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平田東助 (ひらたとうすけ)
米沢出身の,大正時代に政界ナンバー2の影響力を持った大物政治家。
明治時代の初め,岩倉遣欧使節団の一員として渡欧し,船中で山口県(長州藩)出身の人たちと交流を持った。
戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主として官軍(薩摩,長州等)と対立した米沢藩の東助にとって,
この交流は帰国後に大きな意味を持つ。
ドイツで法学を修めた東助は,帰国後にその力を発揮し,人脈に助けられて,明治政府の中枢で活躍する。
伊藤博文(長州)の憲法調査団に随行し,内閣制度導入,大日本帝国憲法制定とそれに伴う
法大改正に貢献,その功績で貴族院議員に選ばれた。
産業組合法を実現させ,大日本産業組合中央会の創立に関与し17年間会頭を務めた。
日本の産業組合の生みの親・育ての親である。
山県有朋(長州)直系議員として第1次・第2次桂太郎(長州,山県直系)内閣で大臣を歴任。
大逆事件のときには内務大臣であったため引責辞任をしたが,政界引退を明治天皇に引き止められて華族に昇格。(最終爵位は伯爵)
大正元年の首相指名を辞退したが,たびたび首相候補に名前が挙がった。
大正11年には,大正天皇に代わって政治を執り始めた摂政宮(後の昭和天皇)を補佐するなど,大正時代を通じて政界に大きな影響力を持った。
沖縄の首里城が取り壊されそうになった時,東助の甥で米沢出身の建築家伊東忠太(東助は
伊東家に生まれ平田家に入った)は首里城保存のために尽力,東助の助力を得て首里城国宝
指定が実現した。
2009.10.14:
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