▼私も一言!
『与党教育基本法改正検討会、「愛国心」を「わが国と郷土を愛する」とすることで合意』と13日新聞報道で見ましたが、与党の教育基本法改正検討会は焦点となっていた「愛国心」の表現について、「わが国と郷土を愛する態度」とすることで合意に達し、与党案が事実上固まった…との内容でした。
しかし、公明党と自民党が対立していたのはいわゆる表現の部分だけで、言葉の中にきちんと自民党側の言葉が全て入っている玉虫色の決着だったようです。 普通の人間なら「わが国と郷土を愛する心」など、自然に培われてくるはずであり、それをわざわざ法令で規定しようというあたり、この改正作業が何らかの別の意思を持っていると勘ぐるのは私だけではないでしょう。おそらく憲法改悪の動きと連動させた作業に思えるのだが…。 |
国際法では国の自衛権とやらが認められているそうです。しかし、これは軍隊を置けといっているわけではありません。軍隊を置くという発想は、みんな武装しないで丸裸でいると襲われるという考えがあるからです。もしかしたら自分たちも丸裸の国を見たら襲うつもりかも。丸裸の美女じゃあるまいし。
軍隊は、仮想敵を作らなければ訓練もなにもできません。敵も仮想敵もいないけれど訓練に励めなんていうのはあまり迫力がありません。 それに軍隊は仮想的を大きくすればするほど予算も沢山もらえて、その方が自己肥大化には便利です。高橋是清のように、無いものは出せないなんていうと殺されてしまいます。 しかし仮想敵を作って軍備をすれば、仮想敵にされた国も怖いから軍備をして、両方とも負けるのは厭だから、両方とも軍備はどんどん大きくなります。 大体被害妄想というのは、加害妄想よりずっと怖いものです。被害妄想の国が二つ並んでいたら先ず戦争になります。やられるのが怖いから先制攻撃なんかします。 今戦争したら、人類は滅びるでしょう。アメリカのように被害妄想になるとあらぬ国を侵略して平気になります。ですからわたしは、憲法九条第二項をかえることに絶対反対で、頑固な護憲派なのです。 〜頑固親父N〜 |
〜目に見える行動提起をお願いします〜
明けましておめでとうございます。昨年末からの「さがえ九条の会」拝見しています、そして関係者のご奮闘に敬意を表します。 2006年は、自分から申すまでもなく、憲法改悪を許さないことと、青年学生の状態悪化のくい止め、核兵器の削減、共謀法案の廃止など日本のファシズム化を許さないための正念場の年じゃないかと思います。 そういった民主主義の根幹に関わる重大なこのとき、豪雪の中ではありますが、「九条の会」独自の宣伝活動(チラシ配布)も検討されていかがでしょうか?ネットのツールも有効ですが、寒河江ではまだまだ普及度合いがイマイチだと思いますし、ホームページの存在を知らせる意味でも…。 今年は、去年と同じように…いやますます厳しくなりそうな状況下にあります。日々働く真面目な市民が生活苦と労働苦によって働く誇りを失い、自殺をして自らの存在を経とうとし、また青年学生は、働き、学ぶ意欲を失い、将来の生活設計が立てられなくなり、明日への展望を失っています。市民が明日への日本の将来への展望をなくしています。 私たちも含めて、将来への展望を失いかけつつある市民に、小泉改革の規制緩和による競争社会をなくして、人間らしい生活が出来るような仕組みに喚起することを呼びかけることもいいんじゃないかな。今年こそ人間復興の年にしたいと、切実に願うものです。そうしようよ、そのためには目に見える行動起こそうよ。 ...もっと詳しく |
日本には何でも、分りにくく説明することが流行している。それが日本の政治の無関心を助長してきた。憲法9条論議もそうであった。しかし、憲法9条を破棄するかどうかは極めて重要である。多くの日本人の命にかかわることである。
