ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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若葉の4月がもうすぐそこだというのに、山々の残雪はまだまだ厚く、吹く風も冷たい。
とはいえ、あと1ヶ月もすれば水稲の種まきが始まる。
わが家も4月2日に、新しく中学2年生になる長女を筆頭に小6、小3年生の孫たち3人娘の助けを借りながら、種籾の滅菌作業を行った。
種もみを60℃のお湯に15分間漬け込む作業だが
時間を計る係、15分後に急いで池まで運ぶ係、それをいち早く冷やす係などを分担し、連携しながらのほぼ半日作業。
これが今年の稲作の仕事始めだ。
 作業前、段取りを説明しようとすると、「あっ、それ覚えている」と、すでにやる気が満々だ。
「作業が終えたらお礼代わりに何かおいしいモノでもご馳走するよ。何がいい?」と聞いたら、3人娘は「ピザ!」と応えた。小麦か・・。
 コロナに地震に、ウクライナと大揺れの時節だが、なんとか今年の稲作は、異常気象に合わずに秋を迎えることができるようにと願いながらの作業となる。
(写真は昨年の種子作業の模様)




コロナをきっかけとしたおコメのダブツキをこのFBで報じたところ、ありがたいご注文をたくさんいただきました。この場をお借りして感謝とお礼を申し上げたいと思います。
☀ 今年度も、菅野農園では3,000kgほどの注文減となっていました。影響を受けたのは、主に、レストラン、米屋さんなどの事業系。コロナ二年目ですがそれを充分に克服できずにいました。
誰が悪い訳ではありません。みんなが被害者です。それぞれの方も存亡の危機に立たされおり、注文減も仕方ありません。
☀ 更にそこにコメの暴落が重なって、菅野農園も値下げやむなしか・・・と思ったのですが、根拠なく今の価格に設定しているわけではなく、それでは経営が成り立ちません。ではコストを削減すべく、化学に依存するか・・、となれば、何のために農家をやっているのか、コメを作っているのかの根本が揺らぎます。
☀ そこでこの苦境を脱すべく、フエースブックでの呼びかけとなりました。うれしいことに、多くの皆さまから新規のご注文をいただきました。とてもありがたく感謝申し上げます。
☀ 先日、友達から、「たくさんのご注文が寄せられて良かったですね。友人、親戚に贈りたいが、まだおコメはありますか?」とのメールが来まして、「はい、まだ2,000kgほど・・」とお応えしたところ、絵文字で「苦笑」の返事が返ってきました。おもしろくも、ありがたい、ホンワリとした出来事でした。
☀ 水田5ヘクタールに満たない家族農業の菅野農園では、消費者から信頼される生産者になることで、経営の安定を図ろうと長年、殺菌、殺虫、化学肥料ゼロのコメ作りを続けてきました。
(今年度産は異常気象の影響を受けて、隣地の農家の田んぼにイモチ病が発生し、我が家の田んぼにも伝染しようとしたので、少しの農薬散布は避けられませんでした。ホームページのおコメはそのコメです。慣行栽培の農薬8割減のおコメです。因みに山形県の特別栽培米は5割減です。)
これからもこの基本姿勢に変わりはありません。余剰のおコメにつきましても、何とか解決すべく頑張って行きたいと思います。
 経営にこんなことは付き物ですね。
これからもよろしくお願いいたします。
            菅野農園




日本国際ボランティアセンター(JVC)の元代表理事の谷山さんが極めて貴重な視点を投げかけてくれています。
 ロシアの侵攻は決して許されないけれど、南西諸島(尖閣列島含む)や、千島列島にミサイルが配備されたら我々ならどう思うかなど、複眼的視点で考えて見なければならないという事でしょう。

