山寺芭蕉記念館

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「芭蕉と蕪村」出品リストはこちら↑


特別展「芭蕉と蕪村 ―江戸時代の二大俳人―


左《「はるもやゝ」発句画賛》松尾芭蕉 賛・森川許六 画、右《雪中双鴉図》与謝蕪村 筆

  9月1日〜10月9日 (会期中無休)

 

 

 

 

 

芭蕉の真筆19点、蕪村の真筆8点を一堂に展示!!
 江戸時代の初期、芭蕉は江戸俳壇に新風をもたらし、当時の俳諧に
大きな影響を与えました。更に芭蕉は、「奥の細道」行脚などを経て
自身の俳諧を深化させ、言語遊戯であった俳諧を芸術の域までに高め
ることに成功しました。
 しかし、芭蕉没後、俳諧は卑俗化していきます。それに対し、芭蕉
の頃の俳諧に戻ろうという蕉風復興運動が全国化しますが、その流れ
に呼応して活躍したのが与謝蕪村でした。
 蕪村は俳人として活躍するその一方で、絵師としても活動し、芭蕉
の「奥の細道」を描いた屏風や絵巻を残しています。また、蕪村は俳
諧と絵画を融合させた俳画を得意とし自ら海内無双を誇り、その表現
は後世にも多大な影響を及ぼしました。
 本展では、江戸時代の俳諧に特に影響を与えた二大俳人である芭蕉
と蕪村の作品を公開します。二人の作風をご鑑賞ください。

 

 

 

関連イベント ギャラリートーク
 

内 容 学芸員による展示解説を行います。

日 時 令和5年9月10日(日)午後2時から(約25分)

参加費 入館料のみ(事前申し込み不要) 

 

令和4年6月3日、特別展『坂田燦の「おくのほそ道」版画展』の開展式が行われ、オープンしました。



オープニングの様子


坂田燦氏のギャラリートーク


旅に生き、旅に死んだ芭蕉は、人生はすべて旅や、旅人のようなものだと考え、1689年5月14日おくのほそ道の旅に出て、10月4日、約150日間、約2400キロの長い旅を終えました。
俳人の長谷川櫂氏によると、芭蕉の『おくのほそ道』は単なる旅の紀行文ではなく、虚実が相半ばする再構成された文学作品だといわれています。
氏の著書を底本にして、次にように版画作品を構成しました。
第1節 旅の禊 第2節 歌枕巡礼 第3節 太陽と月 第4節 浮世帰り

 2022年6月  坂田 燦(あきら)

年末年始休館のお知らせ

山寺芭蕉記念館は令和5年(2023)12月27日から令和6年(2024)1月3日まで年末年始の休館になります。1月4日以降のご来館をお待ちしております。


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いつもご支援ありがとうございます。
山寺芭蕉記念館は、令和4年12月28日から
令和5年1月4日まで年末年始の休館日となります。
1月5日以降のご来館をお待ちしております。
来年もよろしくお願い申し上げます。
 

 松尾芭蕉が紀行文『おくのほそ道』の中で詠んだ山寺の句「閑さや岩にしみ入蝉の声」。この句に詠まれたセミは何ゼミだったのか、セミの種類についての論争がありました。
 昭和2年に、歌人の齋藤茂吉(1882〜1953)がアブラゼミと主張したのに対し、評論家にしてドイツ文学者の小宮豊隆(1884〜1966)がニイニイゼミであると反論したものです。
その後、昭和5年7月初めの調査によって蝉を捕獲したところ、確認されるセミのほとんどはニイニイゼミで、アブラゼミはほんのわずかでした。その結果を知った茂吉は、自説を撤回したのでした。因みに、この自説修正には文学的解釈のとらえ直しも加味されていました。
 芭蕉が山寺を訪れた7月13日頃はヒグラシも鳴くことがありますし、確定的なことは言えませんが、ニイニイゼミである可能性が高いということは言えるでしょう。
芭蕉の「おくのほそ道」山形来訪


 「おくのほそ道」の旅の松尾芭蕉は8月12日は温海(現、鶴岡市内)を発ち越後に入る
                

 元禄2年(1689)松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅に出ます。芭蕉は7月1日に出羽国堺田、
今の山形県最上町堺田に入ります。7月13日に山寺(現、山形市山寺)を訪れた芭蕉は、翌朝、
山寺を発ちます。大石田・新庄・羽黒山・鶴岡を経、酒田に着いた芭蕉は、一旦、象潟を訪問
してから酒田に戻り、8月10日の朝まで酒田に滞在しています。その後、大山、温海へと歩み
を進め、8月12日に温海を去り、越後(現、新潟県)に入ります。
   



山寺