食料補完計画

近頃気になっていた「ひさご」「雛形経綸」「やまがた」「キリストの横顔」「鮎貝」「あゆ〜む」「四季の里」などなどのキーワードをまとめてみたら、何と「ウロポスの環」が出来上がった、自分でもちょっと驚いた。


「雛形経綸」
「大本(教)にあった事は必ず日本と世界に実現する、大本は世界の模型であるから、箸の転んだ事までつけとめておいて下されよ」

1、日本の形は「世界の大陸の形」と相似形になっている、らしい。
2、日本の形は「竜の形」をしている、らしい。
3、山形県の形は「人の横顔の形」をしている、らしい。
4、山形県の形は「キリスト(ソサノオ)の横顔の形」をしている、らしい。
5、白鷹町の形は「心臓(ハート)の形」をしている、らしい。
6、白鷹町の形は「心臓が二つに分かれている形」をしている、らしい。

7、聖書では、人は神様に似せて造られている、らしい。
8、日本の大地は、クニトコタチの大神様の御神体、らしい。
9、地球は「ガイア」と呼ばれる意識のある生命体、らしい。
10、アインシュタイン博士は、宇宙には意思があると語っていた、らしい。

1〜6に向かって段々サイズが小さくなって来る、そして「心が宿ると言われる場所で見えなくなって」しまう。

ここで何で「ひさご」なのだろうか??でも何故かしっくりとつながって来る感じがする。

子供の頃に見た「孫悟空」や「西遊記」に出て来る「銀閣大王の持っている何でも吸い込む瓢箪」のイメージは「瓢箪の中は異次元空間とつながっている?」である。

「心身の神癒」から伝わって来る「父なる神とキリストの一体のイメージ」は「わたしは父の中に生き 父はわたしの中で働き給う わたしを見たものは父を見たのである」とある、また「内なるものは外に 外なるものは内に」や「上のものは下に 下のものは上に」も同様のイメージがある。
「ホツマツタエ」では「宇宙はうつぼ、子宮のようなもの」といい、相似形として「宇宙、地球、海(産み)、子宮」などの「生命を育むもの」を「壷」と呼んでいる、「瓢箪」も形を単純にしてみれば「壷」の形になる。

「ホツマツタエ」でトップクラスに大事な概念に「あわ」がある、何か凄いものが生み出されているイメージがある、水が沸騰すると水の中に「あわ」が産まれる、宇宙の空間や生命は何処から産まれて来るのだろうか。
命は「小さな小さな種」と「取り巻く環境」に育まれて営まれている、「種=たね=たねる=生命の不思議を探求する」「たね=多根=沢山の根を張って大きく育つ」のだろう。

「ひさごなく=久子無く=久しく子供が無かった=神の一人子が居なかった=キリスト(ソサノオ)を見失っていた」は「神はどうして沈黙しているのだろうか」と人類は長い間問い続けて来た。
「ひさごなく=久子泣く=久し振りに子供が泣く=長い間眠りについていた神の一人子が泣き出した=キリスト(ソサノオ)の目覚め」

「妄想」?にしては「物語」っぽいのが不思議です。



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今日は記事を4ページもアップししたので、さすがに作りが雑になって来た感じがする、「妄想」を形にするのは中々大変な作業、疲れも出て来た。

「神言会」さんのブログで、「エデン=絵伝=ビジュアルで伝える」と書いてあった、私のブログも説明が面倒なところは画像に頼っている、解釈は見た人に任せる事になる。

何処かに「かごめかごめ」の歌には秘密が隠されている、と有った。

「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?」

もう、頭が疲れているのか「後ろの人の正面は自分じゃないか?」と言う答えが返って来た。

もう曲解しているけど「人類みな兄弟仲良くやりましょう」と言う事ではないかと。

「ホツマツタエ」でポジティブに解釈すると「山形=やまがた=ヤ(人)マ(真・真の)カタ=真の人の形」と読む事ができます。
また、ネガティブに解釈すると「やまがた=ヤ(人)マ(魔)カタ=人は魔の姿になります、でもたぶん「マ=魔」と言うよりは「マ=間=隙間が開く=循環が切れる」や「マ=麻=麻痺する」イメージから「魔が差した=不本意で思いがけない行動」みたいな感じで「悪魔がいる」のとは一寸違う感じがします。

