ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
野も山も里も真っ白な雪景色。
吹雪の深夜。ビュウビュウと雪は横に流れ、温度計はとっくに零下に沈んでいる。 この寒さは尋常じゃない。 こんな夜なんだよね・・雪女が出るのは。 「こんばんは・・旅の者ですが・・」と外から女の声が聞こえてきても、同情して部屋の中に招き入れてはいけないよ。 この間の深夜も誰かが我が家にやって来て戸を叩いたが、 あれもきっと雪女だったに違いない。 そっとカーテンを開けて覗いてみたら、 窓の向こうの雪のなか、一人の女の人が帰って行く所だった。 助かった。 先日、「雪女には気を付けよう」との村の回覧板が回って来た。 俺も気をつけなければならないな。 すぐに人を寄せたがるから。 悪い癖だよ。 |
百姓やってあなたで何代目ですか?
こう尋ねられることがある。 で、だいたいこう答えている。 「先祖となるとどこまで遡れるか分かりません。 わが家は村の古農から分家して私で3代目です。 分家した私にとっての祖父は、その古農の長男でした。 でもまだ幼く、親たちは姉に婿をもらって家督を継がせ、 必要な労働力を確保したうえで、やがて成長した祖父には財産を分けてやり、 分家に出したのだそうです。 昔はよくそのようなことがあったといいます。労働力対策ですね。 その前までは、どこまで遡れるかが分からない程で、 お墓に行くとボロボロに風化し、 文字も読めない家の形をした墓石が数十基も並んでいました。 江戸のまた更に昔となることは間違いないようで、ま、言ってみたら、 私はどこを切っても百姓。 混ざりっ気のない百姓の子孫と言うことでしょうか。」 |
野も山も里も真っ白な雪景色。
寒いなと思って外の温度計を見たら、マイナス1度。大したことが無い。それでも寒く、慌てて部屋のストーブを付ける。北海道などでは二重窓になっていて大きなストーブがゴウゴウと燃えていて、家の中全体が暖かく、薄着で過ごすことが出来るという話だが、ここ山形ではというか、我が家ではというか、ストーブは使っている部屋のみチロチロと。 でもな。「コタツ文化」というか、家族が一つのコタツに入ってミカンなどをむきながらおしゃべりを楽しむ、お茶を飲む。外からのお客さんもその中に加わり、一緒の時間を過ごす。こんな暮らしがあるのだ。 ひとたび外に出ればそこは純白の世界。太陽が昇るとあたり一面がキラキラと輝き、見慣れているはずの私たちにとっても「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような美しい光景が広がっている。 また、冬は田畑が雪で覆われているために、比較的自由になる時間も多く、寒さの中で喜んでもいる。もちろん、春は待ち遠しくはあるのだけど・・、とは言っても、早く来てほしいような、もっとずっと先にしてほしいような妙な気分なのだ。 で、結論だが、いろいろな不自由はあるけれど、やっぱりここ、山形が一番いい。 |
野も山も里も真っ白な雪景色。
寒いなと思って外の温度計を見たら、マイナス1度。大したことが無い。それでも寒く、慌てて部屋のストーブを付ける。北海道などでは二重窓になっていて大きなストーブがゴウゴウと燃えていて、家の中全体が暖かく、薄着で過ごすことが出来るという話だが、ここ山形ではというか、我が家ではというか、ストーブは使っている部屋のみチロチロと。 でもな。「コタツ文化」というか、家族が一つのコタツに入ってミカンなどをむきながらおしゃべりを楽しむ、お茶を飲む。外からのお客さんもその中に加わり、一緒の時間を過ごす。こんな暮らしがあるのだ。 ひとたび外に出ればそこは純白の世界。太陽が昇るとあたり一面がキラキラと輝き、見慣れているはずの私たちにとっても「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような美しい光景が広がっている。 また、冬は田畑が雪で覆われているために、比較的自由になる時間も多く、寒さの中で喜んでもいる。もちろん、春は待ち遠しくはあるのだけど・・、とは言っても、早く来てほしいような、もっとずっと先にしてほしいような妙な気分なのだ。 で、結論だが、いろいろな不自由はあるけれど、やっぱりここ、山形が一番いい。 |
元旦の朝は「若水」を汲み、水に感謝し、お汁やお茶に使う最初の水を頂くところから始まる。
