ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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孫たちが苗代への水やりを手伝ったくれた。それが終わったところで、プラムの木に登ったので携帯カメラを向けたところ、二本の指でVサインのポーズをとった。
「そのポーズ、オバ〇さんに見えるから止めた方がいいよ」と言ったらやめてくれた。
子どもからけっこうな大人に至るまで、ポーズは二本の指でV。
良い、悪いの話じゃなく、それをやられるとみんなオバ〇さんに見えてしまう。俺の場合はだよ。
個性も何もあったもんじゃないね。




いよいよ農繁期だ。そんな中、俺も参加している置賜百姓交流会では、首都圏や関西の「貧困問題」に取り組む支援団体からの要請を受け、連携してコメや野菜を届ける取り組みを始めている。新潟や神奈川、千葉の農家たちも動き出している。わが家では3回に分けて180圓曚匹離灰瓩鯀った。焼け石に水かもしれない。でもやらないわけにはいかない。
 ジャーナリストの友人は、「社会の底が抜け、今まであった普通の暮らしと路上生活との境界が無くなったような感じ。誰もがちょっとしたきっかけで止めどなく下に落ちてしまうような」そんな危機感が広がっているという。
俺たちや、社会がためされている。どんな社会をつくってきたのか。これから先、どんな人の世を創っていくのか。政府に言いたいことは山ほどある。同時に、食料を届ける運動を広げていかなければと思っている。手を抜けない。




 我が家にツバメがやってきた。
だけど一つ気がかりなことがある。やって来たのは1羽だけ。
例年なら雌雄のツガイでやって来て、到着するが早いかすぐに巣作りを始めるのに、既に1週間は経つがそんな気配はない。そしてやっぱり1羽のままなのだ。
 旅の途中で何かあったのか。例えば夫婦喧嘩をして別々に生きることを決意したとか。それとも単純な先乗りなのか。はたまた、まだ独身でやって来て、これからゆっくりと相手を見つけようとのことなのか。
ツバメのこととはいえ、どこか気になり、毎日見ている。




雪解けとともに一気に農繁期が始まりました。
種もみの芽だし、育苗ハウスの組み立て、種まき・・と、身体がまだ出来上がっていないのに、農作業に翻弄されて毎日がヘロヘロ状態です。
夕方、かつて「肩で風切って歩いていた男」が、今やそよ風にあおられてフラフラと・・。一杯飲んでバタリ。こんな状態です。
先日は、海峡に隔てられた4000劼鯆兇┐董我が家にツバメがやってきました。
例年と変わらぬ訪れに、ありがたさを感じています。
さぁ、今年も始まりました。

「菅野くん、とても分かりやすかったし面白かった。一気に読んだよ。」
そう言ってくれたのは私の尊敬する友人の塩澤さん。
その本とは私が書いた『玉子と土といのちと』(創森社・1,500円+税)。
すでに、2010年に出版しています。
百姓暮らしの中から考えたまま、感じたままを書きました。
原題はこのブログの名前である「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」。

ニワトリの事、玉子のこと、いのちの事、それに私の百姓暮らしの事が中心です。
あれから随分経ちましたが、世の中は何も変わっていませんね。二ワトリの境遇も、いのちの危うさもなにもかも変化はありません。あまりにも無力です。
あえて恥を忍んで、自分の本をここにあげましたのは、読んでいただきたいからです。販売したいからではありません。
手に取っていただけましたら光栄です。




朝、布団の中で目が覚めた。
そして、今までの朝にはないある感覚を感じた。感じ取れた。
あっ、春だ、春が来たんだ!
そう思えたのは障子に映る朝日の強さからなのか。部屋の空気の柔らかさからなのか。それともまわりの木立から聞こえてくる小鳥たちのさえずりからなのか・・・。
何がどう変わったからという特定できるものは何もない。
でも確かに何かが違う。皮膚感覚で感ずる違いとしか言いようのない違い。そう思える、そんな朝。
3月2日の朝がまさにそうだった。
この日のあとも雪の降る日があったし、最高温度が零下という日もあった。
でも、実際、この日を境にして確かに気候が変わってきている。
それを感じた時の、肩の張り詰めた力がすっと抜けていくような・・そんな安堵感。
もう雪に悩まされずにすむ。
絶えず雪を意識し、よくも悪しくも雪を中心とした季節が終わるのだという解放感。
今年の春はまさに、この「朝の感覚」からやってきた。
これは雪国に棲む人に共通の感覚なのか、
あるいはまだどこかに野性を残している(と思われる)私固有のモノなのかはわからない。
 でもそんな風に春の訪れを感じ取れる感覚をうれしいと思う。

