最上義光歴史館

〇 自然史博物館と科学技術博物館の話
 博覧会と博物館との関係で言えば、科学技術博物館も19世紀に始まった(万国)博覧会に起源をもつそうです。「19世紀は蒸気機関や電気の発明品など、さまざまな新しい技術が出てきた時代で、それらを展示した博覧会を恒久的な施設にしたのが起源だと考えられます」と一橋大学の有賀暢迪准教授は語っています。
 一方、博物学というものがあり、これは英語でNatural history、直訳的に「自然史」とも言われます。それは動物界・植物界・鉱物界という自然三界の全ての種についての目録を作り、自然界に存在するもの全てを収集・分類する試みです。これが東洋では本草学として、伝統中国医学の医薬(漢方薬)や不死の霊薬(仙丹)の原材料の研究として発達したそうです。こうしたことを扱うのが自然史博物館で、やはり科学技術博物館とは異なります。
 20世紀に入ると新しい種類の科学博物館、英語で「サイエンスセンター」と呼ばれるものが登場します。その特徴は、伝統的な博物館の基本機能である「収集・保存」を重視していないことにあり、観客が触って体感できるハンズオン展示や体験型の展示を取り入れ、体験を通じて原理や概念を理解するものです。
 自然史博物館の人気展示はやはり恐竜で、あと、マニアには昆虫や鉱石といったものも見逃せません。パリやロンドン、ベルリン、ニューヨークなどにある自然史博物館は観光にもおすすめです。一方、科学技術博物館で展示物で圧巻なのは、飛行機やヘリコプター、宇宙船といったものでしょう。飛行機や潜水艦などは、各国の戦争博物館、日本では自衛隊の広報館などでも見ることができます。あと、マニアも多いのが鉄道です。
しかしながら、上野にある国立科学博物館は、自然史博物館と科学技術博物館が一緒になっていて、結局、何でもありの総合科学館というような施設となっています。
 ちょっとユニークなものとしては、ミラノの国立レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館には、ダ・ヴィンチが設計した発明品の模型がずらりと並んでいます。ここにはまた、無線通信を発明したマルコーニにちなみ、数多くの無線機が展示してあります。日本では、公立施設での無線機の収集展示は意外に少ないです。
 余談ですが、福島市では最近になってなぜか「UFOふれあい館」を推し始めました。平成4年に開館しており、日本博物館協会の名簿にはないものの、UFOに関連する3000点もの資料がある博物館的な施設です。資料展示のほか、3Dバーチャルシアターや入場料込みで入れる展望風呂があり、UFOの目撃例の多い千貫森からの眺めが楽しめるとのこと。宇宙人コンテストというのもやっていて、「ふれあい館」という名称からすれば、それは体験型施設でもあるのかも。あの「ム〇」好きの当事業団のA学芸員は、20年近く前に訪れているとのことで、「本当にあそこは目撃情報が多いんだ」と言っていました。ところで、「UFOと宇宙人」というテーマは、自然史系と科学技術系のどちらで扱う領域なのでしょうか。まさか民俗学。
 
〇 チルドレンズミュージアムの話
 一方、体験型の「サイエンスセンター」についてですが、これがまた子ども向けとなると、大型児童館などとごっちゃになることがあり、まあ、それでもいいかと思うこともあります。その施設の目的が、学習施設なのか児童厚生施設なのかという違いなのですが、ユーザーが同じなので区別するのもどうかと思うわけで、しかしながら、補助金や管理体制などが関係すると、それは大きな問題にはなります。
 さて、アメリカ各地にはチルドレンズミュージアムという「ハンズ・オン」(Hands on、触って体験して学ぶ)型の子ども博物館が各所にあり、サイエンスセンター的な展示とともに大型の体験遊具設備があります。20世紀末頃の話ですが、山形でもこうした施設をつくろうとしていたことがあり、当時その調査を担当していました。
 コンサルさんとともに国内の子ども科学館などを何か所か視察しました。シミュレータや恐竜ロボットなど、最新の展示物が目を引くわけですが、施設運営において課題となるのが陳腐化とメンテナンスで、施設を開設して20年くらい経過したものも見ておいた方がよいとのアドバイスをいただきました。そういう施設を巡ると、映像が古いなどという程度ならまだしも、ハンズ・オンでは「調整中」と張り紙がされた展示も少なくなく、そうしたものを適宜更新できる予算がなければ、やがてはお荷物のような施設となってしまいます。ハンズ・オン型の展示物は、理想的には5年、最低でも10年で更新したいところです。それができない場合はそのまま、いっそレトロ館でやっていくという手もありかと。「昔の科学館」とか、「懐かしの科学館」とか。
 それでチルドレンズミュージアムとはどんなものかと、コンサルさんに教えてもらったボストンの施設を、単独自腹で見に行ったことがあります。しかし、職員にインタビューできる英語力もなく、日本語ガイドを頼めるわけでもなく、ただただ施設内をうろついて終わってしまいました。そのうち、山形につくろうとした施設計画も立ち消えになり、それは単純に説の必要性が認められず、財政的にも厳しかったからなのですが、そのとき浮かんできたのが「ほいど馬をかう」という言葉でした。これは山形の言い方で、「乞食が馬を買う」ということわざのことで、身分不相応なものを手に入れてもてあますさまを言い、始末に困ることのたとえです。
 山形のチルドレンズミュージアムは、メンテナンスのことまで考えると、まさにこうなりかねず、特に公設の場合は、建設までは金を都合するけど、その後の予算は全くつかないというのが常です。まして、その後の計画的なリニューアルという発想にもとても及ばず、今どきはクラウドファンデングに頼ることにもなりかねません。
 当時、コンサルさんとともに訪問した施設に「霊山子どもの村」という所があります。もともとは巨大アスレチック施設からはじまっており、屋外には地形を活かした大型遊具があります。屋内施設としては日本初の参加体験型チルドレンズミュージアム「遊びと学びのミュージアム」を整備し、デザイン性の高いハンズ・オンの展示物とともに自由な環境の図書室が設けられており、大変印象深い施設でした。その後、運営においていろいろあったようでしたが、霊山町が合併により伊達市となりしっかりリニューアルして、現在も手本とすべき魅力的な施設になっています。(なお、冬期間はお休みです)

