ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
作業場のシャッターを開けっぱなしにしていたら、玉子を40個ほどカラスに持っていかれた。「ごんべぇさんが種を撒くとカラスが・・」という歌は知っていたけど、こんなに多くの玉子を持っていかれるとは・・・予期せぬ出来事だった。 その次の日よりカラスたちは、朝のまだ明けきらぬうちから我が家のまわりを、大きな声を競うように発して騒ぎまわるようになった。うるさくて、うるさくて、ゆっくり寝てなんかいられない。 「奴らのエネルギーが余っている。きっと玉子を食べたせいだ。くそっ。」 我が家のニワトリたちは自然養鶏。ニワトリたちが遊びまわりながら産んだ健康な玉子だ。おいしいし、栄養だって満点だ。 まどろみの中、どこかカラスにあなどられているぞと感じながら悔しい思いをしている。 ...もっと詳しく |
今日(3/24)、山岸地区(39戸)の総会が行われた。 いよいよ今月いっぱいで一期二年間の地区長としての役割を終える。 やれやれだ。 地区長になればその上の区の役員を兼ね、かつ私はその上にある旧村の代議員を兼ねていた。 出席した会議や事業は一年間で・・・なんと80回!! 地区長をやり、そのほかにレインボープランのNPOをやり、反TPPをやり、もちろん百姓もやって・・・ どうりで疲れるわけだ。 人が言うには頭が白くなった、 あるいはハゲがすすんだ・・・・とかいう。 正直にいえばそのぐらいですんでよかったというのが本音かな。 村の役は逃げられない。 でも、ようやく解放だ。 ...もっと詳しく |
まあ見てやってください、この写真。
ダブルクリックで大きくなります。 実に堂々とやっていますよ、立ちション。 生き方までわかるようなこのほれぼれする姿。 俺もよく立ちションするけど、ここまでじゃない。 いいですねぇ。 この猫、きっといい人生を歩んできたのだろうな。 自信をもって生きてきたんだろうな。 この姿は一つの目標、到達点ですね。 オレ、人生、がんばろう。 ...もっと詳しく |
朝、布団の中で目が覚める。
今までの朝にはない感覚、空気、光・・。 あっ、春だ、春が来たんだ! そう思える一瞬があるんですね。 まわりの雰囲気が今までとは質的に違うのです。 障子に映る朝日の強さなのか、部屋の空気の柔らかさなのか。 それともまわりの木立から聞こえてくる小鳥たちのさえずりがそう思わせるのか。 何がどう変わったからという特定できるものは何もないのですが、でも確かに違う。 皮膚感覚でとらえた違い。そう言った方が的確かもしれません。 そう思える、そんな朝。 3月2日の朝がまさにそうでした。 この日のあとも雪の降る日がありましたし、最高温度が零下という日もありましたが 2日を境にして確かに気候が変わってきているのです。 それを感じた時の微妙な気持。 肩から力がすっと抜けていくような安堵感。 もう雪に悩まされずにすむ。 絶えず雪を意識し、よくも悪しくも雪を中心とした季節が終わるのだという解放感。 私の春はまさに、この「朝の感覚」からやってくるのです。 これらは雪国に住む人に共通の感覚なのか、 あるいはまだどこかに野性を残している(と思われる)私固有の感覚なのかはわかりません。 でもそんな風に春の訪れを感じ取れる感覚をうれしいと思います。 (まて、まて、まだ確定申告が終わってないぞ。文章を書いてる場合じゃないよね。) |
昨日、埼玉から知らないご夫妻が訪ねてこられました。
「菅野さんに会いたかった」と。 「えっ」 以前、NHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」に月一回、 2年間ほど出ていたことがありました。 「日本列島暮らしのたより」コーナー。 我が家で飼っている放し飼いのニワトリの話や それを襲いにくるキツネの話、タヌキの話などをやっていました。 それが面白かったんだと。 それにね、声がよかったんだと。 うれしいですねぇ。 もう4〜5年前の話なんですけどね。 わざわざおいでいただいたご夫妻とともに、 久しぶりに賑やかな時間をもちましたよ。 でも、がっかりしたんじゃないかなぁ。 声の良さって言っても、この顔と体格ではな。 きっと姜尚中さんのようなイメージを持ってこられたんじゃないのかな。 上の写真の風景も見てみたかったんですと。 ダブルクリックしてみてください。 本当にきれいですよ。 「素晴らしい風景だ」と言ってくれましたよ。 放送によく出ていたニワトリ達は雪に囲まれ、 全員鶏舎の中。 夏にもう一度、今度は放している様子を見に来ますと言って帰られました。 次回、おいでになられる時までに 姜尚中さんのようになってお待ちしていましょう。 |
中野さんはこんなキャラでしたか?