谷山博史

2月24日 21:02 ·
「私たちはプーチンの要求に真摯に答えてこなかった」
 ロシアがウクライナに侵攻しました。ロシアと中国を同列化して、中国に対してもさらなる抑止と、いざという時のために戦う準備をしなければならない、という意見がはばを聞かせるでしょう。
 6時からさっきまでづっとBBCを聞いていました。様々な人が出てきて意見をり言っていました。殆どがロシアへの批判とロシアへの制裁強化を訴える中で、元駐ロシア英大使がこんなことを言っていました。
 私たちはプーチンの要求に真摯に対応してこなかった。NATOの東方拡大を止めてくれという要求もです。一方でNATOはウクライナにミサイル配備をしました。 
 私は大学院でロシア政治思想史を専攻していたので、ウクライナといえば帝政ロシアにとって対西欧の死活的な地域でしたし、キエフはロシア文学の舞台によく出てきました。キエフ出身のロシア詩人に傾倒もしました。
 そのウクライナをソ連が受け継ぎ、冷戦崩壊後に独立し西側に組み込まれました。ロシアにとっては西の防波堤がなくなったのです。帝政ロシアからソ連の時代を通して、西欧の脅威はロシアの最重要課題でした。ナポレオンに侵攻され、ナチスに侵攻された歴史はロシア人には忘れられないでしょう。第二次世界大戦だけでロシア人は2000万人が死んでいます。
 だからロシアを正当化するのではないのです。ウクライナは独立国です。軍事侵攻して傀儡政府を作るなどもってのほかです。対ロシアの外交の失敗を誰が意識したでしょう。ロシアのウクライナ侵攻の前、誰も、どのメディアもロシアの立場、意見を報道しなかったことが問題なのです。
 NATOがウクライナにミサイル配備をしたことを私も知りませんでした。怒り狂った熊をさらに追い詰めことになったです。南西諸島にミサイル配備をすればどうなるか、そのことを私たちは知らなければなりません。

 前回のFBで大きなことを言ったばっかりだけど、足元のピンチで苦しんでいる。こんな事なら、黙ってしおらしくしていれば良かった・・。
 以下をご覧ください。


 コロナ禍の中、コメ農家が大ピンチです。菅野農園でも「環境と食べる人のいのちに寄り添う」という志でコメ作りを進めてきましたが、殺菌、殺虫、化学肥料ゼロか、出来る限り化学に制限を加えたコメと謂えども、ダブつく在庫に頭を抱えています。
「このままなら安売り市場に投げ売りせざるを得ない。でもそれでは専業農家として暮らせない。」
こんなジレンマの中で悪戦苦闘しています。
おそらく全国の稲作農家も同じ状態でしょう。何とか出口を確保できた農家が、相互に融通しあい、支えあうしかないのだと思います。
 でも、生協などでは年間契約の為に、にわかに他から買い求める事が出来ないという事情も分かります。ですから無理をしないで下さい。

 ですが、まだお米の取り寄せ先が決まってない方がおいででしたら、菅野農園ホームページを検索してみて下さい。そこを基点に農家の横の連携を取りながら、対応して行きたいと思っています。ご協力いただけたらありがたいです。

菅野農園;ホームページ https://kanno-nouen.jp/




 
 俺は最近とみにコカ・コーラとトカゲを思う。

 トカゲをビンの中に入れて飼っていたら、やがて成長しビンから出られなくなってしまった。そんなトカゲに向かって、お前にはビンを割って出てくる力なぞはあるまい、そうだろうニッポン・・と寺山修司。コカ・コーラはアメリカ。

 戦後80年にもなろうとしているのに・・国を代表する外交政策も、国内政治の舵取りも、その予算編成も、当然ながら沖縄も、その他の基地問題も、原発も、農業政策も・・コロナ対策でさえ、コカ・コーラのビンの中、アメリカの言いなりだ。こんな国は世界に例がない。誇りを失った国、「植民地」ニッポン。


「イイじゃないか、その方が軍事費が掛からないし、安上がりでトクだから」
 バカタレ!損得のはなしでない!