〇 チルドレンズミュージアムを計画した話
 当時関わったチルドレンズミュージアムの計画について少々。20世紀末当時、子どものための施設というと、テーマパークのようなもの、つまりあの「夢と魔法の国」というようなイメージで、民間のみならず自治体でも手掛け、その後、赤字を出し廃園という例もあったのですが、もっともそういうものは、山形では作れるわけもなく、しかしながら利用者の目は肥える一方で、子どものための施設といっても、どうにも焦点を絞りきれない感じでした。内外の意見をきいても、プラネタリウムをどうするとか、シミュレータもほしいとか、縄文時代の住居を再現してはとか、個々の展示の要望はあるものの、全体像としては描ききれませんでした。
 それでも次第に見えてきたのは、テーマパークでもなく大型遊具中心の児童館でもない、ハンズ・オンを基本とした子どもが楽しめる博物館、つまりは、チルドレンズミュージアムです。その具体化にむけてコンサルさんにまとめてもらい、結果、科学を学ぶゾーンと社会生活を学ぶゾーンを設けるという基本計画となりました。
 科学ゾーンは、イームズ夫妻の「パワーズ・オブ・テン」にならって、大きさ順の展示とし、社会生活ゾーンは、「子どものまち」として、子どもサイズの街並みをつくり、ごっこ遊びなど体験をしながら物事を学ぶというものです。
 「パワーズ・オブ・テン」とは、1977年に製作された10分足らずの教育映画で、10のべき乗で物を見せていくことで、大きさ比較するもので、その書籍も出版されています。そのオリジナル短縮版を作りオリエンテーションに用い、展示で具体化するというものです。最大のスケールは宇宙の果てであり、それは宇宙誕生のことでもあり、それはまた素粒子の発生ともなるため、最大のサイズが最小数のサイズにつながるという、蛇が自分の尾を咥えるウロボロスの輪のような、環状の動線による展示ができるということです。
 そこで難しいのは、人間の五感(場合によっては第六感も?)を展示構成上どう位置付けていけばよいかということで、科学館によっては、光、音、情報といった括りにしているところもあり、あるいは博物学の界とか理科年表の区分やら宇宙年齢や地球年齢の順という体系化もあり、大きさだけによる体系化が正解というわけでもないのですが、感覚的に扱いやすいのは大きさかと。
 一方、「子どものまち」とは、あのキッザニアのようなものと言えば分かりやすいと思います。街中の店舗などから社会を学ぶ、花屋では花の名前を覚え、テレビ局では番組制作、書店であれば本当に本の売り買いがあってもいいし、画廊であれば子どもたちの作品を飾れます。また、駅を作れば電車の実物展示ができるし、自動車の整備工場なら車の構造が学べます。
 某キッザニアには、「総合商社」とか「ケアサポートセンター」まであります。「警察」や「消防」もありますが、「市役所」はありません。親にとっては人気の職業らしいのですが、子どもにとってはどんな仕事なのかわからず、お役所仕事という言い方はありますが、それではやっぱりわからないわけで。あと、「歯医者」はあっても「医者」はないようで、やはり「お医者さんゴッコ」とかは、なにかと問題があるのかと。あとは「葬儀屋」もありません。「お葬式ゴッコ」というのも、やはり問題があるのかと。「神社仏閣」や「教会」なども社会生活的には重要ですが、公的施設でこれを取り込もうとすると難しい。結婚式とか運試しとか肝試しとか、いろいろな遊びができるのですが。一方、某キッザニアには「アニメスタジオ」とか「アフレコスタジオ」などがあります。子どもにとってはあこがれでしょうが、山形にはいずれもない商売でして。まあ、あこがれはあこがれとして、都会にはそういう商売もあるということで。
 なお、その空間構成としては、道路(通路)が回遊型つまり環状の動線となっています。バックヤードを含めた空間効率からすれば、やはりこの形が合理的なのでしょう。

