ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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タヌキに起こされた
いまは朝の4時半。まだ薄暗い。
今日もタヌキに起こされた。
ヤッコサンは朝の4時にやってきて
鶏舎の周りをはいかいする。
すると1,000羽のニワトリが驚き、一斉に騒ぎ出すんだ。
寝てなんからんないよなぁ!
すごい騒ぎになるんだからよぉ。
今日で4日続けてだぁ・・・。
近所に申し訳ないし、眠たいし・・。
こんど捕まえたら、絶対にタヌキ汁にして食ってやる。
まずい、うまいは関係ない。
自然界の生き物通しだ。
奴も必死かもしれないけれどこっちだって必死なんだから。
もしかしたらお前がねぐらに帰れば
「とぉちゃん、腹へったよぉ!なんか獲ってきてぇ。」
と騒ぐ子ども達がいて、更にその上に「あんた、行くしかないよ。あぶないって?バカいうんじゃないよ。
私たちの危険は産まれた時からだよ。ぐずぐず言わんと
ニワトリ捕まえておいで!」
と尻を叩く女房がいるのかもしれない。
うん、お前のつらさも分からないではない。
けど、だからといって、じゃ一羽やるかって言うわけにはいかないぞ。
来れば俺だって棒もって駆けつけなければならない。
来るなよ。
よその家の猫かねずみでも襲っていろ。
どうしても来たいなら
せめて一週間に2度以内にしてくれ。
毎日ではオレも大変だぁ。
あぁあ、今日も寝不足だ。
堆肥散布と耕運はおわった。
今日は水田に水を入れる。
代掻きの準備だ。
いよいよ田植えも近い。
それにしてもタヌキめ!
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2009.05.12:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
]
頭で食ってもらう・・・
春は山菜の季節。
採りに言っている時間はないが
近所の方からさまざまな種類の山菜をいただく。
山菜特有の風味がたまらない。
微妙な苦さ、香り、味・・・
なんと言ったらいいのか・・・
野菜にはないおいしさだ。
山菜を食べながら、朝日連峰の大自然を思う。
おいしさがまた一段と広がる。
若い頃はこのおいしさが分からなかった。
濃厚な味がよかった。
最近ですね、野菜を含め、微妙な味を楽しめるようになったのは。
日本人一人当たりの食品添加物の摂取量は年間4kg。一日に11g。塩分は一日に10g以下と呼びかけられているのに添加物は11gだ。すごいねぇ。ハンパじゃない。身体にも有機農業を!
でもこれが入るとおいしいんだよな。
以前、90歳の母親に、昔食べた「カレーライス」を作ってもらったことがあった。
小麦粉、カレー粉・・・肉じゃなくて、鯨の白身の部分が入っていた。そしてたくさんの野菜。
このカレーは、はなたれ小僧のころのご馳走だった。
懐かしい香り、色・・・。
これを再現してもらって食べてみた。まずかった。あまりにもあっさりしていて、コクになれた今の舌にはうまさを感じられなかった。
「これがあのときのカレーか?」
「そうだよ。これをお前達はおいしい、おいしいと食べていたんだ。」
すっかり添加物のうまさに慣れている。
うまさは添加物から。
特に若い人達にとってはそうなのかもしれない。
うまい、うまいと食べているうちに・・ガンになって・・か。
添加物世代が山菜の微妙な味、食べ物本来の味を楽しめるようになるには
どのような行程を経ていけばいいのだろうか。
自然養鶏の玉子は「あっさり」系。
最近のゲージ飼いのタマゴは濃いミルキーな味だ。
消費者好みの味付けで、クスリや添加物漬けを覆い隠す。
食べ比べてみたらきっと・・特に若い人にとってはゲージ飼いのタマゴの方がおいしいとなるのだろうか。
自然養鶏の玉子。その微妙な味ではなく、1個58円の高さだけが印象に残るようではちょっとつらい。
単純なオレには「まずは頭で喰ってもらおう。」ぐらいしか思い浮かばないが、他に何があるだろう。
今日はこれから田んぼにケイフン振りだ。
むちゃくちゃ忙しくなってきた。
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2009.05.02:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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農繁期です
しかし、寒いですねぇ。
冷たい春ですよ。
いっとき、暖かくなって、半袖で充分かなというやわらかいお天気を
経験したあとのこの寒さ。こたえますね。
冬に比べたらずっと暖かいはずなのにそうは感じません。
一度貧乏から自由になって、少しの余裕を楽しめるようになった後の
貧乏再びというのも同じようにこたえるだろうなぁ。
オレの場合はずっと貧乏だったから、どおっていうことはありませんがね。
この寒さ、いつまで続くのだろうか?
