美術館大学構想

■写真:美術館大学構想室アシスタントを2年間務めた後藤拓朗君(左)と、彼の後を引き継ぐ近藤浩平君。ともに洋画コースの卒業生。
背後の絵画作品『部屋・紫・少女の砂』は、後藤君の卒業制作で、2004年の損保ジャパン絵画大賞受賞作。その後、2004年度学長奨励賞として買い上げられ、今も学内に常設展示されている。
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美術館大学構想室のアシスタント後藤拓朗君が、2年間のアシスタント期間を終え、構想室を「卒業」します。キャンパス各所にある常設作品を巡る、入学希望の高校生を対象にした鑑賞ツアーで、作品解説をお願いしたのをきっかけに声をかけ、以来2年間、構想室が企画したすべての展覧会を裏方として懸命に支えてくれました。

これまでに構想室が招いた様々なアーティストや知識人たちとの出会いに影響され、「構想室に関わるようになって、これまでのようにシンプルに絵と向き合えなくなった」と語っていた後藤君。特に、レジテンスで山形に長期滞在したアーティストの富田俊明さん、彫刻家の西雅秋さん、珍しいキノコ舞踊団のメンバーといった、自由放漫かつ才気溢れる「マレビト」との交流は、山形で生まれ育った画家志望の青年に、少なからぬ若さ故の悩みをもたらしたようです。

春からは、「とにかく一度、故郷であるこの山形市を出て、自分の制作や生き方について考える時間を持ちたい」と心に決めたようです。そしてこの言葉は、後藤君だけでなく、親交のあった何人かの山形出身の卒業生たちの口からも聞いた固い決心でもありました。

僕が故郷と創作の愛憎関係について思い巡らすとき、心のなかでいつも反芻する言葉があります。それは、僕の敬愛するマルティニック諸島出身のアフリカ系フランス人小説家マリーズ・コンデの次の言葉です。

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精神の彷徨がなければ創造性は生まれない、と私は思います。
不動性のなかで、盲目的に根をはった生活で、何かが生みだされるとは思いません。
彷徨しなければならない。
彷徨生活は人を解放してくれます。
(…中略…)
私は、創造行為、エクリチュールとは一種の無限運動、
絶えず変化する差異の運動だと思います。
それは流れる水のようなもので、
誰かが言ったように、その水は絶えず繰り返され、再開される。
つまり小説創造は絶えず再開されるのです。

私は一カ所に根を下ろす〈根付き〉ということを信じません。
肉体は故郷に帰りましたが、精神は航海を続けなければならないのです。

マリーズ・コンデ

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クリエイトは終わりのない旅のようなもの。
故郷を離れ、たとえ何処に暮らしたとしても、そしてまた、たとえ創造の日々が中断したとしても、一度深く探し出された感性の鉱脈は、簡単に枯れることはない。これから先、虚ろな情報社会のパワーゲームに傷つくこともあるだろうけれど、芸術を学び、絵画に自分の可能性を賭けた日々に誇りを持って、生きていってほしいと思います。

後藤君ありがとう。
お疲れさま。
そしてこれからもよろしく。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員


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