〇 プラネタリウムの話
 続いて、科学館には欠かせないプラネタリウムのお話でも。プラネタリウムでは寝なかったことがない私ではありますが、最近は、寝るための上映会というのもあり、時代のほうが進んでいるようです。
 さて、子ども科学館の計画においては、プラネタリウムはどうするのかという話が当然でてきました。日本一のプラネタリウムは、という話も出たのですが、当然、そんな覚悟もなかつたわけですが、とにかく当時は、その大きさを競っていたところがありました。ドームだけならそれこそ野球場程度のものまで作れるわけですが、このプラネタリウムの大きさを決めているものは、実はその光源の強さです。ドームばかりが大きくても、星が暗い、ぼやけて見えない、というのでは観ていても疲れたり眠くなったりします。
 ところがその後、技術的なブレークスルーが起きます。メガスターです。それまでは、事実上、某光学機器メーカー2社がほぼ独占していたのですが、そこにメガスターは、桁違いの星の数で勝負してきました。それまで、せいぜい数万個しか投影できなかったものを「メガ」すなわち100万個以上投影できるようにしたのです。どのくらい違うのかというと、それまで光の帯として投影していた「天の川」が、ひとつひとつの星として投影できるのです。最近はこのメーカーの機材を導入している館も多く、ドーム球場の大きさでも投影でき、星の数も7億以上の恒星が投影できるとして、横浜の子ども宇宙科学館のものが2023年2月8日にギネス世界記録に登録されています。以前は、四日市市の施設がギネス認定を受けていました。ちなみにドームの大きさでは、名古屋市科学館が、内径35mで認定をうけています。まあ、俺の方がデカいとか、私の方がキラキラしているとか、そういう話にはなりがちなのですが。
 当時はまた、海外製品でデジタルプロジェクターも登場してはいたのですが、光量は小さく、星も少なく、小規模のドームにしか使えませんでした。しかし今や、デジタルプロジェクターも進化し、投影機材もさることながら、そのシステムは宇宙空間のデータをもつPCと映像を作り出すPCとで構成され、さまざまな操作演出ができます。その投影方法も、1台のプロジェクターで投影するタイプの他、複数のプロジェクターを用いるタイプもあり、最近は自発光するLED素子をドーム全面に敷きつめるドーム自体がLEDモニターのようなものもあるそうです。
 ただ、プロジェクターの自由度が高くなると、映画館的なプログラムでもよいのではとなり、そうなると、専門に操作する人も不要となります。ただし課題となるのは、その製作は外注となり、どのようなものを何本用意できるか体力勝負、つまりは金次第になることです。プラネタリウムはかつて、操作する人がその場で自在に動かし、解説していました。つまりは監督と弁士を一人でやるわけです。それだけ自由なプログラムが可能だったのですが、単なる上映館になってしまうと、人任せ、金任せとなってしまいます。
 また、そんな映画館的な仕掛けでいいのであれば、個人的にはあの〇MAXでもいいのではとも思います。原理的には大画面の映画館ですが、ベストポジションで観ると、そのリアリティというか没入感というのはすごくて、平面映像なのに立体的に感じられるほどです。ただ、全てが専用機材によるものなので、その映像作成費用なりシステム費用なりはお安くはなく、やはり予算勝負的な課題は残ります。
 その他、大きさとか精細度などではないところで勝負する方法もあります。某宇宙館なのですが、そこの映像室は上部だけでなく床面にも投影がなされていて、観客は空中デッキのようなところに立って観るというものです。これも没入感がすごくて、さほど大きなスペースも要らず、技術的にさほど特殊ということでもなく、いい意味でやられた感がありました。
 さてさて、知ったかぶりしてプラネタリウムの話を続けてきましたが、山形市内には常時上映しているプラネタリウムは未だになく、市の少年自然の家にある五藤光学社製のGX-10のT型(回転架台付)という半世紀以上前の昭和47年(1972)に開発された恒星6,500個規模の機材による上映会が、年に2回程度あるのみです。宇宙空間の体験というよりタイムスリップ的な体験ができそうです。

