ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
2012産のお米は9月で終わりです。
10月からは2013産のお米、新米に変わります。 菅野農園のお米をお取りいただいたみなさま、一年間、ありがとうございました。 ご存知のように菅野農園は水田と自然養鶏を組み合わせた循環型の農園です。 小さな農園の生きていく道は細くなるばかりですが、息子ともども みなさまのご支持をいただいてこの一年、何とかがんばることができました。 あらためて感謝いたします。 大規模化はケミカルにいっそう依存し、食(お米)の質の低下、環境負荷などをもたらします。 私たちは、小さいけれど、だからこそ確かなものをしっかりと作っていきたいと思っています。 これからまた一年、菅野農園のお米や玉子をどうぞよろしくお願いします。 いよいよ今月20日から稲刈りが始まります。 ...もっと詳しく |
団塊の世代の、あのころのことがいっきによみがえってくるような歌ですね。 http://www.youtube.com/watch?v=KbcUlCV2tM0 |
下の文章は消費者業界の新聞から頼まれた「TPPと農業」にかかわる800字の原稿です。ご笑覧ください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 車がなくても生きては行けますが、食糧がなければ生きてはいけません。その時、人々が「空腹を我慢することができない」とすれば、食糧を持っている国に土下座するしか道はありません。 TPPのなかで最も大きな影響を受けるとされる農業の問題は、国民のいのちの問題であり、国の自立、尊厳にかかわる問題です。 よく知られているように食料自給率は39%でしかなく、TPPによって関税が撤廃された場合、27%程度に低下すると試算されています。 農業の内側にいればこの国の危うさがよく見えますが、都会ではそうではないのでしょう。たしかにスーパーに行けばたくさんの食料品が並んでいて、この国が北朝鮮の半分ほどの自給率でしかなく、輸入が途絶えればかの国の倍の惨状が繰り広げられていく・・都会では想像できません。 TPPをめぐって、私たち米作り農民は攻撃の矢面に立たされてきました。 「日本の米は778%もの高い関税によって保護されており、消費者は不当に高い米を食わされている。」 しかし、ご飯一杯は白米で70g。4,000円/10kgの米を買ったとしても一杯は28円でしかありません。ポッキー4本分です。これをもって、「高い!外国に依存せよ」というのでしょうか? 「日本の稲作は規模が小さく非効率」 山形県の穀倉地帯にある私たちの村の水田平均耕作面積は1・8haほど。オーストラリアの3,000ha、アメリカの180haと比べればあまりにも小さい。働いてみたら分かるのですが、傾斜地が国土面積の65%占める日本では大規模農業は無理。それでも狭い農地を丹念に耕し、国民のわずか3%の稲作農家が97%の世帯を支えてきました。 いま私たちに求められているのは、TPPによる農業破壊=外国依存の道ではなく、食の安心、安全を第一とする農業と、土や海、森を始めとするいのちの資源とが調和した新しい人間社会のモデル、農業を基礎とした循環型社会を築き、広く世界に示していくことではないかと思うのですがいかがでしょうか。 ...もっと詳しく |
急に秋らしくなってきました。 朝晩は涼しく、タオルケットだけでは寒さを感じるようになっています。 田んぼの色も少しづつ黄色みがかってきました。 夜のしじまにコオロギや鈴虫などの鳴き声が聞こえています。 季節は巡っていくのですねぇ。 ありがたい。 |
どちらかと言えばニワトリたちは寒さよりも暑さに弱い。
彼らはいつも羽毛のコートを着ていて、それを脱ぐことができないから切ない。 その点、人間は毛をまとうことなく、着物を着脱することで体温調節ができる。それが地球上の広範囲にわたって生息できる所以だろう。ニワトリを見ているとそれがよく分かる。 30度を超える昼、戸を開け放しても彼らは当然のことながら陽ざしの中に出ようとはしない。出てもすぐに戻ってくる。「暑っ、ヤバ!」言葉にすればこんな感じかな。 そして夕方。 日が沈み、気持ちのいい風が吹く頃になると、今までの我慢を解き放つようにいっせいに外に出る。夜になるまでの間はそう長くはないが、この時間帯が彼らにとって一番いい時間なのだろう。あたりが暗くなるまで、思い思いに草を食べて過ごす。 秋〜冬〜春にかけては玉子にコクがあり、生卵で食べればそのおいしさがすぐに分かるのだが、この時期の玉子はそれほどでもない。淡白だ。 「なに言ってんだぁ!この暑さに耐えるだけで目いっぱいなのに、玉子の味まで気がまわるかい。」 こんなことかもしれないな。 日中がいかに暑くても朝晩は涼しく、窓を開けたまま、朝を迎えることができなくなってきた。身体が冷えて目を覚ます。秋が近づいてきたんだね。 玉子がおいしい季節はもうすぐだ。そして俺たちは忙しい刈り入れの時期を迎える。 ...もっと詳しく |
