最上義光歴史館

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 前回に引き続き「大坂夏の陣」を描いた「最上屛風」に関わるお話です。
 この屏風絵には様々な幟(のぼり)旗が描かれています。どの旗がどの武将のものかは同定に至っていないのですが、とにかく様々な旗が描かれています。ところで、なぜ戦いに旗が用いられるのでしょうか。
 まずは敵味方がわかるようにするためで、古くは「源平合戦」の際、源氏が「白」、平家が「赤」の旗を掲げて、敵味方を区別しました。ただ、敵味方を区別するだけなら旗でなく武具や衣服に家紋をつけたり、場合によっては合言葉を用いることもあるのですが、ここは自分たちの活躍や存在を示すため、そしてそれはその後の褒賞にもかかわるため、幟旗(のぼりばた)などで目立つことも必要でした。
 一方、全体の戦況を確認する手立てとしても旗は重要で、その所在や配置を確かめ、軍功の有無を確認する役割を担う「軍目付」とか「軍監」という職がいました。ちなみに旗が倒れていくというのは、戦況悪化を意味するわけで、「旗色が悪い」と言い方はここからきています。
 この敵味方の識別は、現代戦においても重要技術のひとつです。いわゆる西側諸国や日本、韓国の軍の艦船や航空機航には、共通の敵味方識別装置が搭載されており、また、戦場における車両や重装備の歩兵部隊などにも様々な技術が投入されているといいます。ただし、認識できるのは味方の信号のみで、それ以外は、敵かどうかはわからない、というか敵と見做すしかなく、誤射や偽装などは時代が進むほど課題になっているそうです。
 ところで、「大坂夏の陣」に関わる逸話ですが、伊達政宗の軍は、味方の前線にいた神保軍を撃って討死させています。その数約300名。政宗はまわりの武将から非難され、神保家からも訴えられました。しかし政宗は、「前線の味方が後退し始めたときは、敵と一緒に討たなければ共崩れになる。このような時、伊達の兵法に敵味方の区別はない」と弁明し、幕府は不問としたそうですが、実際は、行く手を塞ぐ形となる部隊が、前進の邪魔になるので撃った、という説があります。
 「背中を撃たれる」というのは、このように意図的である場合も、単に誤射である場合もあるわけですが、撃たれた方はたまったものでありません(ですが英語ではこれを「フレンドリーファイア」Friendly Fireといいます)。この「背中を撃たれる」ということは何も戦場ばかりで起きる事ではなく、職場でもありがちなことです。いくつかのビジネス本にも、背後から撃たれることも警戒すべきとの教えがあります。
 他にも戦に関係することわざがいくつかあります。「バカな大将、敵より怖い」とか、「一将功成りて万骨枯る」とか、これも職場でよくあることで、こういうときにはとにかく「三十六計逃げるに如かず」でしょうか。そうそう、某元事務次官が唱えた「面従腹背」という手もありますが、やはり強いのは「馬耳東風」かしらん。


「大坂夏の陣」(最上屏風)

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