「どんなもんだ、この低温。夏は大丈夫かなぁ」
近所の優さんが先ほどお茶のみにきて話していった。
百姓は、寒いにつけ暖かいにつけ、田んぼや畑のできに関連付けて受け止める。
種まきが終わって、芽がでてきた。
田んぼには二種類の堆肥を撒くが、レインボープラン堆肥は振り終わった。
後はケイフンだ。今年はケイフン散布用の機械を共同で買った。
うまくいくかどうか。
5月7日には300羽ほどのヒナがくる。
いよいよ忙しくなるなぁ。
・・・ということでまとまった文章は書けないでいます。
忙しさにひと段落着くまでは、こちらの様子を知らせる
短い記事となります。どなた様も、もう少し、おまち下さい。
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2009.04.27:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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種もみの消毒・再掲載
下の文章は、このブログに「種もみの消毒」として一度掲載したものです。
「温湯法」は増えていますが、まだまだ薬剤が幅をきかせており
問題は深刻です。ぜひ、ご一読ください。
春になった。
春になると米作農家は種モミの準備にはいる。まず始めは塩水に浸して、沈むモミと浮き上がるモミを選別する「塩水選」。私たちの地方ではこの作業を「しおどり」と呼んでいる。実の充実した種を選ぶ大切な作業だ。
その後引き続いて、種モミの消毒をおこなう。種モミに付着しているいもち病、バカ苗病などの、もろもろの病原体を取り除くためだ。私はこれを「温湯法」でおこなっている。
「温湯法」とは60度のお湯に種モミを5分間浸け込み、その後冷水で冷やすという方法だ。それまでの私は農薬を使ってこの消毒をおこなっていた。でも、ある出来事をきっかけに今の方法に変えた。15年ほど前のことだ。
「チョット来てみてくれ。大変なことになった。池の鯉がみんな死んでしまったよ。」緊張した表情で訪ねてきたのは近所で同じ米づくりをしている優さんだった。急いで行ってみると池の鯉がすべて白い腹を上にして浮いていた。その数、およそ60匹。上流から種モミ消毒の廃液が流されてきたらしい。川の流れは細く、水に薄められることなく池にはいってきたのだろうと優さんはいっていた。
種モミは農薬のはいった水に浸けられ、殺菌処理されるが、問題はその後の廃液の処理だ。河川に流せば水生生物に被害をあたえる。下流では飲み水として活用する地域もある。流せない。
農協は、河川に流さず、畑に穴を掘り、そこに捨てるようにと呼びかけていた。でも、畑に捨てたとしても土が汚染するだろうし、地下水だって汚れないともかぎらない。どうしようか。種モミの殺菌効果は完璧だが、毎年おとずれる廃液処理に頭を悩ましていた。
そんな中でであったのが「温湯法」である。これを教えてくれたのは、高畠町で有機農業に取り組む友人。この方法はきわめて簡単で、しかも、単なるお湯なのだから環境は汚さないし、薬代もいらない。モミの匂いを気にしなければ使用後、お風呂にだってなってしまう。なんともいいことずくめの方法なのだ。
へぇー、こんな方法があったんだぁ。始めて知ったときは驚いた。環境にいいし、第一お金がかからない。
幾年か経験を重ねた後、近所の農家に進めてまわったが、我が集落で同調する農家はごく少数。15年間増えてはいない。どうも私には技術的な信用がないらしいとあきらめていたのだが、この間、農業改良普及センターにいったら、うれしいニュースにであえた。
「庄内地方に「温湯法」が増加。今年は1,500〜2,000haの見込み」。
いらっしゃったのですねぇ。ねばり強く普及に取り組んでいた方々が。
単純に計算すれば、県内でおよそ400万リットルの廃液ができる見込みだ。
やっぱり俺もあきらめずにPRしなくちゃ。
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2009.04.16:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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老けたねぇ
いま、JR東日本の駅に置いてある「やまがた花回廊」キャンペーンの冊子に、ニワトリたちに囲まれたオレが笑顔ででているらしい。それを見た座間のご婦人から電話がはいった。