政治の現実的な選択肢を示すことが、分り易い、憲法9条論議ではなかろうか。現実の選択肢を示さない憲法論議は抽象的で分りにくい。また後付けでどうにでも言い逃れる、どうでもいい解釈可能な議論になりやすい。 憲法9条に関する選択は二つである。一つは現状維持である。60年間平和であったのは憲法9条のおかげであった。他は9条を破毀して、集団的自衛権を認めることである。それは必然的に日本軍がアメリカ軍に組み込まれることである。日本の若者をアメリカ軍の指揮の元に死に追いやる可能性が極めて高い。これが二つの現実的な選択肢である。だが、9条を破棄したい人は狡猾である。娘がレイプされかかったときどうするんですかとか、敵が攻めてきたら武器も持たずに命を差し出すんですかと言って来る。一億分の一のレアーケースを引き合いに出して、万一の場合にアメリカ軍は必要じゃないですかといってくる。東海大地震が必ず起きるから、高額商品を買えというようなものである。詐欺商法には気をつけましょう。改めて言えば、日本に再びジンギスカンが攻めてくることは無い。人の恐怖心を煽って、憲法9条をバナナの叩き売りみたいに売りさばく魂胆がありそうである。 日本の政治外交は昔もそうであったが、今もワンテンポ遅れている。かって植民地争奪戦の時代があった。日本も送ればせながら、中国に軍隊を送り、満州(中国の東北地方)に植民地を築き、さらに中国全土を支配せんとした。ただ残念ながらその頃には植民地争奪戦の時代は終わりに近づいていた。例えばアメリカは中国を植民地することを望んでいなかった。互いに貿易によって儲けようではないかと思っていたのである。このことに全く気付かずに当時最強の軍事力を誇ったドイツと手を組んでしまった。強いものに憧れるのは今も同じである。 いま、アメリカの一極覇権主義が続いている。日本はこれが10年以上の長期間も続くと信じて疑わない。ドイツ帝国がアメリカ帝国に変わっただけである。悲劇はここから始まる。アメリカ自身が既に将来の多極分散政治を想定している。アメリカ軍の世界的再編もその一つである。なぜ、世界は多極分散でなければならないか。それは、アメリカが他の国を豊にして、それらの国と貿易しないと儲からないからである。アメリカ人2億4千万人の国民を食わせるためには、他国から一方的に搾取するだけでは足りない。日本のように豚は太らせてから食べた方が美味しいということでしょうか。何でも逆らえない日本のようにすれば、そのような国を増やせば、21世紀もアメリカの世界でしょう。日本自身も分散型の道州制政治を断行しないと、アメリカから見て太った豚から、貧しい豚になってしまうでしょう。 このように世界情勢が全く見えない日本は、アメリカに尻尾を振り、近隣アジア諸国には挑発的外交を繰り返す。時代の趨勢を2歩も読み間違えていませんか。憲法9条論議は必然的に、明日の日本をどうするかの議論になるのである。 ...もっと詳しく |
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政府がどうしても入れたかった、「愛国心」は、「我が国の郷土を愛する態度を養う」という表現で盛り込まれました。現行法の前文には「個人の尊厳・真理と平和・個性豊かな文化の創造」というキーワードがありましたが、改正後は「個人の尊厳・真理と正義・公共の精神・伝統を継承し、新しい文化を創造」となっています。「平和」という言葉がはずされたことが、この「改正=改悪」を象徴しているようにも思えます。
入学式・卒業式その他の学校行事の中で「君が代・日の丸」が強制される動きに対しても、これまでは裁判で勝訴できたはずのことが、今後は「教育基本法」を法的根拠とされ、難しい闘いになるかもしれません。
「愛国心・公共の精神を養い、国のために命を捨てる若者を育てたい」という政府の本音が聞こえてくる思いです。こどもたちの命と平和は国に頼らず、自分たちの力で守っていかなければならないのでしょうか。
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