この国の自立とそこにすむ我々の尊厳にかかわることだ。
日本をそのくびきから解き放つために、命がけで奮闘する政治家はいないのか。


 過日、鹿児島の知覧に行って来た。若くして、特攻で死んでいったたくさんの青年たちの手記に出会うためだ。18で、19で、20歳・・で。自分たちの死から教訓をくみ取ってくれるなら、決して無駄死にではないはずだ。そう信じて飛び立って行った多くの青年たち。そんな彼らの、たくさんの手記に出会えた。俺は戦後世代だ。彼らが託した「未来」の中に生きている。


 そして、悔しいが、いまだにビンの中だ。
 彼らに対して恥ずかしくない生き方は当然だが、単なる個人の「生き方」に留まってはならない。さて、どうする。どこから始める?


 いやいや、ちょっと待てって!決してイイカッコしいで言っている訳じゃないって!


2月のわが里は積雪120cmを超える純白の世界。
それは同時に静寂の世界でもある。
流れる小川は雪で覆われ、せせらぎの音すら外に漏らさない。
樹々も雪に包まれ、そばを通り抜ける風は小枝を揺らさず、静かにすっと通り過ぎていくだけだ。
スズメやカラスでさえも鳴き声を出さず、シ〜ンとした無音の季節。
冬。

 雪の下では土たちがゆっくりと眠っている。
いいかい、彼らを決して起こしてはいけないよ。
真冬の時ぐらい休ませてあげよう。
 やがて、草木が目覚めるよりも少し早く起きだし、彼らに芽吹く力を送らなければならないのだから。




置賜自給圏を共にやって来た議員の友人から
「山形県議会の推奨図書に菅野さんの『七転八倒記百姓記』が推薦文付きであげられていたよ」と,
写真付きで送ってくれました。
その人の気持ちがうれしいですね。
一人でも多くの議員に読んでもらいたいです。




2日ほど前の話だけど、その日の朝はきれいに晴れ渡った青空で、厳しい寒さ。
温度計はマイナス12度を指していた。
こんな日には「ダイヤモンドダスト」が現れる。
「何それ?始めて聞いた」
こんな人がほとんどだろうな。

大気中の水蒸気が小さな氷晶となり、太陽の光に照らされてキラキラ光りながら空中を漂う。
そしてゆっくり舞いながら降りてくる。

キラキラキラキラ・・・。とても幻想的だ。
 見慣れているはずの私でさえ「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような魅惑的な光景だ。

 写真?
 そんなものはありません。
これは、北国で暮らす私たちに、自然が与えてくれたご褒美なのです。

旅に出るって聞いたけど・・置賜自給圏への取り組みも、レインボープランもそのままにして旅に出るのかい?

あなたには言い出しっぺとしての責任があろうが!とのご意見が幾つか寄せられました。

ご安心ください。外に出るとは言っても、行きっぱなしではありませぬ。
地域にいる方がはるかに長く、また外に出るのも知識とエネルギーを蓄える必要性があってですな・・ミドモはやることはやらなければといつも責任を・・信用・・

待て待て! こんな「弁明」をしている俺って何なんだ。




新年ですねぇ。
皆様はどのような夢をお持ちでしょうか?
人は実現できない夢など発想すらしません。アメリカの大統領になりたいとか、大谷くんと同格の野球選手になりたいとか・・そんなことは決して思いませんからね。
だから「夢だけどね・・」と思った時点で、既に実現可能だという事。くどいようですが、頭に浮かんだという事自体、実現可能なことだという事でしょう。後は夢に向けて踏み出す一歩。
 それが、常識を踏み外しているようなことでも、やれるときにやりましょうぞ。なっ、ご同輩。
 そこで・・オレの場合、全国のまだ出かけたことの無い地方でチョコッと、そこから移ってまたチョコッと。そんな風に定住せずに暮らしてみたいものだと。いままでズゥーッと定住生活でしたからね。今年は徳島県で、次が青森県、次は対馬、種子島・・大東島もいいな。それぞれ長くて1ヶ月。近くの空き家を借りて自炊しながら滞在する。ついでに出会いも楽しむ。その地方の面白い人と会い、語り合う。
 もちろん合い間には自宅にも帰って来る。この構想に難があるとすれば・・ソコですかね。家に帰った時、「あなたはどなた?」となりかねません。これは充分にあり得る話です。
 でね、「それなら俺も。その区間はご一緒したい」という方がいましたら拒みは致しません。あ、そうだ、私は片付けが大の苦手。それを苦にしない方に限られますがね。