「見たよ。何年前の写真なの。」
「えっ、この間撮っていったんだよ。」
「まさかぁ、ずいぶん若いじゃないのよ。」
「あったりまえだぁ、まだ50代だよ。田舎のシティボーイのつもりでいるんだぜ。」
「へー、信じられないよ。」
ウソを言ってどうするんだよ。
実物は写真よりも歳をとって見えるということか。写真うつりがわるいと思って見たのだったが。
また10日ほど前にもこんなことがあった。2年ぶりぐらいにまちでばったりあった友人が
「あら、菅野さん、しばらく見ないうちに、ずいぶん老けたわねぇ。」開口一番こうぬかした。
なにをいってんだよ、お前だって一緒だろうがぁ。
こんなことが続いていた昨日、大きな鏡に映った自分の姿を見る機会があった。顔を映す鏡はあるけれど、全体を見ることができる鏡は我が家にはない。久しぶりのことだ。そして・・。
そこに映っていたのは、白髪まじりの薄い髪。顔の肉はだぶつき、しわのようになって垂れ下がっているどこかうらぶれた男。大きな身体であることには変わりはないが、心なしか腰が曲がって見えるくたびれた農夫。
そして最も肝心なことだが・・・オーラがない。エネルギーが感じられない。全体的にくすんでいるのだ。
なに、これ!これはオレではない。
鏡の中の自分の姿を見ながら、オレは、我が家のオンドリのことを思ったね。覚えておいでだろうか?たくさんのメンドリたちに囲まれたオンドリの悲哀。「もてすぎるのも困りもの」(05,9,1)にすでに書き、たくさんの男達の涙をさそったあの切なくも悲しい物語・・。
100羽のメンドリの中の一羽のオンドリ。若いときにはハールムであった世界は、やがてメンドリたちの要求に応じられなくなって一変する。求愛に応じられないオンドリを「ツン、ツン」とつっつくメンドリたち。朝から晩まで、あっちでツン、こっちでツン、ツン・・・。みるみる間にオンドリの姿から羽根がぬけだし、鳥肌がむき出しになる。やがてオンドリはメンドリが近付くだけで逃げ出し、時には上に渡した横木の上に避難する。かつてあれほどエネルギッシュで、惚れ惚れするほどの勇壮さを誇ったあのオンドリが・・同じオンドリとは思えないみじめな姿に。オレは心からオンドリに同情したものだった。同じ男としてこころを寄せずにはいられない悲しい世界がそこにはあった。
鏡に映ったオレの姿はまさにそれ。オンドリ。もっとも誰も「ツン、ツン」してはくれなかったけどね。
さてどうするべなぁ。
姿かたちの衰えはしょうがないよ。
でもオーラやエネルギーの問題は別だ。そこには年齢に応じたものがなければならない。くすんでいるとすれば・・・。こころざしに向かって歩めているか、見失わずにその方向を見つめているか。そこのところだよ、問題は。あした、オンドリにも何が大切かを教え・・・いや、まず、おれ自身を点検、整理してからだ。
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2009.04.05:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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生卵かけご飯が食べられない
「いまや、都会の人達は卵かけご飯は食べなくなっているんだよ。気味悪いから。箱根の旅館やホテルでも朝食に生卵や、温泉卵は出さないところが増えているよ。」
食に詳しい小田原の友人が教えてくれた。
そうだろうね。
身動きのできないカゴに入れられ、歩くことも、羽を広げることもできず、添加物のかたまりのようなエサと予防薬漬けの毎日。カゴの下を見れば、健康なニワトリのフンとはまったく違う液状のゲリ便が・・。
彼らは世界中で最も不幸な生き物だ。同じような苦しみを背負った生き物はほかに見当たらない。彼らの産み出す卵は・・・ストレスのかたまり・・・。
そんな工業養鶏の現場を知ってから、抵抗力のない子どもや年寄り、病気がちな人、妊婦などにはゲージ飼いの卵は食わせられない、そうおもってきた。
きっかけは、妻の妊娠だった。せっかく農業に就いているのだから、朝露のしたたる新鮮な野菜を食卓にあげ、納得のいくお米を食べようとしてきたが、玉子はまだだった。
「よし、ニワトリを飼おう。ついにその時期が来た。」
時期なんかとっくに来ていた。だけど根が横着だからね。なるべく先送りしたいと思っていたんですよ。でも、子どもができることでようやく重い腰をあげることになった。