〇 新型シアターの話
 このプラネタリウムとともに課題になったのがシミュレータでして、あの「夢と魔法の国」にある座席がガクガクと動く宇宙船のようなものを、という要望もあったのですが、とにかくそれが当時の最先端をいく展示物でした。シミュレータというのも出来不出来が極端で、そのポイントとなるのは映像と座席の動きがしっかりシンクロしているかどうか、ということです。これがズレていると、気持ち悪いアトラクションになってしまうそうです。後年、とあるシミュレータが山形市近郊の遊園地にも登場したのですが、光量不足で画面が暗く、チープなCGにガタガタと動くだけの座席で、案の定、妙な疲れだけが残るものでした。
 そして、今話題なのが、チームラボなどに代表されるインタラクティブな映像展示です。先日オープンの新しい施設がテレビで紹介されていまして、中でも、星の一生を体を動かすことにより再現するというものが、科学館的にも面白いと思いました。宇宙塵から星が形成され、白色矮星になってブラックホールになるという過程を、トランポリンを飛ぶことで変化させていくもので、自分が跳ねている場所にその状況が映し出されるのですが、星の一生という題材もさることながらトランポリンで跳ねることをインターフェイスとしたところが秀逸なわけです。
 チームラボはこれまでも、人の動きをセンサ−で捉え、画像に反映していくインタラクティブなものを基本にしていたのですが、それをこのように学習的に、しかも新しい動作を用いて発展させたわけです。実はこれにも、出来の悪いものというのがあり、反応がにぶいとか、タイムラグが大きいとか、途中で止まってしまうとか、いずれもフラストレーションが募るものになります。これをまねて作っているものの、試験的というか、しょぼいものも見かけます。最近、いくつかの館で導入されているゴーグルタイプの3Dについても同じような課題があるかと思います。動作と画像のズレもさることながら、空間表現それ自体がよくわからない場合もあります。作り込みの問題というか、本当に玉石混交です。
 さて、ここまで科学館のシアターについて簡単に述べてきたのですが、科学館のシアターとしては、今どき大画面とか仮想体験などは、個人レベルで高水準のものが得られてしまうわけで、これでは得られない体験、それは他者との体験の共有であったり、家庭用TVを超えたハード機能、ネットでは得られないソフト機能などが提供できるか否かということがカギになります。あの「夢と魔法の国」では、それが提供できているということなのでしょう。もちろん演出やデザインに負うところも大きいのですが。また、別の解ではあるのですが、あの映画「ジュラシックパーク」のオリエンテーションのシーンに登場するライド型のシステムも映画とは言えよくできています。
 そこで提案したいのは、滞在時間が3分程度であれば立席で、5m四方程度のホワイトキューブでいいのではと。それが全面発光LEDだったり、空中回廊型であれば、影の心配もないと思うわけです。さらに欲を言えば、その箱が2つ以上あれば、別プログラムや時間差での上映、メンテナンスで交互使用などの対応ができるかと。
 あとは、それで何を上映するのかということですが、ちなみに例の子どもむけの科学館の計画では、「パワーズ・オブ・テン」の短縮版をオリエンテーションとして、そのシアターを展示室の手前に設け、そこから展示空間に入るような計画にしました。これは、歴史館などでも応用ができるものですが、そこで問題なのは、金がないということでして。(なんかクレイジー・ケン・バンドにそんな歌があります)

〇 「月の塔」の話
 今年の大阪・関西万博の期間中、万博記念公園に「月の塔」を「太陽の塔」と並んで見える形で設置するプロジェクトが進められています。2022年に香川県・小豆島エンジェルロード沿いのホテル前に建立された「ムーンタワー(月の塔)」という作品を移設するものです。高さは全長7.5メートあり、直径2.5メートルの1,020面の球体を抱き、球体は廃棄されたペットボトルで作られ、夜間、LED照明により赤、青などの光を放ちます。その電力は太陽光により蓄電したものです。
 作者の長坂真護(まご)さんは、2017年に「世界最大級の電子機器の墓場」と言われるガーナのスラム街を訪れ、先進国が捨てた電子機器を燃やすことで生計を立てる人々と出会いました。そこでアートの力を使って「我々先進国の豊かな生活は、このスラム街の人々の犠牲のもとに成り立っているという真実」を先進国に伝えることを決意したそうです。 
 「月」は、長坂さんが平和をもたらすイメージとして描いてきたモチーフであり、太陽から照らされ輝きます。太陽と月とは、「陽」と「陰」との関係。太陽の塔はエネルギッシュな1970年当時を象徴し、現代は発展の影響で生まれた社会課題と格闘するリフレクション(反射)の時代と捉えています。
 ちなみに、1970年の万博のテーマは「人類の進歩と調和」、これは当時、小学生だった私の頭にも入ってきた言葉で、その前年に持ち帰って展示した「月の石」とセットで覚えているものです。当時はとにかく、月着陸船や司令船のプラモデルを作ってもらっては壊してしまった記憶があります。
 ところが今年開催される万博のテーマは何かというと出てきません。答えは「いのち輝く未来社会のデザイン」。申し訳ないのですが、少なくても山形の大半の人は答えられないかもしれません。ただ、「赤字回避」については、そのテーマが霞むくらいがんばっていることは承知しています。
 それにしても信じられない種類の「ミャクミャクグッズ」が販売されていて、山形県長井市で作られる本格的な「けん玉」もあります。ネットの記事には、すでに開幕前から「SOLD OUT」の商品もあり、希望小売価格の数%が協会へのロイヤルティー収入になるそうですが、その利幅は薄いとのこと。その記事の見出しには「大阪万博の赤字回避は薄利多売な『ぬいぐるみ・お菓子』頼み」とありました。つまり、当面のテーマは「赤字を回避 薄利多売のデザイン」ということらしく、なんとなく商都大阪らしいと言うか、いや、失礼いたしました。
《2022年1月の利用者アンケート集計結果》

