企画室長の部屋

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直江兼続生誕450年記念 パネルディスカッション

 「直江兼続が米沢に残したもの」

直江兼続生誕450年にあたり,兼続が米沢に残した事蹟,足跡,偉業の総まとめと,江戸幕府の誕生,そして幕藩体制が成立していく過程で,兼続が歴史に果たした役割についてディスカッションします。

 パネリスト
   木村 喜雄 氏 (置賜史談会会長)
   楠  裕行 氏 (東源寺住職)
   遠藤  英 氏 (九里学園高校教諭)
 コーディネーター
   青木 昭博 氏 (市立米沢図書館郷土資料主査)


 期日:平成22年9月18日(土)
     午後1:00開場  午後1:30開演
 場所:伝国の杜
 入場無料

 主催:上杉鷹山公と郷土の先人を顕彰する会
 後援:米沢四季のまつり委員会

2010.09.03:コメント(0):[メモ/]
8月26日から4日間,東洋大学国際地域学部国際地域学科・観光学科のみなさん約30名が,米沢で研修を行っています。地域づくり・観光・温泉・商店街など,それぞれのテーマで米沢の関係者と交流しながら,学んで行かれます。

2010.08.28:コメント(0):[メモ/]
米沢市では今年4月に景観条例が制定され,市民向けに説明会が行われました。
これまでは県の条例に準じていたものを,これからは米沢市に合った基準で取り組むことになります。
専門家と市民と役所とで何年も,何度も審議を重ね,ようやく実現を見たものです。
米沢の景観については,大河ドラマで訪れた観光客の皆様からもさまざまな声が寄せられています。私たちみんなの町を良い状態で次の世代に手渡したいものです。
担当窓口は米沢市役所都市計画課。


2010.08.20:コメント(0):[メモ/]
関が原の戦い後,直江兼続が石田三成の遺子を米沢に引き取ったことは知られています(子孫の方が米沢在住)が,直江兼続が死の前年に開いた禅林寺(現法泉寺)に,住職から住職へと語り伝えられた石田三成の供養碑があります。
場所は,文殊堂(法泉寺北側)の境内に入って左手。境内には他にもさまざまな碑が建っていますが,それらは皆ここ50年ほどのものとのこと。石田三成供養碑と伝えられる碑だけが格段に古く(土台一部補修),庭園との位置関係でも最も良い場所に建てられています。
表面の梵字は磨耗してよく読めませんが,NHKの方も,この存在を事前に知っていたら脚本は変わっていた,と話していたとのこと。
直江兼続と石田三成の友情がこのような形で残っているのですね。

2010.07.26:コメント(0):[メモ/]
5月29日(土),30名以上の参加を得て,米沢城下町中心〜東部の探検が行われました。城下町の概略を確認した後,外を歩きました。
たどったコースは,
 九里学園高校→大手門前通り・御入水川・大手門広場→二の丸(松岬神社)→本丸(上杉謙信公祠堂・上杉神社・春日神社・菱門橋)→二の丸(二の丸鬼門)→殿町通り(御入水川)→西條天満神社→平林屋敷跡→武者道・三の丸堀・土居跡(西條天満神社裏手)→聖徳太子堂・米井→大町・札が辻(東寺町)→庚申堂→秀公園(三の丸堀跡)・東町皇太神宮・金剛愛染明王堂→志駄屋敷跡→九里学園高校(竹俣屋敷跡)
です。2時間以上の歩きとなりましたが,幸い天気も崩れず,楽しい時間となりました。
ご参加いただいた皆様,ありがとうございました。
第2弾6月26日14:00米沢城三の丸南・西部めぐりをお楽しみに。

2010.06.01:コメント(0):[メモ/]
鷹山大学講座「直江兼続がつくったまち米沢を歩く」
 第1回 いよいよ5月29日(土)14:00〜17:00 九里学園高校集合
 第2回 来る6月26日(土)14:00〜16:30 九里学園高校集合
 第3回 7月24日(土)同上 西部コミュニティーセンター前集合
 第4回 8月7日(土)同上 法泉寺文殊堂前集合
経費は700円×4回(その都度納入)
申込は九里学園高校 22−0091
  (まだの方はお急ぎください,2回目からの参加も可能です)
講師は九里学園高校 遠藤 英 教諭
城下町米沢を4ブロックに分けて,実際に歩きながら直江兼続たちがつくった城下町を検証します。

2010.05.27:コメント(0):[メモ/]
5月4日・5日に,米沢市初の市民ミュージカル「Faith」が公演されました。
1年前,全くの一般公募で集まった40人の素人の方々が,劇団四季の脚本も手がけておられる梶賀千鶴子先生の指導のもと,演技・発声・ダンス等々の訓練を重ねて舞台を作り上げました。
どんな人が集まるか全くわからないところからのスタートで,先生は顔ぶれ一人ひとりを見て,脚本を書き上げていかれたそうです。
ストーリーは,日本で初めて化学繊維を発明しテイジン(現広島県)を起業した山形大学工学部の秦逸三(はたいつぞう)博士の物語。
スタッフ・参加者の皆さんの苦労が滲み出た手作り感あふれる舞台に,商業演劇とは違う感動を覚えました。
たまたま私の隣に安部市長さんが座られていたのでお聞きしたところ,「次回」開催は未定とのこと。米沢が元気になるこのような活動が,今後も灯を絶やさないことを望んでいます。

