最上義光歴史館

最上義光歴史館
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市民の皆様に出品いただいた「宝モノの馬」

 1月15日から開催中の「シン・市民の宝モノ2026」には、幅広く様々な出品をいただいております。鋳物や木工細工、切手やジャンパー、馬券まで、ひとひねりを加えていただいた展示品も数多くあります。
 さて、前回の館長日誌は、最上義光とは関係のない話題がほとんどでしたので(これは前回ばかりではありませんが)、今回は直接関係する話を中心に。まずは、義光という名前への返礼品が馬という話でも。
 最上義光は丙午の年1546年(天文15年)正月生まれで、幼名は白寿丸と言い、1558年(永禄元年)に13歳にて元服。将軍足利義輝から「義」の字をもらい義光としました。その御礼として翌年、父の義守は将軍に馬を献上しました。将軍義輝は「出羽国最上山形孫三郎」が献上した馬が無事に通過するように、越後の長尾景虎へ往来の便を図るよう命じています。(六月二十六日、足利義輝御内書、上杉家文書)。
 「偏諱(へんき)」、つまり目上の人の名前の一文字をもらい受けることですが、その御礼となると馬とかになるということで、しかも、その送達には、関係者への協力要請もなされるという、結構、大掛かりなことではあります。
 さらに馬にかかわる話としては、「最上記」に「於天堂原馬揃之事」というのがあります。「最上記」は、1634年(寛永11年)に成立した最上義光公のいわゆる軍記物であり、それはまた「義光の伝説化の原点」となるものです。以下、その要約です。
 1602年(慶長7年)1月15日に義光公は「来る四月、天童原に於いて馬揃えを催す。」として、「直参の家臣は申すまでもなく、家中の者までも日頃馬を嗜んでいる者は、残らず参加すべし。ただし、本荘豊前守をはじめ在番衆280騎は参加の必要はない。そのほか参加する者どもは前以て山形へ来て名簿に記帳のこと」とのお触れがだされた。御旗本はいうまでもなく家中の者までも馬を嗜んでいる者は、ここを晴れの場と用意し、当日は天童原へ虎の刻(午前4時頃)より参集した。この度、名簿に記帳した馬揃えの参加騎馬数は合計3,727騎であった。
 催しには近国から来て集まった見物人が幾千人。義光公も卯の上刻(午前6時頃)に城を出発、御供としては近習衆や小姓並びに器量のよい若者30騎を選り抜き、みな同じ袖なし羽織を着せて召し連れた。
 予定どおり城持の重臣たちから乗り始めようとしたところで、義光公が「今日は延引いたそう」と仰せられ、にわかに帰城してしまった。集まっていた者皆が不審に思い、「そもそもこの馬揃えは、数ケ月以前よりの御催しであるのに、にわかに御帰城なさるとは、なにか御気分でも悪いのでは」と心もとなく思い、我も我もと山形へ駆け付けた。
 そこへ「今日の馬揃えが延期となったのは、みなの者が心配するような事情ではない。急いで帰られよ」と、家臣を通して仰せられたのでその言葉に従い私宅へ帰った。
 後に若侍衆が大勢寄り集まったとき、「今度の馬揃えは、かねての日よりのお触れであるから、しっかり御目に入れようと思って、我こそはと準備いたしたのに、延期となったのは本意ないことよな」と、つぶやいた者があった。これに対して、ある者が申した。「つらつら義光公の御心底を想像してみるに、御遊覧のため馬揃えを命じられたのではあるまい。近年は天下が穏やかで、狂言綺語の戯ればかりが盛んであるから、自然、武具馬具の嗜みもおろそかになってはいまいかと思し召し、馬揃えにことよせて、武具馬具の古くなったのを改め申すようにとのお考えなのだろう。この企画はかねてからの催しであるから、近国の諸大将は、最上の騎馬数を知ろうとし目付け役を寄越したのは確かなこと。だからといって見物を禁止とするのも度量の狭い感じで、そんなことからにわかに帰城なさったのではないか。そのゆえに上下が混乱し、われ先にと山形へ馳せ着いたために、見物人も騒ぎ立てて収拾つかぬ状態だった。それがために他国から来た目付け役の方々も何も見所なく、空しく帰ったということだ。それなのに、大将の深い考えも知らず、口に任せて左様なことを語り給うな」と注意したので、聞く人は、なるほどもっともなことだ、と申したのであった。
 この話は昨今にも通じる含蓄に富んだ話です。中国故事のような格言になってもよいくらいかと思うわけで。「天童原の馬揃え」ということで。これは、大規模なイベントを理由に、建物や物品をリニューアルする、という意味になろうかと、あるいは、本当の目的は別にある、という意味にも。使い方としては、「今度、本部からエライさんがくるけど、昼食はどうしようかね。」、「山形牛の焼肉弁当とかどうでしょう。せっかくなので皆の分も。」、「なんか天童原の馬揃えだなぁ。」という感じでしょうか。いや、ちょっと違うぞ。それは単なる便乗では。