次は、台所、倉庫、農業機械舎、鶏舎、車・・など、我が家に宿る(と思われる)16カ所の八百万の神さまたちに餅、栗、干し柿、ミカンなどをお供えし、1年の無事を祈ってまわる。ここは孫たちも張り切って頑張る。 それ等が終わったら、孫たち3人が神妙に正座した所で、ひとり一人に相対し、「お年取りの儀式」を行う。その家の年長者の役割だ。な〜に大したことではないのです。わが家ではお供え物を載せたお膳を孫の頭上にかざし、その子が12歳ならば「13歳になぁれ、13歳になぁれ」と唱え、その子のいい所を褒め、「年が1つ増えても変わらずにな」と話して終わり。それからお年玉を配って朝の行事は終了。 今年も我が家はこのように始まりました。 新年もどうぞよろしくお願いいたします。 (写真はお供え物を準備しているところ。) |
28日は「松むかえ」の日。
門松に使う「三階の松」を山から迎えてくる。 「三階の松」とは三段になっている松の事。 孫を連れて裏山(朝日連峰)の麓に入る。 松の成長を殺さないように、枝の中から近いモノを選んできた。 風と沢の音だけの静かな世界だった。 |
12月9日は昔から「耳あけ」と呼ばれている日だ。
大黒様(穀物)、えびす様(魚介類)を祭ってある神棚に尾頭付きの魚と二つに分かれた「まった(股)大根」をあげ、枡に大豆を入れ、カラカラと揺すりながら 「お大黒様、お大黒様。耳をよ〜く開けて聞いておりますから、なにがええごどおしぇでおごやえ〜!(良いこと教えてください)」と大声で3度言う。今年も小学6年生を筆頭に3人の孫がそれをやった。 「何か良いこと教えてください・・とは情けない」と思う向きもありましょうが、飢餓と隣り合わせの日々。ちょっとした天候異変がそのまま家族の存続の危機、いのちの危機につながって行った時代。懸命に働いた後は「神頼み」しかなかった頃の村人の行事が今に伝承されている。 この行事が終わると、急速に暮れに向かい忙しさが増していく。 |
子どもの様な国だ。 農業を見る上で大切なのは農地と労働力。近年、この二つの減少が著しい。まず農地。2014年から2019年までの5年間で日本の農地のほぼ10万haが減少した。そう言われてもピンと来ないだろうが、どこに行っても田んぼだらけという山形県の水田面積が8・8万haであることを考えれば、その失った広さが想像できる。その他にも耕作放棄された農地が70万ha近くある(2017年調べ)。日本の自給率がわずか38%しかなく、日本人は食べ物の62%を輸入に頼っている中でのことだ。良く言われるように、これは「先進国」の中でも最低の数字だ。 次は労働力。農家の平均年齢は68.5歳。ほぼ70歳に近い世代が農業の中心となっていて、高齢化というよりは老齢化だ。そんな中ですら進められているのが小農(家族農業)の離農促進と、農業経営の大規模化、法人化である。その方が合理的だということだろう。ところが実際は、肝心の若い世代を含め、全体的に農業そのものから離れていっている。就農人口の60%が65歳以上であり、35歳未満の働き盛りはわずか5%でしかないという現実がそのことを物語っている。 ここで改めて、広く人々に問いたい。農業政策、食料政策はこのままで本当にいいのか。その結果についての覚悟はできているのか。どこかよそ事として眺めてはいないか。 あらためて言うまでもないが、人は車がなくても生きては行けるが、食料がなければ生きていけない。食の道が途絶えたら、食料を持っている国に土下座するしかない。哀願するしかない。 農業の問題は、国民のいのちの問題であり、国の自立、尊厳にかかわる問題だ。ここでも食糧大国、アメリカへの従属外交にならざるを得ないだろうか。 この進行する農の危機、いのちの危機について、我々がいくら口を酸っぱくして指摘しても、ほとんどの人は分からない。洪水は足元まで来ているのにそれに気付けない。スーパーでもどこでも食料品があふれているからだろう。でも、人災、天災が一たびこの国を襲えば、想像したくない光景が誕生するだろう。気づいた時にはもう遅い。この国の国民は、歴史から学ぶ力を持ち合わせていないのだろうか。 子どもの様な国だ。 |
現代社会の深層をえぐる渾身の問題提起です。すこし、長文ですがぜひお読みください。ご感想を頂ければ嬉しい。