<長い文章だねぇ。読んでもあまり為にはならない、大したことのない一文ですから決して無理をする必要はありません。>

 わが家のすぐ後ろに連なる朝日連峰に春の兆しの雪崩が始まっている。田んぼや畑の雪解けももうすぐだ。
 さて田園は四季の変化に伴って色合いも、生み出す音も変わっていくが、今は白から土色を経て若葉色に向かう季節。色彩的には水墨画を見ているような落ち着きを感じる。
 俺は農作業のあい間、村や田んぼやニワトリたちが作り出す季節感ある風景や音を、暮らしの中に取入れ、その組み合わせを楽しんで来た。例えば緑の水田の中で聴く流れる水の音とオカリナのコラボレーション。あるいは水田を渡る風の波と、近所の農民が唄う民謡。村には芸達者な人達が多い。沈みゆく夕陽を肴に酒を酌み交わす田園の夏や秋のひと時も良い。他にもまだまだあるが、これから書くのもその一コマだ。
 ちょっと前の話になるが、きっかけは友人の大工に頼んで鶏舎を一棟建ててもらったこと。わが家では、ニワトリたちをローテーションに従って鶏舎の外の草地に放している。草地で遊ぶニワトリたちはただ眺めているだけで楽しいが、そんなニワトリたちが産んだ玉子なら食べたいと、声をかけてくれる人が年々増えていた。出来上がった鶏舎を眺めているうちに「落成を祝う会」をやろうということになった。まだ夏の暑さが残るさわやかな初秋のある日、一緒に和やかなひとときを過ごそうと、さっそく友人達に呼びかけた。
「来たる12日の日曜日、我が家の鶏舎の前にてささやかな野外酒宴をもちます。会費は千円ですが、一品持ち寄りできる方、またはお酒を持参される方はお金はいりません。一品とは言っても何でもいいんです。その辺の雑草をむしって来てさっと茹でたものとか・・・ほんとになんでもいいんですよ。我が家で準備できるものは俺が握ったおにぎりと、自慢のたまご焼き、それに少しの飲み物ぐらいですけど。だから・・・本当にお気楽においでください。」
 急な思いつきの、急な案内にもかかわらず20人ぐらいの人達がさまざまな手作りの食べ物を持って集まってくれた。
 野菜のおひたし、フキや竹の子の煮物、ワラビの醤油煮、野菜とキノコの辛味和え、餃子、玉コンニャク・・・鶏舎の前の樹の下にシートが敷かれ、手作りのご馳走が並べられた。それらをいただきながら、小さなパーティが始まった。どの料理もおいしい。俺が作ったものも好評だ。テーブルをかこんで、始めて会った人どうしが談笑している。
 9月の澄んだ青空に白い雲。緑いっぱいの樹の下の、木洩れ日がそそぎ、さわやかな風が頬をなでる。コッコッコッコッと草の上で遊ぶニワトリたちの穏やかな声を聞きながら、気持ちのいい時間が流れていく。前に広がる水田では稲刈り前の若い穂がさわやかな香りを放ちながら揺れている。
「孫にね、ニワトリを見せたくて連れてきました。さっきからずっとニワトリを見てます。近くにニワトリっていなくなったものねぇ」
「私はここのところ家の外には出られなかったんです。他人と会いたくなかった。でも、今日は来てよかった。」
「高校生の息子がね。学校をやめて農業したいというんです。ニワトリを飼ってみたいって。だから一緒に来ました。それもいいかなって。」
「全部の田んぼを無農薬でやってました。草とりが本当に大変でね。でも、もう歳だし、来年はそこまで無理するのはやめようかと話し合っているんですよ。」
 みんなが素直に自分を語っている。農民も、パート勤めのお母さんも、大工さんも、幼稚園の先生も、お坊さんも、学校の先生も・・・。いま、ここに居ることが本当にしあわせだと思えるような時間。やわらかな空気が静かに流れる田園のひと時。
だからどうしたのと聞かれると困るんだ。ただそれだけの事なのだから。でもね、それがとっても温かくてさ、ありがたくてよ。なんか生きててよかったなぁって思えるんだ。ただそれだけのことなんだけどね・・。
農業を生産物の取引だけで語ったのでは、その深さ、面白さ、豊かさが分からない。農民の暮らしもそうだ。所得の過多だけでは決して見えない世界がある。そしてね、その世界こそ農の魅力なんだよな。
  (大正大学出版会・月間「地域人」所収・拙文)




「週刊現代」
「週刊現代」の2月6日号、2月20日号と2週続けて卵の特集がありました。2月6日号は「『日本の卵』が世界から危険視されている理由」。2月20日号は「『特売の卵を買ってはいけない』『生卵なんて食べてはいけない』」というもの。
 その中身は、ここでも何度となく書いて来たものです。ゲージ飼いのニワトリが如何に過酷な状態に置かれているか。それをやっている日本が如何に世界の傾向から離れているか。その下で卵が、薬物や遺伝子組み換え作物などによって如何に汚染されているかなどが、その仕事に従事していた関係者などによって証言されています。
 これはどなたも知っておかなければならない事実です。いのちは学ばなければ守れません。国は守ってはくれません。私が「自然養鶏」を37年前ぐらいから始めたのも、そんな卵の実態を知ったからです。こんなものを家族には食べさせてはいけない。まわりの人に食べさせてはいけない。無ければ自分で自然養鶏を始めようと。
 現在、卵に限らず、日本自身が農薬汚染大国として世界中に知られるようになりました。ヨーロッパのみならず、中国からも、日本に行ったら食べ物には気を付けろと言われ、外国のジャーナリズムも東京オリンピックには食べ物持参で行くべしという記事が出ているほどです。
それというのも日本は諸外国とくらべ、農産物に対する国の安全基準が極めてゆるく、大量の農薬や化学物質の使用が許されているからです。それは主に国内の農家の為にと言うよりも、外国からの農産物がより入りやすくするため、貿易を妨げる規制の垣根を極力低くするという国の経済優先の政策から来ています。
 いまやほとんどの家畜の餌に使われているトーモロコシはアメリカ産。それも遺伝子組み換え作物です。それらを食べ続けた結果に対して安全だという確信も見通しもありません。進行しているのは人体実験そのものです。
 汚染卵も、国民のいのちよりもそんな経済を優先している情けない日本の当然な結果です。
とにかく家族の健康と未来は自分(達)で守るしかありません。




