FPのひとりごと
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告知を一発!
久々に告知を一発!
今週の25日金曜日夜7時〜9意
長井市本町の本町フェリカの1Fで
“まちの楽校”主催の『第7回 生命保険セミナー』が開催されます
講師を私が担当します・・
いやいやいや FPとして かなりまじめにやりますって
実は 毎回 セミナー終了後の館内清掃がたいへんなんです
参加者の皆さんの目から落ちたウロコが多くて・・
元保険会社社員のリアルな裏話は他所ではなかなか聞けませんよ
本来なら最低でも5千円くらいはいただかないと合わないんですが
コーヒーブレーク付きで500円と超破格です!
えっ それが市場原理ってもんだって?!
言うよねー
今回は 生命保険の裏側をあぶりだしてみます
生命保険加入の目的の一つに“万が一”に備える というのがあります
万が一というのは 1/10000 ということですよね
ならば 9999/10000=99.99%にはどう備えるの?
という 逆説的なテーマに取り組んでいます
千円と言いたいところですが
コーヒー込みで 600円の価値はあると断言しますので
興味とお時間のある方は おいでになってみてください
申し込みは 下記まで・・
まちの楽校 0238−87−0239
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2011.11.22:
tnw
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告知
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脱ガリガリ君・・? これでしまいか
入院した事のある方には 頷いてもらえると思うが
病院の食事というのは例外なく“まずい”
まず 味が薄い 味がほとんどないものもある
塩分・糖分・カロリー等の摂取制限という問題があるんだろうが
筋子・たらこ・塩辛を大好物とする小生としては“食った気がしない”
さらに 入院患者の平均年齢に合わせて 歯ごたえのないものが多い
端的に言えば『菜っ葉系』の『煮物』や『おひたし』が異常に多いのだ
こういう『味なし老人食』が入院中は延々と続くわけで
三日もすると 楽しいはずの食事が治療に思えてきて苦痛になる
私は この苦痛を9ヶ月も耐えてきた ほぼ拷問に近い
退院して 一応何でも食えることになった
スープまで全部飲み干したカップ麺の美味かったことといったらない
とにかく9ヶ月の反動で 食べるものすべてが新鮮で美味しかった
おかげで
退院直前 49kgだった我が体重は半年で58kgになった
たった半年で 9kgも太ったわけで とんでもないリバウンドだ
さて
この9kg分の“お肉”一体カラダのどこについたのだろうか?
この頃 私はマイボディーにはノーケア・ノータッチだった
もはや自分の“管理下”におけなくなったものに無関心になっていたのだ
でも ある日 入浴施設の鏡に映った我が身をなにげに見てしまった
この世のものとは思えなかった・・
2011.11.21:
tnw
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脱ガリガリ君・・? ふたたび
高校時代の私 ウエストが60cmちょいしかなかった
(どうでもいいことだが 藤原紀香のウエストとタメだ)
それで 身長が170cmを超えているのだから
誰に言われるまでもない 『ガリガリ君』だ
スラックスを買おうと思っても 紳士用にはサイズがなく
ときには 女性用のものを買わざるを得ないこともあった
(当時から“そういう”趣味があったんだろうって・・ かも)
特別 食が細いというわけではなかった
2時間目終了後に早弁し 昼は購買で調理パンを買って食い
部活終了後は高梨商店(学校そばのパン屋さん)で買い食いしてから晩飯
という 当時の男子高校生のカロリー摂取の標準形は維持していた
でも いくら食べても全然体重は増えなかった
大学生になった頃 体重は55kgくらいだったが
ガリガリに対するコンプレックスがあり とにかく太りたかった
こんなことを言うと 多くの女性と中高年に顰蹙をくらうのだろうが
突き出たポッコリおなかに憧れた まさに“ないものねだり”だ
炊飯器で炊いた2合のごはんを一回で完食するなどという暴挙をしながら
なんとか体重60kgのラインに達した 素直に嬉しかった
が
そこから 三十代後半まで 体重と体脂肪率の右肩上がりは止まらなくなり
ついには 栄光のメタボキングにまで登りつめるのであった
(ちなみに 体重はMAX70kg 体脂肪率は20%台後半だった)
で そこから今度は一念発起して脱メタボを果たし
鏡を見てうっとり自己陶酔するナル的ボディーを手に入れた後で
事故って ほとんどの筋肉を落としガリガリ君にまた逆戻りした
我が人生と同じく 急上昇&急降下のマイ・バディー・ヒストリーだ
で 今は って?
そりゃ がんばってまんがな アナタ! ・・ ?
2011.11.18:
tnw
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どうニャンだろう〜・・
〈〈〈 緊急ぶっこみ企画! 〉〉〉
というほどのものではないが 閑話休題ってことで・・
猫ひろしがインドネシアの『東南アジア競技大会』というマラソンの大会で
2時間37分39秒という自己記録で5位に入賞したそうだ(一応拍手)
なんと彼はカンボジア国籍を取得していて(彼の国は寛容な国だねー)
同国代表でのロンドンオリンピック出場を目指しているという
これって どうニャンだろうね〜
まず 彼の記録 これがかなり微妙だ
長距離愛好家?には『サブスリー』というキーワードがある
3未満 つまり3時間を切るタイムというのが一つのボーダーということ
フルマラソンを2時間台で走るということがどれほどのものなのかは
実際に走ってみたことのある人でなければ絶対にわからない
私はこれを究極の目標として日々トレーニングに励んできたが
志半ばにして車椅子生活となってしまった(3時間切れまへんでした・・)
アマチュアランナーにとって 猫の記録(この表現なんかヘンだね)は
脅威の記録であり 垂涎の的でもある 掛け値なしに凄い!
