高畠町観光協会

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 平成5年4月、山形県にとって歴史上重要な埋蔵文化財及び、考古資料の展示を行うとともに、それらの収集・保管を目的として開館。
 周辺一帯は縄文時代から古墳時代にかけての歴史公園として整備され、国指定史跡の日向・大立・火箱岩・一の沢など洞窟遺跡を巡る起点として、また風土記の丘の中心施設としての役割をもっている「うきたむ」は、日本書記に表れる置賜の古地名である。

常設展示は、

* 置賜の遺跡
* 大谷地を囲む遺跡
* 縄文時代のタイムカプセル
* 古墳を造る人々

などのコーナーに分かれている。
 たて穴式住居に住む縄文人親子の生活がジオラマによって再現され、特に5000年前の押出遺跡出土の「彩文土器」が圧巻である。また、随時企画展、特別展、そのほか、研究会、土器造りなどが開催される。

開館時間 午前9時30分〜午後4時30分
入館料 大人 個人 200円 団体 150円
      小人 個人 100円 団体 70円
休館日 毎週月曜日・祝日(5/5、11/3を除く)・年末年始(12/28〜1/4)
 昭和縁結び通りのなかごろに、辺りを圧するような雄大な大日如来石仏がある。材質は凝灰岩で、高さ5.4m、端正な顔立ちの堂々とした座像である。
 旧二井宿街道に面した鞘堂には、古下駄・ぞうり・わらじがたくさん奉納され、特に4mあまりもある大わらじが目をひく。
 昔、旅の安全と、仏の慈悲願い奉納されたものでないかと思われる。また、1月中旬には、裸の若連が雪の中、大わらじを担ぎ町内をねりあるく、「大日如来わらじみこし祭」が行なわれる。夜には、「大さいと焼」が屋代川河畔に繰り広げられ五穀豊穣、家内安全を祈りながら燃え上が炎は盛大で高畠の冬の風物詩となっている。
 山形が生んだ歌人、結城哀草果が「置賜は国のまほろば菜種咲き 若葉茂りて雪山も見ゆ」と詠んだ高畠の歴史は、一万年前の日向洞窟や大立洞窟など東北地方最古の縄文草創期の土器発掘にその端を発する。
 幕府直轄領地(1600年代)の歴史でも明らかなように、住みよい地味豊かな当町は、稲作のほか果物も多く、さくらんぼ、ぶどう、りんご、ラ・フランス等ほとんどの果物が生産される。

※「まほろば」とは、「周囲が山々に囲まれた平地で、住みよい美しい所」の意でもあるように、高畠は、そのまほろばの里の名にふさわしいところといえるでしょう。
高畠町は、山形県の南側の市町で構成される「置賜地方」の1つで、
宮城県との県境に位置します。


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高畠町太陽館
 全国でも珍しい駅舎機能を備えた温泉付の総合コミュニティー施設。緑のとんがり屋根が特徴で、童話作家「浜田広介」の童話をイメージして設計されている。
 改札を抜ければ10歩でそこはあったか温泉!アルカリ性単純温泉は、つるっとなめらかな肌ざわりで、神経痛、筋肉痛によく効き、旅の疲労回復にも効果的面。
32畳の大広間もあり、一日中ゆったりとくつろぐこともできる。
 館内には、温泉施設の他、お土産処や食事処がある。また、総合観光案内所もあるので、高畠の観光情報は、こちらでチェック!レンタサイクルの貸し出しも行なっていているので、まほろばの里たかはたをのんびり散策できる。
○入浴時間 午前7時〜午後10時 受付終了21:30

○利用料金
 入浴   大人(高校生以上)300円  子供(3才以上)100円
 大広間休憩   大人(高校生以上)200円  子供(3才以上)100円
 個室休憩室   1時間500円
 ※休憩室は夜8時までとなります



