FPのひとりごと

FPのひとりごと
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私はノリのいい男だ
(またの名を『単細胞男』『C調男』という)
人生の約半分くらいをノリで生きてきた気がするが
ときどきブレーキが効かなくなって暴走してしまう
とんでもないところに行ってしまう正に暴走もあるが
常識を超えた“高み”に連れていってくれる暴走もある

相方や仲間が同種の人間だった場合は
そのパワーは2倍ではなく二乗を超える

『えーっ それいいねー!』

『いいだろ なっ!』

『やろやろ!』

『んなもん やるっきゃないじゃん!』

こんなときのノリは もう誰にも止められない
いくとこまでいってフーっと一息つくまで大爆走だ

障害者としてのいろんなハンデを背負い込んだ今は
少し引いて自分や世の中を見られるようになった
というより 飛びつきたいのに飛びつけないのが実状だが
それでも半世紀もの間 我が身に染み付いたこの体質
おいそれと変えられるわけもない

で いまだにビビっときてはダーっとやっちまうわけです

人間 誰にでもイイところとダメなところがある
他人から見て これが半々なら上々てなとこだろう
厄介なのは 自分的にはイイところが他人から見たら逆だということ

“天然”の人って周りからは“癒し”の存在と思われていることが多いのに
“天然の御本人”は天然そのものを否定したがるし そういう評価を嫌う
土台 自分のことを自分できっちり評価することなどできないわけで
それならなおいっそうのこと他人の評価などできっこない

というわけで・・
私のイイとこであり ダメなとこでもあるのが 人を見る目だ

まず初対面 ここでNGだった方は 基本 徹底的にNGだ
この“勘”がはずれたことはまずないが“実績”も極端に少ない
初対面の方は まずほとんど例外なく“そのまま”受け入れる
初対面の方に対する“ストライクゾーン”はかなり広い方だ
ここで“風呂敷を広げられ”ても そのまま受け入れるので
私は過去に歴史に名を残すかもしれないような偉人に何十人も会っている
もちろん本物にも遭遇しているが 偉人の皮を被っていた凡人の方が多い
まあ 正直な話 騙されやすい体質なわけだ 残念ながら

騙されたことを長年気付かなかったことも往々にしてある
白だと思っていたことが気付いてみたら全部黒だったこともある
勝手に騙されていたこともあれば 作為的に騙されていたこともある
作為的に騙す奴は 結局 自分で尻尾を出してしまうが
そのケッコー悲惨な末路を目撃してしまうのは悲しいもんだ
騙すのなら 騙し続けてほしい 永遠に

ストライクゾーンの広さは騙されやすいというデメリットの反面
似たような体質同士の出会いでは 相乗効果を生み出しやすい

次回はそのへんを・・

私は毎朝だいたい5時前後には起きる
正確に言えば日の出とともに起きるので
夏場は4時頃にはパッチリと目を覚ましている
でも冬場は日の出が遅いのでケッコー寝起きは辛い

で なにをやってんのかというと
ベッド上でストレッチなどをやりながら
ラジオ(FM山形→JFN)を聴いている
5時半くらいから始まる『オンザウェイ・ジャーナル』
この番組が とにかく抜群に面白い

神保哲生 高野孟 工藤泰志 上杉隆 町田徹 田原総一郎

こういう人たちがパーソナリティーとなって
持論を展開したり ゲストと対論したりしている
パーソナリティーの面々を見てピンと来ない?
(って 田原さん以外はあまり有名じゃないか?)
もちろん優秀なジャーナリストだが みんな尖っている
尖ってはいても主張していることは まっとうで骨太だ

田原さんはメジャーだがそれ以外はメジャーとはいえない
それはマスコミへの露出度ということだけではなく
ニュースやニュースソースへのアプローチの仕方がマイナーだ
マイナーという言い方は正確ではなく独自でオリジナルだ
メジャーがいわゆる“みんなで渡れば怖くない”式だとすれば
彼らは“みんなで渡るからこそ怖い”という考えだ


検察の意図的リークに乗せられて共通の悪玉をつくりあげ
公共のメディアで事実然として報道(スクープ)する構図
古くは松本サリン事件 最近では郵便不正事件等で
検察&マスコミがタッグを組んで冤罪を作り上げた
東京地検がそのプライドにかけて起訴しようとした小沢氏の一件
あれだけ大々的に報道された水谷建設や西松建設はどこへ行ったの?
検察&マスコミで“巨悪”の臭いをプンプンさせておいて
結局は政治資金収支報告書の虚偽記載のみでの強制起訴だ