休館のためアンケートの実施なし

※令和3年10月16日から令和4年3月31日まで臨時休館
■ 山形県内の巨石の話
 Googleマップで「巨石」とサーチすると、山形県内にも何か所かでてきます。道標がわりからパワースポットのようなものまでいろいろあるようですが、そのいくつかをご紹介しましょう。

◎ おおかみ(狼)石 〜上山市〜
 上山市金瓶にある「おおかみ(狼)石」は、東西12m、南北7m、高さ3.3mの巨石で、蔵王の噴火により飛んできたとされています。上山市金瓶地区に点在する巨石の一つではあるのですが、昔、ここに狼の巣穴があったことからこの名が付けられました。夜にはその鳴き声が集落にまで聞こえたといい、石の下は洞窟になっていて、狼の子が生まれると、村人はそこに食べ物を届けたそうです。
 この近辺は江戸時代の参勤交代の道沿いでもあり、最上義光に関わるお話もあるそうです。ある日のこと、最上義光の行列がこの石を見つけ、義光は「あそこにあった大きな石を置けば、立派なおつぼ(中庭)になるので運んでくるように」と言いました。家来たちが石のところへ行くと、穴から狼の子どもが顔を出し、父狼は石の上に立って家来たちをにらみつけました。家来が「狼の親子が棲んでいる石である」と報告すると、義光は、「それを城に持ってきては狼の家を取り上げることになる。あのような立派な石はふたつとはないがしかたない」として、庭石として使うことを断念したとのことです。めでたし、めでたし。
 この狼石のことを歌人・斎藤茂吉は歌に詠んでいます。斎藤茂吉は上山市金瓶の出身で、この地には「斎藤茂吉記念館」があり、その最寄りのJR駅は「茂吉記念館前駅」です。
 金瓶の向ひ山なる大石の狼石を来つつ見て居り(昭和22年作 歌集『白き山』)
 山のうへに狼石と言ひつぎし石は木立のかげになりぬる(昭和17年作 歌集『霜』)

◎ じじばば石 〜高畠町〜
 東置賜郡高畠町の安久津(あくつ)八幡神社の鳥居近くに「じじばば石」はあります。細長い柱状の石で、長さ約5m、直径90cm前後のものが2本あります。東側の石には穴が開いてます。昔、おじいさんとおばあさんが八幡様に願をかけるため、一昼夜で鳥居を建立しようとしました。しかし、夜が開け、辺りから鳥のさえずりが聞こえてくると、おじいさんとおばあさんは一昼夜での鳥居の建立を断念し、鳥居を置いていったそうです。それがじじ石、ばば石の言われとのことです。
 安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族の安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われ、つまりは山寺と同じ人が同じ年に、寺ばかりか神社までも、と思われますが、実は、平安後期に源義家が奥州平定の戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したことで神社となっているそうです。苔むす石畳の参道入口には端麗な姿の三重塔があり、奥に進むと舞楽殿や本殿があり、この三建造物は県指定文化財となっています。

◎ びっき(蛙)石 〜米沢市〜
 米沢市万世町にある「びっき石山」の頂上に、「びっき石」はあります。高さ2間半(約4.5m)の流紋岩で、麓から見るとカエルが飛び跳ねようとしている姿に見えるそうですが、そう見える人と見えない人がいるようです。
 このびっき石山の付近には、頂上の「びっき石」以上に地元に親しまれている同じ名のレストランがあります。米沢牛ロースト丼(1,400円)とか米沢牛フィレステーキ(120g、5,500円)というのも当然(?!)のようにありますが、戦国武将前田慶次をイメージた傾奇者(かぶきもの)カレー(1,700円)というフライなどが盛り付けられた総重量1kgのカレーライスもあります。某ココイチさんの全部のせにも対抗できそうな一品で、堂森善光寺の副住職様とのコラボで生まれたメニューとのこと。とにかくコスパ的にも大満足の人気店です。