「心身の神癒」
第一話
22 世とその中にある一切を創造(つく)り給い、天と地との主であり給う神は、手もて造られた神殿などには住み給わず、人の手によって仕えられ給わず、又、何ものにも欠乏し給うことはない。なぜならばすべての人々に生命と息を与え給うたのは神ご自身であるからである。
23 又、神は地の表に住まわせるがために、一つの血よりすべての国民を創造(つく)り給うた。その故に、彼らは神の愛とその被造物とを通して神を求め、神を見いだすべきである。
24 どんな人であっても神はその人から遠くに離れて在ますのではない。神の中に一切のものは生き、動き、かつ存在を保っているからである、あなたたちの賢者の中のある者が云ったように、『すべては神の血縁者である』。然り、わたしを見たものは父なる神を見たのである。
25 これらの言葉を完全に了解(りょうげ)すれば、そこには何らの神秘もない。了下されてしまえば神秘は消えるのである。
26 一粒の質料といえども神を宿さぬものはありえない。全宇宙にある一切の粒子に神が宿されているのでなければならない。なぜなら神のみがましまして御自らを顕現し給いつつあるからである。こうしてわたしと父なる神とは一体(ひとつ)であり、その間には何らの分離もないのである。
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昨年は「伊勢神宮」にも御縁が有り、鮎貝八幡宮の宮司さんの計らいも有って「御垣内参拝(正式参拝)」を経験する事が出来ました。

そして山形県には

西の伊勢参り、東の奥参り
 古くより、西の伊勢神宮に詣でることを「西の伊勢参り」、東の出羽三山に詣でることを「東の奥参り」と称し、双方を詣でることは重要な人生儀礼のひとつとされておりました。
 千四百年以上前に蜂子皇子によって開かれた出羽三山は、羽黒山・月山・湯殿山から成り、羽黒山の出羽三山神社には、これら三山の神々が合祀されております。古来より、古修験道の行場として知られ、「擬死再生(ぎしさいせい・一度死んで再びよみがえること)」をはたす霊山として人々から信仰されています。
 
熊野神社(くまのじんじゃ)は、山形県南陽市にある神社である。旧社格は県社。正式名称は熊野神社であるが、通常は、熊野大社(くまのたいしゃ)の通称の方が用いられている。日本三熊野の一つとされる。

こちらも「東北の伊勢」ですね?、山形県は伊勢神宮と御縁が深いのでしょうか。

山形県の形が、どうして人の横顔にそっくりなのか?こんな疑問を抱いていた、ある時友人にその話をしたら「うちの婆ちゃんは、山形県の形は外国人の男の横顔の形だと言っている」???。
そう言えば職場の近くにも「キリシタン生き埋めの地」の案内板が立っている「首無し地蔵」が祭られている、色々と調べて行くうちに「山形県では過去に大掛かりなキリシタンの弾圧が有った」事がわかって来た。

下記の記事でも、この辺境の片田舎で「全国一の殉教者がいた」?何が彼らをそこまで拘らせたのか、命をかけてまで頑に守り通した信仰とはいかなるものだったのだろうか。

毎年5月13日は、米沢藩の鬼門とされた「白鷹山山頂で虚空蔵様を祭る高い山の日」である、奇しくも1967年にキリスト教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定されている、昨年2017年は「ファテマの奇跡100周年」にあたる年でした。