以来30年、外からの求めにも応じているうちに羽数は800羽〜1,000羽となった。「玉子がほしい」という声は体験的にわかるしね。
同じ長井市内の方々には毎週配達し、遠くの人達には宅配便の定期便でお届けしている。
初めて我が家の玉子を食べてみた方から「昔の玉子もこうだった」とか「生玉子かけご飯が安心して食べられることがうれしい」などの声が寄せられている。そうですね。そうでしょうとも。
また以前にも書いたことだが味については
,△辰気蠅靴討い襦△△屬蕕辰櫃ない。生臭さがない。っ犬げ色・・・などの感想が目だった。
そう!多くの人達に誤解があるようだが、自然養鶏の玉子(それを私は「卵」ではなく「玉子」と呼んでいます。)は「あっさり」系の味なのだ。決して濃厚な味ではない。
他方、最近のゲージ飼いの卵はこってりとした、油っぽく、クリーミーな味が主流らしい。その味はたくさんの「魚粉」をエサのなかに入れればできるという。いまや卵は、味、黄身の色ともに人工的に調整できるようになっている。企業養鶏は消費者の好みの先取りが基本だ。
これも以前に書いたことだが、いい玉子の条件は、そのもつ生命力にある。これは食べ物全体にいえること。
卵が産まれてからいつまで孵化(ヒヨコにかえること)できるかの実験結果では『こってり系』はほぼ2週間で孵(かえ)らなくなるのに対して、草や野菜をふんだんに食べさせた自然養鶏の『あっさり系』は60日を過ぎてもヒヨコに孵(かえ)ることができるという。
我が家の玉子は、自然に近づけてニワトリたちを飼い、草や野菜などの緑餌をたくさん与え、放し飼いで充分運動させる。こんな飼い方からうまれた『あっさり系』だ。昔の玉子もそうだったよ。
ドイツでは2007年、法律を制定し、ニワトリ達をゲージから解放した。オーストリアでは今年、2009年1月1日から。EUでは2012年からだという。EU加盟国の国民は昔の玉子を食べることになる。
でもさ、日本の消費者の卵への不安は、ニワトリ達の苦しさと共にまだまだ続くということだ。
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2009.04.01:
kakinotane
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ニワトリと納豆
子ども達が学校給食で残したものを、ニワトリ達はとても楽しみにしている。いつもの定食であるトウモロコシ、くず米、米ぬか、カキガラ・・・などと比べれば、与えられたときの喜びように格段の違いがある。お汁の中に入っていた具やキンピラごぼうなどへの反応は少ないけれど、好物のスパゲッティの時には鶏舎の中は大騒ぎだ。
そのご馳走が、まったく途絶えてしまうことが年に何回かある。春休み、夏休みのときだ。もちろん、草や野菜くずはふんだんに与えてはいるが、それはいつものことで、食の楽しみの代用とはならない。
「もう一種類、肝心なものを忘れてはないかえ?」
「なにやってんだよ。早く持ってきてくれよ。」
こんなことを言いたいのだろうな。目が訴えている。
まてまて、昔から言うように、若い時の不足は必要なことだ。それがやがて人生の糧になると言うではないか・・なんてニワトリに言ってもしょうがないか。
食べ物の不足に関してはオレにも山ほどの体験がある。それが人生にプラスに作用しているかどうかはわからないけど。今回はその中のひとつ、納豆話だ。
「菅野をみならえ。彼は大変な窮乏生活に耐えている。」一緒に仕事をしていた同僚は後輩たちにこう言った。職場の小さな炊事場でお湯が沸いている。そばにはオレとうどんの束と納豆が一つ。
二十代のころ、オレは小さな労働組合の専従のような仕事をしていた。給料は安く、正義感と情熱だけで暮らしているような毎日。いつもお金がない。近くの食堂には「がんばる丼」だったか、「まけない丼」だったか、正確な名前は忘れたけれど、切なくなるような名前のメニューがあった。それはご飯の上にかつお節とキャベツを一緒に炒めたものがのっかっているだけの安さだけがとりえのドンブリ。それがオレの定食だった。うまかったけどね。
そして更に腹が減ると、うどんと納豆の食事となる。ドンブリの中に納豆をあけ、醤油と少しの水、それにネギとかつを節を入れてかき混ぜる。そこに茹でた鍋から直にうどんをすくい、納豆をからませてズルズルといく。コツは納豆を多めにいれること。それにうどんをすくう際、茹でつゆをできるだけ丼に入れないことかな。これがうまいんだよね。お金もさしてかからず満腹になることができるし、言うことなしだ。これは「ひきずりうどん」といって、冬の山形県では普通に食べられているもの。オレの大好物だった。これを好きで食っているわけで、少なくとも同情されたり、ほめられたりするようなものではない。
