚き。そして読み終えた後に深く広がるのは、この本が見事な思想の、哲学の、教育の、食文化の、自然や風土の「書」であるという思いです。

私がいちばん感動したのは、「山の神様」の話です。
泥水を飲んで、地域の微生物を取りこんでいた鶏たち。
「山の神様」につながるこの話は、神秘的ですらあります。
でもそれは同時に、菅野さんの鶏たちの野生味の健在さを改めて感じる場面でもありました。
微生物・発酵。これは本当に太古の時代へとつながる生命の鎖なのですね。
母の田舎から時々自慢の沢庵を送ってもらうのですが、家の改築で、沢庵の居場所だった納屋が取り壊され、別の場所に。そうしたら、沢庵の味はまるで変わってしまいました。常在菌の繊細さ、デリケートさを痛感しました。
 それにしても菅野さんの発酵への探究心は素晴らしかった。鶏たちへの、玉子への、そしてすべての野生のいのちへの深く謙虚な愛情を感じずにはいられませんでした。
「土」の話も教えられることの多い、感動的なものでした。私もあの4年生の教室にいたかったなぁ。土と砂を分けているもの。それは植物や動物たちの遺体が含まれているかどうか。解っていそうで、ぼんやりしていた分かれ道。これは土からの強烈なメッセージですね。私たちは本当に「土」そのものを食べているんだなぁと、そしていのちの連鎖を「土」から実感するというユニークさ。
「菅野先生」ならではの深く、そしてワクワクする授業でしたね。

それにしても、ヒナから若鶏になり、玉子を産んで、換羽で再び若返り、産卵し、時には獣に襲われ、やがて命を終えてゆく。その間に一面の雪に覆われる冬がきて、春が来て。
その鶏たちを生き物として豊かに育て、危険から守り、「エサ」などとは呼びたくないような心のこもった「日替りランチ」を与える菅野さんや春平さんがいる。
そう考えると、その子たちの産んでくれる玉子は、なんと、なんと貴重なものであるか。
 生まれて、恋をして、せっせと働いて、いのちを終える鶏たち。そのいのちを全うした鶏を、ためらわずに、美味しくいただく菅野さん。
愛情を持って育てたからこその行為。「食べる」ことで完結するこの関係は、しかし、まだまだ未来へと繋がるのですね。
やがて、鶏たちの血肉は菅野さんの身体を通って、大地へと還ってゆく。
大きな宇宙の食物連鎖の中で、一瞬のいのちを、輝やかせて。
(私も、とてもとても愛する人がいたら、その人の遺灰を食べたいと思う)

タヌキやキツネと闘う話も、息を呑みました。
彼らも生きねばならない。
しかし鶏たちが一瞬にして襲われるこの脅威とは、
絶対に闘わねばならない。
生きていくとは、考えようでは残酷な悲しさそのものですね。
「いただきます」という、日本ならではのこの言葉は、神さまに向けられたものではなく、こうして与えていただいた幾千ものいのちへの感謝の言葉ですよね。
この話が胸を打つのは、キツネやタヌキたちと、菅野さんが同じ環の中に居ることです。どちらも必死で生きている。その「必死」同士の闘いだからです。
人間という高みに立って闘おうとはしないから、農薬を浸した食パンは置かない。
同じ環の中に居る仲間だからこその、闘いの作法を、菅野さんは守るのです。

ああ、こんなに長くなってしまった。ごめんなさい。読むのも大変ですよね。
もうじき終わります。

菅野さんの優しさは、今さら言うこともないほどなのですが、
鶏たちの辛さを身をもって体験する断食の実行には、
優しさを貫く強靭な意志を感じました。
断食って、すこし憧れがあるのです。

「地域」と菅野さんの関係というか、地域への菅野さんの眼差しについても、
少し感想があったのですが、長くなってしまうので、またの機会にしますね。
母上の「ダイエットでやせようとする百姓なんかいるもんか。たくさん食え。
百姓は働いてやせるもんだ」この言葉が可笑しくて、そして何といい言葉かと、
何度も読み返しました。
「サメ子」の話も、おなかを抱えて笑いました。誰にもこういう武勇伝(?)があるのですね。

最後に、山羊の「ぴょん」の話は、たまらなく好きでした。
菅野さんと「ぴょん」との5mの距離。
抵抗しつづけるその5mに、切ないほどの共感を覚えます。
山羊はつながれているものだと思っていた、私です。

素晴らしい本を読ませていただきました。
本当にありがとうございます。
たくさんの人に読んで欲しいと、切望します。

  猛暑の夜に  




 
 我が農園は今年も下のようにお米を作りました。
下の文章は定期的に買っていただいている方々へ9月分のお米と一緒に同封したものです。

   <以下>

田んぼの稲は少しずつ黄色みをましています。
おかげさまで無事、新しい秋を迎えることができました。

今年も新米のご案内をお送りいたします。

1、品種;昨年同様に「ひとめぼれ」ともち米の「黄金もち」です。

2、肥料;堆肥中心で育てました。堆肥は「自然養鶏の醗酵鶏糞」と「レインボープラン堆肥」の二種類です。こだわりです。

3、農薬(殺菌剤);田植え時点の一回だけ。殺虫剤は使用しません。その後は玄米酢などで対応しました。我が家もこの米を玄米で食べます。

4、除草剤;一回のみ使用。あとは薬ではなく除草機をかけました。

5、価格;白米、七分とも10kgあたり5,000円(送料別)、玄米は4,600円で昨年同様です。もち米も同じ価格(3kgは別価格)です。少し高い印象を与えますが、堆肥使用、無農薬に近づいている農薬削減など、食と環境の安全に心がけた我が農園の米作りを支えていただければありがたい。

