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焼酎学弐

  • 焼酎学弐

昨日の焼酎勉強会をまとめます。

■焼酎甲類
連続蒸留(宝っことか大五郎とか)
特徴:無味無臭の純粋なアルコールを精製する

■焼酎乙類
単式蒸留(芋、麦、蕎麦、米、黒糖、泡盛など)
特徴:原料個性の豊かな香りや風味を残す

・・・で、単式蒸留にも大きく分けると2種類の蒸留技術があり

★常圧蒸留(主に芋焼酎、黒糖焼酎、泡盛 等)
やかんでお湯を沸かすような方式。
蒸留するときの沸点は90~100度。
蒸留中に焦げ臭の元となる成分などの二次生成物も溶け込み、所謂「癖の強い酒質」になります。熟成させた後の酒質に劇的変化が起き易い。

★減圧蒸留(主に麦焼酎、蕎麦焼酎、米焼酎 等)
標高の高いところでお湯を沸かすような方式。
蒸留するときの沸点は40~50度。
蒸留中にモロミ成分が熱で分解されることが少なく、焦げ臭もつきにくく、所謂「風味の軽いすっきりした酒質」になります。

■料理とのマッチングについて
常圧蒸留の個性の強い酒質には味の濃い料理が合いますね。
減圧蒸留のさっぱりした酒質には淡白な料理が合いますね。
要は、お互いの味が「勝ち過ぎず」「負け過ぎず」「共存している事」なのかと解釈しました。

焼酎における「酸度」は、日本酒の約10分の1程度。
香りや風味が突出しても注意深く利かないと味の部分が解り難い。
「味わいの幅」が狭く感じる。日本酒のそれと違う根っこの部分かな。


講習会終了後に懇親会の席があり、講師の先生に質問しました。
「私、日本酒を呑んでいて、日本酒に合わない料理に出くわした機会がほとんどありません」
「私もです(笑)」
2009.01.28:鈴ひろ@ヤマシチ:コメント(0):[お酒の天命]

焼酎学

  • 焼酎学
これから長井市のはぎ苑で開催される「酒セミナー」に行ってきます。
講師は酒類総合研究所さん。
今回のお題は「焼酎」
焼酎の基礎知識、味わい方、料理との相性、常温、お湯割り、ロックにしたときの風味の違い。原料の違い(麦、芋、米)で料理の味は変るものなのか。
・・・等等を「勉強」してきます。

ワインなんかだと料理とのマッチングの話がよく出ますね。
日本酒や焼酎・・・とくに置賜地方に強く感じますけど、料理との相性と言う歴史的ベースは存在してるんだろうか?

貧しさの中で「慎ましい生き方」「贅沢しない事」を美徳にして日々の営みがあったとすれば、恐らく日本酒は独立して「日本酒」で在り続けたんじゃないかな。

極論書くと晩酌は手の甲に塩さえあればOK!みたいな。
そもそも果実由来のワインと違って穀物由来の日本酒や焼酎は料理とのマッチングの幅はまだまだ広いはずなんです。

相性やマッチングを否定する訳じゃないですよ。
それはそれで素晴らしい事だと思います。
きっと近年新たに取り入られた文化的側面な感じがするんですよねー。

さておき勉強でお酒が呑めるのは幸せなことですな^^
2009.01.27:鈴ひろ@ヤマシチ:コメント(0):[一時保管(後日振り分け)]

火伏水

  • 火伏水
本日は鮎貝八幡宮の防災祈願。
神社の宮水が「火伏水」として配られました。
只のペットボトルに入った水が有り難く見えてきます(ホントか?)

ウチではこの水を火の元や家の要所要所に撒いて防火防災を祈願します。

防災祈願から帰宅した殿(ウチの父の家庭内での総称)が携帯カメラに撮って来たポンプとにらめっこしてました。不凍液入れられない作りらしく冬季間に鮎貝八幡宮で火災が発生した場合、タービンが凍みて消火活動できない可能性があるんだと。

ウチの殿は鮎貝八幡宮自衛消防団。
私は白鷹町消防団。

以前、町内の火災に間違えて自衛消防団のハッピ着ていったのは内緒の話です。
2009.01.26:鈴ひろ@ヤマシチ:コメント(0):[出来事]

味噌造

  • 味噌造
「まだまだ硬ったい」
「んだんだ」
「もっと煮んなねな」
「んだんだ」

新町赤坂公民館(遊和館)の調理室に配達に行くと、こんな会話が聞こえてきました。
2009.01.26:鈴ひろ@ヤマシチ:コメント(3):[食物調書]

深山観音

  • 深山観音
防災祈願のお酒配達に行きました。
雪化粧の写真はなかなかありませんな。
階段上って観音堂前に行くと自衛消防の皆さんがハッピ姿でお出迎え。
「酒が?」
「はい。町からです。」
「下で使う。下に区長が居るから下に持ってって」
階段の2往復・・・・運動になりましたm(__)m


深山観音は国の重要文化財。

 元来この堂は、阿弥陀堂として建てられたものでですが、火災後本尊の千手観音をここに安置してから、観音堂と呼ばれるようになりました。本尊は、火災にあっているため、ようやく千手観音とわかるようですが、焼けていなければ、大きくて素晴らしい仏像ではなかったかと思われ、運慶の作であるといういい伝えが残っています。

 この観音堂の建立年代を明確にする資料はまだ発見されていませんが、太い円柱、柱上舟肘木の曲線などは、平安時代の特長を示しているものの、内部の柱を繋いでいる虹梁の装飾の絵文、床下の丸柱を八角造りとして加工を省略している点などは、室町末期のものともみられています。

以上観光協会のページより抜粋m(__)m

2009.01.25:鈴ひろ@ヤマシチ:コメント(0):[出来事]