最上義光歴史館 - 山形県山形市
最上義光歴史館/見どころ
みどころ!! ランキング
最上義光歴史館では平成17年12月現在で、244件399点の資料を収蔵管理しています。
それらのなかから、ご来館された際に是非ご覧いただきたい資料を紹介します。
みどころ
!!
ランキング
第1位
三十八間金覆輪筋兜
(さんじゅうはちけんきんぷくりんすじかぶと)
これは最上義光が愛用した兜です。代々最上家に家宝として伝わりました。織田信長から拝領したと伝えられます。兜の鉢は室町時代の上級武将が好んで用いた筋兜です。慶長5年(1600)の慶長出羽合戦(関ヶ原合戦の地方戦)で義光はこの兜をかぶって出陣します。このとき義光は敵(上杉軍)の狙撃を受けますが、危機一髪この兜のおかげで命が助かります。兜は篠垂(しのだれ)一条が失われ、激戦を語る弾痕が生々しく残りました。現在、両脇の鍬形(くわがた)と中央の利剣(りけん)が失われています。
第2位
鉄製指揮棒
(てつせいしきぼう)
これは最上義光が愛用した鉄の指揮棒(写真右は鉄扇)です。代々最上家に家宝として伝わりました。長さが86.5センチ、重さは1750グラムあります。普通の刀の倍の重さです。義光がこれを実戦で用いていたとすれば、かなりの腕力の持ち主であったことがうかがわれます。表面には「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光(せいわてんのうまつようやまがたでわのかみうはつのそうよしあき)」と刻まれています。自分は清和天皇の子孫(清和源氏)であり、山形出羽守であり、髪は剃っていないが仏に仕える者であるということを示しています。
第3位
雁金の軍旗
(かりがねのぐんき)
この旗は慶長5年(1600)の慶長出羽合戦で最上軍と対戦した上杉景勝の重臣直江兼続直属の部隊の旗といわれているものです。縦222センチ、横156センチの大変大きな旗で、白い絹地に墨で飛翔する一羽の雁を描いています。慶長出羽合戦の上山中山口の戦いで最上軍が勝利したときに、戦利品として持ち帰り代々最上家の家宝として伝わりました。とても斬新でモダンなデザインです。
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(C) Mogami Yoshiaki Historical Museum
それらのなかから、ご来館された際に是非ご覧いただきたい資料を紹介します。
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第1位
三十八間金覆輪筋兜(さんじゅうはちけんきんぷくりんすじかぶと)
これは最上義光が愛用した兜です。代々最上家に家宝として伝わりました。織田信長から拝領したと伝えられます。兜の鉢は室町時代の上級武将が好んで用いた筋兜です。慶長5年(1600)の慶長出羽合戦(関ヶ原合戦の地方戦)で義光はこの兜をかぶって出陣します。このとき義光は敵(上杉軍)の狙撃を受けますが、危機一髪この兜のおかげで命が助かります。兜は篠垂(しのだれ)一条が失われ、激戦を語る弾痕が生々しく残りました。現在、両脇の鍬形(くわがた)と中央の利剣(りけん)が失われています。
第2位
鉄製指揮棒(てつせいしきぼう)
これは最上義光が愛用した鉄の指揮棒(写真右は鉄扇)です。代々最上家に家宝として伝わりました。長さが86.5センチ、重さは1750グラムあります。普通の刀の倍の重さです。義光がこれを実戦で用いていたとすれば、かなりの腕力の持ち主であったことがうかがわれます。表面には「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光(せいわてんのうまつようやまがたでわのかみうはつのそうよしあき)」と刻まれています。自分は清和天皇の子孫(清和源氏)であり、山形出羽守であり、髪は剃っていないが仏に仕える者であるということを示しています。
第3位
雁金の軍旗(かりがねのぐんき)
この旗は慶長5年(1600)の慶長出羽合戦で最上軍と対戦した上杉景勝の重臣直江兼続直属の部隊の旗といわれているものです。縦222センチ、横156センチの大変大きな旗で、白い絹地に墨で飛翔する一羽の雁を描いています。慶長出羽合戦の上山中山口の戦いで最上軍が勝利したときに、戦利品として持ち帰り代々最上家の家宝として伝わりました。とても斬新でモダンなデザインです。