http://www.dailymotion.com/video/xl2042_yy-yy-yyyyyyy-yyyy_fun 反TPPの運動は始まったばかりです。 ニュージーランドやアメリカの市民運動は 交渉に入ってから始まった運動です。 まだ日本は交渉にすらはいっていません。 まずこれを食い止めることですね。 ■緊急声明!「TPPに反対する人々の運動」は呼び掛けます http://antitpp.at.webry.info/201302/article_3.html これからですね。 |
90歳代の両親のサポートと確定申告が重なっています。 今のところ、文章を書くゆとりがありません。 しばらくの間、このブログをお休みいたします。 ですがコメント欄を使っての交流はご自由にどうぞ。 私も時々見させていただきます。 それでは申告作業が終了するまで どなた様もごきげんよう。 |
列車の窓などから、雪でおおわれた寒村を眺めていますと、こんな寒々とした村に住む人たちの暮らしって大変だろうなぁ、などと思ったりしませんか?小さく歩いている人がいて、その方が老人だったりすると余計に同情的になったりする。しますよねぇ。
でね、私の村はそんな寒村なのです。老人がときど〜き、雪の中をポツンと歩いていたりします。もし旅行者が通ったりすれば(そんな人はまったく来ませんが)、見るからに淋しい風景とうつるでしょう。 「寒そうだなぁ。年寄りの身には堪えるだろうなぁ。早く春が来ないかと思っているのだろうなぁ。」 一方、そんな寒村の世界も中に入ればちょっと違った姿になります。外は雪。田畑の仕事はまったくの休み。雪片付けの仕事はあるものの、時間はぜいたくにあります。日頃、読むことができなかった本や、訪ねて行きたくてもできなかったところに行ってみるとか・・、そんなことはしなくても、隣近所にお茶のみにでかけゆっくりと過ごしてくるなど、お金は無いけれど、何ものにも代えがたい豊かな時間があるんです。 関西の百姓仲間は 「菅野のところは雪があって、暮らしにメリハリがあるからいいなぁ。俺たちのところは年がら年中畑仕事だよ。それは多少稼げるけれど、あわただしい。」 と言ったことがあり、私はそれに 「冬に暮らすために春から秋にかけて働いているようなものだよ。さっぱりのこらない。」 と返したことがありました。どちらがいいかはその人の考え方、生き方によりますね。私は断然に雪の寒村が好きです。列車の窓から同情の目がそそがれていることも知っていますよ。今度はわざと腰を曲げて手を振ってやりましょうか。列車の人は喜んでくれるだろうか。 |
言葉に関して言えば、嫌な言葉がもう一つあって・・「まなざし」。
これをある状態で聞くと思わず発した人から眼をそむけたくなる。いたたまれなくなる。最近はあまり使う人が少なくなったけど、ひところはお前まども!流行っていたんだね。 この言葉自体は「しんけんなまなざし」とか「澄んだまなざし」とか、目や視線の様子を表わすときにつかわれる言葉だけれど、嫌なのはその言葉が使われる状態だ。どのような状態かと聞かれてもなかなか説明が難しい。 まず、使う人が「強者」の立場、上から下を見ることのできる立場に立っていること。これをAとする。そして、「まなざし」と表現される側が「弱者」でなければならない。これをBとする。Aによれば周囲はBの立場をよくは理解していないとされる。まずこの関係がある。その上で、「強者」Aは「弱者」Bの代弁者、理解者として「無理解な周囲」に対しようとする。そんな時Aが使う言葉が「Bのまなざし」。 そうだなぁ。農民はまずこの言葉は使わないよな。そのような状態にあっても「まなざし」なんて言葉は浮かびもしないだろう。使うのは「インテリ」だ。そう、使う人は例外なく自分のことをその「インテリ」だと自認しているタイプの人たちに多かった。無理解な周囲に対してBの立場からの正義を代表しつつ、すこし告発の意味合いも含んでいたかもしれない。正義の代弁者。 しかし、Bの置かれている社会的な関係をよく見れば、Aの属している「強者」自体が問われている場合が多いのに、Aは自分だけ特権的にその範ちゅうから離れたうえでBの代弁者、告発者としてふるまう。そんなAが発する言葉、「Bのまなざし」。 これは聞きづらかった。 今はもうほとんどいなくなってきたけど、こんなのは形を代えて これからもいろいろでてくるだろうなぁ。 (写真は朝日連峰とその裾野に広がるわが村) ...もっと詳しく |