四十から始めた私など 天地がひっくり返ったって出やしない記録だ
でも
この記録でオリンピックって・・ しかも他国代表で・・ Uum
まあ 他人のやることの是非を軽々に論ずるべきではなかろうが
もろ手を挙げて“ガンバレー”という気持ちにはどうしてもなれない
彼が この先どんなに練習しても 日本代表になるのは無理だ
それは やってみて 本人も十分理解しているのだろう
ならば レベルの低い国から特例で出させてもらおうという考え
純粋にオリンピックの出場だけが人生の目標であるのなら それもありか
でも 仕事もあって家族もいて いろんなものをかなり犠牲にするのだろう
それだけの犠牲を出してまで あの記録で五輪出場というのはどうなのか
猫の気持ち(?)もわかるだけに 私には判断がつかない
でも やっぱり方向性がちょっと違うんじゃないかと思う
それがたとえ合法的であったとしても 人生の究極目標であったとしても
“善意の抜け道”を通ろうとするのはスポーツマン精神に反すると思う
五輪に出るなら やはり自国で正々堂々と代表になって出るべきだ
挑戦することは大いに結構だが 今回は自己満足への挑戦に見える
たぶん 猫と私(?)は似た者同士
物事をとことん突き詰めないと気が済まないタイプで
ひとつの目標がぶら下がると 周りが見えなくなるタイプだ
いま 彼の頭の中にはロンドン五輪のことしか詰まっていないのだろう
もうこうなったら誰にも彼は止められない
ならば 五輪の出場と活躍を祈ってやるか しょうがないやつだねー
2011.11.17:
tnw
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選択の妙
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脱ガリガリ君・・? つづき
事故直後 私の身体は ほぼ9割が不全だった
首から上と腕・指がわずかに動く程度だった
下半身は感覚もなく 全く微動だにしなかったが
時々 ピクッ ピクッと膝が持ち上がったりしていた
おっ これは もしかして・・ などと淡い期待を抱いたが
我が意思とは無関係の 単なる痙攣の一種だった
入院2週間経過後くらいからリハビリが始まった
一日約1時間ほど 身体のいろんなところを動かしてもらうのだ
足は理学療法士の方が汗だくであちこち動かしてくれているのだが
動かしてもらっている方は まったく何も感じない エア・リハビリだ
なんだかんだで約9ヶ月もの間 リハビリをしてもらったのだが
入院直後と退院時では 身体の可動域の改善はほとんど見られなかった
入院期間9ヶ月の間 自分の身体を鏡に映すことはなかった
その直前まで毎日 鏡に向かって自己陶酔していたナルシストがだ
洗面所で首から上は毎日眺めていたが そっから下は見なかった
意識的に見なかったというのではなく そんな気にならなかった
自分の身体に起こっている変化を受け止める素地ができていなかった
まだ“諦める”心構えもなく 勇気も湧き上がってこなかったんだろう
入院して 3ヶ月目くらいに体重測定があった
特殊な測定器に車椅子ごと乗って 後で車椅子の重さを引いた
49kgだった・・
ダイエット中の女子なら小躍りするぐらいの体重なんだろうが
私のベスト体重からは16kgも落ちていた 激減だ
食事は栄養士が管理していて ほぼ完食していたので
落ちた分の体重は ほぼ筋肉の分だったんじゃないだろうか
せっかくつけた筋肉が9ヶ月でほぼ削げ落ちてしまったことになる
私は 高校までは『ガリガリ君』だった
34年後に またそこに戻ってしまったのだった
2011.11.16:
tnw
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脱ガリガリ君・・?
スポーツマンというのは ある意味ナルシストだ
やってる自分 頑張ってる自分 イケてる自分にほれぼれする
そういう面は誰にでもあると思う というか あって当然なんだろう
自分で自分を評価することが続けるモチベーションになっているんだから
私は“事故前”人並み以上にナルシストだった
前提として かなり“鍛えていた”という事実がある
毎日 ランニングと自転車と筋トレを欠かしたことはなかった
冬期間は ランニングと自転車の代わりにエアロバイクを漕いでいた
(床に“汗の海”ができるぐらいハンパなく漕いでいた←んなオーバーな!)
週末は スイム+バイク+ランで4〜8時間は汗を流していた
さらに 週に4日ほどスポ少で子供たちにバレーを教えていたので
エンゲル係数ならぬ“マッスル係数”?は相当高かった
おかげさまで? ほれぼれするような肉体美だった(知らぬが仏)
だって 腕立てと腹筋とスクワットを毎日それぞれ500回もやってれば
だれだって それなりのボディーを形成することはできる
トレーニング終了後は 鏡に己が肉体を映し出し自己陶酔していた
いま思えば これって かなりキモイ絵柄だったんだねえ・・
身長172cm 体重65kg 体脂肪率9.2%±1.5%
これが当時の“ナル的”マイ・ボディー・データだ
4年前に(ありゃ あと10日で『五回忌』だ・・)事故った
重度の脊髄損傷になって カラダにも劇的な変化があった
2011.11.15:
tnw
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