(館長裏日誌へ続く →)
最上義光命日
最上義光は慶長十九年(1614)正月十八日未刻(現行暦二月二十六日午後二時ごろ)山形城にて没する。六十九歳。
「企画展「シン・市民の宝モノ2026」」の画像
「シン・市民の宝モノ2026」

今年の干支は丙午(ひのえうま)です。最上義光は天文十五年(1546)丙午の年の正月に生まれました。今年は生誕から480年、8回目の丙午です。
このたびは60年に1回の丙午の年を記念して、「本命、対抗、大穴も…」と謳って募集テーマを「馬」にし、山形市民から馬に関係する宝モノをご出品いただきました。物の良し悪しではなく「宝モノ」の背景にある物語を楽しんでください!!

展覧会の趣旨
この展覧会は、山形市民を対象に、所蔵する「宝モノ」を募集して、最上義光歴史館の展示室に展示し、広く一般に公開する市民参加型の展覧会です。出品に関しては自薦他薦を問わず、また、洋の東西・時代・評価額・文化財としての価値なども一切問いません。自慢の「宝モノ」を出品し、その物語を紹介するものです。


1 主  催  
公益財団法人山形市文化振興事業団

2 共  催
山形市

3 会  期
令和8年1月15日(木)〜 3月29日(日)

4 会  場
最上義光歴史館 (山形市大手町1-53) 第一展示室北側展示ケース

5 開館時間
午前9時から午後4時30分まで 

6 入 館 料
無 料

7 出品中の「宝モノ」の応募規定
(1)応募資格 
山形市在住の方
(2)募集する「宝モノ」の条件 
・募集する品 「馬」に関係する宝モノ
・「宝モノ」として誇れるもの(自薦他薦は問いません)
・出品者の所有であるもの
・原則として出品者本人が製作した作品でないもの
・展示期間中に変質しないもの(生物や食物などは不可)
・展示中破損の恐れがないもの
・最上義光歴史館に展示可能な大きさのもの

8 現在出品中の「宝モノ」たち
出品者 22名 件数 41件 点数 73点

馬像1
馬像2
左馬 飾り駒
かみのやま競馬のおてふきとスナップ写真
個人提供/かみのやまニュートラック所蔵
馬の折り紙、スナップ写真、ロビーカード
蝋型(馬)と魚のデザイン銅製花瓶
打毬
新海竹太郎作 いななく馬、馬
北支那所見
軍人馬乗り、馬乗り
南部絵馬師 鐙庵つと無 絵馬
雲海筆 源義家
馬の刀装具(鐔、小柄、縁)
跳ね馬のジャンバー
イタリアの馬車
青い馬
ナポレオンと愛馬
馬の色紙絵
馬と人物の置物
トルコ、トロイの木馬民芸品
岩手県のチャグチャグ馬っこ
馬の置物
『武勇魁図会』天保9年(1838)
馬のおもちゃ
酒田凧(騎馬武者絵)
十二支揃「左馬」
掛け軸
交通安全「当たらないお守り」
馬の一木造り
兵馬俑 置物 兵4馬1
灰陶加彩人馬俑
干支のボトル
figuma馬フィギュア(茶・白)
馬が描かれた記念切手
飛翔駒
将軍の白銀駿馬像
馬二匹 (色紙)王一夫筆
馬九匹 (はがき)王一夫筆
荒馬を乗りこなす人  フレデリック・レミントン
馬と文化シリーズ郵便切手
20年前の相馬野馬追ポスター

※宝モノの名称は出品者によります。

雪の帽子と襟巻をした最上義光像


寒中の最上義光騎馬像 (いずれも撮影1/6)