ペトロ岐部と187殉教者(ペトロきべと187じゅんきょうしゃ)は、1603年から1639年にかけて日本各地で殉教した日本人のカトリック司祭・修道者・信徒で、2008年に長崎市で行われた列福式でカトリック教会の福者に列せられた188人のキリシタンの総称[1]。司祭になるべくローマへ徒歩で行ったペトロ岐部や、天正遣欧少年使節の一人である中浦ジュリアンらを含む[2]。
目次 [非表示]
1 概要
2 福者となった殉教者
2.1 八代の殉教者(11名)
2.2 萩・山口の殉教者(2名)
2.3 薩摩の殉教者(1名)
2.4 生月の殉教者(3名)
2.5 有馬の殉教者(8名)
2.6 天草の殉教者(1名)
2.7 京都の大殉教(52名)
2.8 小倉・大分・熊本の殉教者(加賀山一族18名)
2.9 江戸の殉教者(1名)
2.10 広島の殉教者(3名)
2.11 雲仙の殉教者(29名)
2.12 米沢の殉教者(53名)
2.13 長崎西坂の殉教者(2名)
2.14 その他(司祭4名)
3 脚注
4 関連項目
昨年、御縁が有って「置賜三十三観音巡礼ツアー」に参加する機会が有った、三回に分けてガイドさんが付いてのバスツアー、仏教の知識の無い私には先達の話はとても有り難いものでした。

普段は「御本尊」が公開されていない場合が有りますが、下記の予定で「ご開帳」が行われる予定の様です、ツアーも企画されている様ですので興味の有る方はご検討しては如何でしょうか。

やまがた出羽百観音「ご開帳」
平成30年 庄内三十三観音
平成31年 置賜三十三観音
平成32年 最上三十三観音
※各霊場とも5月1日〜10月31日まで

置賜三十三観音ご開帳の詳細については
のちほどご案内いたします。
 
注、このツアー、五十半ばの私でも最年少クラスの参加者だそうです。
どうもアインシュタイン博士の公式「E=MC*2」の公式が気になる、今朝台所に行くと息子が食事をしながら歌を聴いていた???「ジュピター」である、歌詞を聞いているうちに何だかモヤモヤして来た。

イメージを何とかまとめてみたのだが、ごちゃごちゃして解説を付けないと意味不明、とは言っても「妄想」の産物なので上手く説明ができないが取りあえず載せてみる事にした、私は数学が苦手なので言葉遊びになってしまうのが残念だ。


そう言えば、今朝のニュースで「北陸自動車道の大渋滞」が漸く平常に戻った様子、平年の数倍の積雪とはどのようなものだろう。
近頃、また「山形県の形」が気になって来た、どうしてこの形になったのかネットで探してみたらこんな記事を見つけました。





リンク先です、山形県のマークが入っているので行政関係かと思いましたが「東京書籍」さんでしょうか。
URLを選択してアドレスを開いて下さい(リンクの仕方がわかりません)。

http://kids.tokyo-shoseki.co.jp/kidsap/downloadfr1/htm/jsd38766.htm


記事の中に
「現在の山形県の形は,人の横顔の形をしていますが,この形になった のは,1876(明治9)年8月のことです。当時,庄内地区を酒田県,村山地区を山形県,置賜(おきたま)地区を置賜県と呼 んでいましたが,統一されて大きな山形県となりました。はじめ酒田県には,秋田県南部の由利郡(鳥海山の北部)・仙北郡(新 庄の北部)などが含まれていました。しかし県庁を山形にすると遠すぎるとのことで中央政府に願い出て,現在の県境となったよ うです。三つの県を一つに県にすることは,大変なことです。」


と有ります「形を意識して県境を決めた」と言う事でもなさそうですが、「こうした方が良いだろう」と気持ちが働いた感も有りますよ。
何か、時空を越えた閃き?が有った可能性も否定はできませんね、神様のいたずら?とか。

もしかして「酒田県」「山形県」「置賜県」の三位一体?苦労したようですね。

右大臣岩倉具視(いわくらともみ)?