 野も山も里も真っ白な雪景色。
吹雪の深夜。ビュウビュウと雪は横に流れ、温度計はとっくに零下に沈んでいる。
この寒さは尋常じゃない。
こんな夜なんだよね・・雪女が出るのは。
「こんばんは・・旅の者ですが・・」と外から女の声が聞こえてきても、同情して部屋の中に招き入れてはいけないよ。
 この間の深夜も誰かが我が家にやって来て戸を叩いたが、
あれもきっと雪女だったに違いない。
そっとカーテンを開けて覗いてみたら、
窓の向こうの雪のなか、一人の女の人が帰って行く所だった。
助かった。
 先日、「雪女には気を付けよう」との村の回覧板が回って来た。
俺も気をつけなければならないな。
すぐに人を寄せたがるから。
悪い癖だよ。




百姓やってあなたで何代目ですか?
こう尋ねられることがある。
で、だいたいこう答えている。

「先祖となるとどこまで遡れるか分かりません。
わが家は村の古農から分家して私で3代目です。
分家した私にとっての祖父は、その古農の長男でした。
でもまだ幼く、親たちは姉に婿をもらって家督を継がせ、
必要な労働力を確保したうえで、やがて成長した祖父には財産を分けてやり、
分家に出したのだそうです。
昔はよくそのようなことがあったといいます。労働力対策ですね。

その前までは、どこまで遡れるかが分からない程で、
お墓に行くとボロボロに風化し、
文字も読めない家の形をした墓石が数十基も並んでいました。
江戸のまた更に昔となることは間違いないようで、ま、言ってみたら、
私はどこを切っても百姓。
混ざりっ気のない百姓の子孫と言うことでしょうか。」

野も山も里も真っ白な雪景色。
寒いなと思って外の温度計を見たら、マイナス1度。大したことが無い。それでも寒く、慌てて部屋のストーブを付ける。北海道などでは二重窓になっていて大きなストーブがゴウゴウと燃えていて、家の中全体が暖かく、薄着で過ごすことが出来るという話だが、ここ山形ではというか、我が家ではというか、ストーブは使っている部屋のみチロチロと。
 でもな。「コタツ文化」というか、家族が一つのコタツに入ってミカンなどをむきながらおしゃべりを楽しむ、お茶を飲む。外からのお客さんもその中に加わり、一緒の時間を過ごす。こんな暮らしがあるのだ。
 ひとたび外に出ればそこは純白の世界。太陽が昇るとあたり一面がキラキラと輝き、見慣れているはずの私たちにとっても「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような美しい光景が広がっている。
 また、冬は田畑が雪で覆われているために、比較的自由になる時間も多く、寒さの中で喜んでもいる。もちろん、春は待ち遠しくはあるのだけど・・、とは言っても、早く来てほしいような、もっとずっと先にしてほしいような妙な気分なのだ。
 で、結論だが、いろいろな不自由はあるけれど、やっぱりここ、山形が一番いい。




野も山も里も真っ白な雪景色。
寒いなと思って外の温度計を見たら、マイナス1度。大したことが無い。それでも寒く、慌てて部屋のストーブを付ける。北海道などでは二重窓になっていて大きなストーブがゴウゴウと燃えていて、家の中全体が暖かく、薄着で過ごすことが出来るという話だが、ここ山形ではというか、我が家ではというか、ストーブは使っている部屋のみチロチロと。
 でもな。「コタツ文化」というか、家族が一つのコタツに入ってミカンなどをむきながらおしゃべりを楽しむ、お茶を飲む。外からのお客さんもその中に加わり、一緒の時間を過ごす。こんな暮らしがあるのだ。
 ひとたび外に出ればそこは純白の世界。太陽が昇るとあたり一面がキラキラと輝き、見慣れているはずの私たちにとっても「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような美しい光景が広がっている。
 また、冬は田畑が雪で覆われているために、比較的自由になる時間も多く、寒さの中で喜んでもいる。もちろん、春は待ち遠しくはあるのだけど・・、とは言っても、早く来てほしいような、もっとずっと先にしてほしいような妙な気分なのだ。
 で、結論だが、いろいろな不自由はあるけれど、やっぱりここ、山形が一番いい。