 新年あけましておめでとうございます。当館では1月15日から企画展「シン・市民の宝モノ2026」として、「馬」をテーマに開催します。今回のテーマを馬としたのは、今年の干支が午であることはもちろん、最上義光が丙午生まれであることによるものです。市民の皆様から、ブロンズ像や武者絵、絵馬やハズレ馬券まで、馬にまつわる様々な出品をいただきました。是非ご覧いただければと思います。
 さて、ここで馬に関する山形ローカル話でも少々。
 当館のすぐ近くに初詣などでも賑わう豊烈神社というのがあり、幕末の山形藩主の水野家が祀られています。水野家祖先の忠元公の命日である10月6日には、神事として「打毬」が行われます。6騎の騎馬が紅白に分かれ、紅組は赤い毬を、白組は白い毬を馬上から網の付いた杖ですくい上げ、毬門の的穴に投げ入れます。ペルシャ発祥で平安時代に日本にも伝えられた競技で、英国の「ポロ」も起源は同じです。山形県指定無形民俗文化財で、他に宮内庁と八戸市の長者山新羅神社との3カ所だけに残っているものです。豊烈神社の打毬会場は狭い敷地ゆえ、馬を駆るにはなかなか大変なのですが、間近で観ることができ、親しみやすい実況中継もあります。
 また、山形県最上地方には「ムカサリ絵馬」というものがあります。絵馬は、神様への感謝や祈願として生きた馬(神馬)を奉納していたものが、土馬、木馬、そして木の板に馬の絵を描いたもの(絵馬)へと簡略化されたものです。「ムカサリ絵馬」は、結婚せずに亡くなった子供のために、親などが子供の結婚式を絵馬にして奉納するもので、江戸時代から続くものです。古い絵馬には当人だけではなく媒酌人などの立会人も描かれていましたが、近年のものはツーショットが主流とのことです。ただし、生きている人を描いたり名前を書いたりすると、その人もあの世に連れていかれてしまうとのことで、これはタブーとなっています。
 さらにローカルネタを続けますと、山形市の北方に隣接する天童市は、将棋駒の生産量日本一ですが、ここが発祥で「左馬(ひだりうま)」という縁起物があります。大きな駒に「馬」の字を左右反転して書いている縁起物で、「うま」を逆に読むと「まう(舞う)」ということで、めでたい、馬が人を引き寄せる(商売繁盛)、馬は左から乗ると倒れない(人生でつまづかない)などの意味があるそうです。新築祝いや開店祝いに贈られたりしているもので、大小さまざまですが、天童市内のラーメン屋、蕎麦屋などの飲食店には必ずと言っていいほど置いてあります。この「うま」を「まう」というのは、「ウゴウゴルーガ」と同じ言い回しといいますか、これは「ゴーゴーガール」のことですが、「おきらくごくらく」という意味があるとかないとか。
 一方、山形市の南方に隣接する上山市にはかつて、上山競馬場という地方競馬場がありました。1935年から競馬が開催され、1958年に上山市が運営するようになりました。高度成長期は地元温泉とともに活況を呈し、バブル景気の1980年代最盛期を迎えました。上山市の財政はこれで、県内一といっていいほどに潤い、実際、市立小・中学校の校舎や設備などは、山形市などとは比較にならない立派なものでした。しかしバブル崩壊後、地元温泉などの観光不振による歳入減で財政的な危機に陥り、競馬場自体も存続困難となり2003年11月に終了しました。
 上山城郷土資料館では1月12日(月・祝)まで「かみのやま競馬関係資料展」が開催されています。上山競馬の初開催から90周年を記念した企画展で、上山競馬場の往時の写真や騎手のウェア、思い出の品々など約100点が展示されています。好評につき会期が当初予定より1か月以上延長されました。
 上山競馬場をロケ地にした映画・TVなどポスター類も展示してあり、そこに「喜劇競馬必勝法」という映画のポスターがあります。1967年に東映が送り出た作品で、ちょうど60年程前、世の中はギャンブルブームだったそうで、それに乗じてシリーズものとして企画されたそうです。主役は谷啓と伴淳三郎、その他もオールスターばかりで当然のようにヒット。その後のシリーズ作品では、谷啓と伴淳三郎は役柄を変えながら出演しました。そしてシリーズ三作目となるのが上山競馬場を舞台に製作された「喜劇競馬必勝法一発勝負」(1968年)です。谷啓が競馬場所長、伴淳三郎が嘱託獣医、大橋巨泉がペテン師を演じ、つまりは「ガチョーン」と「アジャパー」と「ウッシッシ」が上山競馬場で一堂に会する作品というわけです。出演する女性俳優も、橘ますみや杉本エマという知る人ぞ知る魅惑的なキャスティングであります。
 上山競馬場で個人的に思い出すのは、私の祖父が亡くなったとき、束になった大量のハズレ馬券が茶箪笥の引出し一杯に見つかりました。遺産らしきものがなかったのはこれかと。見事な終活とも言えるのかもしれませんが。それにしても普通、ハズレ馬券というのはとっておくものなのでしょうか。


(→館長裏日誌へ続く)
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