「磐座・磐倉・岩倉(いわくら)とは、古神道における岩に対する信仰のこと。あるいは、信仰の対象となる岩そのもののこと。
概要
日本に古くからある自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)であり、基層信仰の一種である。神事において神を神体である磐座から降臨させ、その依り代(神籬という)と神威をもって祭祀の中心とした。時代とともに、常に神がいるとされる神殿が常設されるに従って信仰の対象は神体から遠のき、神社そのものに移っていったが、元々は古神道からの信仰の場所に、社(やしろ)を建立している場合がほとんどなので、境内に依り代として注連縄が飾られた神木や霊石が、そのまま存在する場合が多い。」

「岩倉具視=いわくらともみ=磐座共観=自然の御神体を共に見る」これって??「宗教の垣根を取り払って自然神(原点・人類共通の基盤、母体)を一緒に見よう(学ぼう)」と言っていないか?まるで神癒のキリストですよね。
以前、友人の事務所の引っ越しを手伝った時にイベントで使って要らなくなった「きてけろくん」のパネルをもらって来た、先頃まで物置で眠っていたのだが片付けでまたもや追い出されてしまった、行く宛の無かった「きてけろくん」だが現在は自宅の玄関でお出迎えである。

昨日2月1日の夜、NHK BSの番組「ザ・プロファイラー」で「アインシュタイン」を特集していた。

録画した放送を見ていて??何だか「統一理論」は「日月神示」の語っている「肉体に霊が宿る」話に似ている様な気がして来た、そして「心身の神癒」のテーマは「この世界に分離は存在しない、総ては一体である」である。
「日月神示(ひふみ神示)」では「丸に・」で表現し、キリストは「父なる神の愛と一人子の関係を通して」説明しようとしている。

「心身の神癒」
第一話
13 全宇宙が神の愛の御性質を現している完全なる渾一体である。愛は結合させる聖なる特質(ちから)であり、一切(ものみな)を支えうる唯一の力であり、その上、みずからの完全さを成就しつつある。
23 又、神は地の表に住まわせるがために、一つの血よりすべての国民を創造(つくり)給うた。そのゆえに、彼らは神の愛とその被造物とを通して神を求め、神を見いだすべきである。


「円錐形=えんすいけい=縁吸形=関係を吸い込む形?」
「えんすい=縁吸い」?
「すい=吸い=スの神様=言葉の発音はまず空気を吸い込み、吐き出しながら声を出す=ス〜っと吸い込むスが総ての言葉のみなもと=スの神様無しでは声が出せない=言葉の元神」

アインシュタイン博士が望んだ「世界平和の鍵」は「宗教(神様)と科学のバランスの取れた統一」だったのかも知れません、もっと多くの人がその事に興味を持ってくれればいずれは大きなうねりになって行く、そんな時代の夜明けであります様に。

明日「2月3日は節分」です「鬼も福も一方だけではバランスが取れません」それぞれの働き、役割を理解してバランスの取れた統一が「鍵」なのかも知れません。

「アルバート・アインシュタイン=有るハート吾イン主体ン=心ある神を自分の主体として飲み込む=神心が主体になる=神の表現体になる=我の取れた人=意(神)の乗った人になる=祈り」、、?

人の名前は不思議です。

人生には、二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。

でも私の心はこの二つの間で揺れています、難しいですね。

時代は「相対=対立」の時代から「統一」の時代へ動き出しているでも「神」無くしての統一は、、、でも「神」も「愛」も「経験を積まないと解らない」らしい、「簡単そうで難しい、難しそうで、、でも心の何処かで知っているみたいな」答えは自分の中に有る、、、らしい。

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1月31日は150年ぶりの「スーパー・ブルー・ブラッドムーン(皆既月食)」だったそうである、31日の夜はあいにくの天気で皆既月食は見る事が出来なかった、でも早朝に犬に引かれて散歩に出てみると「西の山に沈むスーパームーン」を見る事が出来た。

でも不思議な事に「実際に見えている月と写真に写った月が違う」のである、写真では山に接する様な位置で月が写っているが、肉眼では「月一つ分くらい離れて見える」のである、不思議に思って撮り直してみが同じである、もう一つはこの位置がしばらく続いた?なかなか山に接しないのである、光の屈折かなにかでそう見えたのだろうと思うが??な体験でした。

今朝は今年一番の冷え込み、そして日中はとっても良い天気、こんな日はユーミンの「サーフ&スノウ」のアルバムの曲が流れてくる。
♫自然は雪や太陽つれてレビューを見せに来る
 夕映え 樹氷を染めれば
 しばらく地球は止まってる♫
♫自然は波や 雨雲つれてレビューを見せに来る
 チューブを透かして見る空
 しばらく地球は止まってる♬