それを知らない同僚がオレを見習えという。よっぽどひどい食事にみえたのだろう。違うんですよ。はっきりとそういえばよかったのだけど、でも、せっかくの同僚の顔をつぶしたくはなかったし、オレもいい子になってみたい年頃でもあってね、ただだまってうどんを茹でていたよ。
やがて故郷から米を送ってもらうようになると、納豆と他の食材との取り合わせを楽しむようになった。今もそうだけど、当時も納豆は安かったし、何よりも大好きだったからね。納豆とシーチキン、あるいはサバの缶詰、納豆とえのき茸のびんづめ、納豆と豆腐、納豆とマヨネーズ、納豆とそーめん・・・。
たくさん試してみた。これらの多くは想像以上のおいしさだった。いつしかオレは納豆の食べ方、その探求力において・・もしかしたら・・日本一かもしれないと思うようになっていた。その食べた量もハンパじゃない。全国十指に入るだろうと、これまた本気で思ったほどだ。
与えられた環境を越えようとすることももちろん大事だが、その環境のなかでの楽しみ方を開発することもおもしろい。やっぱり若いときの苦労は・・というべきか、貧乏だったおかげで、納豆にかけては日本一かも、という妙な自信を持つにいたった。この自信が、それ以降のオレの人生をどれほど支えてくれたことか・・・。いや、ホント。
ニワトリ達の感じている(かもしれない)「不足感」が、その後の彼らの成長にどのような影響を与えるのかは分からない。だけど学校の始まりをどんな向上心あふれる子ども達よりも、大きな期待感をもって待っているのは我が家のニワトリ達だといっても間違いではあるまい。
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2009.03.28:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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玉子がどんどん
春です。
暖かな気持ちのいい気候が始まりましたよ。
今日もまた布団が干せる。うれしいねぇ。
ニワトリ達も元気です。
鶏舎の中で一冬過ごしました。
まだ外には出られないけれど、待ちどおしいのでしょうね。
朝、エサを持って入っていくと、そのわずかな間をとらえて外に出ようとします。
「もういいじゃないかぁ。いままでがまんしていたのだもの。出してくれぇぇ!」
まだだよ。柵ができるまで待ってくれ。
春は小鳥達も卵を産む季節ですね。我が家のニワトリたちも小鳥達と一緒。一年を通してみれば、春のいまがピークです。
小鳥たちの産卵が春に集中するのは、生まれたヒナが
冬の厳しさに耐えられるまでに成長することが求められているため。そうしなければ生き残れない。野山の草や花もおなじ。冬を想定したサイクルとなっている。
自然養鶏はこの自然のサイクルにこだわってきました。普通のゲージ養鶏(工業養鶏)の場合は産卵を一定に保つために、春、夏、秋、冬通してヒナを導入します。でも、我が家は春以外にヒナを導入していません。ヒナは180日ぐらいから玉子を産み始め、約半年の間、高い産卵率を維持します。春がその最盛期。そこに春という季節の持つ産卵刺激が加わって・・・産卵ピーク。そして我が家に何が生れているか・・・。
パニック。玉子だらけ。困惑。
「今日もこんなに産んだ。どうすんべぇ。」
「ほんじゃぁ、玉子をとってくれている方々に少しずつサービスするべぇ」
「また余りだしたよぉ」
「じゃぁ、老人センターにでももって行って食べてもらうべぇ」
「今度はどうする?」
「都会に住んでいるオレの友人に、PRしてもらうよう頼んでみんべぇ」
毎日がこんな感じなのです。息子は
「やっぱり、夏から秋にかけてもヒナを導入するべ。そうすれば春のピークが緩和されるから。」
「いや、ちょっと待て。はやまるな・・。」
この状態が5月いっぱい続き、6月を越えるころには今度は一転して不足に変わってしまうのです。
自然養鶏・・・自然卵。
季節の変化に合わせて、産卵量もまた変わっていく。
これが自然なのだろうが・・・・なかなかさ・・その渦中にいると・・・大変ですぞ。
「おーい、なんとかなんねべかぁ」と都会の友人達に声をかけてみたが余っている玉子は行き場がなく、どんどん増えていくことの恐怖はなかなか想像できないだろうなぁ。
あと2ヶ月。
なんとかすんべぇ!
