山寺芭蕉記念館
令和4年6月3日、特別展『坂田燦の「おくのほそ道」版画展』の開展式が行われ、オープンしました。 |
松尾芭蕉が紀行文『おくのほそ道』の中で詠んだ山寺の句「閑さや岩にしみ入蝉の声」。この句に詠まれたセミは何ゼミだったのか、セミの種類についての論争がありました。
昭和2年に、歌人の齋藤茂吉(1882〜1953)がアブラゼミと主張したのに対し、評論家にしてドイツ文学者の小宮豊隆(1884〜1966)がニイニイゼミであると反論したものです。 その後、昭和5年7月初めの調査によって蝉を捕獲したところ、確認されるセミのほとんどはニイニイゼミで、アブラゼミはほんのわずかでした。その結果を知った茂吉は、自説を撤回したのでした。因みに、この自説修正には文学的解釈のとらえ直しも加味されていました。 芭蕉が山寺を訪れた7月13日頃はヒグラシも鳴くことがありますし、確定的なことは言えませんが、ニイニイゼミである可能性が高いということは言えるでしょう。 |
芭蕉の「おくのほそ道」山形来訪
「おくのほそ道」の旅の松尾芭蕉は8月12日は温海(現、鶴岡市内)を発ち越後に入る 元禄2年(1689)松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅に出ます。芭蕉は7月1日に出羽国堺田、 今の山形県最上町堺田に入ります。7月13日に山寺(現、山形市山寺)を訪れた芭蕉は、翌朝、 山寺を発ちます。大石田・新庄・羽黒山・鶴岡を経、酒田に着いた芭蕉は、一旦、象潟を訪問 してから酒田に戻り、8月10日の朝まで酒田に滞在しています。その後、大山、温海へと歩み を進め、8月12日に温海を去り、越後(現、新潟県)に入ります。 山寺 |
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特別展「芭蕉と蕪村 ―江戸時代の二大俳人― 」
左《「はるもやゝ」発句画賛》松尾芭蕉 賛・森川許六 画、右《雪中双鴉図》与謝蕪村 筆
9月1日〜10月9日 (会期中無休)
芭蕉の真筆19点、蕪村の真筆8点を一堂に展示!!
江戸時代の初期、芭蕉は江戸俳壇に新風をもたらし、当時の俳諧に
大きな影響を与えました。更に芭蕉は、「奥の細道」行脚などを経て
自身の俳諧を深化させ、言語遊戯であった俳諧を芸術の域までに高め
ることに成功しました。
しかし、芭蕉没後、俳諧は卑俗化していきます。それに対し、芭蕉
の頃の俳諧に戻ろうという蕉風復興運動が全国化しますが、その流れ
に呼応して活躍したのが与謝蕪村でした。
蕪村は俳人として活躍するその一方で、絵師としても活動し、芭蕉
の「奥の細道」を描いた屏風や絵巻を残しています。また、蕪村は俳
諧と絵画を融合させた俳画を得意とし自ら海内無双を誇り、その表現
は後世にも多大な影響を及ぼしました。
本展では、江戸時代の俳諧に特に影響を与えた二大俳人である芭蕉
と蕪村の作品を公開します。二人の作風をご鑑賞ください。
関連イベント ギャラリートーク
内 容 学芸員による展示解説を行います。
日 時 令和5年9月10日(日)午後2時から(約25分)
参加費 入館料のみ(事前申し込み不要)