私の小学五年生の息子は、水遊びが好きだったので二年生の時から週二回のスイミングスクールに通っている、そしてこの冬のシーズンは毎週日曜日にスキー三昧である「サーフ&スノウ」を体験している羨ましい奴である、勉強の方も頑張ってくれれば嫁さんの心配も、、、。

この頃随分と生意気になって来たぞ。
伊勢参りの記事から4ヶ月近くも開いてしまいました、久しぶりの話題です。

以前から「何でユーミンの歌には誰かを待っている女性のイメージが付きまとうのか?」と言う疑問が有った、昨年の後半から何となくぼんやりと「人魚姫の夢が叶う??」みたいな思いが有り不思議に思っていたがそんなおりに「マヨン火山と伝説」に出会いました。

イザナミは、大切な民の暮らしを守る為に行った行為で命を落としました、マガヨンも愛しい人の命を守ろうとして命を落としています。
「マガヨン=美しい山」そして「人の横顔の形をした山形県」「やまがた=人真形=真実の人の形(姿・あり方)」は「人類は本来美しい(素晴らしい)存在である」と行っている様に思えてきます、そしてそれは救世主キリストの姿なのでしょう「救世主とは特定の個人ではなく人類そのもの」とも言えないでしょうか。


それともう一つ「ホツマツタエ」「古事記」「日本書紀」で気になっていた、イザナギとイザナミが別れ別れになってしまった「よもつひらさか」での出来事、この部分に新しい(正しい)解釈を見つける事が出来ました、民の暮らしに心を砕いて来た二人が、「イザナミが訳も無く民を日に千人殺し、イザナギが千五百人を産む」何だか不自然な話だと思っていたのです、でもこの方の解釈でとってもすっきりしますよね「長い間ささいな勘違いから誤解されて来た」こんな疑問が氷解する思いです。

平成28年(2016年)の記事です、2017年2018年と大きな変化が起きている、極めつけは「人魚姫の夢が叶う?」そんな気がしている今日この頃、それは長い間、母性、母星、地球、母なる大地、女性、肉体、汚れた大地、男尊女卑、、天(男性、神、精神)よりも一段低く見られて来た命を形にする存在が本来の重要性を再認識させられる「平成の一八十開き」の様に思うのです。

「夫神と妻神があい抱き参らせるうれしうれしの時」ならば良いなあ、でもここからが始まりでも有るのかもしれません。
この時期に日本でも火山の噴火がニュースになりました「群馬県・草津白根山で噴火が発生」です。