 
○レンタサイクル 3時間500円 延長料金300円
 ※午前9時より午後9時まで

 テニスコート  1時間500円 夜間照明1時間400円
 ※午前7時より午後5時まで

○温泉休館日 毎月第2月曜日(祝日の場合はその翌日)
○住所 高畠町大字山崎200-1
○電話 0238-57-4177
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 現代日本児童文学の先覚者、浜田広介は、明治26年高畠町一本柳に農家の長男として出生。米沢中学(現、県立米沢興譲館高校)から、早稲田大学英文科に学んで、童話一筋50余年。一千篇に及ぶ殊玉の作品を世に残し、日本のアンデルセンと称えられている。
 処女作「黄金の稲束」をはじめ「むくどりのゆめ」「ないた赤おに」「りゅうの目のなみだ」など、その童話の母胎は、豊かな自然に恵まれたふるさとと、母親への深い愛情といわれている。
 昭和47年に高畠町初の名誉町民に推挙されたが、翌年秋、80歳で永眠。素朴で純情善意に満ちた詩情豊かな広介童話を21世紀の未来に伝えるために、浜田広介記念館は平成元年5月に建設された。
 広介の遺品、生原稿などが展示されているほか、童話ルームでは、マルチスクリーンで上映される、「ないた赤おに」や読書ルーム、喫茶コーナーもあり、子供たちはもちろん、大人の方にも楽しんでいただける施設である。

※浜田広介−1893.3.5〜1974.11.17

浜田広介記念館HP
 江戸時代当時、樹林の奥のこの洞くつは、誰がいうともなく鬼の岩屋として立ち入り禁止の地だったという。その後、次第に衆人の目にとまるようになり、石鏃などを拾う人も現れるようになった。
 洞くつは、通称立石の標高230mの山麓にあり、西から第4岩陰、第1洞くつ、第2洞くつ、第3岩陰からなる遺跡群である。昭和30年秋以降4次にわたって、同大教授山内清男博士、山形大学柏倉亮吉教授の指導のもとに発掘調査が行われ、その結果、何千年もの間使用されていた複合遺跡であることが判明。すなわち、中央の第1洞くつは、入り口の高さ3.5m、幅5m、奥行き14mのひょうたん状の洞くつで、洞くつ前面の堆積層は2m余りもあり、基盤の五層の内第1層の表土には、縄文晩期以降の造物第2層には、晩期から草創期各時期のもの、最下層には縄文時代草創期の造物が包含されていた。この層の土器(隆起線文土器片、爪形文土器片等)石器は、(石槍・研磨器・石斧等)考古学的には、旧石器文化から縄文文化への発展過程を解明する上で極めて重要であるとされ、(外に人骨・クマ・シカ・キツネ・カモ・ヤマドリほか多数の骨も発掘)縄文草創期(1万年前頃)の存在が全国的に知れ、学会からも高く評価された。
 この鳥居は、北和田高房神社前にあり、もと山の神の鳥居といわれている。
 高さ2.6mのこの鳥居の一番の特徴は、笠木および島木が一石からなり節目がなく、また島木の両端がわずかながら斜めに切られ、ゆるやかな曲線をおびていることである。左の柱に「天文戊戌9月18日(1538)」の刻銘があるので、室町末期の建設であることがわかるが、紀年銘のある鳥居は稀なので大変貴重な建造物である。県指定文化財。
 高房神社は、神社縁起に藤原高家、房家をまつるとある。
 大同年間(806年〜)、徳一上人が地方布教のおり、当山に立ち寄り、夢枕に観音像が現れたので自ら千手観音を刻みまつったのが三十三観音のうちの一番観音像で、これが観音岩のはじまりといわれている。当山の慶昌寺は、天正元年(1573年)の開山と伝えられて、この西国三十三観音を中心に十三仏、延命観音、千畳敷などを結ぶ岩巡りコースや、蛭沢湖までの遊歩道も整備されている。

◆西国三十三観音−文化年間(1800年代)地元の戸田半七という宮大工が観音信仰に燃え、赤湯(現南陽市)から観音像を一体ずつ背負って安置したといわれ、昭和7年に彼の供養像が建てられている。

◆十三仏−延命観音像の近くに深い信仰心に燃える近郷在住の信者から浄財を募り、昭和7年に安置された。

◆延命観音−当町出身の奥山良明画伯が、郷土の繁栄と、平和を祈念して、通称「塩岩」に一年がかりで昭和46年に完成。高さ12m、幅4m、線彫りとしては他に類をみないものである。

◆千畳敷−数十人が入れる洞窟で、縄文、弥生時代の土器が発掘されており、古代人の住居であったことがわかる。また文久3年(1863年)屋代郷が、米沢私領になることをおそれた35ケ村の農民が、名主を中心に反対行動の密議を行ったところがら評定岩という名もある。