「うん」も「はい」も聞きたくないが、「絆」(きずな)はもっと嫌だなぁ。これを聞いた瞬間に一気に嫌悪感が広がっていく。なぜって?ん〜、どのように説明しようか・・・・。
今、地元の公民館の文化振興会事業として、長井市に残る「卯の花姫伝説」の紙芝居づくりをしている。脚本は、なんと・・オレ。ここから、まわりくどい説明になってしまうけど・・。 時代は平安。 当時、都のあった京都では大和朝廷を築いた一派が力を持っていたが、今でいう関東以北には朝廷になびかない者たちが多数いた。朝廷ではそれをエゾあるいはエミシと呼んでいた。それらを漢字でどのように書いていたかと言えば「蝦夷」。 語源は古代中国にあり、中国では都のあったところより東方で暮らす人たちを未開の野蛮人という意味の「夷」(エゾ、エミシ)と呼んでいたという。京都ではそれにさらにみにくい動物の一種である「蝦」(ガマ)の字を加えて「蝦夷」と表現し、関東以北を同じように蔑んでいた。 蝦夷の中心には陸奥の国(現在の宮城、岩手)に一大勢力を持っていた豪族、安倍の頼時。京都の朝廷はそれらを配下に治め、全国を支配下に置こうと、源頼義、義家に派兵を要請した。 そのころ、羽前の国(山形県)の長井の庄に、安倍の頼時の息子である貞任の子ども、「卯の花姫」が暮らしていた・・・・。 と、このように物語は進んでいくのだけれど、結局はこの娘をたぶらかし、エゾ、エミシの大量殺りくを行っていく。そのような伝説を紙芝居にしようというわけだがここではそれを紹介したいわけではない。 あえて極論をいえば、この平安時代の東北平定以来今日まで、ずっと、都・都市・中央、国家からの東北に対する差別と収奪が行われてきているのではないか。今回の東電の福島原発の存在と事故、さらに事故後の処理。放射線量のごまかし、放射線下への人々の放置と救出活動の放棄、原発難民の放棄に除染のいい加減さ。甘い汁を吸おうと寄ってくるゼネコン。それを見逃す環境庁。青森への放射性廃棄物貯蔵施設の押し付け。東北東海岸の復興の遅延、家畜小屋かと見間違うほどの避難施設とそこへの放置・・・・。枚挙にいとまがない。私はこれらのなかに連綿たる東北地方への差別の存在を感じてしまうのだ。 「絆」はそれを問わない。暴かない。安っぽい一体感を強調することで現実世界を糊塗しようとする。ちがうだろうか。 戦後から今日まで、沖縄からの叫びにも似た日本・「本土」への要請。それは「絆」への要請だったはずだ。これらを一貫して無視してきた日本・「本土」が、「本土」内といえども辺境の地、東北との「絆」を本当の意味で築けるわけがないと思える。 沖縄との関係でも東北との関係でも、求められているのは単純な「絆」ではない。「本土」、都市中央、国家の側の大いなる反省、謝罪とその上に立った関係の再生なのだと思うのだがいかがだろうか。 |
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屈辱的なTPP「日米合意文書」が載っている。
すべてがアメリカペースで押し切られた。
日本にとって得なことは何一つない。
初めからわかっていたことだ。
TPPの残りの会合は5月と9月。
10月には大筋の合意を得たいという参加国の方針の中で、
日本はたった1回しかテーブルに着くことができないのだ。
過去16回の会合の中身は何一つ知らされておらず、
それらを無条件で飲むことを条件に、残り一回の交渉に着く。
「国益」を守るなんてできっこない。
それができるなら、あのような「日米合意文書」など交わさずに済んだはずだ。
戦後積み上げてきた様々な諸権利とともに日本の制度が全体的に見直され、多国籍企業の前に、 国民が単なる無防備な消費者となってさらされていく。
アメリカの完璧な「ポチ」となって、浸食されていく日本。
どっちが得かという問題ではない。
これから事情が分かるにつけ、こんなはずではなかったという国民の声が
大きくなっていくだろう。でもそれからでは遅い。
今は「TPPに反対する人々の運動」の共同代表として
参加阻止の運動を精一杯盛り上げることに精力を集中したい。
どう考えてもそれしかない。
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