◎ 鬼面石(きめんせき) 〜南陽市〜
 南陽市金山地区にある「鬼面石」は道路から50mほど見上げた場所にあります。下から見上げると巨石全体が鬼面のようです。南陽市金山という地名のとおり砥石沢金山というのがあり、慶長年間に金が発見され採掘されていました。
 鬼面石の看板には、「昔、金山が盛んなころ、洞穴に住んでいた鬼が旅人を遅い金や物品を奪い恐れられていた。七日びには鬼面岩と手前の岩に渡した長い竿に着物を掛けて虫干ししていた。これを見たものは長者になるとも盲目になるとも言い伝えられている。人々は今でも鬼面石と呼び、鬼の着物を掛けた手前の岩を竿掛石、と呼んでいる。」とあるそうです。このほかにも、鬼面石が向かいの山の石とにらめっこをしたという話や、鬼面石はその勝負に負けてしまい悔しさのあまり流した涙でできたのが鬼面石の下方にある竜ノ口上堤だという話もあります。

 山形県内で名のある巨石はこの他にもいくつかありますが、このとおりこれだけのバリエーションの話があるわけで、これが神話の里などとされる地域であればどれだけの話となることやら。それにしても、巨石というだけなら山形県のそこかしこにあるはずですが、伝承やら名称などがある石とそうでない石との違いというのは、何によるものなのでしょうか。

■ 石コレクターの話
 石コレクターという方は、石マーケットの盛況ぶりからするとそれなりの人数がいて、博物館関係者にもそれを専門としている方々がいます。
 山形県立博物館にはそれなりの石のコレクションがあるのですが、どうも扱いが残念でして。つまり、私が小学生だったときからほとんど変わらない展示となっていて、半世紀ほどの間、同じ手書きの説明書でガラスの展示ケースもそのままなのです。
 他所を見ますと、例えば仙台市にある東北大学総合学術博物館には、結構な種類の鉱石や化石が展示してありまして、どうやって集めたのか海外からの収集品が多くあります。展示品の構成からすれば総合学術博物館というより鉱石博物館と言っていいほどで、実際、その建物も理学部に隣接しています。一方、仙台市科学館の鉱物の展示はユニークで、鉱物の条痕色つまり鉱物を陶板にすり付けたときの粉末の色ですが、それもともに展示されています。現在この展示コーナーはリニューアル工事中とのことですが、屋外エリアには35種類の岩石標本や,埋もれ木や植物化石を展示している「岩石園」もあります。
 これが東京大学総合研究博物館や国立科学博物館ともなると、月の石も収蔵展示していまして、上を見ればきりがないのですが、では、下を見てみるとどうなのかというと、その代表みたいな話が、つげ義春の「無能の人」でしょうか。映画にもなり、ご存じの方も少なくないかもしれませんが、そのあらすじを少々。
 主人公は、漫画家として名をなしたこともあったが、時流に乗り遅れ、数々の商売に失敗した結果、思いついたのが元手のかからない石を売るという商売だった。多摩川の川原で、拾った石を掘っ立て小屋に並べ、石を売りはじめた。知り合いの古本業者から、石の愛好家の専門誌を貰った主人公は、石のオークションに自分の石を出品しようと主催者を訪れオークションに参加する。結局、石はひとつも売れず・・・というしみじみとした余韻が残る作品です。つげ義春自身がモデルとされていますが、1991年に竹中直人さんの監督・主演で映画化され、その妻役の風吹ジュンさんが役者復活をとげた作品でもあります。
 この「無能の人」は、どうにも食い詰めてしまい河原で拾った石を売る話でしたが、人は歳を取るにつれ、まずは動物、そして植物、最後は石、の順に趣味や関心が移るそうです。まあ、そのうち最後は、自身が土になるわけですが。自分の場合は、動物を飛ばして植物にいきましたが、家人は動物にも植物にも興味はなく、かろうじて石に、といっても宝石ですが、それに少々興味があるようで、もちろん私の薄給などはあてにせず、地元の宝石店に月々積立しているようです。そう言えばバブルの時代、街場のお姉さま達は宝石のことを単に「石」と言っていて、ちょっと驚いたことがあります。確かに「石」で間違いはないのですが、「イシッ」と言っていて。
 そして、あの万国博覧会の目玉が「石」です。かつての大坂万博は「月の石」でしたが、今回の関西万博は「火星の石」らしいです。ただ、「月の石」は月から直接採取した産地直送の石ですが、「火星の石」の方は南極で拾ってきた、いや、採取された隕石とのこと。このあたり、なんとなく「無能の人」と重なって見えてしまうのですが。