以下 我が家の前には800haの田んぼが広がっており、後ろには朝日連邦の雄大な山並みが連なっている。静かな山あいの村だ。 唐突でだけど、俺はその広い田んぼを前に立小便(立ちション)するのが大好きだ。家の中で尿意を感じても、わざわざ外に出ていくこともよくある。用をたしながら広大な緑の風景を見わたす。雄大に横たわる朝日連峰を眺める。田んぼを渡る風は季節の香り含んで流れ、薄くなった男の髪を優しくなでで行く。心地いいことこの上ない。山や畑、野原など気持ちのいい所はたくさんあるけれど、やっぱり広い田んぼが一番。このぐらい爽快なオシッコは他では決して味わうことはできないだろう。 かつて娘が小学生のころ、「お父さん、家の外でおしっこしないでね。」と言われたことがあった。先生から「西根は遅れている。まだ屋外で小便している人がいる。」と言われたのだそうだ。「お父さんのことだと思って恥ずかしかったよ。」と娘。西根というのは子どもの通う学区で長井市のなかでも農村部だ。もちろん誇りある俺たちの村。そばにいた妻も「そうだよ、お父さん、あれはみっともないよ」という。 えっ?オレのおしっこ、誰かに迷惑をかけたか?ここは都会のアスファルトの上じゃない。おしっこは匂いを出す間もなく瞬時に土に吸い込まれ、草や作物に活かされていく。タヌキやカモシカや野兎などのそれと一緒だ。田んぼの畔に放った私のモノは彼らの小便と同じように自然の一部となって大地をめぐる壮大な循環の中に合流していくのだ。ただそれだけのこと。 お前達だって立ち小便すればいい。オレが子どものころには、近所のばあちゃん達もみんなやっていたことだ。女たちの立ち小便は子どもの俺達から見たってなんの違和感もなかったよ。人が通る道端でさえよく見る普通の光景だった。ばあちゃんたちは、おしっこをしながら、道行く人とおしゃべりだってしていた。そのすぐそばを子どもたちが通ろうが、男たちが通ろうがなんの動揺もなかったはずだ。堂々としていたから。我が家に立ち寄ったついでに畑でおしっこしたばあちゃんが、大らかに笑いながら、「お茶代金はここに置いたからな。」と言ったっけ。お礼に肥料分を置いていくということだ。 あのな、この際だから言わせてもらうけど、お前達の自覚の無さゆえ、あるいは都会の文化に見境なく迎合した浅はかさゆえ、女たちの「腰巻」が育んできた貴重な文化が無くなろうとしている。はるか縄文の大昔から、ついこの間まで、母から娘に、娘から孫へと、ずうーっと受け継がれて来た文化だ。放尿の際の腰の曲げ方、尻の突き出し方、両足の広げぐあい、隠し方など、それらの所作の一つひとつが文化のはずだ。その歴史的文化が、まさにいま、ここで潰えようとしている。いまやそれを知る人は80代以上の女性、それもほとんど田舎の女性のみとなってしまっているではないか。やがて彼女らがいなくなったら、知っている人は日本列島から完全に消えはててしまうだろう。もし誰かがそれを復活させようと思っても、手立てが無くなってしまうのだぞ。これから先、どのようにその文化を伝承していけばいいのか。消えゆく女の立ち小便は、文化人類学上の深刻な課題のはずだ。オレは男だからしょうがないけれど、お前達のなかに、我こそは・・・という志をもった女はいないのか!その復権を!という人はいないのか! 話の途中から、妻娘はいなくなっていた。 実際、事態はますます悪化の一途をたどる。女から立ち小便を取り上げた同じ「文化」は男の小便も小さな閉塞した空間に閉じ込めることに成功し、その上、さらに掃除が簡単だからと、男から立小便の便所そのものを取り上げ、男女の区別なく「考える人」ポーズで用を足せるように仕向けて来た。如何に住宅事情からとは言えそれでいいのかと考え込んでしまう。男たちよ!野生を取り戻そう。野山や田畑でのびのびと小便しよう!さすがにまだ、女たちよ!とは言えないけれど。 (大正大学出版会 月間「地域人」連載中 拙文) |
10月31日の私の誕生日に際し、たくさんの方からお祝いメッセージをいただきました。ありがとうございました。
1949年(昭和24年)に生まれ71歳になりました。 ですが、生き方を決めるのは自然年齢ではありません。志と情熱です。 このままならば、植民地日本に生を受け、植民地日本で没することになりかねません。農民だからと言って農業にだけ関心があるわけではありません。日本の独立、その夜明けを見ない内には死にきれない。正直に言ってそんな気持ちです。 沖縄も、原発も、農業も・・このままでいい訳がない。このままでは数百万人の戦死者と戦争犠牲者に対して申し訳ない。あらためてそう思います。子々孫々に恥じない日本、社会を残すこと。 路傍の小石の身であろうとも、そんな希望の道を創る一粒にはなれるし、なりたい。ならなければならない。 誕生日にあたって改めてそう思います。 今まで以上のご鞭撻をお願いいたします。 |