コメント欄に画像で引用させて頂きました。


「朝倉未魁の超訳ホツマツタヱ」さん有り難うございます、記事引用のご連絡致します。


「イサナミ尊は千人も絞め殺さない!」下記記事へのリンクです
http://hotsuma.anyone.jp/mikai/column008/

 5綾の、黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)でイサナミ尊とイサナギ尊が交わした
イサナミイワク「ウルワシヤ カクナサザラバ チカフベオ ヒビニクビラン」
イサナキモ「ウルワシヤワレ ソノチイモ ウミテアヤマチ ナキコトオ マモル」
という言葉を私は次のように訳しました。
イサナミ尊は言われました。「愛しい君よ、私がこのようにしなければあなたは千人の民の命を日々奪うことになるでしょう」。
イサナギ尊も「麗しい人よ、吾は千五百人の民を増やして、民の命を奪うような過ちは絶対にしないように誓います」と言われました。
 日本書紀の原文は次の通りです。
時伊弉冉尊曰、愛也吾夫君、言如此者、吾當縊殺汝所治國民日將千頭。
伊弉諾尊、乃報之曰、愛也吾妹、言如此者、吾則當産日將千五百頭。
 岩波文庫日本書紀の読み下し分は次の通りです。
時に、伊弉冉尊の曰はく、「愛しき吾が夫(なせ)の君(みこと)し、如此(かく)言(のた)はば、吾は当(まさ)に汝(いまし)が治す国民(ひとくさ)、日(ひとひ)に千頭(ちかうべ)縊(くびり)殺さむ」とのたまふ。
伊弉諾尊、乃(すなは)ち報(こた)へて曰はく、「愛(うるは)しき吾が妹(なにものみこと)し、如此言はば、吾は当に日に千五百頭(チ神戸あまり以降邊) 産ましめむ。
 また、全現代語訳日本書紀(宇治谷孟著、講談社学術文庫)での現代語訳は次の通りです。
その時伊弉冉尊がいわれるのに、「あなたがそのようにおっしゃるならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ絞め殺そう」と。
伊弉諾尊が答えていわれる。「愛するわが妻が、そのようにいうなら、一日に千五百人ずつ生ませよう」と。
日本書紀原文の「吾當縊殺汝所治國民」を元に考えれば、確かに伊弉冉尊が千人の首を絞めて殺すと読めます。
 ちなみに書籍やインターネットで公開されているホツマツタヱの同箇所の訳も知り得る限りではすべて、イサナミ尊が千人の首を絞めて殺すことになっています。実に私は孤立無援の状態なのです。
 では、もう一度 「ウルワシヤ カクナサザラバ チカフベオ ヒビニクビラン」を見てみましょう。この中の「カクナサザラバ」に当たる日本書紀の同箇所は「言如此者」、その読み下し文「如此(かく)言(のた)はば」、現代語訳「あなたがそのようにおっしゃるならば」となっており、ホツマツタヱの「カクナサザラバ」と明らかに肯定と否定の違いがあります。私は、が「一日に千人ずつ絞め殺す」と言ったとすれば、民のために互いに艱難辛苦を越えて尽くしてきた夫にこの言い方はあまりにも過酷で、不自然に思えます。しかも伊弉冉尊は「愛するわが夫よ」と言っているのです。
 私は「カクナサザラバ」を「このようにしなければ」と訳しました。すると主語は私(イサナミ)となり、「このようにする」ということは、醜女(シコメ)に追い返させたこととなります。すると、「(追い返さずに)イサナギ尊までもが死んでしまえば多くの民の命が危ない」ということになり、「愛しい君よ、私がこのようにしなければあなたは千人の民の命を日々奪うことになるでしょう」という訳にしたのです。そして「イサナギ尊までもが死んでしまえば多くの民の命が危ない」というイサナミ尊の思いをイサナギ尊が夢の中で気づいたというようにわたしは解釈したのです。そして、この方が二尊の生き方にふさわしいと私は思うのです。
 浅学菲才で、古文とりわけ漢文に弱い私がこんなことまで言うとどうかとも思いますが、やはり原典はホツマツタヱで、日本書紀に書かれた時点で「カクナサザラバ」が「言如此者」と、逆の意味にすり替わったのではないかと考えます。千葉富三先生も著書でホツマツタヱから日本書紀に書き写される時、区切りを間違える「ギナタ読み」などにも具体的に触れています。日本書紀の揚げ足取りをするつもりは毛頭ありませんが、今後も違いの大きい所は取り上げていきたいと思います。
・・・・・平成28年2月24日
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思いがけない出来事が切っ掛けで「西の伊勢参り」に行ける事になった、ネットで見つけた「西の伊勢参り・東の奥参り」のツアーを参考に二泊三日の旅行を計画してみた、細かい時間は気にしないで巡ってみたい。

始めは「伊勢神宮」がメインでしたが、調べているうちに「熱田神宮」のある名古屋や「鈴鹿」がルートの途中に有る事に気が付いて追加してみた「熱田神宮」は「熱田神=ヤマトタケ」を祭った場所であり今から1900年程前「ヤマトタケ」が亡くなったと思われる時期に創建されているらしい。

「ホツマツタエ」の13紋には「ワカヒコ イセ スズカノアヤ」とタイトルが付いていて「男女・夫婦のあり方」が書かれている。

また巻末の40紋は「アツタカミ ヨヲイナムアヤ」となっていて「ヤマトタケの遺言が切っ掛けでホツマツタエが編纂された経緯」が書かれている、この中で「ヤマトタケ(熱田神)」は「自分はソサノオ(氷川神)の生まれ変わり」と語る場面が有り「オロチ」との因縁が物語として語られている。