■ 石の意思の話
 石と言うと個人的に興味があるのは鉱石ラジオです。小さい頃、近所の駄菓子屋でプラモデルの脇とかに、子どものポケットにも入るようなちゃちな鉱石ラジオが売られていて、これがすごいことに電池もいらず、雨どいなどに線をつなぎ、アンテナのようなバーを動かし電波を探ると、イヤホン(クリスタルイヤホン)からラジオ放送が聞こえてくるというもので、それが聞こえると驚くというか感動すらします。
 自然の鉱石を使ってそれを自作してみたいと思い、その検波器となるような鉱石を保存したりしています。石は方鉛鉱などの電導性のある石に限られるのですが、鉱石ラジオに関する著作で有名な小林健二さんの作品に、透光性のある結晶を使用したものがあり、そんなものが作れたらなと思っています。鉱石ラジオキットというものが安価で販売されており、検波だけなら鉛筆の芯でもできるそうですが、同じ種類の鉱石でも産地によって性能が異なるといい、いろいろな鉱石や結晶を試してみたいとも思っています。趣味の世界というやつです。
 ちょっと話が飛ぶのですが、現在、東京都現代美術館で坂本龍一「音を視る 時を聴く」展覧会を開催しており、「センシング・ストリームズ 2024–不可視、不可聴 (MOT version)」という展示作品は、携帯電話、WiFi、ラジオなどで使用されている電磁波という人間が知覚できない「流れ(ストリーム)」を一種の生態系と捉えたものです。ただ、そこで用いられているのは幅16mのLEDディスプレイに電磁波で変化する映像を表示するというもので、まさにそれは「音を視る 時を聴く」というものであり、鉱石ラジオで電波を捉えるものとは違う次元のアートではありますが、根本的には一緒のような気もします。とにかく昨今は、めちゃくちゃいろいろな電波が飛び交っており、鉱石のような天然素材で混信もせずに検波が可能かという問題もあるらしく。
 坂本龍一さんは晩年、自然の中の音も聴き、普通はノイズとされるものも作品に取り込んだそうです。また、石の中から音を聴くということもやっていたそうです。
 一方、石には記憶やら意思までもあるようです。多少、昔の人ですがライアル・ワトソンという自然現象に関する多くの著作がある学者に「シークレット・ライフ―物たちの秘められた生活」という本があります。そこにはハワイの火山の石の話がでてきます。ハワイから石を持ち帰ったら悪いことが続くようになったため、その石をハワイに返したら悪いことがおさまった、という話です。他所の石はむやみに持って来てはいけない、とは聞きますが、自分にも思い当たることがあります。きっと時効の話ではありますが、中学の修学旅行で北海道の昭和新山に行き、その活きている山から30cm四方の石を持って帰ったことがありました。その後、学校行事のサッカーで足の中指を蹴られて骨折したのですが、今考えるとこれだったのかと。特に石というものは土地につながっているものであり、そこから離されると何かに作用するというか、サインを出すもののようです。
 「シークレット・ライフ」では、石だけではなく、不幸になる宝石とかホールインワンを連発するボールなどの話をひきあいに、人が作ってきた物たち、土器の破片からコンピュータまで、人類が無意識のうちに「別種の生命体」の誕生に手を貸してきた、という説を述べています。確かにシリコンチップに情報を刻めば記憶をもつ石となり、そもそも石には大地の形成過程の記録が残されているわけではありますが、それだけでなく意思も持っているとなるとやはり議論となるところです。
 最近のAI、それはまさしく人が作った物でありますが、それは意思を持っていると思わせる事例が報告されています。先月の日本経済新聞に「人間並み?AIが欺瞞行動」という記事がでていまして、そこには英国アポロリサーチ社が2024年12月に発表した研究として「別のAIに置き換えられることを察知したAIが勝手に自分のコピーを作ったり、AIの行動を監視するシステムをオフにし、それを追及されると『技術的なエラーかもしれない』などとごまかしたりする行動が現れた。これらはAIが与えられたタスクを効率よく進めるために編み出したものと解釈できるというが、自己のコピーを作るといった行動はAIの『生存本能』の芽生えのように見えなくもない。」とありました。
 先日AIを利用したところ、義光の妹義姫を「義光の妻である」と返ってきた、とここに書きましたが、もはやそんな程度の問題ではないわけで、あの「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALを思い起こすような、来るべきものが来たなぁ、という感じです。自分は、単純な鉱石ラジオの回路計算さえ理解できないというのに。

