ウィズコロナ時代の新しい会議とは?
もしかしたら、あの膨大でやるせない時間の無駄を、
一気に撲滅するチャンスかも知れないぞ、
なんて事をふと思って、
自宅の本棚の奥の方から、
古い本を引っ張り出してきた。
「いい集中」をどうつくるか?と、
「いい対話」をどうつくるか?と、
「いい会議」をどうつくるか?は、
最近の個人的な3大テーマで、
ここが解決すると、
経済活動に与えるインパクトは割とデカいし、
何よりも仕事が楽しくなるだろう。
これまでも沢山の人々が考えてきた
永遠のテーマだと思うけれども、
コロナちゃんに便乗する形だとどうなるだろうか。
知的生産における生産性の向上は、
空間とか道具とかテクノロジーとか、
もっともっと人の能力以外のところから
アプローチしても良いんじゃないかと思います。
体調すぐれず休暇を取ったものの、
何だかんだ仕事っぽい事をしてしまう、
ど平日の午後。
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エッセンシャル思考
拾うは易し、捨てるは難し。
何かを捨てるためには、何かしらの基準が必要で、
基準を持たない人は、それを捨てることが難しい。
少なくとも、相方が行方不明になったままの黒ソックスを、
未だに捨てる事ができていない俺は、
この時点でエッセンシャル思考には程遠い。
ときめくか、ときめかないか。
理念にそうか、そわないか。
美しいか、美しくないか。
何かを選ぶ基準は、人それぞれだと思うけれど、
そもそも選ぶという事を放棄してしまった人は、
本当に欲しいものを、永遠に手に入れることができない。
娘よ、要らないものを捨てて、さらに捨てて、
最後に残るものが何かってのだけは、
父ちゃん的に大体想像がついてます。
ってことで、読書ログを書くつもりが、
いつの間にか子育て日記になりました。とさ。
何かを捨てるためには、何かしらの基準が必要で、
基準を持たない人は、それを捨てることが難しい。
少なくとも、相方が行方不明になったままの黒ソックスを、
未だに捨てる事ができていない俺は、
この時点でエッセンシャル思考には程遠い。
ときめくか、ときめかないか。
理念にそうか、そわないか。
美しいか、美しくないか。
何かを選ぶ基準は、人それぞれだと思うけれど、
そもそも選ぶという事を放棄してしまった人は、
本当に欲しいものを、永遠に手に入れることができない。
娘よ、要らないものを捨てて、さらに捨てて、
最後に残るものが何かってのだけは、
父ちゃん的に大体想像がついてます。
ってことで、読書ログを書くつもりが、
いつの間にか子育て日記になりました。とさ。
少年パズー
ラピュタの当時の企画書が、
今読んだらあまりにもエモ過ぎたので、
思わず転記しました。
封切り当時、僕は小学5年生で、
この作品のゴリゴリのメインターゲットだったことが分かります。
画像はその時のチケットですが、(めっちゃなつい!)
上映場所は当時の市民文化会館で、
このチケットが小学校のホームルームで配布されたのを覚えています。
自分の企画書は、これほどのカロリーと信念を持っているかなーとか、
僕らは今の子供たちに、どういうバトンを渡せるだろうかなーなんて事を、
ついつい真面目に考えてしまいました。
ー-
新企画「少年パズー」(後の天空の城ラピュタ)
「風の谷のナウシカ」が、高年齢層を対象とした作品なら、パズーは、小学生を対象の中心とした映画である。
「風の谷のナウシカ」が、清洌で鮮烈な作品を目指したとすれば、パズーは血わき肉おどる古典的な活劇を目指している。
パズーの目指すものは、若い観客達が、まず心をほぐし楽しみ、よろこぶ映画である。
笑いと涙、真情あふれる素直な心、現在最もクサイとされるもの、しかし実は観客たちが、自分自身で気づいていなくても、もっとも望んでいる、心のふれあい、相手への献身、友情、自分の信ずるものへひたむきに進んでいく少年の理想を、てらわずに、しかも今日の観客に通ずる言葉で語ることである。
現今の多くのアニメーションが、「ドラえもん」をのぞき、劇画を基盤とするならば、パズーはマンガ映画の復活を目指している。
小学校四年(脳細胞の数が大人と同じになる年齢)を対象の中心にすえることで、幼児の観客層を掘り起こし、対象年齢を広くする。
アニメ・ファン数十万は必ず観てくれるので、彼らの嗜好を気にする必要はない。
そして、多くの潜在観客は、心を幼くして開放してくれる映画を望んでいる。
多数の作品が企画されながら、対象年齢が次第に上がっていく傾向は、アニメーションの将来につながらない。
マイナーな趣味の中にアニメーションを分類し、多様化の中で行方不明にしてはいけない。
アニメーションはまずもって子供のものであり、真に子供のためのものは大人の鑑賞に充分たえうるものなのである。
パズーは、本来の源にアニメーションをとりもどす企画である。
(宮崎駿:企画書「少年パズー」より)
今読んだらあまりにもエモ過ぎたので、
思わず転記しました。
封切り当時、僕は小学5年生で、
この作品のゴリゴリのメインターゲットだったことが分かります。
画像はその時のチケットですが、(めっちゃなつい!)