「ホツマツタエ」には「古事記・日本書紀」にはあまり感じられない「文を残すに至る熱い想い」が込められている、私が「ホツマツタエ」に引かれるのはこの為なのかも知れません。


「熱田神宮」には
境内社
一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)
祭神:天照大神荒魂(氷川神ソサノオの荒魂?)一の前はゼロ零である、無から有に現れる手助けをしている神?を荒ぶる神と勘違いした?「心身の神癒し」のキリストも同じ働きであると思う。

が祭られている、興味のある人は2013年に「熱田神宮1900年祭」の事を知った時に書いた記事を参考にして下さい。

EDEN〜「熱田神宮1900年一之御前神社開が公開」!

http://samidare.jp/shibuchin/lavo?p=log&lid=309358


なぜこの時代にこれらの書物達(世界の神典類)が一同に合い見舞える事になったのか?何かしら大きなドラマの様な、、、物語を感じる今日この頃です。感謝
【台風18号】九州、四国、本州、北海道の全てに上陸した初の台風に
9/18(月) 17:27配信

提供:ウェザーニュース
 3連休に全国各地へ影響をもたらした台風18号。史上初、日本の本土4島(九州・四国・本州・北海道)に全て上陸した台風となりました。

 台風18号は強い勢力で沖縄先島に接近後、17日の午前10時半頃に九州の鹿児島県に上陸、さらに午後には四国の高知県へと再上陸しました。進路をやや北に向け、夜のうちに今度は本州の兵庫県に再上陸。日本海へ抜けた後に日付をまたいで18日昼には北海道へ再上陸しました。(道内でも複数回上陸し今回の台風だけで5回も上陸しています。)

 日本の本土を構成する主な5つの島のうち、上陸と表現する4島(九州・四国・本州・北海道)に上陸するのは統計を開始した1951年以降初となります。※なお、沖縄先島の上空を台風が通過したとしても気象庁では「上陸」という定義は使わず「通過」と表現します。

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息子のリクエストでアニメ映画の「打ち上げ花火 下から見るか 横から見るか」を見て来た、ふと立ち寄った映画館に続きの書店で「ローマの休日を観るだけで英語の基礎が身につく」の言葉に引かれてつい手が出てしまった。

解説本を見ながら、なるべく聞き逃しが無い様にイヤホーンを付けて鑑賞、それでも上手く聞き取れなくて改めて敷居の高さを実感、映画の内様をもっと知りたくなってネットで検索してみたら
「ローマの休日で、アン王女のベッドシーンが想定されている箇所について」
と何やら意味深なタイトルを発見、ネットの記事を読んだ後でもう一度映画を見直してみた。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/02/post-e3fe.html

Wikiの記事を読んでみると、エピソードとして「原題の"Roman Holiday"とは」と思わせぶりな話題が書かれていた、言われてみれば、、、王女の大きな心の変化の裏側には何が有ったのか?。

自由を経験したはずの彼女が、なぜ喪服の様な黒いナイトガウンを身につける様になったその意味とは?

一見何事もなかった様に終わるエンディング、しかしこのモヤモヤしたものは何だろうか?。

「下から観るか 横から見るか」視点を変えれば意外な発見が有るかも知れません。

『天知る、地知る、子知る、我知る(なんぞ知るもの無しといわんや)』

国民が元首(王女)に求めるイメージとは、、、?

大人になるとは大変な事を色々と経験して行くものです。

この王女様はこの後どのような人生を歩んだのでしょうね、大切な思い出として?それともいつ発覚しまいかと心の安らぐ事なく、、。

真実とは?「ローマの休日」見た目よりも深い話なのかも知れませんね。
台風18号の進路予想が、日本列島の形に添って北上しそうな画像を見て台風の名前を調べてみた、台風18号の名前はフィリピンで命名され「タリム=鋭い刃先」だそうである。
確かに北朝鮮からのミサイル問題などで、鋭い刃が日本に向けられている感もある、今後の動向が気になる処である。

台風の進路が「剣」の形をしている様にも見えますね。

「大難が小難で有ります様に」祈り。