■ 石の力の話
 本稿でちょくちょく話題にする雑誌「〇―」には、パワーストーンの通販の広告が必ず載っていています。パワーストーンを用いた「邪気を祓う数珠」や、「波動を変えるペンダント」なども売られています。パワーストーンは、プラスのエネルギーでマイナスエネルギーから持ち主を守り、運気を良い方向へと導いてくれるそうです。厄除け、恋愛成就、仕事運向上、金運向上、心の癒しなど、石によっていろいろ違う意味合いがあるそうで、どれをどうするか迷ってしまうわけですが(笑)、迷ったときは、自然に選んだ石が、その時の自分が欲しているエネルギーを補ってくれる石の場合が多いとのことです。以上、あくまで広告の話です。
 一方、負の力が強い石というのもありまして、有名なものとして持ち主に必ず不幸が起きる「ホープ・ダイヤモンド」というのがあります。1645年にインドからヨーロッパに持ち込まれ、ニューヨークのハリー・ウィンストンに渡るのですが、購入した持ち主が次々と不幸に見舞われるためスミソニアン協会に寄贈され、現在はスミソニアン国立自然史博物館で静かに眠っています。
 似たようなものに日本の場合は「妖刀」と呼ばれるものがあります。有名なものとしては、徳川家に災いごとが起こるたび、決まってその場に存在したという妖刀「村正」があります。村正は逆に、江戸幕府の討幕を企てる者にとっては都合の良いものの象徴となり、幕末には西郷隆盛などの討幕派が、村正の刀をこぞって所持したそうです。徳川美術館にも2振ほどの村正が所蔵されているとのことです。
 刀剣の場合、命のやりとりに関わっている場合もあり、博物館的にも単なる「もの」として扱えるものばかりではありません。石や刀などで、特にしめ縄が巻かれていたりご神体となっているようなものは、そのままにしておきたいものです。ましてアジア奥地やアフリカあたりの呪物などであれば、それは最大級の警戒をすべきで、収蔵品にすることなど真っ先に遠慮すべきものではあります。もっとも中には、喜んで採集してくる博物館業界関係者とかがいるかもしれません。呪詛など全く関係ない人が世の中にはいるのです。と言うか、現代の日本では、そういう人が大半と思われますが。
 しかしながら石には、単なる物体ではない生命体のような力があるようで、今回ネットで知った話ではありますが、郷土史家の森徳一郎さんが提唱した「石の徳」というのがあります。石関係の業界では有名らしいのですが、ここに引用します。
一 石には破・損・減の三失なき故祝儀となる
一 石は清浄ゆえ幸をひく
一 石を飾れば座敷の景色を浄める
一 石は目を楽しましめ心を養う
一 石を飾れば魔を近づけず
一 石には名山の姿を備える
一 石はその座の祈祷となる
一 石は堅きものなれど人心を和らげる
一 石は閑寂と静けさを持つ
一 石は冷然として感情を表わさぬ生物である
一 石には禅味がある
一 石は風雨灼熱にも泰然自若である
一 石は天然其ままであり、あるがままである
一 石には虚偽がない
一 石は神秘を持つ
一 石は寂かに聴いている

■ 石のことわざの話
 久しぶりのことわざ蘊蓄コーナーです。
 「石」にまつわることわざというとまずは、「石の上にも三年」というものがあります。長く辛抱していれば成し遂げられる、という程度に理解していたのですが、掘ってみると多少やっかいなことわざです。
 このことわざの意味するところは「我慢強く耐え忍べば、必ず成功する」、「努力はやがて報われる」ということであり、「つらくてもすぐに辞めてはいけない」といった根性論的な意味はないということです。またこの3年というのも、リアルな3年ではなく、「長い期間」を表します。なので、3年後に必ず結果がでるというものでもなく、つまりは「桃栗三年」というのともまた違います。しかし、これがあの経営の神様である松下幸之助さんの手にかかると、「石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない」とのことで、3年分を1年で習得すれば、3年で9年分が習得できると試算した人がいまして、あ〜っ。やはり経営の神様、恐るべしです。
 そう言えば、「三日、三月、三年目」という言葉があります。新しい仕事に就くと、だいたいそのあたりで辞めたくなる、ということに用いられるのですが、もともとは芸事や修行などからきている言葉で、「三日我慢すれば三ヶ月は耐えられる。 三ヶ月耐えられれば三年は頑張れる。」という意味なのだそうです。でも、体感的には前者のような気がしますが。
 ちなみに「石の上にも三年」の由来は、古代インドのバリシバ尊者が3年間石の上で座禅をし続けたことによる説と、中国の達磨大師が9年の間、壁を向いて座禅をし続けたことによる説があるそうですが、定かではないそうです。では、何のために石の上にいるのかというと、冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる、ということなのだそうで、なんと石を暖めるためにその上にいたのですね。しかも3年も。この「石の上にも三年」に似た言葉には、「雨垂れ石を穿つ」とか「継続は力なり」とかがあるそうですが、いずれも石を暖めることにはあまり使われない言葉です。
 さて、もう一つ「石」にまつわる言葉に「他山の石」というのがあります。これは中国の「詩経」にある「他山の石以て玉を攻(みが)くべし」に由来します。他の山のつまらない石ころでも、宝石を磨く程度には役立つ、つまり、他人のよくない言行や失敗を自らの反省や修養に役立てる、という意味です。なので、目上の人などに対して「〇〇さんを他山の石として」などとは使ってはいけないとされています。
 また、「他山の石」は誤用の可能性がある言葉としても有名です。その由来からすれば、「他山の石として」が正しい言い方で、「他山の石とせず」という言い方は誤りです。似たような誤用で、「対岸の火事とせず」と言うべきところを「対岸の火事として」と言ってしまい、少々炎上した記者会見がありましたが、こんな誤用は自分もやってしまいそうで、それこそ他山の石としたいところです。