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わが家のすぐ後ろに連なる朝日連峰に春の兆しの雪崩が始まっている。田んぼや畑の雪解けももうすぐだ。
さて田園は四季の変化に伴って色合いも、生み出す音も変わっていくが、今は白から土色を経て若葉色に向かう季節。色彩的には水墨画を見ているような落ち着きを感じる。
俺は農作業のあい間、村や田んぼやニワトリたちが作り出す季節感ある風景や音を、暮らしの中に取入れ、その組み合わせを楽しんで来た。例えば緑の水田の中で聴く流れる水の音とオカリナのコラボレーション。あるいは水田を渡る風の波と、近所の農民が唄う民謡。村には芸達者な人達が多い。沈みゆく夕陽を肴に酒を酌み交わす田園の夏や秋のひと時も良い。他にもまだまだあるが、これから書くのもその一コマだ。
ちょっと前の話になるが、きっかけは友人の大工に頼んで鶏舎を一棟建ててもらったこと。わが家では、ニワトリたちをローテーションに従って鶏舎の外の草地に放している。草地で遊ぶニワトリたちはただ眺めているだけで楽しいが、そんなニワトリたちが産んだ玉子なら食べたいと、声をかけてくれる人が年々増えていた。出来上がった鶏舎を眺めているうちに「落成を祝う会」をやろうということになった。まだ夏の暑さが残るさわやかな初秋のある日、一緒に和やかなひとときを過ごそうと、さっそく友人達に呼びかけた。
「来たる12日の日曜日、我が家の鶏舎の前にてささやかな野外酒宴をもちます。会費は千円ですが、一品持ち寄りできる方、またはお酒を持参される方はお金はいりません。一品とは言っても何でもいいんです。その辺の雑草をむしって来てさっと茹でたものとか・・・ほんとになんでもいいんですよ。我が家で準備できるものは俺が握ったおにぎりと、自慢のたまご焼き、それに少しの飲み物ぐらいですけど。だから・・・本当にお気楽においでください。」
急な思いつきの、急な案内にもかかわらず20人ぐらいの人達がさまざまな手作りの食べ物を持って集まってくれた。
野菜のおひたし、フキや竹の子の煮物、ワラビの醤油煮、野菜とキノコの辛味和え、餃子、玉コンニャク・・・鶏舎の前の樹の下にシートが敷かれ、手作りのご馳走が並べられた。それらをいただきながら、小さなパーティが始まった。どの料理もおいしい。俺が作ったものも好評だ。テーブルをかこんで、始めて会った人どうしが談笑している。
9月の澄んだ青空に白い雲。緑いっぱいの樹の下の、木洩れ日がそそぎ、さわやかな風が頬をなでる。コッコッコッコッと草の上で遊ぶニワトリたちの穏やかな声を聞きながら、気持ちのいい時間が流れていく。前に広がる水田では稲刈り前の若い穂がさわやかな香りを放ちながら揺れている。
「孫にね、ニワトリを見せたくて連れてきました。さっきからずっとニワトリを見てます。近くにニワトリっていなくなったものねぇ」
「私はここのところ家の外には出られなかったんです。他人と会いたくなかった。でも、今日は来てよかった。」
「高校生の息子がね。学校をやめて農業したいというんです。ニワトリを飼ってみたいって。だから一緒に来ました。それもいいかなって。」
「全部の田んぼを無農薬でやってました。草とりが本当に大変でね。でも、もう歳だし、来年はそこまで無理するのはやめようかと話し合っているんですよ。」
みんなが素直に自分を語っている。農民も、パート勤めのお母さんも、大工さんも、幼稚園の先生も、お坊さんも、学校の先生も・・・。いま、ここに居ることが本当にしあわせだと思えるような時間。やわらかな空気が静かに流れる田園のひと時。
だからどうしたのと聞かれると困るんだ。ただそれだけの事なのだから。でもね、それがとっても温かくてさ、ありがたくてよ。なんか生きててよかったなぁって思えるんだ。ただそれだけのことなんだけどね・・。
農業を生産物の取引だけで語ったのでは、その深さ、面白さ、豊かさが分からない。農民の暮らしもそうだ。所得の過多だけでは決して見えない世界がある。そしてね、その世界こそ農の魅力なんだよな。
(大正大学出版会・月間「地域人」所収・拙文)