やっぱり なにかがおかしいと言わざるをえない

『純喫茶』という固有名詞
いまも存在するのかどうかはあずかり知らぬが
我が青春時代には 確かに存在した

純喫茶・・ って一体なんなんだろう
純があるなら そう不純! えっ不純喫茶!?
まあ ノーパン喫茶なんてのが実際あったから
そういうカテゴリーがあったって不思議ではないが
たぶんアルコールを置いてるとかいないとか
風俗の方になるのかならないのかとかの線引きなんでしょうが
昔の歌舞伎町あたりの純喫茶って 逆に不純な匂いがしたもんだ

当地に喫茶店は現存するのだろうか(→ないよね)
我が青春の思い出の喫茶店(純喫茶)なら断然『青山』だ
駅前十字路近くのパチンコ屋の上にあった
昼間でもほの暗くて “純喫茶な感じ”は全然しなかった
というより ちょっと大人びた(若干隠微な)感じがした
高校生なのに青山に出入りするのはチョイ背伸びであった
ここにタムロっては いろんな悪だくみをしていた

普通はコーヒー好きが喫茶店に出入りするんだろうが
私の若い頃は“暇つぶし”“待ち合わせ”をする“社交場”だった
別に用事がなくても ポロっと一人で喫茶店に入ることもあり
コーヒーを飲んで スポーツ新聞を読んで くつろいだ
いまはコンビニが取って代っている部分を喫茶店が担っていた

五木寛之がエッセーの中で至高の時間として

『下駄履きで喫茶店に行って 週刊誌を読んでいる時間』

のようなことを書いていた記憶があるが わかるなーこれ
昔の脱サラの象徴は ペンションか喫茶店の経営だった
私もUターンを決意する頃 喫茶店かコンビニの経営を考えた
いまとなれば どっちもやらなくてよかったが・・

我が青春において喫茶店にはいろんな思い出がゴッチャリ詰まっている

私はいまだにブラックコーヒーは苦手だ
ミルクも砂糖も苦手だからコーヒー全般がNGだ
(なのにアイスコーヒーは好きだ なぜだろう?)
でも
営業に出て 親密な客先とか 商談がイイ感じのときほど
なぜか 私の苦手なコーヒーがうやうやしくやってくる
ツーカーの仲なら“ノーサンキュー”と言えるが
先方の“特別扱い”の意味がこもっているコーヒーに
『それ きらいです!』とは口が裂けても言えない

不思議なもんで コーヒーというのは連鎖する
1軒目で不運?にもコーヒーを出していただく
残すのは失礼だからとがんばって最後まで飲み干す

2軒目 頼むから日本茶!と念じるのも通じず
事務員の方がなぜかニッコリと微笑みながら
『今日はコーヒーよ!』という目付きでお出しになる
こちらも笑顔に偽りの謝意をのっけて応対するが
商談に悪影響を及ぼしかねないぐらいテンションは下がる

ここもなんとか切り抜けて“本日の本丸”に向かう
ここは勝手知ったる事務員さんだからワガママを言おう
などと思いつつアポイントの時間に訪問する
すると 応接室のテーブルの上にはショートケーキが鎮座する
これ最高の歓待という意味なわけで先方さんも気合が入っている
私が座るや否や

『いま 美味しいコーヒー入れるわねー』

『 ・・・・ 』

いきなり真珠湾並みの先制攻撃で戦意喪失のまま完敗!
実はケーキ類はコーヒーの次くらいにきらいなわけで・・


こういう日は母親が言ってたとおり“寝そける”のであった

我が世代にとって
コーヒーといえば 圧倒的に『ネスカフェ』だ
あの円筒形のガラス容器に入ったインスタントのやつ
コーヒーのコの字も知らなかった片田舎の一少年にまで
ネスカフェはコーヒーの香りを届けてくれた
(えらいぞ ネスレジャパン!!)

しかし
香りはイイが 味はものすごく苦い
少年にとっては“トンプク”を飲んでるようなものだった
(ちょっと例えがグロすぎるが実際そんな感じがした)


母親がコーヒーを入れてくれる
お湯にほんのちょっと“粉”を入れたところに
ドっとクリープを混ぜ ドバーっと砂糖をぶっこんだ
これ どう見たって コーヒーは着色剤かトッピングだ
コーヒーは気分だけで 中身はいつもの砂糖湯だろこれ!?
でも これが少年にとってのコーヒーだった

粉を少し余計目に入れると 母親に

『寝そけるぞ!(眠れなくなるぞ)』と脅された

少年にとって“ブラックコーヒー”は禁断の嗜好となったのだった