2010.05.13:コメント(0):[メモ/]
先日,親戚と総勢12人で赤湯温泉丹泉ホテルに泊まってきました。
内装も新しく,応対がとてもあたたかくて,第一印象からいい気分。全館バリアフリーになっていて,洗面室・トイレも広いつくり。
お風呂は,露天風呂も広く,湯加減もちょっと熱いくらいでよくあったまって,ゆっくりゆったりでした。(私たちは使わなかったけど家族風呂あり)
夕食のまあ凄いこと! 海の幸・山の幸はもちろん,食材を生かした創作性あふれる贅沢料理(鍋が一人に2つ付きました)に大満足でした。
朝食もおいしいお餅。ふだん朝は小食のこども達もおかわり!
最後まで満足の丹泉ホテルでした。
「がんばってるってわかるよね」(妻の感想)

2010.03.30:コメント(0):[メモ/]
上郷(大字長手)のイタリアンレストラン「喜右衛門」さんに行ってきました。
地産(ご自分の畑も含む)地消を大切にした,創意あふれるオリジナルメニュー。
上品で小さなサプライズがたくさん詰まったイタリアン,
ちょっと嬉しい食事をとりたいときには是非おすすめの満足レストランです。
お店の感じも,明るくてキレイで良いですよ。

ディナーで訪れたので,写真が夜景でごめんなさい。

2009.11.24:コメント(0):[メモ/]
参加したお鍋は
 鶏の野菜スープ(白鷹),金太郎の寄席鍋(山遊亭金太郎後援会),
 淡雪鍋(小国アスモ),雑穀ちゃんこ鍋(こだわり農業研究会),
 ビューティートマト鍋(南陽),高キビ餅入いも煮鍋(母ちゃん公社),
 元祖!!納豆汁(高畠),ピュエンロー鍋(小国町役場),
 黒沢鶏の弾力親子鍋(ハートランドファーム),山の恵みのだんご鍋(あざみ山遊会),
 洋風牛すじ鍋(遊佐町),まいスジギュッと鍋(川西),
 地域の輪をとりもつ鍋(小池かつとし事務所)
の13。この日のためのオリジナル鍋ばかり。
このほかにやきそば・クレープ・わたあめなど,お祭気分上々!
広場中央に張られたテントも満員で,美味しく楽しいひとときでした。

2009.11.24:コメント(0):[メモ/]
評判高き角松屋さんのバターどらやき!
以前より多くの人から勧められながら,お店の場所がわからなかったり仕事の都合で閉店後に行ってしまったりして,
何年か前から求めていながら,ようやく購入できました。
種類は「バターどらやき」「バターどらやき抹茶」「生(クリーム)どらやき」「生チョコ(クリーム)どらやき」の4種類!
風邪気味で食欲の細い小学生のわが子が,あっという間に2個もたいらげました。
期待にたがわぬ美味しさ!
お店の方の対応もとても丁寧で,喜びも倍増でした。

2009.11.24:コメント(0):[メモ/]
おぐに鍋まつりの帰りに,小国の木村屋さんで買物をしました。
一番のおすすめは「へき地田楽」という名の,大判のゆべしです。
種類もいろいろですが,木の実やゴマなどがた〜くさん入っていて,
とっても美味しいです。
私が今まで食べたゆべしは,モッチリゆべしが主で,その中に粒々と木の実などが入っている感じでしたが,
「へき地田楽」は豊富な美味しい木の実をゆべしがつないでいるという感じです。
老齢の母(白鷹町出身,米沢市在住)も,お土産に買って帰った私に
「これが美味しいのだ」と説明を始める始末・・・。
久々に美味しいゆべしに出会いました。

2009.11.24:コメント(0):[メモ/]
今年は13の参加団体があり,約2000人の来場があったそうです。
完売した鍋もあり,時折の小雨にもかかわらず大盛況でした。


2009.11.24:コメント(0):[メモ/]
米沢出身の,大正時代に政界ナンバー2の影響力を持った大物政治家。
明治時代の初め,岩倉遣欧使節団の一員として渡欧し,船中で山口県(長州藩)出身の人たちと交流を持った。
  戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主として官軍(薩摩,長州等)と対立した米沢藩の東助にとって,
  この交流は帰国後に大きな意味を持つ。
ドイツで法学を修めた東助は,帰国後にその力を発揮し,人脈に助けられて,明治政府の中枢で活躍する。
  伊藤博文(長州)の憲法調査団に随行し,内閣制度導入,大日本帝国憲法制定とそれに伴う
  法大改正に貢献,その功績で貴族院議員に選ばれた。
  産業組合法を実現させ,大日本産業組合中央会の創立に関与し17年間会頭を務めた。
   日本の産業組合の生みの親・育ての親である。
山県有朋(長州)直系議員として第1次・第2次桂太郎(長州,山県直系)内閣で大臣を歴任。
大逆事件のときには内務大臣であったため引責辞任をしたが,政界引退を明治天皇に引き止められて華族に昇格。(最終爵位は伯爵)
大正元年の首相指名を辞退したが,たびたび首相候補に名前が挙がった。
大正11年には,大正天皇に代わって政治を執り始めた摂政宮(後の昭和天皇)を補佐するなど,大正時代を通じて政界に大きな影響力を持った。
  沖縄の首里城が取り壊されそうになった時,東助の甥で米沢出身の建築家伊東忠太(東助は
  伊東家に生まれ平田家に入った)は首里城保存のために尽力,東助の助力を得て首里城国宝
  指定が実現した。

2009.10.14:コメント(0):[メモ/]
米沢では少し前から,コンビニやスーパーなどで芋煮会用の薪や道具・食材が店頭に並び始めています。
さわやかな秋空の下,河川敷などではたくさんのグループが芋煮会をする季節。牛肉芋煮の本場米沢の秋の風物詩です。
今年は「天地人」を受けて,9月にも「夜の川中島」が開催されます。観光に来られた方も,ぜひ米沢の芋煮を味わってほしいと思います。

2009.09.13:コメント(0):[メモ/]
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