上映場所は当時の市民文化会館で、
このチケットが小学校のホームルームで配布されたのを覚えています。
自分の企画書は、これほどのカロリーと信念を持っているかなーとか、
僕らは今の子供たちに、どういうバトンを渡せるだろうかなーなんて事を、
ついつい真面目に考えてしまいました。
ー-
新企画「少年パズー」(後の天空の城ラピュタ)
「風の谷のナウシカ」が、高年齢層を対象とした作品なら、パズーは、小学生を対象の中心とした映画である。
「風の谷のナウシカ」が、清洌で鮮烈な作品を目指したとすれば、パズーは血わき肉おどる古典的な活劇を目指している。
パズーの目指すものは、若い観客達が、まず心をほぐし楽しみ、よろこぶ映画である。
笑いと涙、真情あふれる素直な心、現在最もクサイとされるもの、しかし実は観客たちが、自分自身で気づいていなくても、もっとも望んでいる、心のふれあい、相手への献身、友情、自分の信ずるものへひたむきに進んでいく少年の理想を、てらわずに、しかも今日の観客に通ずる言葉で語ることである。
現今の多くのアニメーションが、「ドラえもん」をのぞき、劇画を基盤とするならば、パズーはマンガ映画の復活を目指している。
小学校四年(脳細胞の数が大人と同じになる年齢)を対象の中心にすえることで、幼児の観客層を掘り起こし、対象年齢を広くする。
アニメ・ファン数十万は必ず観てくれるので、彼らの嗜好を気にする必要はない。
そして、多くの潜在観客は、心を幼くして開放してくれる映画を望んでいる。
多数の作品が企画されながら、対象年齢が次第に上がっていく傾向は、アニメーションの将来につながらない。
マイナーな趣味の中にアニメーションを分類し、多様化の中で行方不明にしてはいけない。
アニメーションはまずもって子供のものであり、真に子供のためのものは大人の鑑賞に充分たえうるものなのである。
パズーは、本来の源にアニメーションをとりもどす企画である。
(宮崎駿:企画書「少年パズー」より)
教育格差
今こうしている間にも、
子供たちの教育格差はエグいほどに広がっていて、
一方で、僕らが何となく(いや確信的に)感じていた、
「その教育の仕組みとかやり方は時代に合ってんのか?」
問題を、諸共解決する大チャンスでもあり、
ここで下手に動くのは無駄だと、
国や誰か頭のいい人が考えて動いてくれるのを、
YoutubeやNetflixを観ながらとりあえず待ってみる
というスタンスは、
その時点で現役世代の子供たちには
そもそも間に合っていないし、
既に半分ベーシックインカムに
取り込まれているようなものだと思うので、
竹中さんが言うように、
それがプロアクティブかリアクティブかは、
国だけじゃなしに、
地域や家庭や個人のレベル感に置いても、
結構重要だなーと思います。
そーゆー自分のソースが、
Youtubeになっている矛盾はさて置き!(笑)