6、保管と発送;お米はモミのまま貯蔵し、夏は低温倉庫で保管します。毎月10日が到着日。風味が損なわれないように発送直前に精米しお届けいたします。

7、ご注文;メールかファックスでお受けいたします。一年分をあらかじめご予約いただければ、どこまでご注文をお受けしたらいいのかを押さえる上で助かります。

8、ご注文の変更;前月の月末までお知らせ下さい。調整いたします。

9、お支払い;郵便局の振込み用紙を同封いたします。もちろん月ごとでもかまいません
一年分一括の場合はお礼に我が家のレインボープラン秋野菜をお送りいたします。

9、新米の発送;今年は10月10日前にお送りできるようです。

10、締め切り;田んぼは昨年と同じ面積です。予定収量に達し次第、締め切りといたします。お早めにお申し込みください。

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 今年は低い米価が更に下がりそうです。それにつけても、スーパーで売られているお米は安すぎです。この価格で農家が生きて行けるわけがない。でもなぜそんなに安いのか・・・。それには訳がある。こんな話を聞きました。

 大量のくず米を混ぜることで安くできる。農家はLLの網目を通ったものをお米として販売し、それより小さいものはくず米として、1kg60円(毎年違いますが)ぐらいの価格でJAに売る。業者はそのくず米を集め、Mの網目にかけなおして得たお米をいいお米に大量に混ぜる。それで安い新米が出来上がるんだと。

 わが農園ではニワトリの餌としてくず米を買い求めますが、ここ数年、くず米の値段が高値のまま続いています。上の話を聞いてその訳が分かったように思いました。農家のだしたくず米がいいお米の足を引っ張っている。農家は泣きますよ。

 
                       2010,9

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ここのところの1週間は実にあわただしかった。

「生ゴミは宝だ・第18回生ごみリサイクル交流会2010」が早稲田大学を会場に開かれ、参加した。ちょこっと話をさせていただいた。

 アジア太平洋圏の農村リーダーたちが1年間の行程で栃木県の那須にあるアジア学院で、自給、自立のための農村開発を学んでいる。その研修生たちが今年も35名、マイクロバスに乗って我が農園に来られた。鶏舎などの掃除に忙しかった。

 大正大学の学生たちが3名、我が家に2泊で遊びに来てくれた。大正大学ではレインボープランの研修がアーバン福祉学科・まち・環境・福祉コースの必須科目になっている。昨年、履修した2年生が、また来て見たいということで。

 長井市はカソリックのシスターたちの会派を超えた共同研修地となっていて、今年も全国のさまざまな修道院や教会から20名のシスターたちが、2泊3日の行程で来られた。レインボープランの研修や農業体験、市民との交流が主だけど、我が農園も行程に入っている。

 その機会にあわせ、日本を代表する平和・人権活動家として、世界を舞台に広く活動されているシスター弘田の「世界は今、人権、平和」の講演会をもった。100名を超える人たちが集まり、弘田さんから
「このテーマでこんなに集まることは東京でもないよ。」とほめられたが・・・。

家族はこの渦に巻き込まれた。
申しわけなかった。

そろそろ稲刈りの準備。

もっとゆっくりと時間が過ぎていく予定だったのだけど、そうでないみたいだった。



                        
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朝、晩は幾分涼しくなってきたとはいえまだまだ真夏の暑さが続いている。
昨日の昼、温度計を見たら35度あった。
田んぼでの仕事はあるのだが外にでて働こうという気になれない。
お天道様が西に傾き、多少涼しくなった頃を見計らって田んぼに行ったら、ちょうど栄さんも軽トラックでやってきたところだった。栄さんは82歳。現役の農民だ。(2008,10「80歳の現役」参照)
しばらく世間話をした後、栄さんはこう切り出した。
「来年からオレの残りの田んぼを作ってくれないか?」
栄さんからは昨年、40aほどを託されていた。
「孫が一緒にやるって喜んでいたのに、どうして?」
栄さんには20歳代の工場勤めをしている孫がいる。
「田植えを手伝ってくれたけどその後の管理は俺だけだった。遊びには行くが田んぼには来なかった。もうあきらめたよ。」
 動力散布機を背中に背負い、杖をつきながら肥料を撒いていた。背負っているものの総量は20kgを超えるだろう。田んぼの畦なのだから当然のことながら足元が不安定だ。左手に杖、右手に散布機の筒をもって畦を進んでいく。
「オレの歳で転んでしまったならそれっきりだ。だから気を張っているんけれど、もう無理だよ。」
それでも栄さんは自家消費用の田んぼは何とか自分で耕すという。

「田んぼには小さい頃からのオレの思い出がたくさん詰まっている。離れたくないよ。お前にここの田んぼ45aをお願いできればオレは10a。最後までできるから・・・頼むよ。」

 実は1ヶ月ほど前、隣村の米作り専業農家である豊さんからも30aほど買ってくれないかとの相談があった。100万円だという。ちょっと前までは10a100万円はした田んぼだ。今はその1/3の価格になっている。それでも買い求めたいという農家はなかなかいない。農協に売るお米の販売価格よりも生産費のほうが上回っているためだ。これが13年も続いている。
「無理だよ。1000羽の自然養鶏との複合経営。田んぼがケミカル依存なら何とかできるだろうが、我が家は違うから。」
若い農業後継者がいる我が家にこのような話が集まりやすくなっているのだろう。でも,隣村の田んぼまでは手が回らない。断らざるを得なかった。
 すでに村の農家の平均年齢は70歳近くなっている。こんな話はこれからもどんどん生まれてくるだろう。我が家にも限度がある。それでも同じ集落の栄さんの話は引き受けざるを得なかった。

写真は栄さんの田んぼ。畦草はもう刈れない。除草剤の世話になっている。

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