写真は早春、はじめて外に出たニワトリたち。
うれしさに舞い上がらんばかり。
実はシャッタアーチャンスをのがしたが
この後、高く、たかく・・飛んだ!
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2009.03.20:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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ようこそ!
ビックリしました。気が向いたときに
のんびり書いていただけの、静かなわがブログに
たくさんのお客様がおいでです。
NHKの「ラジオ深夜便」をお聴きの方々ですね。
今晩で最終回でした。
いままで長いことお聴きいただきましてありがとうございました。
今晩は、最後まですっきりしない話し方になってしまいました。
公共の電波で自分のことを話していいものか・・・
最後までチュウチョしていたのが
シドロモドロとなってでてしまいましたね。
反省しています。
お許し下さい。
でも、せっかくおいでになられたのですから、
ぜひ「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」のバックナンバー
や「虹色の里から」の方にも分け入っていてだいて
以前から書いていました我が家の農業や
ニワトリ達の世界をお読みいただければありがたいです。
また、「お米や玉子をほしい方のために」の中には
私のメールアドレスが書いてあります。
たまに遊びにおいでください。
それと、玉子はありますが、お米はもうありません。
今年の秋までお待ちください。
これから打ち上げです。
家族はみんな寝ているから一人で。
またどこかでお会いしましょう!
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2009.03.17:
kakinotane
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春ですねぇ
3月ですねぇ。春です。
とは言いましても、我が家のまわりはまだ雪だらけ。
山も田畑も雪でおおわれています。
それでも春なんですねぇ。春なんですよ。
どんなところで春を感じるかといえば、まずは陽射しの変化です。朝、窓をあければ、冬にはない暖かな陽射しがさしこんできます。布団でも干そうか。そんな気持ちにさせてくれます。やっぱり布団乾燥機とは違いますね。気持ちよさが段違いです。
次は小鳥たちの鳴き声。朝は彼らのさえずりで目覚めるようになりました。冬の間は聞こえません。雪が音を吸収してしまうのか、そもそも小鳥たちが鳴かないのか・・・。そこのところはよくわかりませんが。
三つめは、後ろにそびえる朝日連峰に雪崩のあとが目立つようになることです。「青い山脈」でしたか、ありましたね。「若く明るい歌声に、雪崩は消える花も咲く・・」落ちるべきものが一通り落ちてしまえばもう雪崩はありません。雪崩のあとは春を感じる風景の一つです。
そして・・・確定申告が終わること。終わって春なんですよ。春の到来は感じとるもの。終わらなければ春は春ではありませんぞ。
でね、終わったんですよ、ようやく。いま出してきました。だから春をめいっぱい感じています。きつかったからねぇ。知人からは「まだおわらないのかよ!早くブログ更新しろよ」ってせっつかれたいました。まるでお前はバカかといわんばかり。せつない日々をすごしていましたよ。
雪がとければ一斉に田畑の作業が始まります。どんな農家も一緒のスタート。「ヨーイドン」です。仕事の早い農家も、遅い農家もいったん雪で「ふりだし」に戻り、春、また一緒にスタートできるのです。もし雪がなかったならば・・・我が家の場合、10年もすれば一周は遅れるだろうな。
田んぼが乾けばすぐに堆肥散布です。我が家では醗酵ケイフンとレインボープラン堆肥の二種類の堆肥を撒きます。健康な人生は健康な作物から、健康な作物は健康な土から。健康な土こそ私たちのいのちの根本だと思うからです。土はいのちのみなもと。こだわりますよ、土に。
昨年は腰を壊しました。今年はかばいながらやっていきます。息子と一緒ですから大丈夫でしょう。あの田んぼにはこのぐらいの堆肥を。こっちの田んぼには・・・構想はふくらみます。
さぁ、春だ。
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2009.03.09:
kakinotane
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しばらく・・
しばらく休みます。
どうしてかって?