お盆の朝、6時前。 玉子の配達に出かける途中に振り返ったら、 朝日のなか、水田とわが村と朝日連峰がきれいに映えていた。 見慣れた風景のなかの、おっと思える光景。 春、夏、秋、冬・・それぞれにあるが、この光景もその一つだ。 <ダブルクリックで大きくなります。> |
お盆までにはやらなければ・・・と思っていたこと。 1、家じゅうにあったストーブを片づける。 2、苗箱を片づける。 3、ジャガイモを掘る 4、全体を掃除する。 5、自分の部屋を片付ける できたこと 1、ストーブは片づけた 2、ジャガイモは収穫した 3、それだけ ストーブをかたづけた・・・冬が終わった。 苗箱はまだ片づかない・・・春は終わらない。 ま、ほかに優先しなければならなかったことがたくさんあったということですね。 生きているということですよ。 |
穂が顔を出した。 苗が成長し、稲になった。 あと40日ほどで刈取りの季節を迎える。 一粒の種から一本の苗が生まれ、それがやがて20本の茎に増え、それぞれが一つずつ穂をつける。 一つの穂には80前後のモミをつけたとして一粒が秋になると約1,600粒になる計算だ。 一杯のご飯は2,500粒前後と言うから、元をたどればわずか二粒にも満たない。 植物の恵。 |
アツアツのうどんを、納豆で食べる「ひきずりうどん」、あるいは「ひっぱりうどん」と言う山形の冬の郷土食があります。この夏版を試してみたら・・これがいがいに旨いのです。
ぜひ皆さんにご紹介します。 まず、納豆(一人前、いちどに120gは必要ですね。)に「サバ缶」(1/3缶ぐらい)を入れ良くかき混ぜ、そこに「めんつゆ」を加えて更に良くかき混ぜる。めんつゆの濃度は普通に食べるぐらいで充分です。私の場合は細かく切ったネギは欠かせませんね。これで準備はOKです。 そこに水を切った冷やしたそうめんか冷麦を、一箸ずつとって(ここが肝心です。一度にたくさんの麺を入れますと、納豆が水っぽくなっておいしくはありません。)、丼の中で納豆にからめながら食べる。 これだけのことなのですが、旨いよぉ。 ぜひ試してみてください。 ...もっと詳しく |
昨日から大正大学の学生たち(1年生)30名が長井市を訪れている。長井市とレインボープランを舞台としたフィールドワーク。朝日連峰の麓の村とその前にひろがる見渡す限りの水田風景。流れる空気にもどこか緑の香りが含まれている。
この山間の里からは一万年前の石器が発見されている。以来今日までこの地で数百回の世代交代が行われてきた。 山と水田と村人の暮らしを説明しながら、学生たちに考えてもらっている。 連綿と続いてきた「地域のタスキ渡し」・・・何を願いながらのタスキ渡しだったのか。 そして今、一見豊かに見えるこの村は、急速に衰退に向かっている。同時にそれは日本の食糧生産基地の衰退でもあり、人々は空腹を我慢できないことを考えれば、この衰退は国の自立の危機でもあることを。 首都圏で育った若い学生たちには、大学の教室では話してきたけれど、現場を見ながらの話しは衝撃的だったかもしれない。でも彼らが未来の創り手であることを考えれば、知っておいてほしい現実だ。なおこれからも首都圏で暮らす青年たちならなおさらそう思う。 |
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他方、日本のほとんどのニワトリたちは、薄暗い鶏舎の中で狭いゲージに閉じ込められ、遺伝子組み換え穀物や、飼料添加物で彩られた高カロリーのエサを与えられて、毎日、苦しくも切ない日々を過ごしている。彼らの産んだ卵は食べる気がしない。食べても身体にいい影響を与えてくれるとは思えない。
なんとか彼らをこの境遇から救う手立てはないものか。地球上のすべての動物の中で、もっとも過酷な環境でいきているのがこのゲージ飼いのニワトリたちではないか。これを実際に見たならば、ほとんどの人は「あまりにもかわいそうだ。人間のやることではない!」と叫ばずにはおれないだろう。卵なんて食べられるものか。
彼らをそこに閉じ込めているのは「経済効率」という考え方だよな。で、ここで俺が言いたいのは、それで苦しんでいるのはニワトリたちだけではないということだ。牛?いやそうじゃなくて、俺たち自身であり、現代社会そのものでもあるってことだよ。だから、彼らを「救う」のではないんだな。一緒に自由になる道を見つけて行こうっていうことだべ。
でな、どうだろうか?ニワトリと俺たちとの「共闘会議」をつくるっていうのは。あるいは「ニワトリ解放戦線」。ニワトリたちと一緒に俺たちも「経済効率」のモノサシから自由になっていくってことだよ。できるよ。
しょせん日本の農業はこの「経済効率」で潰されがかっているんだ。ニワトリたちを企業養鶏から取戻し、まさに庭鳥として一緒に、農の現場で自給的に生きていく。この道を創っていけばいい。大地に根ざし、土に依存することで、新しいお互いの自由が見えてくると思うよ。きっと。