 パルシステム連合会の元理事長・若森資朗さんから
「菅野、知ってるかもしれないが、
『七転八倒百姓記』にこんな書評がでているぞ。」
とのメールをもらいました。
早速、探し出して読んでみました。
農業ジャーナリストの日野原さんが農業協同組合新聞に
書いてくれた書評でした。ありがたい書評でした。
 できれば皆さんにも読んで戴きたく掲載いたします。
(この中にかかれている生協とはかつての「タマ消費生活協同組合」。今の「パルシステム東京」の前身です。)


【書評】「七転八倒 百姓記〜地域を創るタスキ渡し〜」(菅野芳秀著・現代書館)2021年12月14日
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「堂々たる田舎」づくりへ挑戦 土地を、地域を未来へ、子孫へ
大学で、成田で、沖縄で、学生運動の嵐が吹き荒れた1970年代。社会の価値観が大きく変わるなかで、自分らしい生き方を求めて七転八倒した団塊の世代の男の一代記である。大きな時代の流れに抗(あらが)い、時には流されながら、みずから信じる道を走り続けている。
誰の人生にもいくつかの転機がある。それを主体的に乗り越えるか、流れに任せるかによってその人の将来が大きく変わる。著者は、山形県の長井市の自称「田舎」で、農家の後継者である生き方に自信が持てず、東京の大学に入る。ここで大きな転機を迎える。成田の農民たちの空港建設反対のたたかいである。
大学の授業にほとんど価値を見出せなかった著者は、自分と同じ「百姓」が、農地を守るため、子どもも老人も家族ぐるみでたたかっていることに大きな衝撃を受けた。傍観者でいることはできず、反対同盟の農民や学生ととも砦に籠る。逮捕、復学と苦悩しながら卒業。
そして卒業後訪れた沖縄。国家という大きな権力に対して、代々引き継いできた土地を、地域を未来に、子孫につなごうとする姿が成田でたたかう農民の姿に重なり、「田舎」への帰郷を決意させる。26歳の春だった。
そこには価値観の大きな転換があった。著書では「堂々たる田舎」の言葉が何度か出てくる。開き直りではない。負け惜しみでもない。成田や沖縄の土地を守る農民たちのたたかい、生き方のなかにこそ、本当の価値があるのだとの確信に裏付けされた「田舎」である。
しかし、簡単には受け入れてくれなかった。米の減反を拒否して狢屡分甍靴い気譟農村集落における連帯責任の枷(かせ)の強さを知らされる。この窮地を救ったのは生協だった。学生時代のツテで、米を通じて東京の生協と地元農協をつなぎ、今も続く組合員同士の交流につながった。
その中で「理」と「利」の重要さを知る。人は理論だけでは動かず、利益とのバランスが大事ということだ。「理」を「利」に転じると言ってもよい。農薬の空中散布中止も、有機農業の提案で切り抜けた。「難局には対案をもって参加する」。菅野さんの言葉である。
著者の提案した有機農業の取り組みは、生ごみの堆(たい)肥化による循環型農業(レインボープラン)、食料とエネルギーを地域で賄う「置賜自給圏構想」の取り組みに拡大し、一躍、長井市は全国の注目を集めるようになった。1989年、世界の農民を招いた「百姓国際交流会」をきっかけに、大国の覇権主義や大資本の横暴と戦う小規模農民の連帯が生まれている。社会を動かす運動とはどのようなものか、教えてくれる。
(農協協会参与 日野原信雄)