税金の申告作業のためなのです。
本当にこの実務が苦手で負担なんですよ。
1月の元旦に「今年は早めに始めよう」と誓ったはずなのに、もう2月。
まだ何にもやっていません。
こうなると何というか・・自分がいやになりますね。
自分に自信を取り戻す・・・コトなんかできないけれど
何とか頑張んないとナ。
明日から月曜日まで、長井市でレインボープランがらみのシンポジューム
があり、ほとんどそれで終りでして、そこからですよ、本格的に開始するのは。
でね、その間、どうかブログをご覧になっている皆さんで、にぎやかして
ください。
私も時々見にまいります。
また、気が変わり、すぐに新しい文章に更新するかもしれません。その辺は気楽にさせてください。
申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
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2009.02.07:
kakinotane
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自力解放
ドイツ全土から、2007年1月1日よりゲージ飼いのニワトリ達がすっかり消えた。全ては大地の上で飼育されている。ヨーロッパ全体では2012年から実施するという。いい話ですよ、人間であろうがなかろうが、幸せにつながる話は歓迎だ(「ゲージ飼いは法律違反」バックナンバー)参照。
確かに世界中の生き物達の中でゲージ飼いのニワトリたちほど不幸な動物はいない。羽を持っていても飛ぶことはおろか、広げることすらできず、足があっても歩くことができない。お日さまを拝むことも、風をうけることもなく、両脇に隣人の体温を感じ、対面に自分と同じように苦しむ同輩を眺めながら、長い一日を過ごしている。うわぁーぁ、やりきれないねぇ・・・。
彼らを生き地獄から救ったのは消費者運動だという。ドイツ政府に働きかけ、実現した。自分達が手にする食べ物の質を問題にするだけでなく、そのつくり手の状態にまで思いの範囲が及んでいるということか。
他方、日本の消費者運動はどうだろうか。残念ながら自分達が食べる卵の安全・安心を問題にしても、ニワトリ達をゲージから解放しようという声は聞いたことがない。思いはそこまで到達していない。自分(達)に、問題のない食べ物が手に入るなら、それから先のことには...ということか。
話が変わって、日本の米作りの現場。東北農政局が発表したH18年度の生産原価は15,052円/60kg。農家がJAに売り渡す価格は12,000円/60kg前後。作れば作るほど赤字が出てしまう。H19年もH20年も同じだった。こんな原価割れの米作りが数年続いている。農家の平均年齢は67歳。当然のことながら若がえる兆しはまったくない。いまさら転業もできないから・・という年寄り達の思いだけが継続の原動力だ。(これもバックナンバー参照)
我が村も都会の生協と米作りの提携を行っている。農薬や化学肥料を減らした米作りで、ここでの取引価格は市場の実勢価格プラス1,000円加算だ。30年前は22,000円/60kgに1,000円加算だったが、今日では12,000円に1,000円加算。加算したとて生産原価に遠くおよばない。
ニワトリ同様、思いは生産現場まで到達していない。
少なくとも生産原価を割るような価格ではなく・・と思うが、依然として変わってはいない。すでに農家にとって、農協を通じた生協との提携は「希望」ではなくなっている。そこに出荷しても暮らしていけないのだ。「オールタナテイブ」はその外にある。
生協に代表される日本の消費者運動。合併につぐ合併で、運動体というよりも事業体としての性格が強くなり、動きがとれなくなっているようにみえる。
今は時代の転換期。もし、食の安全、環境、持続性、循環・・・の時代的要請に応えたいという気概があるのならーといえば偉そうだけどータマゴやお米に限らず、生産現場を知り、そことの関係をもう一度問い直すことから始めなければならない・・・。どうだべな。
だけどなニワトリたちよ。
かの国のように消費者運動にだけ頼っていてはいかんぞ!
自分でなんとかする道をみつけなければな。
自力解放の道を・・よ。
何ができるかって?
自分で考えるんだよ!
俺達だってその道を歩もうとしているんだからさ。
なんとかなるさ。
なんとかするんだ!
(写真は我が家の前に広がる雪原・・東を眺める)
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2009.01.29:
kakinotane
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